珍粉漢粉 先日、電気用品安全法で「PSEマーク」のない古い電機製品は販売できなくなる事について書いた。 新聞によると、きのう14日になって、経済産業省は電子楽器を規制から除外した。 音楽家たちが署名運動を起こして7万5千人ぶん集めた。 それで経産省は慌てて楽器を例外にしたと云うらしいが、これが何だか分からない。 記事は「表向きは、アンプなどの電子楽器は安全性検査の過程で故障する可能性が高いなどの理屈を付けた」 と云うが、いよいよ分からない。 ついでに映写機や写真焼き付け機も例外となりマークが不要となったが、 その理由が「機械を扱い慣れたプロ向けの製品だから問題ない」と云うから珍粉漢粉(ちんぷんかんぷん)。 で、音楽家や愛好家は楽器が例外扱いになり、満足したかと云えば不満げである。 夜のニュースで、集めた署名を手渡していた。 誰か分かるように報道してくれ。 |
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ぼたん ちょうど午(ひる)時だったので蕎麦屋に入った。 はじめての店ではないけれど馴染みでもないから、なるべく無難のものを食べようと思っていると、 メニューに「ぼたんそば」と云うのがあるので食べてみた。 ぼたんとは猪(いのしし)の肉である。 江戸時代は四つ足の毛ものの肉は不浄として食べなかった。 只、一部では薬喰いと称して薬のふりをして食べたと云う。 ぼたんの他にも、鹿をもみじと云い、馬はさくらと呼んだ。 その猪の肉は薄く切ってある。 見た目はただの毛ものの肉である。 牛肉ほどは肉に味がない。 豚肉とも違っていて、脂肪分の少ないものだった。 味にくどさはなくて、たぶんカロリーも高くはないだろう。 内田百閒は、猪の肉はうまいと書いている。 田舎に引っ込んだ昔の学生が猪の肉を一股(ひとまた)送ってくれた。 「肉のかたまりに添へて、毛の生えた猪の足頸(あしくび)が同じ箱に入れてある。 気味が悪いから、この足頸でだれかを撫(な)でてやらうと思つた」(『御馳走帖』所収「猪の足頸」)。 百閒先生によると、豚は生まれた時から人に食われるに決まっている様であって、 その他に使い途はないであろう、と云う。 「一匹の豚自身としては中途で殺されるのは意外でもあり残念でもあるか知れないが、 豚全体としては人間に食はれる事は予め承知してゐると思ふ事が出来る」(同所収「玄冬観桜の宴」)。 だから、「若(も)し豚に宗教があるなら、死後の生命は人間の肉体に宿ると云ふ事になってゐるに違ひない」(「玄冬観桜の宴」)。 いつの間にか猪が豚の話になって仕舞った。 |
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粗忽立法 経済産業省は、この4月から家電製品に「PSE」マークが付いてなければ販売を禁止するぞと云う。 5年前に施行の電気用品安全法に基づくもので、猶予期間を経たから実施するぞ。 この「PSE」マークは製造業者による自主検査の印で、国の安全基準に適合するかを確認して付けると云う。 違反すると個人も法人も厳しい処罰を受けるそうだが、よく分からないので粗忽(そこつ)な法律じゃないかと思う。 以前と何処(どこ)が違うのか。 Googleで検索すると、経済産業省北海道経済産業局にテレビCMの動画があった。 「安全な電機製品を選ぶのは、あなた自身です。マークの確認をお忘れなく」と云う具合。 マークが付いていない製品の販売を禁止するのだから、全部付いているに決まっている。 マークを付けるのは他と区別するためで、検査に適合しないので製造販売を中止しますと云う話は聞かないから、 もれなく製品に付いてくるだろう。 以前と何処が違うのか、と怪しむ所以である。 この制度に慌てふためく人たちがいる。 中古品販売業者である。 寝耳に水で先月に知らされたのだと。 経済産業省は、所管の警察をお使いにやって伝えたと云う。 古物商は当然マークのない商品を扱っている。 このままだとゴミの山になると。 もうひとり憤るのが音楽愛好家たち。 誰でも電子楽器を始める時は、まず中古からが普通である。 日本の音楽文化をどう考えているのか、と息巻いた。 以上は新聞記事より。 それで思い出した。 電波法によれば、2011年に現在のアナログテレビ放送を終了し、デジタル放送に切り替わる。 全国に一億台近いテレビがアナログの儘である。 デジタル放送を見ることは出来ないから、 一億台の粗大ゴミとなる。 ひとり怪しんでいたが、池田信夫著『電波利権』(新潮新書)を読んで少し分かった。 この本によると、ビジネスとして電波をみるとテレビ局は既得権益集団で、 放送業界はわが国最後の護送船団だそうだ。 曰く。 タダで貰った電波を無駄遣いする。 電波利用料を携帯会社にツケ回す。 電波を分けてくれた政治家に媚を売り、新規参入を妨害する。 無意味なデジタル化を進めてインターネット放送を潰す、云々。 書いている内に思いついた。 「PSE」マークとは輸入製品を規制しようと目論んだのじゃないか。 それでも中古品がゴミになる問題は片付かない。 矢張り粗忽かな。 |
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ある書評 ちくま文庫の今月の新刊のひとつは、先日亡くなった久世光彦(くぜ・てるひこ)さんの『美の死』で、 書評集である。 副題に「ぼくの感傷的読書」とあり、帯に「読書することは、その哀しみを知ること」とある。 先ほどから寝酒にウヰスキーを呑みながら、つまみ読みしているが、前に読んだものもある。 解説もないし、筋も書いていない。 「私は<書評>で、その人(作者)に熱心に話しかけるだけだ」とは本人の弁。 山田風太郎の『戦中派虫けら日記』(ちくま文庫)について、次のように書き出す。 <『聖書』は、この手記を読んでから書かれたのではないだろうか---私は、ふとそう思った。 この一人の青年の乾いて切ない目の前にこそ、主は、まずその姿を現してやらねばならない。 それほど、この二十歳の青年は、喪失の予感を胸に抱え込んだまま、昭和十七年秋から十九年暮れまでの、 二年余りの時間を、疾走と砂鉄(さてつ)の繰り返しのうちに過ごしている。 その乱れた呼吸音は、それから半世紀も経った今日でも、蒸し暑いくらいに私たちの耳元で、鞴(ふいご)のように鳴るのである> もうひとつ、高島俊男さんの向田邦子についての本、『メルヘン誕生』(いそっぷ社)。 <これ一冊あればいい。 そして、もうこれ以上なくていいと思う。 なぜかというと、これまで向田邦子について書かれた多くの文章と違って、冷静すぎるほど冷静で、 どこにも感傷的な賛嘆や憧れがないからだ。 いままでの大方の文章は、向田邦子の人格や作品や、その生涯までを、まず全的に肯定するところから始まっている。 つまり、これは《鑑賞》とはおよそ矛盾する《感傷》の立場ということだ> 今週の「週刊新潮」に、久世さんの絶筆となった連載「大遺言書」と共に特集記事が載っている。 めったに読まない雑誌なんだけど、このところ六郎さんの表紙絵と未発表の絵を目当てに買っている。 久世さんは本当に急なことだったようだ。合掌。 |
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写真帖 4年前に撮影したものですが、これチューリップです。 珍しい花を咲かせているでしょう。 ![]() ![]() |
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広辞苑 去年の夏から『広辞苑』第五版をつかっている。 紙製の分厚いのではなくて、電子辞書である。 キーボードを叩くだけで済むので、なかなか便利である。 先日おもしろいのをみつけた。 「評論家」を引いてみる。いや違う、叩いてみると、「評論をする職業の人。 転じて、自分で実行しないで人のことをあれこれ言う人」とある。 広辞苑は百科辞典的要素のある国語辞典で、その点、 電子版の方は画像、映像、音声付きのマルチメディア辞典になっている。 例えば、古都・奈良に春を告げる二月堂の、お水取り。 「おみずとり」とキーを叩くと、その映像を見ることが出来る。 練行衆と云う修行僧が大きなたいまつを持ち上げて二月堂に現れる。 打ち振られるたいまつから火の粉が落ちる。 それを受け、参拝者が大きな歓声を上げる。 と、まあ、おもしろがって半年間つかっているけれど、広辞苑がそれほどすぐれた辞書と云う気はしない。 規模で云えば中辞典に相当するそうだが、そう云う辞書はほかの出版社にもある。 中には小辞典に載っていて広辞苑にないのもある。 広辞苑の評価が高いのは、詰まるところ岩波書店のブランドかと思える。 その岩波の創業者は岩波茂雄で、この人もとは古本屋だった。 それが、『漱石全集』を出版することで版元としての基礎を築いた。 古本屋から出版社に鞍替えしたときの話を、 司馬遼太郎の『街道をゆく 本所深川散歩・神田界隈』(朝日文芸文庫)から引く。 <漱石は大正三年四月から新聞に「心」(途中から「こゝろ」と改題)を連載しはじめていた。 ---先生、こんどの「心」は私に出版させてください。 と、岩波がいったという。 漱石の著作のほとんどが春陽堂と大倉書店から出版されてきたから、この申し出は異常だった。 それに岩波は古書籍業で、それも開店して早々なのである。 おそらく一途(いちず)に漱石の本をつくりたかったのにちがいない。 漱石は、いいよ、といった。 ところが岩波には資金がなかった。 ついては出版費用を貸していただきたい、ともいうと、漱石はそれも承知した> |
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隠れてカーボンコピー メールの作成画面には、宛先の入力欄の下に「CC」や「BCC」と云う入力欄がある。 この欄に自分のメールアドレスを入力して送ると、そのメールのコピーが届く。 CCはカーボンコピーのことで、タイプライターの時代に由来する。 その時分、英文の手紙を打つときに、用紙の間にカーボン紙を挟んでコピーをとったと云う。 CC欄は送る相手のヘッダに記録されるが、BCCは隠れて(Blind)カーボンコピーのことで、 相手に知らせない。 そんなことは知っていると云われそうだけど、これは前置き。 パソコンやソフトを買うと、嫌でもユーザー登録する羽目になる。 すると、お知らせのメールが送られて来る。 送り方にも上中下とあって、上の場合は、メールの本文の最初に氏名が○○様となっている。 一々手で入力する訳ではない筈だから、そう云うようにプログラミングで処理している。 中は、○○様の部分が省略されている。 宛先はたしかに間違いない。 一人ひとり送ったようにプログラミングで処理している。 下と云うのは、これがBCCを使ったもので、 BCC欄にずらずらとアドレスを入力して送れば、一度きに送ることが出来る。 なんとも原始的なやり方だが、そうすると宛先のメールアドレスは他人である。 以前、立派に名の通ったソフトメーカーがそうなので呆れて、直ぐに配信を停止した。 スパム(迷惑メール)の中にも宛先が自分のメールアドレスと違うものがある。 そこで、プロバイダのスパムブロック・サービスで、宛先が違う場合は受信拒否するように設定したら、これがよく効いている。 ただし、メールを出すときはBCCにはブロックした自分のアドレスは書けなくなる。 だから複数のメールアドレスを使い分けている。 |
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幽明 インテリア誌『室内』が今月の3月号で休刊する。 建築デザインに縁はないけれど、あの山本夏彦の雑誌だと云うことは知っていた。 3年余り前に、その編集兼発行人の夏彦翁が亡くなって、『室内』は何度かにわたって追悼特集を組んだ。 そのときの号は買っていまでも保存している。 休刊と聞いて、妙に曖昧な感懐がある。 どう云うわけで休刊なのかは知らないし、知ろうとは思わない。 只、現在の編集兼発行人の山本伊吾(いご)さんは、安部譲二さんとの対談で次のように語る。 「休刊することは、倅の私にしかできないんです。 休刊を決めたら、あちこちから猛然たる反発がある。 でも倅が決めたことだから、しかたがないと思ってもらえる。 夏彦は『そうかい、寿命が尽きたか。 天寿を全うしたんだね』と言ったと思います」。 さて、山本夏彦に共著『昭和恋々(れんれん)』がある。 名文家のエッセイと写真が昭和を彷彿とさせる好著で、 そのもう一人の名文家、久世光彦(くぜ・てるひこ)さんがおととい急逝した。 久世さんが、「週刊新潮」に連載中の「語り森繁久彌 大遺言書」の今週号は、 内田百閒の短篇「冥途」と「道連」について書いている。 この名演出家にして、奇しくもと云うべきか。 幽明境(さかい)を異(こと)にすると云うが、この二篇、この世とあの世の境を描いている。 久世さんにとって、この二つは<泣ける小説>だと云う。 何度読んでも、その度に涙滂沱(ぼうだ)と流れると。 七十になるいまでも泣けると云う。 なぜ泣くのだろうと考える。 そして次のように述べる。 「百閒は死ぬことを怖がっていたのだ。 <冥途>に繋(つな)がる長い道の畔(ほとり)で、肉親と睦(むつ)み合って、 ようやく百閒は、<安心>のようなものを、自分のものにしたのだろう。 <あの世>と<この世>の間の、茫漠とした境目を発見して、 百閒は自分の<作品世界>の色と感触と匂いを持ったのである 」。 いけない。点鬼簿が続いて仕舞った。 |
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志ん朝落語の映像 古今亭志ん朝の落語はCDに33枚遺されている。 およそ六十席が残っているわけで、なかに晩年の録音、『お見立て』や、『火焔太鼓(かえんだいこ)』などもあるけれど、 その多くは70年代の終わりから80年代初めにかけての録音で、このとき志ん朝さんは、まだ40代前半である。 ジャケットに写っている姿はじつに若々しい。 その幾つかを聴いてみると、志ん朝さんは若くしてすでに名人だったんだと思えるのである。 挙げると、『居残り佐平次』、『崇徳院(すとくいん)』、『火事息子』など。 堂(どう)にいって、それでいて明朗な声で話がトントンと進むのが小気味よい。 「芸は消えるからいい」と云った噺家だけれど、 思わず志ん朝さんの落語を映像でみたいと云いたくなる。 ところがじつは、志ん朝さんの落語の映像は残っているのである。 94年公開の総天然色漫画映画、『平成狸合戦ぽんぽこ』で、ナレーションを務めたのが志ん朝さん。 これのDVD版の特典ディスクに、志ん朝さんの口演、『狸賽(たぬさい)』が収録されている。 恩返しに来た狸(たぬき)が、博打(ばくち)好きの親方のために賽子(さいころ)に化けると云う小ぶりの噺で、 出囃子(でばやし)の「老松(おいまつ)」にのって、志ん朝さんがうつむき加減で現れて、座布団に座るところから始まる。 98年10月に池袋演芸場で収録されたものだが、『ぽんぽこ』のためで、観客のいるライブではない。 その3年後、名人・古今亭志ん朝は亡くなった。 |
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