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1000年前の太陽直列の日(三つの太陽が重なる“大会合”の日)、 クリスタルが二つに割れ、二つの生物がこの世に生まれた。 優しい生物ミスティックと、無慈悲な生物スケクシスである。 伝説では太陽直列の日にゲルフリン族の救世主の手でクリスタルが元に戻るか、 世界が悪に包まれるかのどちらかとなるという。 スケクシス達は強力な力を持つガーシム(Garthim)の兵隊を使い、暴政をきわめた。 一方、ミスティック達は城から出て、砂嵐の舞う谷間に身を隠した。 そして現在。スケクシスらは少しでも命を保つため、クリスタルの力で、 太陽の力や善良なポドリングたちの命のエキスを吸い取っていた。 一方、ミスティックたちはガーシンに襲われたゲルフリン族の中から一人の少年を助けた。 救世主として様々な教育を受けた彼は、ジェン(Jen)といった。 ある日ついにスケクシスとミスティックの長の命は尽きんとしていた。 少年ジェンは長に呼び出され、 オーグラ(Aughra)に会いクリスタルのかけらを手に入れろと指示される。 そして両種族の長は死に、ジェンは試練の旅に出る。 かけらを入手したジェンは、 動物達を操る同じゲルフリン族の少女キーラ(kira)と出会い、 彼女に助けられながら試練の旅を続けるのだった・・・ |
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美しい操り人形と着ぐるみ、スタントを活用し、
リアルにファンタジーの世界を再現しているところが凄い。
しかもセサミストリートに代表されるマペット人形劇でありながら、
リアルで自然かつ多彩なアクションシーンも見事。
現実の生き物をモデルにしながらも、
細かい所まで作り込んだ全く新しい生き物たちの住む世界を創造した名作。
美しい自然、音楽も心和ませてくれます。
この物語では、ある一つのものの分裂がテーマとなっています。
欠けたクリスタルとそのかけら、
男と女で大きく容姿や技能の異なった(女だけが羽を持つ)ゲルフリン、
そして悪の塊スケクシスと善の塊ミスティック。
そのどれもが不完全であるというところに、この物語の核があるのです。
大体、同じゲルフリン族のなかで、
どうして少年だけを(しかも一人だけ)救ったのだろうか。
予言を描いた壁画では、
世界を救うゲルフリンが少年だと断定しているわけではないように見えたのに。
また、なぜ少女だけに羽があるのか。
確かに少女の方が強いというのは、女性差別に敏感な人には嬉しい話かもしれない。
でも、論理的なのが男性で、自然と調和する妖精のようなものが女性と分けるのは、
それこそ差によって区別することに他ならないのではないでしょうか?
ミスティックとスケクシスについてもそうです。
完全な善、完全な悪があるとしたら、それは作られたものに他ならないのではないか・・
大体、スケクシスは自己中心的で酷いことを平気でしますが、
(彼らの恐れている)ゲルフリン以外殺そうとはしない。
ミスティックはジェン以外のゲルフリンはほったらかし。
そう見ると、善悪というのも怪しいものだと思います。
ようするに、自分の利益になるものだけを求めるという意味では、
あまり違いがないように思えます。
確かに、細かい所を見れば違いは沢山ある。
しかし生き物である限り、他者に依存して生きている点では同じです。
弱肉強食は確かに自然の掟だけれども、弱によって強が生かされている。
自然はバランスを保って動いています。
それに優劣をつけるのは人間のやり方に過ぎません。
物を切り分け、集合論的に全てのものを論じることで、
自分と違うと決めつけた物(往々にしてそれは“悪い”とされる)を、
徹底的に排除するような意見にもなりかねない。
この作品が本当に言いたかった事は、そこにあるのではないのでしょうか?
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