お若伊之助 ちょうど4年前、ソニーから『志ん朝復活 --- 色は匂えと散りぬるを』と云うCDが出た。 『い』、『ろ』、『は』に始まり、『を』で終わる。 12枚からなるシリーズで、古今亭志ん朝(ここんてい・しんちょう)の高座のライブ版である。 小林信彦さんは、こんなふうに記している。 <狭い三百人劇場(東京・千石)にでかい機械を入れて、テープをとりゃあがって --- と、ひそかに思っていたのが、 こういう形になるとは! 中には、ライヴ・アーティスト山下洋輔さんとぼくが、その迫力に蒼白になった一九八二年六月の 「真景累ヶ淵(しんけいかさねがふち) --- 豊志賀(とよしが)の死」も入っている。 これは凄かった。 廊下に出て、二人とも、ようやく吐息をしたのを、昨日のように想い出す>(『にっちもさっちも』文春文庫) その『志ん朝復活』の中に、同じ演目が入っていて、「お若伊之助」と云うもの。 79年と01年に録音されたのだが、まず79年版の方。 このとき志ん朝は40歳。 そして01年版は、志ん朝さんが肝臓癌で亡くなる半年前の口演である。 で、このふたつの「お若伊之助」を聞き比べてみたが、どちらがいいとは云えないのが実感だった。 20年経ってもプロットは変わらない。 もとは『因果塚の由来』と云う怪談ばなしだったそうで、 御大家(ごたいけ)の美しいひとり娘、お若(わか)と、一中節(いっちゅうぶし)の師匠の伊之助にまつわる因果応報の噺を、 人情噺ふうに仕立てある。 お若と伊之助はむしろ脇役に廻り、鳶(とび)の頭(かしら)の初五郎と、剣客の長尾一角が主役で、 この好対照なふたり、初五郎の粗忽ぶりに一角の沈着冷静さが可笑しい。 プロットは変わらないが細部は違っていて、これがどうも甲乙つけがたい。 ちょうどグレン・グールドの『ゴールドベルク変奏曲』に似ていなくもない。 20代前半に、 このバッハの曲のアルバムで世界的なピアニストとなった55年録音のCD(当時はレーコードだけどCDでしか知らない)と、 亡くなる一年前の81年に録音された『ゴールドベルク変奏曲』である。 ただ、グールドの場合、若いころの方を好んで聴くんだけどね。 さて、志ん朝の「お若伊之介」である。 録音を手掛けた、京須偕充(きょうす・ともみつ)さんは解説にこう綴っている。 <語り口を早々に固定せず、流動的な吟味をしていたことが、 一九七九年二月二十日録音の当シリーズ『へ』本編と二〇〇一年四月十四日録音の当シリーズ『い』所演との聞き比べで、 ありありとわかるのである。 芸に向上はあっても完成はないという持論にもとずき、努力をひた隠しにしていた。 この巨大な含羞の努力家ぶりをしのびたい> |
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古本屋 本は増える一方だから、本棚からあふれた分は平積みにしていたが、それも段々と邪魔になる。 纏(まと)めて段ボール箱に放り込んで整頓したふりをしていたら、この10年の間に4箱になった。 そろそろ処分しようと云う気になった4月のある日、電話帳を開いてみたら近所の歩いて行ける古本屋があった。 次の日曜日に、その古本屋を覗いてみようと行ってみると、一月前に店を閉じていた。 中は空っぽのビルの貸店舗の入り口に張り紙があった。 以来、部屋の隅に段ボール4箱を積んだ儘。 連休が終わった5月のある日、雑談をしていて話題が古本屋に及んだ。 教えて貰った古本屋は確かに電話帳に載っている。 創業百年近い老舗だそうだ。 けっこう遠いが車で行けば行ける場所だから、 電話して買い取りに来て貰おう。 電話に出たのは店の主(あるじ)らしい。 か細い声で聞き取りづらく、何だか陰気そうな声である。 主が云うには、人手が足りないので伺えない。 宅急便の着払いで送ってほしいとの由。 それは何だか面倒だから、部屋の隅には段ボール4箱を積んだ儘である。 段ボール箱の本は大概は要らないのだけど、手放すには惜しいのも入っている。 ケチっては処分は出来ないので入れたのである。 それでも日が経つうちに、中の本よりも積んだ段ボールが目障りなので、 とうとう先週の土曜日に件の古本屋に宅急便で送ったのだ。 着払いは初めてだが、近くのコンビニに行くと専用の伝票がある。 4枚貰って書いて家で待っていると、取りに来た。 火曜日の夜に古本屋の主から電話があった。 相変わらずの声で、査定した額はこれ程だがいいかと云う。 相場は分からないから、いいよと答えた。 本の元値の1割だったらなぁ、と皮算用していたが三分の一だった。 それでも纏まった金である。 指定の口座に振り込みますと云うので、ご丁寧に電話ありがとうございますと云うと、 とんでもありません、と云ったかどうか忘れたが、妙に明朗な声なので、陰気ではない、 ただシャイな人なのだろうと思った。 翌日、振り込まれていた。 これで家具でも買おうかと云うことになり、きょうインテリア店(ショップ)で、木製のラックを買った。小物を置く三段の棚である。 これには、買いに行って帰るまで可笑しい話しがあるのだが、面倒だから省略する。 で、その棚は段ボール箱が積んであった場所に置いている。 本が化けて棚になっただけであるが。 それでも、段ボール箱よりはましで、インテリアが置いてあると云う風になった。 |
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梅雨明けはまだかいな 九州と四国は梅雨が明けたそうで、 西日本は月内に順次、東日本は来週以降に明ける見通し、と云うのが気象庁の発表。 また、残暑の厳しい夏になりそう、と予報しているのだが。 まあ天気予報は、当たるも八卦(はっけ)当たらぬも八卦、と云う感もあるからどうだか分からない。 何年か前から、「ヒート・アイランド」と云う用語が盛んに使われている。 広辞苑第五版にも立項されていて、<都市域の地上気温が周辺部より高くなる現象>とある。 原因と云われている一説は、 東京湾岸に乱立する高層ビルや高層マンションが海からの風の流れを塞いでいると云うもの。 景観としても醜悪である。 東京に限らない。日本の都市の景観はどこも美しくない。 なぜだろうと思うに、都市計画のグランド・デザインを持たないで、デベロッパーなる業者が乱立させるからだろう。 「グランド・デザイン」なんて大仰(おおぎょう)な言葉は、ふつう笑ってしまうけど、 扇千景なる婆さんが国土交通大臣だったときに、盛んに口にしたのを真似(まね)てみた。 最近、電車の中で読んでいたのが、小林信彦さんの『にっちもさっちも』(文春文庫)で、きょう読み終えた。 ビルの乱立に都市計画がないと云うのを思い当たったのは、小林さんのこんな文章。 <関東大震災のあと、後藤新平門下の役人がいかに正確に都市計画を立てたかは、 越澤明氏の一連の著作によって明らかになっている。 それらの役人たちの生き残りは、敗戦後すぐに東京再生のデザインを作ったが、 GHQ(マッカーサー司令部)によってつぶされた。 敗戦国がいきなり長期的復興事業とはなにごとかというわけだ。(中略) 戦後も都市計画はあったが、実施されなかっただけだ> 後藤新平は大正十二年(1923)の関東大震災のあと復興計画を立て、東京の都市の骨格を造った。 その同じ震災の年に、大阪市長となった関一(せき はじめ)は大阪市の街の具合(御堂筋など)を再設計しこれを整備した。 昔の政治家は都市計画をきちんとやっていたのである。 総裁選と云っても夏は暑くなるばかり。 |
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裁断器 風呂からあがって冷蔵庫を確かめるとソーダ水を切らしている。 直ぐに必要ではないけれど、寝酒のハイボールに困るから、スーパに買いに行った。 宵(よい)っ張りのスーパーで、夜の11時まで開いている。 近頃では夜は出歩かなくなった。 よくまあ遅くまで開いているなあ、と自分のことは棚に上げて9時頃に歩いて行くと、人が結構いるのは意外だった。 尤も、そりゃアそうだろう。 客が来るから夜更かしするんだろう。 カナダドライの炭酸水を何本か纏(まと)めて買って、何となく上の階の文房具売り場を覗いたら、シュレッダーがあった。 家庭向けのもので、電動式で紙類の他にCDやクレジットカードを裁断する。 他に手動式と云うのもあって、ハンドルを回して裁断する、値段も安いがちゃちである。 折れるんじゃないかと云う造りなんだね。 シュレッダーは郵便局なんかにも置いてあって、預金の明細書を裁断するのだろう。 個人情報に煩(うるさ)い昨今、それに付け込んだ家庭版シュレッダーだろうか、 売れているのかどうだかは見当つかない。 そこまでする必要があるのか知らん、と思うのだけどねえ。 で、スーパーの生活用品売り場を見ると、「シュレッダーはさみ」と云うのがあった。 商魂逞(たくま)しいと云うか、はさみで切ったところが細切れになると云うもの。 見られたくないとこだけを切り刻むのは、省エネで合理的とも云えるが。 |
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梅雨異情 湿度の高い日が続くので一日中除湿機を廻している。 夜になると益々高湿なので、 朝にはタンクの水が満タンになっている事も珍しくない。 除湿機は背中の部分から部屋の空気を吸い込んで、 乾燥剤に通し水分を吸着させる。 乾いた空気は天辺(てっぺん)にある吹出口から吹き出す。 そのとき水分は熱交換器で水滴となりタンクに溜まる仕掛けである。 日に2回はタンクに溜まった水を捨てるから、4リットルの水に相当する。 この電気仕掛けの機械。 これだけ目立って働くのだもの、まんざらでもない。 お陰で湿度は低く、まずまずすごし良い。 早起きしたら空は一面曇っていたが、段々と日が射してきた。 9時頃に近所の並木道を歩いて公園に行くと、セミが一斉に鳴いている。 梅雨は明けていないのに、ここは既に夏なのだ。 元来は梅雨が明けて、晴れがましいような夏になる。 その順序が曖昧で、梅雨前線は健全だもの、梅雨と夏とが同居している違和感である。 梅雨前線のところでは豪雨だと云う。 連日、テレビのニュースは被害の映像だらけである。 山崩れ、土石流、と驚くような映像ばかり。 きょうは九州で街路が水路になったと云うのを見たが、見ていてどこだか分からない。 NHKはそれを示すがいい。 テレビは映像メディアである。 裏山が崩れて家が潰れたり、 流された木が家を突き抜けたり。 浸水して途方に暮れる人を、避難所の人々を映すのは絵になるからか。 梅雨前線がいまも健在で、よそでは夏である。 あしたは土用の丑の日。 これこそ異常な気がする。 集中豪雨とは違うのに被害の方ばかり報じるのは変だなあと云爾。 |
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細工は流流 ふるい慣用句に「細工(さいく)は流々(りゅうりゅう)、仕上げをご覧(ろう)じろ」と云うのがある。 これを落ちにしたのが落語の『大工調べ』で、落ちはサゲとも云うが、落ちがおもしろいから落語と云うものではない。 噺の多くは平凡な落ちであるし、また『大工調べ』も例外ではない。 落ちとは、噺はこれでお仕舞いだよ。と云う合図に過ぎない。 落語のおもしろさとは、むしろ人間の描き方、人物造形にあるのだろう。 『大工調べ』には大工の与太郎がでてくる。 腕は確かだが、とろいと云うか、頭の弱いと云うか、或いは莫迦(ばか)なのか、どこか憎めないところがある。 「よたろう」と云う名前そのもの、そんな意味合いの代名詞である。 で、その与太郎。 家賃を滞めた為に、家主が家賃の抵当(かた)に大工の道具箱を持って行って仕舞う。 道具箱がなければ仕事にならない。 棟梁(かしら)の政五郎は、家主の源六のもとに行き道具箱を返して貰おうとする。 大家の源六は実は流れ者の成り上がりで、政五郎は親の代からの大工棟梁。 このふたり、与太郎とは違って人間はそう単純ではない。 源六の強欲ぶりに業を煮やした政五郎が啖呵(たんか)を切るところが山場である。 古今亭志ん朝の口演CD(ソニー・ミュージック、『落語名人会21 志ん朝13』)では、この啖呵が実に歯切れよい。 「わかったかィ、この丸太ん棒!」 「ま、丸太ん棒?」 「丸太ん棒じゃアねェか。てめえなんぞァな、目も鼻もねえ、血も涙もねえ、のっぺらぼうな野郎だから丸太ん棒ッてんだィ! わかったかィ、この金隠し!」 「色んなことを云やァがる。なんだい、金隠したァ?」 「四角くて汚えから金隠しってんだ。 そのぐれェのことァ覚えときゃアがれ、ばかァ!」 毒づく政五郎に源六も負けてはいない。 お互い引っ込みが着かない。 話はこじれにこじれ、奉行所に畏(おそ)れながらと訴え出て、お調べと相成った。 与太郎は相変わらず莫迦なことを云うもんだから、裁判は因業大家の源六に有利に進む。 奉行は与太郎に滞納した家賃を源六に払うように申し渡す。 源六は勝ったと喜んだ。 再びお白州へ一同がずらっと並び、奉行は源六に滞めた家賃を与太郎から受け取ったことを確かめ、 道具箱は旧状(もと)に戻すように申しつける。 その上で奉行は源六に、質株は所持しているであろうな、と質(ただ)した。 質株なくして、他人(しと)の物を金の抵当(かた)に預かるはご法度(はっと)。 「なに、質株、ない? たわけ者ッ! 町役人(ちょうやく)の身でありながら、上(かみ)の法に背く不届きな奴。 本来なら重き咎(とが)めに申しつけるところなれど、このたびは願い人が店子ゆえ、過料にて差し許す」、と 二十日の間の大工の手間賃として二百匁(もんめ)を与太郎に払うよう源六に命じた。 さて、江戸時代の大工の日当である。 石川英輔さんの『雑学 大江戸庶民事情』(講談社文庫)によると、 大工の日当は何文と云う銅銭の単位ではなく、銀の重さで決まり五匁四分が相場だった。 銀の重さで決めたと云っても、実際の支払いは銅銭で、 職人の賃金は、銀一匁について銅銭百八文という固定相場になっていた。 つまり、五匁四分は五百八十三文。 大体、日当が五百文で、年収が二十五両ぐらいだったそうだ。 与太郎が滞納した家賃は一両と八百文。 すると二百匁を手にした与太郎は、結構な儲けである。 で、この噺のサゲは、一件落着して奉行と政五郎の掛け合い。 「一両と八百の抵当(かた)に二百匁は、ちと儲かったであろう。 うん?さすがは大工は棟梁(細工は流々)」 「ヘイ、調べ(仕上げ)をご覧じろ」 |
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