ヘンデルのリコーダーソナタ、あれこれ


●久々に出たヘンデル

ヘンデルのリコーダーソナタのCD、新作が出た。朝日新聞夕刊、月に一度のクラシック音楽レビューで、写真入りで取り上げられた、アントロネッロのCD。

アントロネッロは、日本人によるヨーロッパ古楽演奏のユニット。リコーダーとコルネット(角笛、ツィンク)の濱田芳通を筆頭に、チェンバロの西山まりえ、ヴィオラ・ダ・ガンバの石川かおりを中核とする。今までこのメンバーで2枚のCDが出ており、いずれも17世紀のイタリア音楽を扱っている。即興演奏を命とするこの時代の音楽を、濱田が実に丁寧で自由なディヴィジョンで展開して色づけしていく。世間でのバロック音楽は、ヴィヴァルディ、ヘンデル、テレマン、バッハが中心だろうが、彼らは皆18世紀、後期バロック時代。17世紀の前期バロックは、18世紀の「安らぎBGM」に使える音楽とかなり趣が違う。長調と短調もはっきりせず、リズムの拍節も現在のようなビート感と違う。一番近いのは、ジャズ。スタイルがあり、それをベースに変幻自在に動き、二度と同じ演奏にならず、それゆえいとおしい。CDも出版楽譜も少ないこの時代の音楽への、強い憧れが結実した2枚だ

その彼らが、ヘンデルのリコーダーソナタのCDをリリースした。ソプラノ鈴木美登里を迎えて、カンタータを1曲加えている。イタリア音楽を得意とする彼らのヘンデル。興味が湧かないわけはない。


CDをセットしてかけると、第1曲目がハ長調のソナタ。ゆったりした通奏低音の歩みの上に、明るく抜けるリコーダーが大きくオクターブを上がる。その様からしてすでに楽しげ。もう、この段階で今までの数あるCDとまったく違う。先人達の残したCDが「くだらない装飾をするくらいなら、旋律の持つ線の美しさをきちんと出す」演奏になっていて、極端に言えば大同小異になりやすいのに対して、驚くほど自由な装飾音を散りばめて、僧侶が花を撒き散らすように歩んでいく。いや、そういう言い方はヘンだな。装飾音を入れたからオリジナルじゃない、音の動きの捉え方からして、すでに独特で、その必然から装飾音が入らざるを得ない、という趣。「だって、みんなこうやってたはずだもん」とでも言いたげに、しかも確信に満ちて、衒いも照れもない。

すべての曲を、全面的に共感を持って聴けたわけではない(というか、そんなことはまずない)。ただ、これほど自由な空気と、幸福な音楽に満ちたCDは少ないと思う。また、ほかの演奏家のCDと際立って違い、しかも奇をてらったのではなく音楽自体も充実しているのも、すてきだ。


ただ、どうしても気になった点が一つ。タメを多用すると、付点音符気味に感じられる部分が出てくる。そういう瞬間に「これは日本人の感覚なのかなぁ」と思うことがある。

それが悪いというのでは、もちろんない。日本人が演奏するのだし、むしろそれがあってこそ、なんで日本人がわざわざ西洋の古い音楽を好んで演奏するのか、というポイントに触れえるんじゃないかと思う。

ただ、なんというか・・・それは日本人特有になり過ぎているのでは、と思う部分がちらりとある。たとえば、Larghettaのようなゆったりした楽章で、ぐっとタメる場合(先のハ長調のソナタ、第1楽章ですでに出てくる)。タメつつも、さらに強弱表現も同時に強く入ってくる。さらにたとえば、ト短調ソナタ、第2楽章の繰り返しの際の装飾音。フレーズをまたがってかける装飾が、かなり大胆。

効果の高い部分も多い。ト短調の第4楽章Prestoが、まさにPrestoに感じられるところなどは気持ち良い。

まだ買ったばかりなので、しばらく聴いてみるつもりだ。それまで有名だったブリュッヘンの全集(セオンレーベル)、オトテール・アンサンブルの全集(アルヒーフ)、ダン・ラウリン(BISレーベル)のいずれとも違って、しかも大胆で音楽的なCDの登場は、やはり楽しい。


●ヘンデルとハイドン

ヘンデルという作曲家は、生前はむしろバッハより有名だったくらいだ。一番人気があり、有名かつ尊敬も集めていたのは、G.Ph.テレマン。今聞くと、古典派以降の作品に触れることが普通で、ブルックナー以後20世紀への音楽の「発展」が好きな人には、ガキの書いた濫作にさえ聞こえるかもしれない、テレマン。もちろん、これは20世紀前半〜中葉の価値観に基づいていて、実際はそんなことはないのだが、話が通じないことも多々ある。

話が飛んでしまった、そう、ヘンデル。ドイツ生まれながら、イギリスに渡ってオペラで成功を収め、国王の舟遊びのための音楽「水上の音楽」、弦楽合奏のための合奏協奏曲などを残した大作曲家。

その彼が大曲で有名になる前に書いた、ソロ楽器のためのソナタ集がある。リコーダーソナタという曲集があるというよりも、独奏楽器と通奏低音のための曲が、楽譜商人によってリコーダーソナタとされたり、ジャーマンフルート(フルート・トラヴェルソのこと、イギリスではこう呼ばれていた)とされたり。ヴァイオリンの場合ははっきり違うことがわかる場合もあるが、曲想が同じソナタばかり。作曲者が転用したというよりも、商売人が儲けるための曲集だった、というのが音楽学での通説(このあたりは、渡辺恵一郎氏の研究に詳しい)。

逆にいえば、様々な楽器で鳴らせる美しいメロディの数々が集められている。その旋律のほとんどは、オペラ、オルガン協奏曲、「水上の音楽」などに転用されている。これだけでも、優れた曲集であることはわかる。ただ、地味であるし、音楽教材として中級程度で使われるため、上級者になるとあまり顧みられなくなる傾向があるかもしれない。

音楽自体は、ヘンデル特有の、清潔ですてきなメロディが並ぶもの。平明で美しいというのは、バッハとは別の意味で美点だとしみじみ思う。


だいたい、ヘンデルやハイドンは、19世紀ロマン派ばりばりの音楽が好きな方々には概して評判が良くない。平明だが、それだけではなく、ウィットもあればセンスもいい。しかし、必ず出てくる「人間の深遠に触れるような、魂を揺さぶるような音楽じゃない」・・・

ほんとうにそうだろうか? ただ、こういうことは説得することじゃないし、耳の開き方でまったく変わってしまう。(これは善し悪しの問題ではない、念のため。)

いずれにせよ、よいCDであることには変わりないので、多くの方々が聴いてくれればいいと思う。


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