レクイエム


その音は不思議な国からの呼び声だった

銀座の山野楽器は、今年に入ってから試聴盤がとても充実している。どの売り場もそうだ。クラシック音楽売り場も例外ではない。

古楽のコーナーの脇の試聴盤を見ると、ブリュッヘン率いる18世紀オーケストラによるモーツァルト「レクイエム」があった。昨年(1998年)3月の来日公演をそのままCDにしたものだ。18世紀オーケストラの来日公演に皆勤賞だった私は、事前に公演を知っていながら、この時だけは見送ってしまった。
モーツァルトのレクイエムは、もちろん好きだが、私はこれはコンサートで何度も聞くような音楽ではないという気持ちが強い。また、体調がひどく悪化しており、全曲を聞くに耐える自信もなかった。さらに、前回の第9の公演がいまひとつだったこともある。このレクイエムの公演は、日本にひどく重点を置いたものだと聞いてはいたが、それでも私は結局行かないことにした。いや、実際に切符を買ったとしても、現実には私はその頃、病でそれどころではなかったのだから、買わなかったのは結果的に正しい判断ではあった。

その後、雑誌「パイパーズ」(管楽器奏者のための専門雑誌)に、この公演でクラリネット奏者だった坂本徹さんの記事が載り、それを読みながら、行けるなら行ったほうがいいコンサートだったんだ、としみじみ感じた。
オール・モーツァルト・プログラム。最初に有名だがなかなか演奏されない「フリーメーソンのための葬送音楽」。次に、クラリネット2本とバセット・ホルン3本のためのアダージョ。最後に、「レクイエム」。全曲通し、休憩無し、しかも、非常に特殊な楽器編成の音楽ばかりを、最初から最後までひたすら静かに聞き入るスタイルであり、レクイエムの中にはグレゴリオ聖歌が挿入される、という凝り様。18世紀当時のクラリネット2本に、バセット・ホルン(注意:これはクラリネットの同族楽器であり、ホルン系列の楽器ではない)3本などという珍しい編成の音楽を、ほぼ完璧なイントネーションで聞ける機会等、滅多にない。ところが、テレビ放送も含めて、どうも縁がなく聞き逃してきた。

などということをさぁーっと思いながら、とりあえず試聴してみた。「フリーメーソンのための葬送音楽」。甘く低くなめらかな、クラリネットの音が、すぅーっと立ち上り、消えていく。それに呼応する他の楽器群。
なんて甘くひそやかで、哀しい音か!
しかも、単に静かで美しいというのと、明らかに一線を画している。これを癒しの音と呼ぶのは容易いが、まったくその本質から外れているとしか言い様がない。尋常ならざる静けさから、精霊の音が立ち上るのだ。
この遠い国からの不思議な呼び声に誘われて、私はCDをレジに持参した。おまけに、GLOSSAレーベル(このCDを出したレーベルであり、古楽専門で素晴らしいCDを続々出している)のサンプラーももらって。

ライナー・ノートを広げての驚愕

CDは美麗な黒を基調とする大変美しいジャケットだ。日本での録音ということからか、日本人が描く南蛮人の絵があしらわれている。ライナー・ノートをぱらぱらとめくって、私は驚いた。日本語がそのまま入っている。

18世紀オーケストラのヴァイオリン奏者である若松夏美さんの文章が掲載されている。というより、その前文がフランス・ブリュッヘン自身によるものであり、このCDは昨年亡くなられた音楽評論家の佐々木節夫さんに捧げられたものだった。
そして、ここには佐々木節夫さんが生涯を上げて(と申し上げても失礼にはあたらないと思う)紹介なさってきた、フランス・ブリュッヘンについて書いた文章が集められていた。

若松さんは、佐々木さんの思い出を書いてらっしゃるのだが、そこで「このCDの発売が1999年の2月頃になると話すと、『僕の頃にちょうどいい』と話した」というやりとりが出てきた。

私は絶句してしまった。


私が初めてブリュッヘンのコンサートに行ったのは、リコーダー奏者をやめて、18世紀オーケストラの指揮者として初来日した時だった。1950年代からリコーダー奏者の帝王として走り続けたブリュッヘンを、私がきちんと認識できたのは1977年であり、やっと巡り合えた来日公演が大学受験に引っ掛かって泣く泣く諦めた。そして、合格してやっと聞けるようになったと思いきや、彼はリコーダー奏者を引退してしまった。その後、輸入盤で聞いた18世紀オーケストラのCDの凄まじさ(ベートーヴェンの1番と、モーツァルトの40番の組み合わせ)に、今度の来日公演は何としても、と思い、カザルス・ホールに勇んで出かけたのを、今でも鮮明に思い出す。

それ以来、ブリュッヘンのコンサートでは必ず、佐々木節夫さんを客席でお見かけした(もちろん、お話をする機会等はなかったが)。1970年代、まだまだマイナーだった古楽、その専門レーベルのセオンを、ポリドールで発売することに尽力し、積極的にブリュッヘン、レオンハルト、ビルスマらのLPを売り出した後で独立した1980年代後半には、もう有名な音楽評論家だった。日本の古楽奏者、それも世界レベルの奏者が何人もいる現状を、積極的に宣伝していたことも記憶に残っている。
そして、実にピントのよくあったクリアな批評を書いてらしたので、その数日後や翌月に評論を読むのは、楽しみでもあった。

その佐々木節夫さんは、昨年(1998年)の暮れに亡くなられた。朝日新聞で訃報に接し、私は吃驚してしまった。だって、自分の父親は元気なのに(私の父親はブリュッヘンと同い年)、もっと若い佐々木節夫さんがいなくなってしまうなんて!


しかるに、今回のライナー・ノートからすると、彼は自分の死因となるであろう癌の告知を受けていたであろうことが、推察される。もしかして、かなり前から知ってらしたのか。

さらに、今まで絶対に録音をオランダの環境の整った場所で行ってきたブリュッヘンが、なぜ日本にまで移して行ったか。

ここから先は、あくまで推測なのだが・・・

オーケストラの団員にまで知らされていたかどうかはわからないが、もしかして、ブリュッヘンらには、佐々木節夫さんが癌だったことが知られていたのではないだろうか。佐々木節夫さんがブリュッヘンに取材した記事を読むと、記者として話をする以上の関係を伺わせる記述もある。その可能性は、決して低いとは言えない。

あの「フリーメーソンの葬送音楽」の尋常ならざる始まりは、いつものブリュッヘン節では片付けられないものがあると感じたが、もしかして、これか・・・

本当の凄み

しかし、私も自分でささやかながら演奏に手を染める経験があるし、音楽が音としてきちんと成立しなければ、評価に値しないことくらい、わかる。あまり妙な妄想に包まれる前に、急いでライナー・ノーツを読むのを止めて、演奏に聞き入ってみた。

透明で正確な音程から得られる、純度の高い響き。管楽器群にフルートのような高音を置かないことからくる落ち着いた色彩が、狙い通りに表出される。静かな、甘さと苦さと酸っぱさの入り交じる、とんでもない2曲が続けて演奏され、その後にグレゴリオ聖歌が歌われる。
その単旋律の終止が、そのままニ短調のレクイエムを、導出する。

未完成に終わったレクイエムを、弟子のジェッスマイヤーが完成させた。その時に、グレゴリオ聖歌が挿入されたということは、史実として知ってはいる。しかし、それが現実に音になるということは、重みがまるで違う。
レクイエムとは祈りのための音楽だ。それがまざまざと体感される瞬間。

仰々しさも何もない、ただひたすら、誠実に、正確に、強い音は強く、弱い音は弱く、歌唱の発音を明瞭に、音楽を彫り込んでいく。
しかし、一見何の工夫もないようなこの演奏の持つ凄みは、なんなのだろう!

まるで何かを堪えるような、またはひたすらひたむきに、ゆるがせにする箇所などない演奏。
そう、祈りとは本来そういうものだ。だから、それがそのまま音になっただけなのだ。

だが、聞いていると、胸の奥から込み上げてくるこの感情を、何と名付けたらよいのだろう。いや、そういう聞き方さえも、もしかしたらロマンチックにすぎるのだ。

音楽を経験するということ

私の妄想を取り除いて聞いても、この演奏はそれまでの誰のレクイエムの演奏にも似ていないのではないだろうか。

切迫感を表出しないからこそ出る、切実感。

佐々木節夫さんは、この音をどう聞いてらしたか。それはわかりようもない。しかし、この演奏は、生きること、そして、死ぬこと、人の存在、そういうことをまるで当たり前のように感じ、かつ、考えさせる不思議な息吹がふいてくる。

というより、音楽とは存在そのものに触れるものなのだ、と言いたくなる何かがある。


私は20代半ばまで、音楽は音それ自体から純粋に評価されるべきであり、余分な概念や情緒は雑音だ、とまで考えていた時期がある。

しかし、結果的に、そういうことまで感じさせてしまう演奏は、確かにある。そして、それは、そのような夾雑物を感じさせるからダメなのだ、ということでは決してない。そのような要素を元々楽曲のほうがある程度持っており、そこになんらかの共鳴が起きる結果なのだ。

そう考えられるようになってから、私はフルトヴェングラーの有名な第9の演奏等をきちんと評価できるようになった。

このレクイエムは、そのような記念碑的な何かを含んでいる。そして、それを感じ取ろうが、そうでなかろうが、名演に違いない。
現場でこそ立ち会えなかったが、その音を聞けることに、感謝を捧げたい。優秀な録音にも拍手。


注:文中、人名を「さん」付けで統一しています。なぜかそういう文体になってしまいました。知人でもないのに、さん付けで呼んだ方々に、最後にお詫び申し上げます。


目次へ戻る