ハイルブロンの少女ケートヒェン

作/クライスト(Heinrich von Kleist)、訳/手塚富雄
岩波文庫(赤) 32-416-5 (岩波書店)


ストーリー紹介

舞台は14,15世紀ドイツ。
ハイルブロンの武具鍛治師テオバルト・フリーデボルンは、
秘密裁判(死罪に値する罪を審議する裁判)において、騎士シュトラール伯爵を
娘ケートヒェンに魔法をかけてかどわかしたという罪で起訴する。

ケートヒェン(カタリーナの愛称)は誰もが憧れる美人で心根の優しい乙女であったが、
シュトラール伯爵に会った途端、彼を追って窓から飛び降り、何日も寝込んだ後、
伯爵の後を追い、伯爵の老僕のゴットシャルクの監督のもと、伯爵の身の回りの世話をしていた。

結局、二人の間には何事もなかったため閉廷、伯爵はケートヒェンに二度と来るなと言い渡す。
その後、彼はケートヒェンに恋しているが、身分が違う為に諦めざるを得ないと洞窟の奥で涙する。

そこへクニグンデ・フォン・トゥルネック嬢らが戦争を仕掛けてきたので伯爵は出撃するが、
旅の途中で城守官フライブルクにさらわれたクニグンデを救出することになる。

皇帝の曾孫・クニグンデを夢で遇った未来の妻と思い込み、彼女と婚約する伯爵。
一方、ケートヒェンは伯爵の身に迫る危機を知り、伯爵の元へと一人で赴く。

その後も度重なる生命の危険を乗り越えたケートヒェンの働きで伯爵は、危機を脱する。

いつものように城の外のニワトコの木下で夢うつつの状態にある彼女との会話で、
伯爵は彼女こそ夢で出会った未来の妻だと悟る。

怒ったテオバルトは皇帝をじきじきに城に呼び出し、一悶着の後、
伯爵はケートヒェンと結婚する。

私の読んだ本の装丁は青地に花がちりばめられていて、とても美しかったです。
惜しいことに、絶版ですが..(「クライスト全集 (第3巻)」には収録されているとのこと。)

映像作品としては、「エリック・ロメール・コレクション DVD-BOX III」に、
特典映像として収録されているらしいです。
(ただしケートヒェンではなくカタリーナとなってますが)

図書館等でケートヒェンが見つからないときは、こちらもチェックしてみてくださいね。

感想

世間で女性が能動的に男性を追いかけると、よく「ストーカー」呼ばわりされますよね。
あと、戦闘能力を持たない女性は役立たず、というのも良く聞く話です。

この作品はそうではありません。ケートヒェンは純情可憐で、伯爵は彼女を愛しています。

それに、自分の羽布団でなけりゃ眠れない程のお嬢様だったケートヒェンが、
愛する伯爵の為なら火の中、水の中、戦いの最中と危険を顧みない勇者と化すところ等は、
どんな物語でもお目にかかれないと思います。

彼女は勇者なので、
おとなしく伯爵の心が自分の所へ向くまで待つなんて受け身な事は全くしません。

クニクンデに乗り換えることもできない伯爵と比べると、初めから強烈な個性を放っています。
(でもケートヒェンに手を出さないだけ、凄い精神力ですが)

シュトラール 「早く剣を!盾を!槍を!」
ケートヒェン 「(剣と盾と槍を手にして)殿様、これでございますか。」
シュトラール 「(劍を佩きながら)お前は何の用事で来たんだ?」
ケートヒェン 「あの、殿様のお仕度の品をー」
(中略)
シュトラール 「何故小性をよこさないんだー。お前はまた押掛けて来る積りか。」
(本文第102項、第八景、第九景)

また、上の文のやりとりのように、この話は明るく喜劇的な面が強い作品です。

といっても、伯爵はケートヒェンの身を案じているので気が気でないし、
ケートヒェンはひたすらに伯爵の身を案じている・・・とても美しい愛情ですよね。

他にも、クニグンデの秘密など、読んでみると結構笑えるし、泣けます。
悪女・クニグンデも、美貌以外に価値が無かったこの時代の女性の姿を体現しています。

また、クライストの別の作品に「ペンテジレーア」というのがあり、
アマゾンの女戦士であるペンテジレーアは、アキレスと互角に戦います。

しかし、敵同士なのに二人は愛し合うことになります。

最終的には、彼女はアキレスに裏切られたと勘違いして彼を殺して食べてしまいます。
(勘違いで恋人を殺したと言う点ではオセロと同じ類いの悲劇ですね。)

が、か弱いケートヒェンとペンテジレーアは同じ人が別の環境に置かれたらどうなるか、
程度の違いしかないとクライストは位置づけているらしいです。

ペンテジレーアも、アマゾンの結婚制度がなかったらアキレスと結婚していたでしょう。
彼女は、アマゾンの結婚の条件「自分が倒した者を夫とする」を廃棄して死にます。

純粋に相手を愛するが故に激情に駆られたのだから、ケートヒェンの悲劇版ですよね。

また、ケートヒェンが幸せな結婚をすることから、作者は女権論者ではないことがわかります。
が、19世紀だというのに、女性差別の影は微塵もありません。

後の女権論者にして天才戯曲作者のイプセンとの大きく違っていますね。
女権論者以外は女性差別者だ、というわけではないことをも示しています。

クライストの他の作品に「こわれがめ」というものがあります。
その本の解説によると、ヒロイン名前エーフェとは、ドイツ語でイヴのことらしいです。
大概の作品ではイヴは原罪の象徴とされるが、エーフェ(イヴ)をそそのかし、
罪を犯させようとするのがアーダムであるところが面白いです。

また、不倫の罪(この物語では未遂)が発覚すると、
男性側は裁かれず女性側のみが裁かれるという理不尽な社会制度も描かれています。
(でもクライストは女権論者ではない(笑))

ちなみに、クライストは破滅型の天才として有名です。

「こわれがめ」や「ハイルブロンの少女ケートヒェン」のような美しい物語は、
クライストの作品には珍しいハッピーエンドとなっています。


このページの文章の無断転載はお止めください。