博物館と友達になろう!no3

貝を見ながらタイムトラベル!


小林



平塚市博物館の常設展示では、共通した資料が研究分野によって異なった角度から取り上げられています。今回は、貝を紹介します。
「五領ケ台のくらし」では、縄文時代の暮らしが再現され、貝塚にはダンベイキサゴ、サルボウなどの貝が積まれており、縄文土器に盛られたヤマトシジミや縄文土器で加熱されているダンベイキサゴが展示され、女性の腕輪は貝を加工したものです。「浜で拾う海の自然」では、漂着物を拾う会で収集された現在の平塚の海に生息する貝が展示されています。、「大地の生い立ち」では、様々な年代の化石を含む岩石や東豊田ポンプ場で見つかった縄文時代の貝が展示してあります。サクラガイが多く見つかったので、昔の東豊田はサクラガイの砂浜だったのでしょう。「深海のシロウリガイ」では、地上の生物とは異なる生態系を持ち、またプレートの沈み込みをうらづけるシロウリガイが化石と現在種の写真で展示されています。縄文時代と現在の海岸で共通に見られる貝は、ツメタガイ、ダンベイキサゴ、マガキ、バカガイなどです。
ツメタガイは、内湾の水深10mくらいの砂泥底に棲み、二枚貝を食べる貝です。穴のあいた二枚貝は、ツメタガイの食べた跡です。ダンベイキサゴは、外洋の砂底10mくらいに棲み、五領ケ台貝塚でもっとも多く発見されています。マガキは、河口部の岩などに着生します。バカガイは、本当にバカガイという名前の貝です。内湾の水深10mくらいの泥底に住み、アオヤギとも呼ばれ食用されます。縄文時代に食用されたヤマトシジミは、近年まで相模川の河口付近で採集されていました。淡水に棲むマシジミも、都市化が進む以前は食用されていました。
縄文時代は1万年続き、中期の五領ケ台貝塚は温暖な時期にあたり海水面が現在より上昇していました。現在の市街地は、ほぼ海面下でした。貝塚というのは、貝が堆積したところを言いますが、土器や人骨、獣、魚の骨、生活道具なども出土しています。また、貝の種類から、当時の海の環境が浅い砂底の内湾と砂州の外には外海があったと推測されています。縄文時代に五領ケ台で暮した人々は、博物館の展示コーナーのような海に面した丘陵に住み、貝を採取したり、魚や獣を取って暮していたと出土品から推測されます。出土した貝について、現在は見られなくなった種類もありますが、多くは現在も平塚海岸で拾うことが出来ます。
貝は、古代の人々の生活に欠かせない食料でした。また、貝を手がかりに昔の暮らしや環境を知ることが出来るなど、身近な貝から多くの情報が得られることがわかります。しかし、不思議に感じることがあります。現在の平塚海岸ではバカガイが多く見つかりますし、最近、徳延で縄文時代の地層から約60種類の貝が見つかり、バカガイが含まれていました。ところが、五領ケ台貝塚の報告にバカガイは含まれていません。バカガイは、殻が薄く割れやすいので残らなかったけれど、縄文時代の人々も食べていたのではないでしょうか。また、現在の平塚の海は急に深くなっているそうです。どうして縄文時代の環境とは異なるのに、同様の貝が生息しているのでしょうか。また、海底の砂の中に棲むダンベイキサゴを昔の人はどういう方法で採ったのでしょうか。アサリやサザエのように簡単には採れない貝だと思うのですが。
さて、皆さんも貝を見ながらタイムトラベルに出かけましょう。まず、漂着物を拾う会に参加して現在の貝を観察して、次に五領ケ台貝塚を訪れ、次に博物館で展示を見比べてください。きっと、何か発見があるでしょう。最後にクイズです。陸の貝のカタツムリには目がありますが、海の貝はどうでしょう。答えは自分で調べてください。
写真の左から、ツメタガイ、サトウガイ、ダンベイキサゴ、マガキ、バカガイ

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