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ウィーン、プラハ
Wien, Praha

 ヨーロッパに何度も行っているのに、ウィーンに今まで足を踏みれなかったのは何だったのでしょう。地理的に東に入り込んでいたから、ちょっと寄るという訳にはいかなかった、というのがあるけれど、一番大きかったのはこの町の言い知れぬ「甘さ」があるような気がします。モーツァルトの旋律の甘さ、ザッハトルテの甘さ、オペレッタの甘さ、ハプスブルク家の甘美さ(実際は群雄割拠のヨーロッパの中で生き抜いていく気迫に満ちた生き様なのですが)、クラシカルミュージックの甘さ・・・それらを文句なく受け入れる人がいる一方で、私にとっては苦手なものばかりでした。
 何故自分で作品を創作せず、何百年も前の人たちの作品を演奏するのだろうか。そんなに「模写」がいいことなのか、とクラシカルミュージックを演奏する人たちの感性が分からない。そうした世界の頂点にある町がここウィーン・・今までこんな理由で敬遠していたのは間違いありません。

 でもふっと気がつきました。今までウィーン世紀末関係の展覧会をを何度観たことだろう、シーレの映画も観たし(なぜかブライアンイーノの音楽を使っていた)、昔のセゾン美術館、3年ほど前の文化村、更にシェーンベルク、ウェーベルンなどの新ウィーン学派のレコード(CDではない)を何枚持っているのだろう、彼らは大家を越え、自らの道を自ら切り開いていった。それにフェルメールの絵も美術史美術館に大作があるではないか。ついでに言えば、子供達にはプラターの観覧車がある。そう、毛嫌いしないで行ってみよう。こうして2002年夏の家族旅行の計画が始まったわけです。
カールスプラッツ駅
当然オットーワグナーです
プラハ 火薬塔からティーン教会、プラハ城を望む
 もう一つ、ウィーンに組み合わせるとすれば、やはりプラハでしょう。かつては共産圏の中、プラハの春とその後のワルシャワ条約軍による弾圧、チャフラフスカを始めとする抵抗運動、その後の東西構造の崩壊という時を経て、気がついてみればビザなしで自由に行ける国になっているのです。確かに時代は変わった。旧東側に国々が次々にNATOに加盟する時なのですから。百塔の町へ行こうではないか。大戦の影響も本当最小限だったし、その後の近代化の洗礼もさして受けることなく、現代まで来てしまった町、決して垢抜けないけれど、それが現代での良さになってしまっている。

 出来ればバーナードルドフスキーの例の写真集「建築家なしの建築」に4枚も登場する町「テルク」まで足を延ばしたいけれど、まあそれは行ってから考えましょう。
 

 旅行の構成はいたく簡単。ウィーンに入り、プラハを回って帰ってくる。それだけでしたから楽なものです。でも着いてみればプラハは未曽有の洪水騒ぎ。でもまあ何とか無事に回ることが出来ました。

1 ツアーの組み立て