まず、なぜ創作したいのか、考えてみましょう。 ・舞台に立つことが決まっているから。 ・人に言われて、作ってみようと思った。 ・なにか、心の中がむずむずして。 何でも良いのです、作らなければならない状況に自分が追い込まれていたら、 あなたは、傑作をつくり出す資格を手に入れたも同然です。 さあ、料理の為の材料を買い求めるように、創作の素を探しにいきましょう。 私は、創作舞踊として「四条河原物語……阿国歌舞妓の誕生」を書き、演出しました。 そのとき、幾つかの偶然によって、創作の素を手に入れたのです。 一つは、藤蔭流誕生の発端が、創作舞踊「阿国」であり、その記録が失われて、 わたくし自身阿国の世界を舞踊化してみたいと常々思っていたこと。 一つは、飛鳥流家元飛鳥峯王師の招きによって、日本舞踊アカデミーアスカの自主公演を 開催すると言う現場に立ち会わせていただいたこと。 一つは、当時「出雲の阿国」の様々な具象化、小説のリバイバルやミュージカルやTV作品などが 発表されていたこと。 一つは、畏友K氏から頂戴した雑誌に、京洛での労働歌が、風流(踊り)以前に流行していたことを知ったこと。 一つは、河原の無法地帯(化界化)をしったこと これらをもとに、単純な歌舞伎踊り誕生のエピソードが生まれました。 物語は今から4百年ほど前、戦国と呼ばれた時代も終焉した慶長の頃の四条河原。 女歌舞妓とよばれる文化が約25年間花開きました。 その誕生と終焉の主人公となったのが、阿国とよばれた出雲出身の芸能勧進者といわれています。 舞台には、戦乱の廃墟から復興した人々が、河原で生活する姿を見つけます。 貧しくとも風流(フリュウ)と呼ばれる歌と踊りによって明日への希望をつなぐ人々の中へ、 勧進念仏踊りをもって上京してきた阿国が登場します。 いっとき都で評判をとった念仏踊りもいまでは飽きられ、なんとか町衆に喜ばれるものをと求める阿国に、 河原の人々の踊りが新鮮な感動を与えます。 阿国は、当時の流行歌に自由素朴な風流(フリュウ)踊りを工夫します。 その中で自分の手が身体が、この世のすべてを表現できることを、阿国は発見します。 踊りの新しい世界を切り開いた阿国の姿は、月の光の中で輝くばかりです。 阿国は河原に集まる人々に踊る喜びを伝え、阿国歌舞妓の誕生へと導くのです。 阿国は念仏踊りをもって上京してきたのですが、ここ京都に至って、 傾く踊り、今のロックバンドのように異様の風体をもって、 従来の猿楽系の舞と異なったカブキ踊りを生み出し、「美空ひばり」のような人気を獲得して行ったのです。 やがて阿国は日本国中を興行し、天下一の賞賛を我がものにしますが、 幕府の弾圧を受け厳しく辛い晩年を過ごします。 しかし阿国が切り開いた『歌舞伎踊り』の心は、のちの時代へと脈々と受け継がれ、 日本の舞人の中に、今もいきづいています。 以上を、次のように舞踊台本化しました。 ■「四条河原物語……阿国歌舞妓の誕生」 舞台は四条河原の東岸、舞台奥に土手、手前は河原。舞台上手に橋脚(四条大橋)。 時は春の夕方早く…… 夕餉の支度か野菜を洗う女達、染め布を洗う男達。 土手の近くでは、職人が竹細工、藁細工などなど、夕方の忙しさ。 風が鉦の音を運んでくる。聞きとがめる人々。 阿国、笠に墨染め、鉦を打ちながら上手土手より登場。 人々隠れる。 一人になった阿国、念仏踊り短く(動きの少ない本行のようなもの)。 隠れ場から出てくる人々。 面白くないと、阿国を追い立てる……。 1人が洗い物をしながら、トンと音をたてる、と別な人がポンと受ける。 音の掛け合いからリズムが生まれ、音楽が生まれ、踊り地が溢れる。 人々が作り出す輪の中で、1人または2人が踊りを披露し、興高まって、乱れの群舞。 雑然とした踊りの中に、不思議な力が沸き立つ。 見ていた阿国は、其の中に紛れ踊る。(楽しく、陶酔して) 一頻り踊り疲れた人々、さんさんごごと家路に……。 既に夕方の景色。水汲みの嫗、歌を口ずさみつつ登場。 夕闇一人残されて、墨染めを脱ぎ捨て、嫗の歌に踊りの工夫をする阿国。 座元登場し、北座への誘い。 満月がのぼる。月光のなかに阿国の姿浮かび。 ……暗転…… 河原の朝……河原の人々、風流の遊び。 そこへ着飾った阿国登場。 美しさに魅了される人々。 若者達に踊りを教える阿国。 少しづつ群舞がうまれてくる。 見事な群舞、最後中央で決まって、幟が土手に「天下一かぶき」「阿国かぶき」等々。 ……幕…… |
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