本作はフィクションです

 ザントベルクの娘里  後編



 第五章  夜の願いと朝の夢


「あの……トリーさま」
「ん?」
 フードを背に下ろしたマント姿の少年がスプーンを止める。少年らしいすっきりした眉の下で、濃い色の瞳がこちらを見る。
「えっと」
 隣に並んで食べていたプティ・クランタイレは、たちまち言葉に詰まる。トリーの鋭い目に下心を見透かされたような気になる。
 ぽってりと膨らみ始めたワンピースの下腹が、たまらなく恥ずかしい。
 それでも思い切って言ってみた。
「もしよければ、そのぉ、今夜あたしのとこに泊まってってくれたら……」
 口に出すと恥ずかしさが倍増する。それは要するに、抱いてくれと言っているのと同じだ。
 こんなぶざまな孕み女なのに。
 トリーはいぶかしげに自分を見る。そして腹にチラッと目をやってから顔を背ける。
「無理するなよ、子供いるのに」
「えっ、別に無理なんかぁ……」
「まだ不安定な時期だろ。大事にしてるといいよ」
 食べ終えた皿にスプーンを置いて、トリーはガタリと席を立つ。プティは耳まで赤くなってうつむく。
「そ、そぉですよね。あたしったら、変なこと言って……」
「今夜向こうで泊まってくる」
 言い置いてトリーはピオニー亭を出て行く。少し前から、谷の北に住む女猟師のところへ通っているのだ。
「行ってらっしゃい、気をつけて」
 前半はともかく、後半には本物の気持ちを込めて、プティはトリーを送り出す。
「がんばってくるのよ♪ トリー」
 食堂の主の未亡人がほがらかに声をかける。そんなに陽気な台詞、まだ十五歳のプティにはとてもじゃないが言えない。

「はぁ……」
 トリーのいない夜。ピオニー亭に間借りしているプティは、ため息をついてベッドに横向きに寝そべる。三つ編みをほどいた飴色の髪が、背後に扇のようにぱさりと広がる。
 胸にぽっかりと穴の開いたような気持ち。
 自分は幸せだと思う。それはよくわかっている。
 トリーが来るまでの自分は、伯父と伯母の夫婦にいじめられ、村の皆からも馬鹿にされていた。それでも仕方ないとあきらめていた。自分は頭が悪くて、家事もうまくない。言ってみればできそこないだ。できそこないだから、みじめに生きていくのが分相応だ。楽しいことがなくても、当たり前だと思っていた。
「授け人」のことは村の大人たちから聞いていた。そういう人が来るかもしれないと。けれどもそれはお話の中のことであって、険しい山に囲まれたこの村に、本当にそんな人が来るとはこれっぽっちも思わなかった。ましてや自分に関係あるなんて想像もしなかった。自分はこのまま、老人たちと女ばかりのこの村で、変わらぬ毎日を送るんだと思っていた。
 そこへ突然、トリーが来た。
 初めてトリーを見たとき、プティは思い切りうろたえた。彼は若く凛々しく軽やかで、まるで天使か何かのように見えた。掃除を手伝い、話をしていくうちに、優しく強い人だとわかった。頬に触られたときは心臓が止まるかと思った。
 トリーの肌は村の女たちよりも張りがあって、その体からは日なたの木のような清々しい香りがした。枯れて腐ったような匂いのする村の年寄りたちとは大違いだった。
 いっぺんでプティはトリーの虜になった。
 その日のうちにトリーはプティに触れて――一生忘れられない宝物をくれた。
「あふ……ぅ」
 初めてのあの晩のことを思い出すと、プティは熱湯のような感動に胸を満たされる。凛々しい匂いのするあの男の子が、細くてよく動く指で自分に触れ、口付けし、体の奥までやさしく開いてくれた。ひとがそんなに丁寧に触れてくれることを、プティは初めて知った。
 それまでプティは、殴られるか蹴られたことしかなかった。
 初めての愛撫は、体が溶けてなくなってしまうほど――いや、心も溶けてわけがわからなくなってしまうほど、心地よかった。単に初めて体を開いたからというだけでなく、この世に優しさと言うものがあるということを教えてもらったから、あの夜はプティの中で宝物になったのだ。
 その後で、トリーがまだ悪戯をしていただけだとわかった。けれど彼は、泣いているプティを抱いて、きちんと本当の交わりを教えてくれた。
 その「二度目の初夜」は、プティの中でまた別の宝物となって残っている。トリーが、男のしるしである堅い立派なあれをプティに差し込み、大切な男の子の種をプティの胎の奥深くにしっかりと仕込み……それから、自分も初めてだと教えてくれた。
 それまで、優しくしてほしいと思ったことはあっても、あの時のような感動をほしいと思ったことはなかった。その存在も知らなかったから。トリーが、あの整った顔に照れたような笑みを浮かべて、「初めてだったから」と言ってくれたとき……プティは、胸の中で大きな明るい花が咲いたような気がした。このどうしようもないダメな自分が、トリーの知らなかったことを教えてやれたのだ。子供だったトリーを、大人にしてやれたのだ。
 誇り、というものをプティは初めて知った。それを思い返すとプティは、体に力が湧いて来るような気がする。
 そしてそれから、夢のような日々が続いた。目覚めたらトリーがいる日々。トリーが自分のもとに帰ってきてくれる日々。その折々に、触れてくれ、抱いてくれる日々。
「んんん……くぅん……」
 今こうして、ピオニー亭の部屋で一人横たわっている自分がもっとも頻繁に思い返すのは、あの日々だ。
 目覚めたら、抱かれている。草の匂いの汗を浮かべたトリーが、力強い腕で抱きしめ、いつの間にか自分の中に入れてくれている。かき回し、吸い付いて、やがて放つ。――思い返すだけで息が詰まる。何の奉仕もしていないし、体を見せてすらいないのに、あんなに激しく抱いてくれるなんて、何かの夢だったような気もする。自分にそんな魅力があっただなんて信じられない。
 トリーはあれがことのほか好きだったよう気がする。寝ている自分をいきなり抱くのが。乳房をつかまれたり、首筋をかまれたり、少し痛いこともされたけれど、伯父の殴打に比べればまるで羽根でくすぐられたようなものだ。まして、トリーのそれは「求め」だった。おまえがほしいと言ってくれているのだ。プティの肌が、乳房が、髪の匂いが、肉の柔らかさがほしい、と。
「ふぁん、んんぅ! はぅん……!」
 体の底から嬉しさが湧き上がって、燃えてしまいそうだった。人に物をあげて喜ばれるのはもともと嬉しい。あんなに何度も求められるものを自分が持っていて、トリーに与えてやれるのだから、嬉しくて仕方なかった。もっともっと、一日中だって求めてほしかったし、あげたかった。髪に顔を押し付けてすうすうと吸うトリー……「プティの匂い、悪くない」。そんなものまで喜ばれてしまうなんて。胸が騒いで叫びたくなる。
 くわえさせられたこともあった。真昼間に帰ってきたトリーが、戸口も閉めないうちに、プティをしゃがませ、ズボンを降ろした。そのときプティは初めて、男のあれを間近で見た。苦しそうなほど鬱血した猛々しいもの。――他のときに見せられたら怖くて逃げ出していたかもしれない。でもそのころにはプティはもう、そういうときのトリーの全体を知っていた。
 そういうときのトリーは、プティをいじめたがっているのではなく、ただほしがっているだけなのだ。同時に何か、なすりつけたり、塗りつけたりとも思っている。犬や猫のような動物と同じだ。けれどトリーには犬猫のような牙はない。
 プティにだって綺麗汚いの観念はある。男の股のそれなんてきれいだとは思わない。でも相手がトリーだから、逆らう気はなかった。一言もないまま口元に突きつけられた男根を、匂いに眉をひそめそうになるのをこらえて、プティはおとなしく口にくわえた。
 噛むと痛いだろうと想像がついた。柔らかく、優しくすればするほど男は喜んでくれる。プティはトリーの足に抱きついて、もごもごと精一杯口を使った。するとトリーが頭をつかんだ。
 あれを思い出すのは少し怖い――ごつごつと喉につきこむトリーから優しさが感じられなかったから。でも、その後の絶頂を思い出すと興奮に頭がうずく。子種の飛び出しがはっきりわかったから。
 忘我の状態でしゃぶり続けたプティの舌の上で、くうっとうめいてトリーが達した。ひくんひくんと跳ね上がった勃起から痛いほどの勢いで粘液が飛び出して、立て続けに喉に当たる。その量と粘つき、鼻に抜ける匂いに驚いた。たちまち口が満たされ、唇からこぼれてしまったので手で受け、トリーが肉棒を抜いてくれるのを待った。
 それがぬるりと出て行った後、口の中のものを飲み込んでから、手のひらにたまったものをまじまじと見て――それが子種なんだとプティは知った。いつも自分の腹に注がれているもの。授け人の大事なもの。
 どうしたらいいかわからずうろたえた。トリーは数歩下がってどっと椅子に腰を下ろし、息を荒げて休んでいる。どうしろと指示をしてくれない。赤ん坊になるかもしれない大切なものを捨てることなんて、プティには出来なかった。
 だから、悪いと思いつつも舌ですくって飲んだ。これで孕むといいな、と思いながら。
「トリーさまぁ……」
 一人寝のプティは、口元を押さえる。あの時ねじ込まれた男根の感触と、激しい勢いで叩きつけられた粘液の味が、口の中によみがえる。あれは子宝のために使わなければいけないもの。それをトリーは惜しげもなく自分に飲ませてくれた。堅さと匂い、生々しい濃さが恋しい。
 もっとも、トリーがプティの口を求めたのは、あのとき一度きりだ。きっと自分は下手だったんだろうな。
 それからもトリーは何度も注いでくれた。夜のベッドで、昼のテーブルで、夕方の草原で。深くキスをし、乳房や腋に舌を這わせ、時にはプティのあそこにまで顔を埋めてくれた。思い返すとそれが一番恥ずかしい――気持ちいいことは気持ちよかったのだが、自分のそんなところ、あまりにも汚くて悪い気がして――素直にその気持ちよさを楽しめなかったのだ。真っ赤になって泣いて謝って、やっとやめてもらった。
 なんて贅沢なことを言っていたんだろう、と今は思う。
「トリーさま、トリーさま、トリーさまぁ……」
 夜着の中に忍ばせた指をくちゅくちゅ音を立てて動かし、プティはうわごとを漏らす。
 抱きしめて、抑え付けて、押し開いて……。入れてほしい、あの猛々しいもの。普段涼しい顔をしているときは、それがあるなんてとても見えないのに、その気になったときだけ現れる、とても硬くて激しいもの。そうして注いでほしい、あのたっぷりした熱いもの。頼んだって手に入らない不思議な滴。
 でも、もうだめなのかもしれない。
 プティは孕んでしまったから。
「――トリーさま」
 プティは、手を止めて体をこわばらせる。
 孕んでしまえば、もうその女に授け人が触れる意味はない。村長も誰も、トリーにプティのことを勧めてはくれない。
 そもそもトリー自身が興味をなくしているに違いない。
 こんなに腹が出てしまったから。
 プティは自分の下腹を押さえる。丸くて堅い盛り上がりがある。それが赤ん坊だ。プティとトリーの子供だ。
 トリーが子供をくれた。そのこと自体は嬉しい。自分にも女として子供を産める、村のみんなに喜んでもらえるということは、悪い気はしない。
 だがそれよりも、トリーから求められることそのもののほうが、プティはずっと好きだった。矛盾したことだが、プティが嬉しかったのはトリーに求められることであって、子供を作ることではなかったのだ。
 それができてしまった今……プティはまざまざと、自分の変化を感じている。腹が出て胸も不自然に膨らみ、無様な姿になった。以前のように軽々と動けない。トリーの世話が出来ない。トリーの近くにいられない。
「トリーさま……」
 そんなことを考えてはいけないと思いつつも、プティは腹の中の子供にうっとうしさを抱きつつあった。
 気持ちが沈むと、不安が募る。トリーはピオニー亭のナオも一緒に孕ませ、今は猟師のクローマのところに通っている。クローマは躍動的な肉体を持つ素晴らしい女だ。それにトリーは清堂のクリスタのところにも通っている。クリスタは禁欲の定めを課された清め手の乙女だが、透き通った容貌と肢体には、女の自分から見ても妖しいほどの魅力がある。あの二人を見たら男だったらきっと魅せられてしまうに決まっている。
 あんな二人を見てきたトリーが、鈍重になってしまった無様な自分を見ても……求める気が起きないのは、当然だ。
 もう自分はトリーに抱いてもらえないのだ。この先……いつまでだろう?
 ひょっとして、もう二度と?
 スーッとプティの頭が冷える。ありえないわけではない。夫婦の契りを結んだわけではないのだ。トリーとはあくまでも、授け人と村の女という関係でしかなかった。一番最初に抱いてもらい、種付けしてもらったからといって、それはそれだけのことだ。むしろ、一度抱かれて孕んだのだから、もう十分だとみなされるかもしれない。他の女に順番を回すため、自分はどんどんのけ者にされていくだろう。
 もうトリーに触れてもらえない。
 あの優しかった指に。あの熱かった唇に。
「……トリーさま、トリーさまぁ……」
 重い腹を抱えて横になったまま、プティは遅くまで枕を濡らす。

「あらあら、なんて顔してるの」
 翌朝起きると、ナオに驚かれた。ナオは村人の中でもプティに優しい。同じ孕んだ女同士、わかってもらえるかと思って、胸のうちを彼女に打ち明けた。
 ナオはぽかんとしてから、いやだもう、と頬を赤らめてプティの肩を押した。馬鹿にされたと思ってプティが立ち去ろうとすると、肩をつかんで引き止められた。
「待って、そんなに落ち込まないの。あなたはひどい勘違いをしてる」
「勘違い?」
「おなかが大きくなったぐらいじゃ、あなたはちっとも変わらないってこと」
「えぇ……? そんなぁ、すらっとして細いほうが可愛いですよぉ」
「そんなの気にしていたら、三人目の出来ちゃった私はどうなるの?」
「それはそうですけど……」
 納得できず口ごもるプティに、ナオはいろいろ教えてくれた。だまされたと思っておいでなさい。髪は綺麗に梳いて。顔も綺麗に洗って。軽くお化粧もしてみたら。やったことがなければしてあげる。
 そうして言われたとおり、こざっぱりした服に着替えて、頬や鼻も洗ってつやつやにして、ちょっとだけ唇に紅を乗せて、夜のピオニー亭で待った。
 その晩もトリーが来て、夕食を食べた。プティはかいがいしく給仕をした。そのうちに店にいた年寄りたちが帰っていき、ナオが戸を閉めて閂をかけた。それからわざとらしく二階を見て、今日はツェニーとチャイーと寝るわ、と笑顔を見せた。
 プティはトリーと二人きりになった。
 どぎまぎする。恥ずかしくなる。こんな胸も腹もぽてっとしちゃった姿で、トリーのそばに立っていたくない。きっと邪魔に思われてる。いなくていいと思われてる。
 そんな肩身の狭い思いをしていると、トリーが止めてこちらを見上げた。
「プティ」
「は、はいぃ?」
「君、なんだか……」
 トリーがスプーンを置き、一個だけつけてあったカウンターのランプを引き寄せる。プティはきゅっ、と身を縮める。
「や、やめてくださ……」
「おとなになった?」
「……え?」
 プティは戸惑って瞬きする。トリーの瞳が潤んで輝いている。
 初々しい薄化粧をして、幼な妻めいた色香を帯び始めた少女が、その瞳に映っている。
「きゃ」
 プティは声を漏らす。腰に触れられた。トリーが手を伸ばし、引き寄せている。
「プティ」
「ト、トリぃ、さっ」
 言葉に詰まる。トリーが触れる。ガタリと椅子を引いて、膝をこちらへ向けた。その膝にプティを横抱きで乗せる。プティは頭が真っ白になる。胸の奥から震えがこみ上げる。
「トリー、さま」
「プティ」
 トリーの両手がプティに触れる。片手は薄手のセーターの上から乳房をまさぐり、片手は長いスカートに包まれた尻を撫でる。まぎれもない愛撫。求められている。プティはトリーの顔を見る。頬が上気して、食い入るような目をしている。
 ぐいっ、と力強く抱き寄せられ、腕を巻きつけるようにして抱きしめられた。
「プティ……するぞ」
「……トリーさまぁ♪」
 自分でもびっくりするほど甘えた声が漏れた。この瞬間、プティは今までのどのときよりも幸せだった。全身の肌がぴりぴりとしびれるように敏感になり、下着に包まれた秘所が一気に温かく湿った。
 体の曲線を調べつくそうとするかのように、トリーの手がべったりと肌に張り付いて滑る。腋から二の腕。二の腕から腋。腋からもったりと重くなった乳房の下へ。下から丘をすっぽり包み込む。優しくしぼるように何度も揉む。
 反対の手は腰骨を抱き、尻の下へ滑り込む。腿と尻をギュッギュッと揉む。尻の谷間をなぞる。
「はぁ、ぁあぁ、ふあぁ」
 触れられたところがジンジンと心地よく疼く。プティの頭は欲情で塗りつぶされる。欲情といっても奉仕の欲情だ。トリーを喜ばせたい。自分に出来る限界まで喜ばせてやりたい。なんでもしていいし、してあげたいし、命じてほしい。どうしたらいいだろう。
「トリー、さま、あたし、あたし……何かしたいですぅ……」
「触らせて」
 乳房から、トリーの手が下腹に滑った。一瞬、プティは凍りつきそうになる。
「だめ、そこ、だめ……」
「痛くしない。撫でたいんだ」
 プティは信じられなかった。自分の首筋に熱く舌を這わせながら、トリーが孕み腹を丁寧にまるく撫でてくれたのだ。
「トリーさまぁ、ごめんなさいぃ、こんなにぼてっとなっちゃって……」
「いいことじゃないか、元気そうで。僕の子、しっかり育ててるんだね」
 顔のすぐ側で「僕の子」と言われると、なぜか背中がすごいほどぞくぞくと震えた。これまでに注がれた記憶と、これから注いでもらう想像が頭の中で共鳴しあって、プティは脳髄の底まで欲望でいっぱいになってしまった。
「そ、育ててます、トリーさまのあかちゃん、ここにいますぅ……」
 ささやきながらトリーに体をすり寄せる。その言いようは気にいってもらえたらしく、トリーがぐっと肩を抱き寄せて、胸に顔をうずめた。セーター越しにぐいぐいと顔で乳房をこね回して、ささやき続ける。
「またしていい? もう孕んじゃってるけど、もっとプティにしていい? 何度でもしてやりたい……」
 トリーがスカートをかきあげて手先をもぐりこませ、プティの股間を指先でくすぐった。強い尿意に似たうずくような快感が走り、プティはがくがくとうなずいた。
「してっ、してくださいぃ♪ トリーさま、あたし、あたしっ」
 乗りっぱなしだときっと重い、早く降りなきゃと頭の片隅で思いつつ、プティは愛しい少年の頭を抱いて、懇願していた。
「嬉しいです。あたし、トリーさまにされるのほんとにうれしいです。してください、ちょっとでもしたかったら、してくださいぃ! あたし、あたしぃ……」
 捨てないで、と言いたかった。おもちゃは嫌。飽きたとたんに捨てられるのが、死ぬほど怖い。
 けれどもプティは、ほとばしりそうなその言葉を飲み込んだ。トリーは旅人。まとわりつかれるのは何より苦手なはず。彼を見ていればわかる。それを言ったら間違いなく嫌われる。
「……来たいときだけで、いいですからぁ……」
 涙ながらにつぶやいた途端、こめかみに強くキスされ、同時に下着の隙間から胎内に、ぬるりと深く指を入れられた。
「捨てないよ」
「……」
「いい子だな、プティは」
 耳から直接注がれたその言葉が、最大の幸せとなって、プティをフライパンに乗せられた砂糖飴のようにとろかした。
 捨てない……。
「きゃぁんっ♪」
 ぐりゅっ、と股の中でトリーの指が動いた。いつの間にか二本も入れられていた。肉厚のひだに血が巡りきって、油をひいたようにぬるぬるに溶けている。体より先に心が絶頂してしまったプティは、もう体を動かせない。幸福にとろけた顔で過呼吸になりそうな息を繰り返し、ぐったりと体を預けてしまっている。
「トリー、さま。おねがい、れす」
「ん?」
「寝かせ、て。動きにくい、でしょぉ……」
「いまの君はすごく可愛いから、このままいじってたい気もするけどね」
「いじわるですぅ……」
 貫かれる快感を完全に思い出してしまった。体の入り口が切なくて仕方がない。尻の下にトリーの硬い勃起が当たっているから、彼も欲しているとわかっている。それを突き込んでほしい。そして放ってほしい。
「でも、本当言うと入れたい……だからしてやるよ」
 その言葉とともに、プティは抱き上げられた。重いと思っていた自分の体も、トリーは軽々と持ち上げてくれる。その首に腕を回して、プティはトリーの体臭をすんすんと小さく吸い込む。一息ごとに胸が燃えるようだ。
 テーブルの上に仰向けにされ、靴を脱がされた。素足のひやりとする感じは、全裸にされるよりも無防備な気になる。下着を自分で下げようとしたが、腹が重くてうまく腰をあげられない。
「んっと、しょ」
 もどかしい気持ちでもがいていると、トリーが裾から両手を入れてきた。太腿の生肌に手を感じてプティは動きを止める。手は押し寄せる波のようにスカートの裾を上げていく。すぐに両足を裸にされた。その片方をトリーが肩に担ぐ。はさみのように開いた足の間に顔を沈める。
 あ、とプティは急いで目を閉じる。あそこ、来るんだ。
 下着越しにトリーの顔が当たった。鼻の頭でぐるぐるとかき回し、深々と突く。プティは胸の前できつく両手を握り合わせる。汚れていませんように。汚れていませんように。きちんと拭いたはず。
「……どろどろだ」
「ひぃん……」
 恥ずかしさに耐えられず、腕で顔を隠した。
 トリーがプティの下着を片足から抜いて、改めて口付ける。舌と唇の感触をプティは鮮明に感じる。ひだとひだの隙間、粘つく入り口のの中をたっぷりと湿らせながら舐めてくれる。甘く重い快感が途切れなく送り込まれて股が開いてしまう。喉からひっきりなしに熱い息が漏れる。
「ふぁ はぁ はぁ ふひ ひぁ はぁ ひふ ♪」
「プティ」
 膨れた粒をまるごと、ちゅうっと強く吸われた。額を小突かれたように目の裏に火花が散った。
「ひぃンっ!」
 だふっ、と腰が浮いた。意識が一瞬飛んでしまうほどの強烈な気持ちよさ。他のどんなことでもこんな快感は味わえない。プティは抗えず、股の奥まで光が届いてしまいそうなほど、白い太腿を大きく開く。
「トリーさま、すごいですぅ……」 
「プティ、丸見えだ」
 笑いを含んだ声で言って、トリーがさらさらと衣擦れの音をさせた。プティはそっと腕を上げて、足元の彼を見た。
 少年がズボンを下げ、上着の前をかきわけた。――ぬっ、と赤く染まった丸い先端がランプに照らされた。すらりと弓形に反り返っているさまは、小さな生き物が吼えているようにも見える。トリーがそれに手を添え、プティの股間に向けた。
 するとそれは自分の腹にさえぎられて見えなくなってしまった。プティは目を閉じた。
 太腿をギュッと両手で押さえられてから、つむ、と先端を当てられた。一番緊張する瞬間。プティは懸命に呼吸を繰り返して迎える準備をする。ぐいっ、ぐいっ、と繰り返し力がくわえられ、入り口が開いていく。毎夜うずくばかりだった自分の内部を、待ち焦がれた硬く柔らかいトリーのものが開いていく。ずっ、ずっ、と繰り返しこすっては潤みを呼び出してくれる。プティの口から勝手に言葉が漏れる。
「これ、そう、これぇ……」
 忘れてしまいそうだった男の迎え方を、プティはすっかり思い出した。尻をよじって股を差し上げ、もっと奥があることをトリーに伝えてやる。ぐいぐいと方向を探していたトリーがそれに気づく。つぼんでいたひだの底まで先端を届かせた。
 ずぶぅ……とプティの一番奥までトリーがやってきた。膨らんで硬く張った子宮の入り口に、じりじりとむず痒いような快感が湧いた。そこが一番大事な場所だ。プティは手を宙に泳がせてから、トリーの手首をつかんだ。
「トリーさま、待ってっ、」
「ん……?」
「あ、あかちゃっ、いますから、そっと……」
 そう言うと、トリーがふっと笑った。
「わかってる」
 そういうと、トリーはその一番奥のほんのわずかに手前のところで、じわじわと腰をひねり始めた。
「くぁ……ああ……あふふぁ……」 
 プティは半眼になり、視線をさまよわせる。そこは体の奥すぎて、入り口の粒ほどには敏感でない。じりじり、じりじりとこねるように動くトリーの先端が、脊髄をくすぐるような微妙な快感を与えてくれる。繊細でとても安心できるが、あと一歩の激しさが足りず、ひどくもどかしい。
 そうやってもだえていると、トリーの手が、下腹からへそへの膨らみを撫で回し始めた。熱い嬉しそうなささやきが聞こえる。
「プティ、中すごいよ、そんなにうねうね動いて……」
「やああ、だってぇ……」
「あんまり誘うなよ、思い切りしたくなるだろ」
 M字に開いた足を絶えずゆらゆら動かし、理性のとんだ顔でふわふわと空中を見つめているプティの姿に、トリーは猛烈にそそられている。当のプティにはもちろんそこまではわからない。
 だが、自分の中のトリーがますます張り詰め、限界近くなっていることははっきりわかる。
 体をまさぐりながら動いていたトリーが、「く……」と歯噛みして、ぽつりと漏らした。
「だめだ、我慢できない……」
 そう言うなり、やや腰を下げて入り口の近くで激しく出し入れを始めた。ぬちゅぬちゅと音を立てて粘膜をこすられ、たちまちプティの下半身にしびれが走る。トリーのそれが絶頂へのダッシュだとプティは知っている。そのときのトリーが日頃のそっけなさを捨てて、心底から感じる姿を見せてくれることも知っている。
 顔を隠してトリーの絶頂を胎内で感じ取ろうとした途端、その腕をトリーの手でがばっと押し開かれ、とろけている素顔を直視される。がくがくと揺すりあげられながら、「あっあっあっだめっ、トリーっまっらめっあっ」と切れ切れにうつろな声を漏らす。もう自分がどうなっているかわからず、全身が無防備に開ききって、トリーの吐息と滴る汗とむさぼるような視線をひたすら受け止めている。
 やにわにトリーがセーターの裾に手をかけ、腹を越えて首元までめくり上げた。あらわになった乳房に顔を埋めてきた。硬く大きくなった乳首をくわえ、ぐりぐりとめくら滅法に顔を押し付ける。二の腕をきつくきつくつかまれた。血が止まるほどのその握力も、今のプティにとっては愛撫だった。前よりも柔らかくなってしまったこの体を、トリーが好いてくれているとわかるから。
「トリー、トリーさまっ……!」
 最後にそう叫ぶと、プティは開いている腕でトリーの頭を強く抱いて、目を閉じた。猛烈に突き続けていた股間のものが、最奥の、痛むぎりぎり手前のところまで、ぐっと押し込まれた。
 あとちょっと足りない……!
 そう思いかけた瞬間、トリーの全身に引きつるような力がこもった。同時に、胎内に生暖かい粘つきが断続的に生まれた。
 じゅうっ、じゅうっ、じゅうっ、じゅじゅうっ、じゅうぅぅぅ……っ
「く……ひっ……♪」
 あと一歩のもどかしさを、トリーの強烈な射精が埋めてくれた。プティは絶頂の光にふわりと吸い込まれる。爪先まで引きつらせて細かく震える。そのひくつきがトリーを食い締めて、さらに彼の欲情を引き出した。
 ぐいっ、ぐいっ、ぐいっ! とトリーが何度も腰を押し付けてくる。その執拗なほどの注入が、意識のないプティをさらに酔わせる。心から信頼できる人に全身くまなく支配されているという安心感。
「ひぃ……ぃぃ……♪」
 あごを見せてのけぞったまま、プティは長い長い間、絶頂し続ける。
 やがてさすがの激しい抱擁も緩み、トリーが身を離した。拘束のなくなったプティは、崩れるようにゆるゆるとテーブルに肢体を広げる。立てていた膝がパタリと倒れる。トリーが抜けたあとの口からじんわりと混濁液が漏れていく。
「はぁ、はぁ、はぁ、はぁ……」
 指一本動かさないまま、プティは荒い息だけを繰り返す。全身を満たした神々しい炎が、少しずつ少しずつ消えていくのを、名残惜しく味わい続ける。
 快感が薄れるにつれ、相反する二つの感情が沸き起こる。感謝と寂寥。トリーにお礼したい。でもトリーはもう行ってしまうだろう。どちらにしろ寝ていてはいけない。気だるい体を動かし、プティは顔を起こす。
 トリーは椅子の背にがっくりともたれ、プティ以上に激しく、はぁはぁと息を荒げている。下半身はまだむき出しのままで、濡れて汚れた少年の根が座面に垂れている。まさか自分より無防備な姿をしているとは思わず、プティはどきりと胸を高鳴らせる。おそるおそる手を伸ばす。
「あの、トリーさま、だいじょぶですか……」
「……すぎ」
「え」
 ごくりと唾を飲んで、トリーがいまいましそうに言う。
「今夜のプティ、よすぎた……くそ、抑えるつもりだったのに」
 よすぎたと言われるのは嬉しいが、トリーを怒らせてしまったなら嬉しくない。どちらかわからず、プティはうろたえる。
「ご、ごめんなさい、あたし、あんまり嬉しくて……」
「それ。それだよ」
「はふ……」
 プティが言葉に詰まると、トリーは汗まみれの顔を上げて、小さく笑いながらとんでもないことを言った。
「よし、今日は泊まる」
「泊ま……ええっ?」
「寝よう、プティ。また君がほしい」
「は、はいはいはい、はいっ! トリーさまと寝ますぅ!」
 抱かれながら眠る夜、起きたら抱かれている朝。あの夢が突然その手に戻り、プティは舞い上がってうなずく。


 バタン、と朝もやの中に戸の音が響く。まだ髪を結う前の夜着姿で、腹の出た少女が出てくる。足取りは軽く表情はほがらかだ。軒下のバケツを取ろうとして急に足を止め、左右の肩をすんすんと嗅ぐ。
 自分が二人分の汗の匂いを振りまいているのではないかと、少し心配になったのだ。
 満たされた夜と朝を過ごし、息も肌もまだ熱い。
 バケツを手に川岸の石段を下り、流れに沈めた。これから濡れ布で彼を拭いてやるのだ。拭かせてもらう、と言うべきかもしれない。それを頼まれてしてやることが無性に嬉しい。
 ザザア、と川面を波が近づいた。
 少女は顔を上げた。朝もやを割って鋭い舳先が現れた。杖を手にした背むしの老婆が乗っている。何十人もの男たちも。
 少女は硬直する。老婆一人でさえ苦手なのに、見たことのない男が一度にこんなにたくさん現れたら、どうしていいのかわからない。しかも彼らはプティを見た途端、目をぎらぎらと輝かせ始めた。知っている目だ。欲情した目。
 でも、彼と比べて、なんて恐ろしい目なんだろう。
「ガドリッジはいるかい」
 しわがれ声で老婆が言った途端、プティは身を翻して駆け出した。


  第六章  追憶の清め手


「早く……!」
 トリーとプティは身を低くして、石垣の陰から清堂の扉に滑りこんだ。暗い戸口で二人を迎えた黒衣のクリスタが、まだ寝起きのぼんやりした顔のまま、不思議そうに尋ねた。
「二人とも、どうしたの? こんな朝早くに……」
「グゼナが村の外の男たちを連れてきた」
「……グゼナ? が、男たちを?」
 クリスタは黒いフードに包んだ銀髪の頭をかすかにかしげる。まだ危機感が湧かない様子だ。トリーはなおも説明する。
「かなり大勢だ。たぶん、荒くれの傭兵たちだ。殺気立って、ピオニー亭を囲もうとした」
「それで?」
「それで、僕はプティを守ってここへ連れてきたんだよ!」
「アンゲルスンの奥さんは?」
 トリーは口を閉ざした。彼の代わりに、プティが懸命な口調で言った。
「ナオさんがあの人たちの相手をしてくれるって、言ったんです。あんな、あんなたくさんの男の人なんて見たの、あたし初めてで、もうこわくてこわくて……」
「置いてきたの?」
「だってナオさんがそうしろって」
「……見てくる」
 トリーはおなかの大きなプティをクリスタの前に押し出すと、身をひるがえして外へ出ようとした。すると、クリスタに肩に手を置かれた。
「待って。行かなくてもいいわ。あの人が相手をすると言ったなら、任せてもいいわよ」
「……あの人だって、僕の子を」
「だからよ。男は孕み女を相手にしようとはしないわ」
「……」
 トリーは迷ったが、結局扉から手を離した。クリスタを見つめる。――銀青の瞳を持つ、美しくも無表情な娘の顔を。
「どうしてそう言い切れるの?」
「男のことならよく知っているもの」
 クリスタはさりげなく顔を背けた。清堂の奥を指差す。
「朝、まだでしょう。何か出すから、おなかに入れて。……話はそれからにしましょう」
 そう言って、黒い影のようにゆらゆらと歩き去った。
 清堂の廊下は無人となる。二人の左右には黒くて高い壁がそびえており、薄暗い。高窓に差す朝日が別世界の光のようだ。薬油の苦い香りがかすかにゆたい、あたりを墓よりも謹厳に静まり返らせている。
「トリーさま……?」
 プティが心細そうに顔を見る。おびえているのだ。清堂と、その清め手の乙女は、村人たちの複雑な感情を受けている。死を司る者としての恐れ。誕生を司る者としての敬い。そして――命を司る者としての情欲を、だ。
 プティは鈍感な娘だが、それでもクリスタのまとう俗世離れした雰囲気を感じ取っているのだろう。確かに彼女にはただの陰ではなく、力をもつ導師や術者に特有の気配がある。
 だが、今はそんなことを気にしている場合ではない。
 カチャリ、と小さな音がして、行く手の扉が開いた。白く細い手が現れて、ひらひらと招く。それを見て、トリーは言う。
「……行こう。彼女の言う通りだ、まずは腹ごしらえをしなくちゃ」
 プティを促しつつも、トリーは行く手の白い手に、どこか不気味なものを感じていた。
 ――まるで、死者の手みたいだ。

 クリスタ・カラクームは、自分の経血よりも先に精液を見た。
 もう十年近く昔のことだが、そのときのことは克明に覚えている。
「さあ、見て。クリスタ、よく見るんだ……」
 湯気の満ちる段泉(カスケード)の間で、ひざまずいたクリスタの目の前に、男の陽根が突きつけられた。それは黒ずんで萎び、わずかに頭をもたげてひくついていた。
「……くぅ……」
 生まれて初めて見るその器官のあまりの醜さに、幼いクリスタは凍りついたようになった。そんなクリスタを見て、陽根の持ち主である男が、猫なで声をかけた。
「怖がらなくていいんだよ、クリスタ。これは大事な大事なものなんだからね……」
 そう言ったのはメルク老人だった。玄武岩の黒い椅子に全裸で腰掛けて、見せ付けるように股を開いている。そのころ彼はまだ、建前上は授けびととして認められていた。しかし実際には、もう村の女の誰にも見向きもされなくなっており、おき火のように体に残る浅ましい情欲の始末をつけに、清堂を訪れたのだった。
 だが、年老いたとはいっても、小さなクリスタから見れば倍も体の大きな大人だった。その男が、かさついた老人斑の浮かぶ腹をさらし、枯れかけのねじれた陰毛の中から、だらしない代物を見せ付けている姿には、恐怖と嫌悪しか覚えなかった。
 ためらうクリスタの背後から、声がかかった。
「手を伸ばして。伸ばすんだ、クリスタ」
「か、母様……」
 クリスタは引きつった顔で振り向く。そこには背の高い黒衣の女が立っている。エルギナ・カラクーム。清め手として長く清堂に勤め、赤ん坊のクリスタを村から引き取って育ててきた女だ。
 母様と、呼ぶように育てられた。だが母などでは無論なかった。この女は村に欠くことのできない清め手の跡継ぎとして、クリスタをしつけてきただけなのだった。愛情などめったに見せず、このときは特に厳しかった。
「『清め手は、男の根からあふれるものを搾り取り、よこしまな念を取り除くこと』が仕事だよ。求められたら、答えなければいけないんだ。――早く!」
 フードの下の年老いた顔に、険しい表情を浮かべる。叱声の次に来るのは鞭打ちだと決まっていた。クリスタは我慢してうなずいた。
「は、はい……!」  
 そうして、震える手で男の陽根に触れた。
 沼地の軟体動物のような気味の悪い柔らかさが感じられた。おそるおそる握ると、ひくんと震えた。目に染みるようなすっぱい悪臭がした。
「ひ……ひぃ……」
 クリスタは思わず目を閉じる。すると、それが見えているかのように後ろからエルギナが言った。
「目を開けて。しっかり見るんだ。覚えるんだよ」
「だ……だって……」
「それが私たちの仕事なんだ。よく見な、顔が出てきたろう?」
 薄目を開けると、陽根の先端を長々と覆った包皮から、生赤い頭部がのろりと現れていた。かろうじてうなずくと、エルギナが肩を握った。
「そこが男の感じるところだ。つまんで……つまむんだよ!」
「は、はい……」
「そう、そうだ。にぎにぎしてごらん……何か出てきただろう? それを塗りつけて……力を入れない! そうだ……くるくると……そうして、こするんだよ。ゆっくり、ゆっくり……だんだん速く……そうだ」
「ひっ……うう……」
 目じりに涙を浮かべながら、言われるがままクリスタはそれをしごいた。すると、ふわふわして正体も定かでなかったようなものが、どことなく芯を持って、膨らんできた。小作りなクリスタの手に余るほどの大きさになる。
 メルクが深い息を吐いて、粘つくようなおぞましい口調で言った。
「そうだ……うまいぞ、クリスタ……もっと、もっとごしごしするんだ……」
 男は手を下ろして、クリスタの指ごと陽根を握り締めた。クリスタが「んぃっ……!?」とおぞましさに総毛立つのにもかまわず、強い力で前後させた。
「おう、おう、ちっちゃくて、かわいい指だ……初めてだろう? なあ、初めてだな?」
「そうだよ、この子は今まで男を見たこともないよ」
「おまえには聞いとらんわ! 年よりは黙ってろ!」
「何様のつもりかね。若いころは舐めさせてくれとまで言ってきたくせに!」
「やかましい、そんななあ、ずっと昔のことだ……」
 エルギナと罵声をかわすと、メルクは自分の醜いものとクリスタの幼い顔の対比を確かめるように、一段と顔を寄せてささやいた。
「なあ、クリスタ……どんな感じだね?」
「んぐっ……うう……」
「泣くこたあねえんだ、何も痛いことや苦しいことはしやしねえんだから……なあ、どんなだい? かたいかい?」
 クリスタはしゃくりあげながら、両手を使っても覆い切れない肉の棒を見つめて、いやいや答えた。
「びくびくして……長くて……」
「あったかいだろう?」
「は……はい……それ、に……」
「それに? ん? それになんだい?」
 クリスタは口を閉ざす。それを言ったら怒られると思ったのだ。だがメルクは何かを察したらしく、ぐいっと腰をせり出した。包皮の間に溜まっていた悪臭がむわっと鼻に近づき、クリスタは思わず歯を食いしばって顔を背けた。
「んうっ……!」
「ひひひ、くさいか! くさいかね、これが。どうだい?」
「くさい……です……!」
「いいんだよ、言えばいいんだ。その可愛い声で、何でも言うがいいさ……」 
 泣き出しそうな顔で、クリスタは男を見上げた。影になった男の顔は、昼間外で見るのとは別人のような邪悪さを発散していた。
 その意味すらもわからないまま、クリスタはぎこちない手つきでしごき続けた。男はしきりに「かたいか? かたいか?」と聞いた。クリスタはうなずき続けたが、その実、少しも硬いとは思わなかった。陽根は蛇のようにだらしなくぬらぬらと伸びるだけで、しごきづらく、気味の悪さだけが際限なく高まった。
 そのうちに男が口を閉ざし、「うおっ……んおっ……」と目を閉じてうめき始めた。手を止めると、「続けるんだ!」と鋭く叱られた。あわてて動きを再開すると、間もなく、「うおおお……」と男がさらに苦しげな声を漏らした。手の中のものが、ひくひくと弱弱しくうごめいた。
 つぷ、と先端からかすかに白みがかった滴が顔を出した。クリスタはわけもわからずしごき続ける。すると男がかすれた声で、「ゆっくり……!」とささやいた。クリスタは手の動きを緩めた。
 そのままのろのろと続けると、やがて男は「……ふはぁっ!」と息を吐いてのけぞった。陽根がみるみるしぼんでいった。
 手の中から抜けてしまい、クリスタはどうしたらいいか迷った。男は玄武岩の椅子にもたれたまま、はあはあと肩で息をし続けていた。
 するとエルギナがあざ笑うように言った。
「もうおしまいかね、授けびと」
「やかあしい……き、きちんと、出すもん出たろうが……!」
 メルクはそう言うと体を起こし、クリスタの細い手首をつかんで、指先を顔の前に押し付けた。
「見な、見るんだよ。わかるか?」
「え……?」
「これが子種だ。赤ん坊のもとになる、大事な汁だ」
 ぬらついた指先の一部に白っぽいものがついていた。生臭い垢の匂いがして、クリスタは反射的に息を止めた。すると、汚らしいねばつきとしか思えないそれを、メルクは指ごとクリスタの顔に押し付けた。
 ねっとりとしたものが頬につき、クリスタはぞっとした。出し抜けにメルクが腕ごとクリスタの体を引きずりあげて、黒衣に覆われた腹に手を当てた。
「これを注いだんだ。女の腹に注いで、種付けしてやったんだ! わかるかね、クリスタ? 俺はこれでメシを食ってたんだよ!」
「いや……はなしてぇ……!」
「みんな喜んだ。女どもはみんな泣いて喜んでいやがったよ! ハハハ! クリスタ、おまえも大きくなったら注いでやるからな!」
 自分の腹の中に、こんなおぞましいものを注がれる? クリスタは本能的な恐怖と不快感にひたされて、震え上がった。
「いや……やめて、おねがい……! それ、そそがないで……!」
「いやか? そうかいやか! 可愛いなあ、クリスタ! まだ何もわかっちゃいないんだな……!」
「よしとくれ」
 弱弱しく体をばたつかせるクリスタを、エルギナが腕を伸ばして奪い取った。
「この子は次の清め手だよ。種付けなんかさせるもんかね! そんなことをしてみな、あんたの死骸は山の獣に食わせてやるから!」
「言いやがれ、それまでおまえが生きてるもんか! あははは!」
 エルギナの腕の中でぶるぶると子猫のように震えながら、クリスタは絶望を覚えていた。
 その後二年ほどたって、メルクの言葉は半分だけ的中した。クリスタが子を生める乙女となるより早く、エルギナが病に侵されて亡くなったのだ。
 葬儀と継代の儀式が行われ、クリスタは額に金のサークレットをつけて、村の清め手になった。
 ザントベルクにも年老いた医者がいることはいたが、彼は重大な病やケガのときしか見なかった。それ以外の不調、雨で古傷がうずくとか、寒さで関節が痛むとか、呪いや、かぶれにかかったときなどは、村人は清堂に頼る慣わしだった。そういった人々がやってくるようになった。
 だが、このころにはもう、村には男として使い物になる男は一人もいなかった。ひょっとするとメルクがこぼした垢臭い精が最後の一滴だったのかもしれない。しかし、だからみなが脱俗しておとなしくなったかといえば、もちろんそんなことはなかった。むしろ狭い村では鬱憤を発散できず、陰にこもった。それらの男が、清堂の存在をはけ口にした。若いというよりも、まだ年端も行かない小娘だったクリスタが、村人の妄念を一身に引き受けることになった。
 たいていは、雨の日だった。清堂の扉が叩かれ、クリスタがそれを開けると、老人のうちの誰かが、女たちの目をはばかるように入ってきた。食べ物や菓子を持ってくる老人もいたが、手ぶらで偉そうな顔をしてやってくる者が多かった。彼らは戸口に鍵をかけると、お楽しみの時間だ、と言わんばかりに顔をにやつかせて言った。
「よお、クリスタ……。どうも昨日の晩から、腰が痛くってなあ。いっちょう、やってくれねえか……?」
 クリスタは無言でうなずいた。そういう決まりだった。
 段泉の間へ通し、ともに入った。相手はすぐに服を脱ぐか、さもなければクリスタに手伝わせて脱いだ。どちらにしても、全裸になると嬉しげにクリスタに見せ付けた。まだ銀髪が肩に届かないほど幼かったクリスタは、そのたびに居心地が悪くなって、頬を赤らめ、顔を背けた。
 そういう嫌悪の態度が老人たちを喜ばせていたのだが、そんなことはずっと後までわからなかった。
 痩せさらばえた体や、だらしなくたるんだ体を、老人は床に敷かれた布の上に横たえた。クリスタはそのそばに膝をつき、まずは油を塗っていった。裸の相手と違い、膝下まですっぽり覆う黒衣は身に着けたままだ。だが、それはほとんど体を守る役に立たなかった。
 相手に触れ始めると、相手もクリスタにさわった。
「へへ、クリスタ……可愛いねぇ……ヘヘ……」
 覆いかぶさるクリスタの白い腕に、脇に、胸に。老人たちは触手を持つ魔物のように手を忍ばせてきた。
「ベントさん、手……」
 骨ばった手の感触に、クリスタが困惑の目を向けると、相手はいけしゃあしゃあと答えた。
「おお、すまんね……揉まれるのが気持ちよくって、つい手が上がっちまう……」
 あからさまな嘘だが、そう言われると拒むわけにはいかなかった。老人たちは「調子が悪くて」来るのだ。手が勝手に動くのも、まだろくに育ってもいないクリスタの生硬な体を撫で回すのも、「つい我慢が出来なくて」やることなのだ。それは認めなくてはいけないしきたりだった。
 それに、たとえ相手が年寄りでも、ずっと体の大きな男だった。怒らせたらなにをされるかわからない――そんな漠然とした恐れが、クリスタの抵抗の気持ちを抑えつけていた。
「いやあ、いい心持ちだ……クリスタは本当に上手だな……」
 そう言いながら、老人たちは黒衣の下のクリスタの体を、しきりに撫で回した。
 触られるのもおぞましかったが、クリスタはそれよりもおぞましい行為を続けなければならなかった。
 油を塗り、腕や足を揉んでやった後には、老人たちはいよいよとばかりに、さらに恥さらしな姿勢をとった。あるものはメルクと同じように玄武岩の椅子に腰掛けて股を開いた。あるものはうつ伏せて醜い尻を見せ付けた。
「へへ……クリスタ、頼むよ……」
 浅ましい彼らの姿が瞳に映ると、クリスタは目を閉じたくなる。叫び声をあげて逃げたくなる。だがそれは許されない――だから、震える手で石鹸をつかんで、近づいた。
 そして、彼らのもっとも恥ずべきところを清めていった。
 縮み上がった陽根を、しわにうずもれたどす黒い睾丸を、それに毛むくじゃらの尻の谷間を、泡立て、撫でさする。指に感じる肌の感触や、饐えた匂いなどのひとつひとつが、クリスタを責め苛んだ。表に出してもだえ苦しみこそしなかったが、心の中は逃げたい思いでいっぱいだった。
 そんな感情はしかし、隠したつもりでもやはり表れてしまっていた。整った顔が引きつり、小さな唇がゆがみ、手指は嫌悪に迷った。そういったぎこちないそぶりを、老人たちは余すところなく汲み取っていた。そして喜んでいた。
「すまんね、すまんねえ、クリスタ……ひひ、いひひひ」
 乾いて枯れ果てた体や、あるいは締まりなくだぶついた体が、目を背けたくなるほど露骨にうごうごと揺れ動き、痙攣する。しばしば、ぐいっと目の前に突きつけられたり、滑り落ちたふりをして抱き疲れたりさえした。クリスタは何度も、声に出して懇願した。
「おとなしくして、お願いですから、動かないで……」
「おお、悪い、悪いねえ」
 言いながら、なおも老人たちは恥さらしな姿を見せ付けるのだった。
 そんな痴態の末に、相手はもっとも汚らしい行為に及んだ。
「も、もうたまらん、クリスタ、もっとこっちへ……」
 それを聞くと、クリスタは体の芯まで震えるような嫌悪に襲われつつ、身を寄せた。そうなったらそうするように、という教えを受けたからだ。すべては養母が亡くなる前にクリスタに伝えていったことだった。清め手の義務の数々をエルギナはクリスタに押し付けていき、村人たちもそれを知っていた。だからやめることもできなかった。
 嫌悪にとらわれたクリスタが歯を食いしばりながら顔を寄せると、老人たちは相手の声とともに腰を突き出した。
「ほれっ、ほれええ……」
 椅子にかけた相手の股間から、あるいは寝そべった相手の腹から、じょろじょろと生温かい液体が放たれる。それがクリスタの頭から降りかかった。銀の髪と白い顔を、異臭を放つ流れがだらだらと汚していくのだった。
「う……ぐっ……」
 クリスタは呼吸を止め、拳を握り締めて耐える。老人が息を荒げて叫ぶ。
「どうじゃ、クリスタ、どうじゃっ! 熱いか、かぐわしいかっ!」
「熱い……ですっ!」
 ただでさえ長い老人のそれは、クリスタにとって永遠に近い責め苦だった。
 それが終わったと感じた途端、逃げるように身を離して、段泉に這いよった。桶で湯をくみ上げて頭から何度もかぶる。老人たちはそれを止めないばかりか、満足げに見守るのが常だった。
「うふふふ、いやか、いやじゃなあ、クリスタ。汚れちまったもんなあ、匂いがついてしまったもんなあ」
「はっ、はあっ、はあっ、はあっ……!」
 ふははは、と岩壁に響く笑い声を浴びせられながら、クリスタは閉じていた口 を開いて、大きく息を繰り返すのだった。
「清め手は、男の根からあふれるものを搾り取り、よこしまな念を取り除くこと」――清め手の義務とはそれだ。しかし「何を搾るか」までは口伝されていなかった。このしきたりが出来たときには――まだ谷に男が大勢いたころだろうが――わざわざ明示する必要はなかったのだろう。だが今ではそれが悪用されていた。この決まりを盾に、精を作れなくなった老人たちは、おのれの汚らわしい尿で無垢なクリスタを辱め、喜びを得るのだった。
 切る者がいなくなったクリスタの銀髪は、だんだん伸びていき、肩をすぎてさらに流れた。背丈が伸び、肉がついていき、やがて月経を知った。日ごと美しくなるクリスタの姿は、枯れていく老人たちをもかき立て、ほとんど夜毎にと言っていいほど彼らを引きつけた。黒衣に隠された肌は誰にも見られることがなかったが、その乳房のふくらみや尻の丸みは、村中の男たちの手に知られていた。
 そんなクリスタを、村の女たちは乾いた眼差しで遠巻きに見ていた。
 女たちにとって若く美しく男をひきつけるクリスタは嫉妬の対象だったが、同時に、汚れ役を引き受けている生贄でもあった。苛立ったり腐ったりした男どもがクリスタをはけ口にしているおかげで、ザントベルクでは争いや揉め事がほとんど起こらなかった。
 クリスタの清堂には、常に食べ物や小間物が届けられた。それは敬して遠ざけるためにささげられる、正しい意味での供物であり、ほとんどの場合、親しみやいたわりを伴うものではなかった。中には例外もいたが――ナオはその口だった――クリスタにとっては、誰のどんな品でも同じことだった。男たちの獣欲と同様、女たちの捧げ物も、押し付けられ、義務的に受け取るものにすぎなかった。
 やがてぽつぽつと死人が出た。寿命を迎えたり、事故にあった老人たちが亡くなったのだ。しきたりどおりにクリスタは遺体を受け入れ、段泉で洗い清めて、裏の墓に埋めた。エルギナがナオの双子の娘を取り上げたのを最後に、村で赤ん坊は生まれていなかった。だからクリスタも産湯を使ったことはなかったが――そんな心配をする必要もないだろうと思っていた。それに、死体に触れたことで、立派に清め手としての勤めを果たせることを明かしたことになり、クリスタの立場はほぼ完成した。村人はクリスタを偶像だと認め、はっきりと距離をとった。
 清堂の窓からは、村の様子を見下ろせた。多くの女たちが家畜を追い、畑を耕し、荷を運んでいた。クリスタはその営みの外にいた。保護者も友人もいない清堂で、日々規則正しく寝起きし、訪れる男どもの前に身を捧げた。
 そんな、時間が止まったような毎日が永遠に続くのだとわかってくると、クリスタは表情を失っていった。男どものあしらいの技に長けていくのと反比例して、何ももの思わなくなった。
 そしてただひたすら、無為に美しくなっていった。
 そんな毎日の果てに、十七の歳を迎えた。その数日後、墓を見に入っていった裏の林で、ぼろきれのような姿で倒れていた一人の少年を見つけたのだった。

 清堂の食堂で、クリスタはパンとチーズの簡単な食事を出してくれた。トリーとプティは礼を言って食べた。二人の様子を見つめながら、テーブルの向かいに座ったクリスタが言った。
「グゼナはどうして男を連れてきたのかしら。あの人は性根の曲がった女だけど、だからこそザントベルクのことは明かしたがらなかったはず」
 トリーは黙っていた。だが、食べ物を出されたことで気が緩んだのか、プティがしゃべった。
「グゼナのおばあさんはぁ、トリーさまを探しに来たんです。ガドリッジを出せって言ってましたからぁ……。きっと、トリーさまをさらっていくつもりなんです」
「……トリーを?」
 クリスタが少し宙を見上げてから、トリーに目を向けた
「それは、あなたが導師であることと何か関係あるの?」
「導師……」
 つぶやいたプティが、ぐっとパンを喉に詰まらせかけた。
「え、ど、導師? なんのことですか?」
「トリーは導師なのよ。法術使い。――しらなかった?」
「法術使い! ほ、ほんとですか? トリーさま」
 プティが目を丸くしてトリーを見る。トリーはゆっくりとうなずいた。
「……ああ、そうだよ」
「そんなぁ……トリーさまが法術使いだったなんて、そんなぁ……」
 プティはショックを受けたようで、口のはしを震わせて身を引く。トリーは尋ねる。
「法術使いは嫌いかい? プティ」
「だって、法術使いっていったら、その……呪いでひとの心臓を止めたり、畑を枯らしたり、牛の仔を流しちゃったりするんでしょう?」
 そういうことをする導師もいないではないが、そればかりに注目するのは偏見だ。誰がそんなことをプティに吹き込んだのかはすぐ見当がついた。意地悪者だった叔父夫婦に決まっている。
 トリーは首を振って言った。
「偏見だよ。僕が、そんなことをするように見えるかい」
 すると、プティは何か考える風に少し目を泳がせてから、またトリーを見た。今度はすがるような顔をしていた。
「トリーさまは、そういうこと、しないと思いますぅ……しないですよね?」
「しないよ」
「よかったぁ……」
 ほっとしたようにプティは息を吐き、それから丸く膨らんだ腹に手を当てた。
「この子のお父さんがわるい導師だったらどうしようかって、思っちゃいました……」
「じゃあ、あなたが導師であることと、グゼナが来たことは、関係ないのね」
 クリスタが話を元に戻そうとしたとたん、またプティが「あっ!」と言った。トリーは、「なに? プティ」と水を向ける。
「あたし、トリーさまが導師だって知らなかったけど、清め手さまはぁ、知ってたんですよね。やっぱり、こわがると思って、教えてくれなかったんですよね。あたしがアタマ悪いからぁ……」
「私もトリーから聞いたわけじゃないわ」
「ふぇ?」
 不思議そうな顔をするプティに、クリスタが言い聞かせた。
「触れている間に、気づいただけ。だからトリーがなんの導師なのかまでは、知らない」
「え、じゃあ……あたしがアタマ悪いからじゃ……」
「そういうことじゃないよ、プティ。心配しなくていい」
 トリーがそっと手を取ってやると、プティはようやく納得したようだった。
 それを見ていたクリスタが、別のことを話すような口調で言った。
「そういえばトリー、奥の部屋に昔からの古い調度がいくつかあるの。男手がなくて今まで放ってあったんだけど、ちょっと動かすのを手伝ってくれるかしら」
「いま?」
「もちろん食べてからでいいわ」
「あ、じゃああたしもお手伝いを」
 腰を浮かせたプティに、クリスタは穏やかな顔を向けて言った。
「あなたはいいわ。おなかの子に障るもの。ここで待っていて」
「でも……」
「じゃあ、隣の部屋から村のほうを見張っていて。男たちが来るようなら、大声で知らせてちょうだい」
「は、はい!」
 彼らを見たときの恐怖を思い出したらしく、プティは緊張した顔でうなずいた。
 食事の後、トリーはクリスタの後について奥へ向かった。閉め切られていた部屋に入ると確かに古びたベッドや祭具があったが、それには見向きもせず、トリーは言った。
「場所を変えてくれてありがとう」
「あの子にも聞かれたくないなんて、よほどの事情なのね」
 クリスタは心得顔でうなずいた。トリーがこの話題を避けようとしたことを汲み取ってくれたのだった。
「ということは、やはりグゼナはあなたの力が目当てなんだ」
「あの魔女は――グゼナっていうのはたちの悪い魔女なんだけど――僕が図抜けて強力な導師だと思いこんでるんだよ。それで、連れ去って王や君主に売りつけようとしているんだ」
「二つ聞いていいかしら」
「なに?」
「あなたは本当に強力な導師なのか。グゼナとのなれそめはどうだったのか」
「そんなことを知りたいの?」
「そんなに変な質問かしら?」
「いま問題なのは、どうやってあいつらを追い返すか、だと思うんだ」
「そうでもないわ。あなたが問題の中心だっていうなら、それを解決する簡単な方法はあるもの」
「どんな方法?」
 それには答えず、クリスタは椅子を持ってきて、トリーの前に置いた。
「質問に答えて。納得がいくように。グゼナがあなたのことを強力な導師だと思いこんだのはどうして? そして、それは事実なの?」
 トリーはため息をつき、椅子に腰掛けて語り始めた。
「二つの国があったと思ってくれ。片方は大きな国で、片方は小さな国だ……」
 いつぞや女狩人のクローマに語ったのと同じ、大軍を滅ぼした導師の話だった。それを聞かせて、付け加えた。
「グゼナは、僕のことを、この導師だと思ってるんだ」
「なぜ? あなたはどこかよその村の学生だったのでしょう。接点がないわ」
 クリスタは納得せず、そう聞いてきた。彼女はクローマより理詰めなところがある。猟師と違って日がな一日閉じこもっているから、考えが深いのかもしれない。
 わからない、で済ませることは出来そうもなかった。やむを得ず、トリーは秘密を明かした。
「その男は、エッサ・ガドリッジ――僕と同じ姓なんだよ」
「ああ……」
「あの魔女と最初に会ったときは、僕自身もなぜ追われるのかわからなかった。一度逃げ切って、後でいろいろ調べていくうちに、そのことがわかったんだ」
「あくまでも別人だって言うのね。でも別人ならひと目見ればわかりそうなものじゃない。出て行ってそう告げれば済むことじゃない?」
 トリーは首を振り、クローマにも明かさなかったことを話し始めた。
「最初から話そう。くだんの男、エッサについて、だ。まずこの男がフランクルド王国というところにいて、大国、つまりゾグ王朝の軍を打ち負かしたのは、事実だ。そんなことができたのはこういうわけさ。――ゾグの軍がフランクルドに現れる半年前、ガドリッジはその国にいなかった。南方のエフメフ砂漠へ出かけていたんだ。この砂漠をクリスタは知っている? 村の葬送役なら知っていると思うけど」
「……聖姉妹典に出てくる、軋みの砂漠のことかしら」
「その通り、軋みの砂漠エフメフだ。そこでは風に交じって、常にどこからか重いきしみ音が聞こえる。流砂の底に幽閉された魔邪姫モーグの歯軋りだとも、砂嵐とともに地平線の向こうを永遠にさ迷い続ける蜃気楼塔インデホンフを曳く、七千頭の死骨馬の頚城の音だとも言われている」
「そう書いてあったわね」
「実はこれが事実だった」
「……え?」
 クリスタが眉をひそめた。トリーは話を続ける。
「エッサ・ガドリッジはいくつもの古典を頼りにインデホンフの周回路を割り出し、エフメフを放浪して三日三晩砂中の箱で待ち伏せして、ついに砂嵐の中の塔と対面したんだ。彼はフネヤ扇で死骨馬の目をくらまして蜃気楼塔に入り込んだ。そして最上階の厨子に閉じ込められていたモーグを見つけて――流砂の底だというのは誤伝だったらしいね――彼女を縛る金の鎖の一本を切り、その謝礼として、モーグの操る強力な十五の禁呪のうちひとつを譲り受けたんだよ」
「……それが本当なら、恐ろしいことね」
 クリスタは低い声で言った。
「魔邪姫モーグといえば、上代に栄えていた天使国の翼をもいで地上に落とし、清浄だった天使たちを、獣と同じ肉の体を持つ卑しい人間にした張本人。聖姉妹の姉キーラを犯して妹エーヤに討たれ、からくも封じられた。……そんな邪悪な存在に、エッサは手を貸したというの? それが本当なら、世界は明日にでも滅んでしまうはず」
「やつを封じる金の鎖は八本あって、まだ三本残っていたそうだよ」
「……そう」
 クリスタはいくぶん落ち着いたようだが、なおもいぶかしげに聞いた。
「それで? その話とグゼナの関係は?」
「エッサは強力な導師だった。強力すぎた。ゾグを負かしてフランクルドを救ったことが彼自身を伝説上の存在にした。いま、この谷の外の世界には、エッサのことをなんでもできる全能の存在だと言っている者もいる。姿をまったく変えることすらできたはずだと。……それでグゼナは、僕のことをエッサ本人だと思っているんだ」
「そういうわけ……」
 クリスタはようやく得心がいった様子で、うなずいた。
「ならば結局、誤解なのね」
「当たり前だよ。だいたい、僕がエッサなら、グゼナもその傭兵も小指ひとつで消し飛ばしているはずだろう」
「かもしれないわね。でもグゼナはそれを恐れずやってきた。なぜかしら」
「そこまでは知らない。何か方策があるんだろうね。エッサの力を封じるための……」
「ふうん……」
「『たった一人で大軍を撃退できる禁呪を身につけた男が、故郷を離れてさすらっている』。……これはかなり恐ろしい想像だ。統治者たちにとっては、自分の服の中を毒虫が這い回っているようなものだろう。そいつを召し抱えるか、でなければ討ち取らなければ、夜もおちおち眠れない。グゼナはそういった相手に、僕を売りつけるつもりなんだろうね」
 トリーは語りを終えた。そして、審問官のようにずっと立ちはだかっているクリスタを見上げた。
「そろそろ僕のほうから質問していいかな? ――なぜこんなことを聞いたんだい。大事なのは村を守ることだろう。グゼナと傭兵たちを追い返す方法を考えなければいけない」
「追い返して、それで済む話じゃないのよ。この谷は、グゼナが運んでくれる外の品物でもっているのだもの。あの人の機嫌をそこねるわけにはいかないわ」
「そうかな? グゼナの代わりに誰かがその役を果たせばいいんじゃないか」
「あの人の代わり? そんな人間は谷にはいないわ。地底の川をくぐる術を使えなければいけないんだから。無理な話よ」
「素質のある人間なら、術は修行と契約で身につけることができる。エッサがモーグの術を譲り受けたように。それで、僕の勘では、君にはその素質がある」
「……私に?」
 クリスタが、今日初めて、驚いたように目を見張った。
 トリーは真剣な面持ちで彼女を見つめた。
「君も導師だね。エルギナ……といったかな、先代から癒しの術を受け継いでいる。最初に君に調べられたとき、それがわかった。君ならグゼナの術を奪うことも出来る」
「……そんなことができるの?」
「理屈ではね。その前にグゼナにうんと言わせなければならないけど」
「じゃあ、やはり無理だということじゃない。あの人が、水運の権利を他人に譲るわけがない。たとえ譲ってくれたとしても、私にそんなことは……」
「グゼナが昔のままの因業な性格なら――そうに違いないと思うけど――くたばってほしいと思っている人間は大勢いると思うよ」
 クリスタは形のいい顎に手を当てて考えこんでいたが、やがて首を振った。
「夢物語よ。そんなことは起こるわけがないわ」
 もともとさほど期待してはいなかったが、それでもトリーは失望を覚えて、ため息をついた。
「……それなら、あいつの言うことに従うしかない。僕を捕まえて、引き渡すがいいさ」
 だがクリスタは、それを聞いてもうなずかなかった。黙ったまま銀青の瞳でトリーを見つめた。
 そして、そっと手を伸ばしてきた。
 トリーの頬に、ひんやりした白い指が触れる。手のひらがぴたりと張り付き、首筋へと滑る。――ぴくり、とトリーは肩を震わせる。この触れ方には覚えがあった。
 この谷へ来てから、何度も清堂を訪れるたびに、彼女がしてきた触れ方だった。
「私と逃げて」
 はっとトリーは目を見張った。クリスタが、かすかに目を潤ませていた。その瞳にたたえられた氷の青が、炎の青に変わりつつあった。彼女は繰り返した。
「私と一緒に、谷の外へ逃げて」
「そんなことは――」
「できるの。道がある。誰も知らないけれど、清め手だけは知っている。――ブランゲリの峠を越える隧道があるの。そこを通って、いっしょに逃げましょう。それが解決になる。グゼナはあきらめる。傭兵たちも帰ってしまうわ」
「でも、クリスタ。それじゃ、この村のみんなは……!」
 清め手を失い、途方に暮れることになるだろう。そう言おうとしたとたん、彼女の本心にトリーは気づいた。
「いいわよ、こんな村。どうなってしまおうと」
 クリスタの硬い頬に、涙が一筋流れた。長い間抑えつけられてきた激情が、彼女の瞳に揺れていた。
「ずっと逃げたかった。私を辱めて、汚してきた村の人たちから、ずっと。でも一人じゃだめだった。わからないもの、どうしたらいいか。この村を出て、どうやって生きていけばいいのか。ここにしか居場所がないと思ってた」
「……クリスタ」
「でも、あなたなら。あなたなら外の世界を知ってる。お願い、助けて。私をここから連れ出して……」
 クリスタがかがみ、トリーの顔に頬を押し当てた。涙がこすりつけられる。彼女の心が溶け出したかのような熱い涙だ。氷のように冷たく見えても、クリスタは人並みの心を持つ一人の娘だったのだ。その痛みはトリーにもよくわかった。
 クリスタのまとう、日陰の花を思わせる、上品で静かな匂いがトリーの鼻をくすぐる。香水をつけるような娘ではないから、体臭なのだろう。だが、それはこの清堂の中でしか保たれない匂いだ。背景に薬油の苦い香りが匂いがあってこそ際立つ。日の光のもとに出たら消えうせてしまうだろう、そう思わせるほどはかない。
「トリー……」
 ささやき、触れてくる一人の娘。その存在がトリーを縛りつけようとする。切れ長の瞳、鼻筋の通った整った顔立ち、磁器のようになめらかな頬と小さなあご。鑑賞のためだけに作られた人形を思わせる美しさだ。洗濯を重ねて色あせた黒衣の下から、まろやかな体の線が浮かんでいる。誰も見たことのないその体は、おそらく生きた彫刻のように完璧な肉付きをそなえていることだろう。
 男なら誰でも触れたいと思うような美しくはかない娘が、ひとこと告げるだけで自分のものになる。すべてを忘れて手に入れたいという強い誘惑が湧き起こった。クリスタと手に手を取り、谷を出て外界でひそかに暮らす――その想像はひどく魅力的だった。この谷へ来てすぐのころだったら、トリーはきっとその誘惑に負けただろう。
 だが、それは意味のない想像でもあった。トリーがこの谷で半年以上暮らしたからこそ、クリスタは心を開いてくれたのだろうし、その間にトリーも、ここへ来たばかりのころと比べて、大きく変わってしまった。
 今はもう、彼女と二人だけで何かを考えられる時期ではなかった。
「……だめだよ、クリスタ」
「どうして?」
「みんな僕の子を宿してるもの。プティも、ナオさんも。それにクローマも多分。他のみんなにも恩がある」
「村のしきたりなんか……!」
「最初はしきたりだったけれど、もうそうじゃない。僕自身が、それを受け入れたんだ。――だから、その結末にも責任がある」
「……それがあなたの答えなのね」
 トリーはうなずいた。クリスタは顔を離し、悲しげに見つめた。
「私を助けてはくれないのね」
「……そんなことはないよ」
「そんなことはない? どうやって? 村中の人を説得して、しきたりを変えさせるとでも? ……そんなことが出来ると思う?」
「わからない。……でも、君がそれほどつらいと思ってるなら、なんとかしてやりたい」
「そう……」
 クリスタはうなずいたが、その顔に失望がありありと浮かんでいた。期待などしていないのがわかった。
 二人の間に、動かしがたい沈黙が下りてきたが――そのとき、甲高い声がそれを破った。
「トリーさま、清め手さま……来ました、男の人が来ました……!」
「行こう」
 トリーは立ち上がり、クリスタに背を向けた。
 表の部屋に戻るまでもなく、廊下でプティと鉢合わせした。おびえる彼女をなだめながら窓へ向かうと、清堂への坂道を五人ほどの傭兵が登ってくるのが見えた。
 グゼナはいないようだ。トリーはクリスタを振り返る。
「僕が出ようか?」
「いえ……私が出るわ。あなたたちはここにいて」
 二人は言われたとおりにした。
 やがて清堂の扉が叩かれ、クリスタが出た。彼らの会話に、トリーたちは息を詰めて聞きいった。
「……何か御用ですか?」
「エッサ・ガドリッジを探しに来た。さっさと出せ、ここにいるのはわかってる」
「そんな人は存じません。あなた方はどなたですか。村の外の方?」
「とぼけるんじゃねえ! 俺たちはな、ゾグの傭兵だ。ガドリッジを探しに来たんだ。今すぐ出せばこのまま帰ってやるが、つべこべ抜かしやがるとてめえも痛い目にあわせるぞ!」
 怒声を耳にして、プティがヒッと身を縮める。だがクリスタの返事は冷静だった。
「知らないものは知らないんですから……エッサという人は知りませんけど、授け人のガドリッジなら、最近は村の北の神殿跡へよく行っているみたいです。猟師のクローマと一緒に狩りをしているの」
「ンン……そういうことか、畜生……」
 声の調子が低くなる。ここにいるんだろう、というのはハッタリだったらしい。
 だがそれで帰ると思いきや、傭兵は低い声でぼそぼそと続けた。
「嘘だったらただじゃおかねえからな。そんなのはすぐにバレるんだ。ここへ舞い戻って、たっぷりし返ししてやるぞ。てめえ、生娘だな?」
「あっ……」
 石の床に足音がこだまし、もみ合う気配がした。トリーは思わず飛び出そうとしたが、プティにしがみつかれた。
「だめ、だめです、トリーさま。行っちゃわないで……!」
「プティ!」
 すると、またクリスタの声がした。
「私は清め手よ。死体洗いの女」
「なんだって?」
「村人の死体を洗っているの。奥には棺がたくさんあります。それを開けて、毎日お湯ですすいで、腐肉を流して……骨になるまで続けるの。空気をかいでごらんなさい。薬油の匂いがするでしょう。そうしなければ、病に冒されてしまうから……」
「こ、こいつっ!」
「そんな穢れた女でよければ、好きにしたらいいわ。生きて村から出られればいいけれどね……」
「馬鹿野郎、さ、触るんじゃねえ! 病気持ちなら病気持ちと最初に言いやがれ! くそっ、陰気な病気女めが。畜生……」
 バタン、と扉を閉めるけたたましい音がした。窓から外を覗くと、傭兵たちは悪態をつきながら坂を下っていった。そのうちの一人の声がトリーの耳にも届いた。
「畜生、グゼナのばばあめ。何が清堂の子には手を出してもいいだ。病気持ちのハズレ女じゃねえか。結局全部お預けってわけだ。まったくとんでもねえ……」
 それを聞いて、プティが安堵の吐息を漏らした。
「全部お預けってことは、ナオさんもだいじょうぶみたいですね……よかった」
 クリスタが部屋に戻ってきた。彼女が何か言う前に、トリーはその手を握った。
「ありがとう、かくまってくれて」
「その場しのぎよ」
 クリスタは冷たく言ったが、手を振りほどこうとはしなかった。むしろ触れられたことでほっとしたように手を預けていた。
 やがてトリーのほうから手を離すと、彼女は言った。
「クローマがうまくあしらってくれるといいんだけど……」
「大丈夫さ。あの子は足が速いし森に詳しい。いざとなれば森に隠れてしまうよ」
「でも、そうしたら、あの人たちは村に居座っちゃいますね」
 プティがつぶやき、重い空気が立ちこめた。
 やがてクリスタが息を吐いて言った。
「村長に期待しましょう。あの人だって村は大事なはず。うまく言いくるめて彼らを追い払ってくれるかもしれない」
 それが淡い希望に過ぎないことは、プティでさえわかっているようだった。彼女は心配そうに言った。
「でも、村長さんはいつもお授けさまを探してます。トリーさまを追っ払って、あの人たちを代わりに住ませることにするかも……」
「そんなことはさせない」
 クリスタが、それとわからないような動きで、そっとトリーに寄り添った。窓の外を眺めるプティに気取られないよう、トリーの背中に触れる。
「させない」
 もう一度繰り返して、淫らに手を貼り付かせた。

 倒れている少年を初めて目にしたとき、それが女だとクリスタは思った。クリスタの知る男とは、枯れて乾いているか、ぶざまにたるんでいるかのどちらかだったからだ。だが、その人の姿はどちらでもなかった。やや小柄で華奢で、頬についた泥をぬぐうと、白くなめらかな頬が覗いた。
 清堂へ引きずっていく途中で女ではないと気づいた。女の体とは骨格が違う。段泉の間に運び入れて衣服を剥ぐと、男だとわかった。それでも、最初は半信半疑だった。
 こんな男がいるんだろうか。男とはこんなにきれいなんだろうか。一本も白髪の混じらない、春草のように柔らかな金髪。肌には艶とはりがあって斑点がなく、みみずのような血管が浮き出してもいない。爪は桜色できれいな半月形。それに、肩や胸や、腕にも足にも、すらりとした伸びやかな筋肉がついていた。
 それが若さというものなのだと気づいたときから、クリスタは胸の高鳴りを感じ始めた。
 若い男――というより、自分と同年代の少年。見たことのない、見ることもないと思っていた生気にあふれた生き物。秘密の宝物を見つけた気分だった。知らない人間を見つけたときはまず村長に報告する決まりだったが、とてもそんなことをする気にはなれなかった。
 もっと見たい。この子を見て、触れて、すみずみまで知りたい。
 体つきはきれいでも、そのあちこちに泥汚れがこびりついていた。汚れをきれいにすることはクリスタの仕事だった。だからクリスタは彼を洗うことにした。――仕事にかこつけて、その実、自分の興味のために。
 少年を全裸にして、『生者の段』の湯に浮かべた。頭が沈まないように注意しながら、海綿を握って手馴れたやり方で泥汚れを洗い流した。腕や足、胴を洗っていったが、どうしてもせわしない手つきになった。手足など本当はどうでもよくて、肝心な場所を早く見たかったからだ。
 少年の股間を。
 それまでは、汚かったらどうしよう、醜かったらどうしようと恐くて、直視できなかったのだ。老人たちのそこは目を背けたくなるような淀んだ暗がりだった。
 だがようやく心を決めて目を向けると、少年のそこは老人たちとはまるで違っていた。クリスタは息を呑んだ。
 股間には茂みがなかった。薄い腹筋の下にそのまま、ほとんど色づいてもいない肌色の小さな角のようなものがついていた。それの下にはくるみのように丸まった小さな袋。そこも少し暗い肌色をしているだけ。股間から左右の腿へ、きりっとした感じの腱が浮き出している。そのあたりの皮膚も、血色のいい肌色だ。黒ずみやただれは見当たらない。
 不快ではない、不思議な気持ちの高まりを覚えた。クリスタは今までそんな感情を知らなかった。かろうじて思い当たるのは、清堂の軒下に巣を作る鳥のヒナを見たときの気持ちだった。壊れないように見守ってやりたい、触れてやりたいという気持ち……。
 ……可愛い。そうだ、こういうのを、可愛いというんだ。
 それでクリスタは、そっとそこに触れた。
 そこの作り自体は、老人たちと同じだった。だからこれも陽根なんだろう。それにしても、雰囲気はまるで違った。小さくておとなしくて、すっかり皮の中に隠れていて――中は? 中はどうなんだろう?
 細く冷たい指で、くるりと包皮をむいた。すると、舌と同じような色をした、小さな愛らしい頭が隠れていた。かすかに湿った薄い粘膜に覆われており、こすっただけで傷ついてしまいそうな気がした。
 なぜか頬が熱くなるのを感じた。それも懐かしい感覚だった。子供のころにはあったが、久しく忘れていたもの――羞恥だ。自分は、見てはいけないところを見ているのだ。老人たちがこれ見よがしに見せ付ける、かさかさになった汚らしい部分ではなく、大事な、隠すべきところを。
 ああ……そこが「大事」だというのは、こういう意味だったんだ。ここは本当はこんなに弱いところなんだ。
 熱く強い興味が胸いっぱいに湧きだした。クリスタは目を見開いてそこに顔を寄せ、熱心に触れ始めた。小さくちぢこまった幹を、親指と人差し指でつまみ、皮を剥いて中を拭いていく。指はだめだ。指紋の凹凸ですらひっかかってしまいそう。石鹸を泡立てて塗りつける。粘膜の薄いくびれのところを、ぬるぬると細かく洗い抜いた。
 段泉の温気で体が火照り、顔に汗が浮かんだ。それを拭く気持ちの余裕すら、なくなっていた。
 くびれのところには白い垢が溜まっていた。石鹸の香りでは打ち消せないほどの匂いがする。仕方ない、まったく匂いのない人間なんていないんだから。むしろそこは、匂いさえ老人たちと違っていた。熟成の足りないチーズに似た、鼻から頭の奥へ突き刺さるような若い匂い。頭がくらくらするような気がして、クリスタは何度もせわしなく瞬きした。
 洗い抜いてきれいになっても、海綿をおいて直接触れた。十分泡立てたから傷はつかないはずだった。肉の半球に親指をあて、くるくる、くるくると撫で回した。いくらでもそうしていたかった。
 と、少年がピクリと身動きした。
 クリスタはあわてて身を離した。息を詰めて少年の様子を見守る。だが、まだ目覚めてはいないようだ。――そして気がつけば、少年は勃起していた。
 陽根が倒れない。刺激を受けて血が溜まり、くんなりと半勃ちになっている。
 ――そう、なるんだ。やっぱり。
 クリスタは息苦しくなった。少年も老人たちと同じだった。いや、違う。こっちが本当だ。彼らのあれは、肉体の反応の残り火みたいなものだ。でもこの子は若い。
 本当の、射精をしてしまうのかもしれない。
 それはどんなものなんだろう。寝たままでも、なるんだろうか。
 見てみたい……。
 ゆったりとたゆたう少年を見下ろしながら、クリスタは頭に血が上った状態で、もどかしく石鹸を泡立てた。
 そして、震える手をよせ、もう一度触れた。
 陽根の根元を包んだ。ぬるりとした指で。ひくん、と少年が全身を震わせる。ひくん、ひくん、と。
 すると血の気を受けた陽根が、みるみる本格的に勃起していった。
 巨大というにはほど遠いが、最初に比べれば三倍もの大きさになった。幹はすらりときれいに反り返り、裏側にしっかりと芯があって、赤と青の血管が浮き出している。頭を覆っていた皮がくびれの下まで引いていき、つやつやに張り詰めた先端がすっかり現れた。黒ずみなど毛ほどもない。初々しい、濃い血の色に光っている。
 腹に食い込まんばかりの勃起を見て、クリスタは息も出来なくなった。手をかけても強情に上を向き続け、うなずかせることができない。それがどうやって女の腹に精を注ぐのか、今こそわかった。この硬さで、貫くんだ。これだけ硬ければどんな女でも貫ける。
 老人たちがあれほど硬さにこだわったわけが、やっとわかった。この猛々しい有様を懐かしんでいたのだ。
 ずっと息を止めていたために苦しくなり、クリスタはそれの根元を丸く握って、息を吐いた。
 ふっ……と。
 少年が、ひくんと足を伸ばした。いや、伸ばしたというよりも、勝手に伸びてしまったようだ。まだ目を開けてはいない。開けないでほしかった。もっともっと、いじらせてほしかった。
 はふはふと息が漏れる。息苦しくて、普通の呼吸が出来なかった。熱い息を漏らしながら、クリスタは脈打つそれを間近で眺め回した。
 すると、袋が目に止まった。陽根の下で、湯に使って柔らかくなった袋が。
 それを手のひらで包んだ。ふわりとゆるんだ薄皮が感じられた。この中に、男の種が詰まっているの? ――そう思って軽く握ると、中にこりこりした二つの玉があった。それは老人たちにもあった。汁が溜まっているだけではないらしい。そこに下手に触ると男が痛がることを思い出して、クリスタはあわてて手を離した。
 少し待つと、少年の勃起はひくひくと収まっていった。クリスタはどきどきする胸を押さえてそれを見つめる。体の中に感じたことのないうずきが生まれていた。胸ではなく、腹の下にだ。何かが引きつって、手で揉みまわしたいようなもどかしさがある。自分の股間もおかしかった。むずむずして、変にぬらついている感じがした。何かに押し付けたくてたまらなかった。
 もしかして……自分は、これがほしくなってしまったんだろうか。
 女として?
 クリスタは戸惑いにかられて立ちすくんだ。さんざん老人たちに、してやるしてやると言われてきたから、それは男がするものだと思っていた。女のほうがしてほしくなるなんて、信じられなかった。
 このまま続けたら、興奮でどうにかなってしまいそうだった。少し落ち着こう、と自分に言い聞かせた。
 それで、清拭をすることにした。
 深呼吸を繰り返してから、海綿を手にして少年に触れる。今度はさっきみたいにせわしなくやらず、力をこめて摩擦した。垢を落とし、肌を清める。細腕にできる限りの力をこめて、ごしごしと懸命にこする。すると、少年の白い手足にもほんのりと血行が行き渡っていった。
 陽根に触れてしまったのだから、ためらっても仕方ない。少年のういういしい乳首も腋も、細い首も上気したうなじも、無駄な肉のない若々しい腹や背中も、まだ発毛していないつややかな太腿や脛も、すべて余さず洗った。ごしごしと丁寧に、意識しないよう努めながらも、献身的にこすった。柔らかな草のような金髪も念入りに泡立て、耳や鼻に湯が入らないようにすすいだ。
 それから――改めて、気持ちを確かめた。
 この子の達するところを見たい。それはもう、間違いない。否定しても仕方がない。
 でも、このままでは危険だ。自分が何をするかわからない。またがってしまいそうな気すらした。股がうずいてたまらないのだ。
 だから、そんなことができないようにする。
 少年をごろりとうつ伏せにした。お湯に顔がつかって溺れないよう、上半身を水辺に引き上げる。下半身だけを膝立ちで湯の中に残す。
 そして、白い丸みの間に、人差し指を当てた。
 少年の肌に、さっと鳥肌が立った。
 クリスタは彼の肛門を突いた。くむくむ、くむくむと。少年の体が無意識のうちにこわばる。きれいな桃色のすぼまりが、ぎゅっと締まる。
 ぞくぞくっ、とクリスタは背中が寒くなるような気持ちを覚えた。さっきの、可愛い、という感情がさらに鋭く強まったようだった。何かしたい。どうにかしてやりたい。壊したい、砕きたい、あるいは食べたい、という気持ちのようだ。
 その気持ちのままに顔を寄せて、薄い筋肉がついた滑らかな丘を、力を入れずに甘く噛んだ。
 あむっ……と。
「ふぁ」
 少年が鼻声を漏らした。谷間がゆるむ。それを見たクリスタは、人差し指をクッと伸ばして、差し込んだ。
 ぬるん……。
 滑らかに入った。石鹸を塗りつけたおかげで摩擦はまったく感じない。少年も目を覚まさなかった。
 そのまま、柔らかく敏感な体の中を、くむくむとこね回した。背筋の冷たい愉悦が、おそろしく強まった。今この子はこれ以上ないほど無防備で、自分の思うがままなんだ、という気がして、心地よい征服感を覚えた。汚いという感じはまるでなかった。
 ただ、それは単に衝動だけでやっているのではなかった。心のどこかの冷静な部分が、手順をきっちりと指示していた。その冷静な部分とは、エルギナに仕込まれたものだった。
 クリスタの養母は、男の精を搾るための手管を教えていった。だが、その中には今まで使ったことのないものもあった。あまりにもおぞましすぎたからだ。村の老人たちに対しては一度もやらなかったので、やってくれと求められることもなかった。それで幸いだった。たとえ求められても拒んでいただろう。
 そんな技が、彼らとは別の生き物のような少年を見ているうちに、自然に思い出されていた。
 クリスタは彼の肛門に忍ばせた指を、根元まで押し込んで慎重に何かを探した。やがてそれが見つかったような気がしたので、動きを止めた。
 コリッ。
「――ぁんっ!?」
 少年がまた鼻声を漏らした。両足に一瞬筋肉が浮き上がって、尻が小さく跳ねた。そこに間違いなかった。男の精の詰まった袋があるのだ。クリスタは別の手をするりと股間に忍ばせて、半勃ちだった陽根を再び握り締めた。
 そして、中と外から射精の仕組みをあやつり始めた。
 陽根は今まで見たこともないほど熱く硬くなっていた。しごいてくれと言わんばかりの形にどうしても興奮してしまって、やや激しすぎるほど手を動かした。内側の袋はもうがはっきりと見分けがついた。そこを指の腹でこすると、少年の尻が面白いほど敏感に跳ねた。
 左右の手指を一心に動かしていくと、少年が全身をもぞつかせた。肛門がひくひくとうごめき、クリスタの指を甘く締め付けた。
 逆手に包んだ陽根が限界までふくらみ、その根元のうねが、ぷっくりと浮かび上がった。
 次の瞬間、ぐっと少年が腰を前に突いた。うねがぎゅっとへこんだ。
 ぶびゅぅうぅっ、びゅぅぅぅっ!
 少年が射精した。まっすぐに陽根を突き出し、目を閉じたままのけぞって細い喉をさらして、湯の中の爪先をクイクイと引きつらせた。
 指に噴射が当たるのを感じた途端、クリスタも鋭い興奮に襲われた。本当の射精は想像したよりもはるかに激しかった。文字通り撃ち出されるようにして勢いよく出てくる。指がはじかれてしまいそうだ。しかもひと打ちだけでは終わらない。何度も何度も、終わることがないように出てくる。たちまち指が粘液にまみれる。あふれてこぼれて、びちびちとしぶきすら飛んでいる。指の股も手のひらも、手首までもがぬらぬらしたものに覆われた。あまりの驚きと興奮に、クリスタは胸の中で歓喜の悲鳴をあげた。
 すごい、すごい、すごい……っ!
 声が出そうになって、思わず少年の尻に強く顔を押し付けた。そして無我夢中で尻の中に指をねじ込み続けた。
 びゅるんんっ、びゅくぅっ……。
 何度放ったのかわからない。だがさすがに限界があったようで、やがて陽根が痙攣を終えた。手の中でゆっくりと縮んでいく。少年が激しい息を漏らす。
「はぁ……はぁ……」
 クリスタは指を抜き、包んでいた手を離して顔の前に戻した。白っぽい濃厚な粘液がたっぷりとからんでいた。傾けると、とろとろとこぼれ落ちる。信じられないほどの量だ。青臭い花の香りが鼻に入り、目がくらんだ。
 これが、男の子種……。
 それが少年のものであると思うと、とてもそのまま洗い流す気にはなれなかった。それどころか、見つめているうちに重大なことが頭に浮かんできた。
 この子は、女を孕ませることができる。ザントベルクが求めていた、授けびとが現れたんだ。
 調べなければいけない。これが本当にそうなのか。見た目だけの種無しの汁ではないのかどうか。そのための方法や小道具も、エルギナから伝授されていた。
 調べて、確かめるのだ。そして村長に報告しよう。
 クリスタはザバッと湯を蹴立てて上がり、大切なものを溜めた手のひらを掲げて、足早に段泉を出た。

 その後、クリスタは目覚めた少年と言葉を交わし、彼の名前を知った。やってきたヒーゼ村長が滞在を勧め、彼がそれを受け入れるのを見守った。
 そしてもう一度、今度は意識のある彼と、肌を交わした。
 クリスタがすべてを明かしても、彼は避けようとしなかった。自分のことを汚いといい、クリスタがそれを否定してやると、体を預けた。老人たちのように無理やり迫って来ることもせず、ただクリスタの愛撫に身を任せ、世にもかわいらしい声をあげて、また射精した。
 そのときクリスタは、生まれて初めての絶頂に達した。指一本ふれることはなかったが、それでも股間から体を貫く快感を味わったのだ。あまりに甘い快楽のために、少しの間忘我の状態になった。少年のそばに倒れて、うずく太腿の間をぎゅっと強く閉ざしていた。
 もしそのとき少年が先に意識を取り戻し、交わりを求めてきたら、とても拒めなかっただろう。言うがままに股を開いて子種を受け入れてしまったはずだ。
 そして清め手としての立場を失い、村の皆から罰を受けたに違いない。
 だが、そうはならなかった。彼が正気を取り戻したのは、クリスタよりわずかに遅かった。ほんの数分のことだったが、それでその後の数ヵ月が決定した。
 ヴィトリアス・ガドリッジは、日常の暮らしに疲れたり、他の女たちとの付き合いに倦んだときだけ、段泉を訪れるようになった。クリスタはそれを、清め手として落ち着いた顔で受け入れ、彼に触れ、手指を使って、一時の慰みを与えてやった。
 本当にしたいのは、してもらいたいのは、そんなことではなかった。

 一日がすぎ、夜が来て、村は闇と寒気に包まれた。清堂から谷間の村を見下ろすと、家々の灯火の他にいくつもの大きな明かりが焚かれていた。かがり火だ。夜陰にまぎれて「ガドリッジ」が動き回ることに備えているのだろう。見張りが立ち、捜索が続いているに違いない。
 一度、清堂の扉が叩かれた。トリーたちは警戒したが、相手はレスレ夫人――村長家の「若奥さん」――だった。彼女は応対に出たクリスタと二、三言話して帰っていった。
 手籠を抱えて食堂へ戻ってきたクリスタに、トリーは聞いた。
「なんだった?」
「差し入れですって」
「僕たちのことは?」
「もちろん聞かれたわ」
「心配してくれてるんですね……」
 プティが無邪気に感動して言ったが、トリーは返事をしなかった。クリスタも自分と同じような暗い顔をしていた。――今の訪問は、トリーが逃げ出していないことを確かめたのに決まっていた。今ごろ村長宅では、トリーの処遇をどうするかについて議論の真っ最中だろう。
 どんな結論が出るか、想像できるような気がした。
 石造りでがらんとした清堂は、夜がふけるにつれて冷えこんだ。火の気がないため、三人はすることもなく食堂で身を寄せ合っていた。あるとき、クリスタがふと思い出したように言った。
「何か方策がある、と言ったわね」
「え……?」
「朝方に。グゼナに方策があるって言っていたでしょう。エッサを封じるための」
「ああ」
「それはどんなことなの?」
「さあね。僕はあいつがどんな法術を使うのかよく知らない」
「じゃあ、でたらめを言ったの?」
「そうじゃないけど……」
 トリーは少し考えて、説明した。
「一般論としてなら、こういうことが言える。法術とは、導師が選んで契約したものを、肉体の延長として操る力だ。雲を自分の翼としていた天使の力の名残だと言われている。火なら火、木なら木で、この世に存在する何か一種の力しか操れない。操るにしてもいつでもどこでもそうできるわけじゃなく、選択したものの十分な量、そして準備が必要だ。世の中には、導師のことを、なんでもできる幻妙な秘術の使い手だと思っている人が多いけれど、それは間違いだ。出来ることは限られているし、その力自体、導師のものではなく選択したものに由来している。――ねえ、プティ?」
 トリーは横を見た。飴色の髪の少女が、「ん……はい」とぼんやりうなずいた。
 横手の椅子にかけているクリスタは、ささやいて先を促す。
「それで……?」
「法術を封じる方法はいくつかある。一番確実なのは選択したものを奪ってしまうことだ。火のないところで火の導師は無力だ。獣のいないところでは獣の導師はただの人だ。それで……エッサは砂の導師だった。砂がなければ何もできない。でも、砂はたいていの場所にあるから、その方法で封じるのは難しいね」
「他にも方法が?」
「これは、面と向かってから打てる手ではないけれど――契約の後退。導師が契約を取り下げたときか、あるいは契約をする前に襲ってしまえば、ただの人を討つのと同じことになる」
「トリー、あなたは……」
「クリスタ、君が今そういう立場だよ」
 トリーは、クリスタの言葉をさえぎって言った。「私……?」とクリスタが小首をかしげる。
「君はたぶん、水の導師に向いている」
「水の……」
「段泉の守護者だからね。なじみが深い。けれどもまだ契約を進めていない。先代に育てられたということである程度の段階にはいっているだろうけど、導師としてそれを自在に操るには、さらなる契約がいる。……契約というものは、一度済ませたらそれでおしまいというものじゃないんだ。というよりも、常に交わし続けて、深めていかなければならないものなんだ。その意味でも、肉体の鍛錬に似ている。ことあるごとに契約を続けることで、それは深まる。反対に、法術を使わなければ契約は消えていく。歩かずにいれば足が萎え、重いものを持たなければ腕が細るように……」
 トリーはクリスタを見つめて、言った。
「契約してみる?」
「私が?」
 クリスタは意外そうな顔をして、「いま?」とつぶやいた。
「いつでもいい。君が望むなら」
「別に望みはしないけど……それに、その話はおかしいと思うわ」
「どこが?」
「ただで強力な力を得られるというところが。そんなの、引き合わない。そんなことがあるなら……もっと世の導師は増えているんじゃないかしら。誰もが力を手に入れようとして」
「よく気づいたね。……それは、その通りだよ。法術には代償というものがある」
 トリーはため息をつき、疲れたような笑みを浮かべた。
「導師は契約で何を失うのか? クリスタ、なんだと思う?」
「命や、寿命や……心のようなもの?」
「天地の釣り合いさ」
 トリーは手のひらを開いて、あたりの空気をゆっくりかき回した。
「この世のすべては、自然に流れている。なんの意志もなく天然に。……けれども導師はそれを乱す。火の法を用いれば火はあたりを焼く。木の法を用いれば荒地に森ができる。大きな法術を用いれば用いるほどそうだ。そして大きな法術を使ったものは、必ず別の導師に目をつけられる。当然だね、一種の法だけが世を席巻すれば、他の導師は術が使えなくなるんだから。敵が増え、結託し、当の導師を抹殺する。……そうして釣り合いは保たれる」
「それだけ?」
「それだけ、というには大きすぎる代償だよ。少なくとも一人の人間にとっては。歴史上、法術を乱用して幸福を得た導師は一人もいない。大きな帝国が必ず滅びるように、強力な導師は残らず討たれた。そして今また、一人の導師がその列に加わろうとしている。エッサ・ガドリッジという男が……」
「あなたは私を、そんな導師に変えようというの」
 トリーは首を振り、微笑んだ。
「分をわきまえればそんなことにはならない、と言ってるのさ。君は大丈夫。というよりも、君はその程度の力を手に入れてもいいほどには、十分不幸せなんじゃないかな。変な言い方だけど」
「私には、それで幸せになれるとは思えない」
「ならいいんだ。言ってみただけだよ」
 トリーは食卓の上を手で掃くような仕草をして、話にけりをつけた。
 ことん、と肩にプティの頭が当たった。見ると、彼女はこっくりこっくりと舟をこぎ始めていた。ずっと気を張り詰めっぱなしで疲れたのだろう。トリーはクリスタに聞く。
「寝かせてやりたい。寝床を貸してもらえる?」
 プティに目をやったクリスタが、微妙に穏やかな目をした。
「いいわ」
 クリスタは燭台を持って部屋を出る。トリーはプティの手を引いてついていった。一人暮らしのクリスタの寝室は質素なもので、衣装入れの長持ちがひとつと、ベッドが一台あるだけだった。「すいませぇん……」と寝ぼけた声で言うと、プティはころりとそこへ横になってしまった。クリスタはその体にそっと毛布をかけ、首元にていねいにかき寄せた。
 それを見ていたトリーは、ぽつりと言った。
「やっぱり、君はこの子に優しいね」
 プティの顔を覗きこんでいたクリスタが、動きを止めて「そう見える?」と言った。トリーはうなずく。
「この子もいじめられていたから?」
「かもしれないわ」
「ここへ連れてきてよかった。どうせだから、君も一緒に寝てしまうといい」
 クリスタは振り向き、「寝てしまっていいの?」と聞いた。
「ああ。起きてたって、何ができるわけでもないしね。外の様子は僕が見ているよ」
 トリーは横手の床を見ながら言った。
 横顔にクリスタの視線を感じた。彼女はじっと見ている。トリーはこっそりと唾を飲みこむ。 
「それじゃ」
 背を向けて部屋を出ようとすると、ふわりと空気の動く気配がして、背中に温かいものが寄り添った。
 トリーは身を硬くする。耳元で低い声がした。
「ひとつ、頼みごとをしていいかしら」
「なに?」
「種を残していって。グゼナのところへ行く前に」
 トリーは肩越しに振り向いた。クリスタがどんな顔でそれを言ったのか見たいと思ったのだ。だが、壁龕に置かれた燭台は彼女の背後にあり、表情は影になっていた。銀の髪に縁取られた暗い顔の中で、瞳だけがほのかな銀青に輝いていた。
 トリーはかすれた声で答える。
「種?」
「ええ。あなたの種」
「それは……?」
「戦いに行くつもりでしょう、グゼナと」
「……」
「違うの? それとも逃げるつもりだった?」
 トリーは強く首を振った。が、それでクリスタの指摘を認めた形になってしまった。
 図星だった。夜陰にまぎれてグゼナを討てるかもしれないと思ったのだ。しかし勝ち目が薄いこともわかっていた。危険を予測しているからこそグゼナは大勢の傭兵を連れてきたのだろうし、こちらの手札はあまりにも少なかった。
「あなたは戻ってこないかもしれない」
 クリスタがささやき、顔を寄せる。花びらのように形のいい唇が薄く濡れて光っていた。
「せめてひとつ、残していって。プティにしたみたいに。してやったんでしょう、昨日」
「え?」
「この子、あなたの匂いがしたわよ……」
 左右から回された細腕が、トリーを抱きしめた。トリーは立ちすくむ。手は胸と腹に張り付いてから下へすべり、ローブの上から股間に触れた。丸めるように、そこをきゅっと包む。
「く……」
「あなたがここに隠しているものを」
 言いながらやわやわと揉み始めた。衣服越しの背中に乙女の体が当たる。二つのふくらみと、広く張った骨盤のあいだの温かな腹。誘っているように柔らかな肉。
 押し離すのは簡単なはずだったが、トリーにはそれができなかった。生きて帰れないかもしれない戦いに出て行くのに、このままでは寂しいと感じていた。クリスタがそれを察してくれたのなら、それに甘えたい、という弱い気持ちが湧いてきた。
 そんなトリーの気持ちは、隠したつもりでも態度にはっきり表れてしまった。棒立ちになって抱擁に身を任せる。勘のいいクリスタには、それですっかり通じた。「んん」と耳元に唇を押しつけて、彼女はいっそう強くトリーを抱きしめた。
 ひとつに重なった二人の影が、もぞもぞと妖しくうごめく。最初はまっすぐ立っていたそれも、次第に前へと折れ曲がり始めた。トリーは腰を引き、前かがみになっていく。それを逃さずに、クリスタも覆いかぶさるようにかがんでいく。
 股間に入った手の動きが、正確で直接的すぎた。次第にこわばっていくトリーのものをしっかりと包んで、布ごと腹のほうへ絞り上げるようにしてくる。股間が溶けてしまうようなしびれが生まれる。まともな思考がどんどん薄れていく。
 トリーは息を荒げ、「クリ……スタ……」とうめいた。このまま身を任せ続けたいという思いと、このままではもどかしいという思いの板ばさみになる。
「出そう?」
 耳元でクリスタが露骨にささやく。トリーは曖昧に首を振る。
「このままだと……」
「まだ出さないで」
 そう言うと、クリスタは身を起こしてトリーの肩を引いた。トリーはふらふらとそれに従う。
 だが、クリスタがしようとしていることに気づいて、驚いた。彼女はトリーをベッドに座らせようとしたのだ。――プティがこちらを向いて横たわっている、目の前に。
「ま、待てよ。ここじゃ……」
「なぜ」
 トリーをとんと押して、ベッドに腰掛けさせると、クリスタは尋ねた。向きを変えたので明かりが当たり、その顔に浮かぶ悲しげな色がはっきりと見えた。
「その子がいるから?」
「そうだよ。起きてしまったら……」
「起きているわよ」
 クリスタの言葉に、トリーははっと振り向いた。その直前、プティがぎゅっと両目を閉じたのがわかった。まだ眠っていなかったのだ。
「プティ……」
 プティは目を閉じたまま、小刻みに震えている。今のを見て、傷ついたに違いない――。
 だがそこへ、クリスタが声をかけた。
「プティ」
「……」
「聞こえているでしょう。ねえ、プティ。お願いがあるの」
「……?」
 おびえたようにプティが薄目を開いた。そんな彼女に向かってクリスタは言った。
「今だけ、授けびとを貸して」
「……ふぇ?」
「あなたたちがいつも愛してもらっていた、この人を。……私、ここからいつも見ていたの。牧童小屋の明かりや、ピオニー亭の明かりや、北の神殿の明かりを。トリーと他の女を照らしていた、明かりを」
「で、でも、清め手さまだっていつもトリーさまと……」
 プティが枕の上で頭を起こそうとすると、クリスタは悲しげに首を振った。
「なかったわ」
「……」
「私はいつも、トリーの外側に触れていただけ。トリーのほうから触れてもらったことは一度もない。そうしてはいけなかったら。プティ……それがどんな気持ちか、あなたにわかる?」
 プティが息を呑んだ。そっと毛布の中の自分の体に手をやる。その幼い唇が、かすかに震えた。
「わ……わかりますぅ。それ、それは……」
「わかってくれる?」
 こくりとプティはうなずいた。トリーは二人の娘の顔を見比べる。――清め手と、粉屋の娘の間に、何かはっきりしたつながりができたようだった。
 クリスタがほっとしたように息を吐いて、確かめるように 小首をかしげた。
 プティが、もう一度うなずいた。
 そしてそろそろと毛布を引き上げ、顔をそむけた。
「あたし、黙ってます。……トリーさま、あたしのことは、忘れててください……」
 そう言ってしばらくしてから、「い、今だけはっ」と付け加えた。
 トリーはため息をついた。前に目を戻すと、クリスタが膝を折ってしゃがみこんでいた。トリーを見上げて、小さく尋ねる。
「いい?」
 トリーはごくりと唾をのみこんで、うなずいた。
 クリスタがトリーのローブをかきあげる。成り行きに流されていたトリーは、そのとき、いつもと手順が違うことに気づいた。上ずった声で、「こ、このまま?」と聞く。クリスタが聞き返す。
「湯に入りたい?」
「だって、そうしないと……」
「だめ。――今ぐらい、このままさせて」
 そう言うと、クリスタはトリーの下着に指をかけた。させてだって? と疑問に思いながらも、トリーは腰を浮かせて彼女のするがままにさせた。
 隠れていたものがむき出しになった。釣竿のように高く起き上がっている。クリスタの眼差しがそこに突き刺さる。いや、刺さるというよりからみつくようだ。手でトリーの膝を開き、目を皿のように見開いて顔を寄せてくる。
「可愛い……」
 そうささやいて、顔を押し当ててきた。
 まっすぐな白い鼻筋と薄桃色の唇が、朱に染まった勃起の裏側に食い込んだ。ぞっと快感が走り、トリーは息を詰める。クリスタが目を細め、鼻の下を上下にこすり付ける。根元に深々と押し付けて、花の香りでも味わうかのように深呼吸した。すう、すう、と空気が流れる。ぶるるっ、と鋭く肩を震わせたのが、黒衣の上からでもわかった。瞳がじわりと濡れ、まっ白だった頬がほんのりと赤く染まってきた。
「匂い……すてき……」
 目の前の光景の卑猥さに、トリーは目が離せない。目が乾いて、何度も瞬きした。
 クリスタは唇を薄く開けた。幹の裏側に吸い付いて、ちゅむ、と畝を吸う。ちろちろと尖ったものが当たる。舌だ。舌で中のこりこりした管を確かめながら、じわじわと顔を上げてくる。いきなりの、強烈な愛撫だった。うずきが暴れて、トリーは足を跳ね上げそうになった。
「く、クリスタ、それっ……!」
「んふ……」
 クリスタは聞く耳を持たない。いっそう深く足の間に割り込んで、顔を斜めに傾け、横笛でも吹くような口使いで、裏側を執拗になぞり返した。前髪が先端をさらさらとくすぐり、額の金のサークレットが鈴口の切れ込みに触れる。
 幹が真っ赤にこわばり切って、いななくように天井を指した。トリーは後ろへのけぞって手を突き、あられもなくそこを突き出した。
「だめっ、だめだ、クリスタ、そんなにしたら、すぐっ……!」
「だめ、だめよ……もっと、もっと……」
 クリスタの声が上ずり始めている。裏側を楽しみつくした彼女は、熱に浮かされたような顔でそのまま頂上へ昇り、先端に唇をあてがった。待って、とトリーが言う前に、そのまま顔を進めてしまった。
 赤く染まった自分のものが、唇の中へぬるぬると消えていくのをトリーは見た。生温かい舌と歯と口蓋がそれを迎え、きゅうっと締め付けるのを感じた瞬間、彼女の頭を両手で必死につかんだ。
「クリスタ……っ! や、やめて! それ以上したら、このまま……っ!」
 唐突にクリスタが動きを止めた。トリーのものを包んだまま、唇と舌だけをやわやわとうごめかせる。トリーは絶頂の直前で宙吊りにされた。はっはっと速い呼吸をしつつ、なんとかこらえようとする。
 すると、幹の下にもぞりと感触が加わった。袋のところだ。細くしなやかな指がくにくにと揉みしだく。先端を愛撫されるのとは違う、むずがゆいようなもどかしい快感が生まれる。二つの快感に襲われて、トリーは自制を保てなくなる。足が勝手にびくびくと浮いて、体を支える両手から力が抜けそうになった。かくん、と後ろへ倒れてしまう。
 するとそこを、ふっくらとした柔らかなものに抱きとめられた。
「ト、トリーさまぁ……」
 後ろにいたプティだった。黙っていると言いながら、我慢できずに様子をうかがっていたらしい。責められているところを別の女に見られる羞恥に、トリーは息を飲む。ろれつの回らない舌で言う。
「プティ、だめ、み、見るなぁ……」
 プティの顔も真っ赤だった。口を震わせて命じるトリーを呆然と見ていたかと思うと、目を閉じてその肩をぎゅっと抱きしめた。
「み、見てないですからぁ。あたし、いませんっ。いないから、気にしないでっ」
 いないと言われても孕んだ娘の張り詰めた乳房が肩に当たる。自分の相手が誰なのかわからないような混乱にトリーは襲われる。股間にはクリスタがずっと吸い付いている。その唇も舌も、トリーの幹のつくりを調べつくすように、根元やくびれのところで細かく動いている。遠慮して動き止めたのではなかったようだ。そこをとことんまで味わいたい、という気持ちがあふれるほど伝わってくる。
 二人の女に上下を抱かれたままで、我慢し続けるのは不可能だった。トリーはせきとめ切れなくなって、あえいだ。
「クリス、タ……も、もう無理……っ!」
 その瞬間、ふっと刺激が消えた。クリスタが口を離したのだ。トリーは痛みを覚えるほどジンジンとうずいている勃起を宙にさらして、金縛りにかかったように動きを止めた。その一瞬に考えていたのは、うずきを放つことだけだった。
「クリスタっ……お願いっ……!」
 クリスタは夢見るようにうっとりした顔で、そんなトリーを見つめていた。そしてかすれ声で言った。
「たくさん出そう? トリー……」
「早く……!」
「出るのね……じゃあ、もういいわね」
「もういいって……?」
 ここでやめるのか、とトリーは思ったが、そうではなかった。クリスタは立ち上がり、黒衣の腰に手をかけた。するするとたくし上げていく。
 脚が現れた。透けるほど青白いすねに続いて、少し赤らんだ傷跡ひとつないひざが顔を出し、その上が見えた。太腿――誰にも見せたことがないはずの秘部だ。トリーの見たことのある三人の誰とも違う、細く滑らかではかなげな肌。
 そこまであらわにしたところで、クリスタはトリーの膝を閉ざさせた。両足をまたいで、勃起に股を寄せてくる。
 娘が黒衣の中の股間を押し付けるのを、トリーは魅入られたように見つめていた。
「ん……」
 かすかに眉根を寄せて、クリスタは腰を落とした。ぬらついた部分がトリーの先端に触れ、くちゅりと音がした。彼女は下着をはいていなかった。当たったのは娘の生のひだだった。
 それを感じた途端――限界の手前までいっていたトリーは暴発してしまった。
「う、あっ」
 びゅるるるっ……!
 溜まりきっていたものが、勢いよく噴き出した。放出の快感が脊髄を焼く。いったん出始めるともう止まらなかった。トリーはぐいぐいと腰を突き上げ、射精の続く勃起を、すぐ上のぬかるみにやみくもにこすりつけた。
「くっ、くうっ、んううっ!」
 足をピンと伸ばし、シーツを強くつかんで思い切り打ち出す。だが、そんな当て方ではとても目指すところに入らず、入り口をこすってあたりに粘液をぶちまけるだけになった。
「え、あっ……!?」
 クリスタが戸惑ったようにつぶやいた。あわてて腰を落とすが、それは幹を押しつぶすことになった。幹がぬかるみに押さえつけられてトリーの腹に張り付く。それが刺激となり、トリーはおしまいまで放出してしまった。
 びゅぷぅ、びゅっ、びゅ、びゅる……。
「くは……ああ……」
 放出のあとの虚脱と、狙いを外したという情けなさがあいまって、トリーは砂袋のようにぐったりと身を横たえた。肩を抱く手にプティがそっと力をこめたのを感じた。
「あの……トリー……」
 クリスタの困ったような声が聞こえた。目を開けると、腰にまたがったままの彼女が、目を伏せていた。
「もう少し、待ってほしかったわ……」
 彼女の言葉を聞くと、羞恥がさらに強まった。はあはあと胸を上下させながら、トリーは顔を背けた。
「ごめん……我慢できなかった」
 するとそのとき、「あのぉ……」とプティが遠慮がちに口を開いた。
「清め手さま、今のは、そのぉ……き、清め手さまが、わるいと思うんですぅ……」
「私が?」
 目を向けられるとプティは体を硬くしたが、それでも言った。
「する前にあんなにお口でいじめたら、がまんが利かなくなっても、しかたないです。あんなにしなくても、トリーさまはしっかりしてくれるんですからぁ……」
 そう言ってから、プティはわが子にするように、トリーの肩をなでた。
「トリーさま、すごくがまんしてました。……男の人って、出すの大変なんですからぁ、もっと大事にしてあげなきゃって、あたしいつも……」
「……そう」
 クリスタはいくぶん醒めた顔になって、身を引いた。まだ熱いままの彼女の股が、離れていった。
「私が浅はかだったのね。もっともっとかかると思ってた……」
 トリーは、ふと気づいた。彼女は男のことをよく知っているようで、実はぜんぜん知らないのだ、ということに。
 彼女が知っているのは感覚の鈍った村の老人たちだった。トリーにも何度か触れはしたが、いつも手だけしか使っていなかった。それも、例の指を入れる方法で、無理やり押し出すようにして始末をつけていた。そういうものだと思っていたのだろう。
 それなら、彼女が悪いわけではない。むしろ、慣れていると思って任せたままでいたトリーのほうが悪い。
 そう考えるとトリーは、彼女をこのままにしておくわけにはどうしてもいかないような気がしてきた。
「クリスタ」
 体を起こして、トリーは言った。
「脱いで」
「……え?」
「服を脱いで。君の体を見せてほしい」
「私の? ……そんな、嫌よ」
「どうして?」
 言いながら、トリーは自分のローブの留め金を外した。それを脱ぎ、チュニックにも手をかける。
「君は僕を何度も見たじゃないか。こういうのって、それだけじゃだめだよ。君も僕に見せてくれなけりゃ」
「そんな。関係ないじゃない」
「なくはないよ。僕が見たいんだ。見て、君の体を味わいたい。そんなことはしないって思ってた? そうじゃないよ。僕だって、君を見て、さわりたかったんだ……」
 上も脱いで、トリーは全裸になった。背後のプティが気になったが、強いて無視した。クリスタをまっすぐ見つめる。
 黒衣の清め手は、おびえたように自分の胸元をつかんでいた。トリーが初めて見る顔だった。トリーは手を伸ばして彼女の腕を取った。引き寄せて、黒衣の裾をつまんだ。
「さあ、これを」
「でも……」
「どうしても嫌かい? つらい? 我慢できない? それとも、単に恥ずかしいだけ?」
 クリスタが泣き出しそうに顔を歪めた。それがほんの幼い少女のように見えたので、トリーは驚いた。いつも仮面のような無表情を保っていたクリスタがそんな顔をするなんて、知らなかった。
「……やめる?」
 クリスタは、ぎゅっと目を閉じてしばらく立ちすくんでいた。しかし、トリーが待っていると、やがて黒衣の裾を握り、おずおずとたくし上げ始めた。
 先ほどのように足を見せ、そこで一度止まった。トリーは待つ。するとクリスタはぶるぶる腕を震わせながらも、さらに布を引き上げた。
 見えなかった場所がトリーの目の前に現れた。雪のように白い太腿と、肉付きの薄い下腹だ。その真ん中に、星雲のような淡い銀の茂みがあった。先ほどトリーが放った白濁にまみれたその奥に、濡れて血のように輝く赤い切れ込みが見えた。
「こ……これで、いい……?」
 声が激しく震えていた。顔を上げると、クリスタは熱に浮かされたように顔を赤くして、心細そうに唇をわななかせていた。
 あまりの変わりように、トリーの胸が騒いだ。手を伸ばして股間に触れると、クリスタは「きゅっ……」というような声を漏らして首を縮めた。猫のあごをなでる時のようにそこをくすぐりながら、トリーはさらに命じた。
「もっとあげて。脱いでしまうんだ」
「え、ええ……」
 クリスタはのろのろと黒衣をかきあげていった。危うげなほど細くくびれた腰に続いて、完璧なまでの丸みを持つ乳房と、小さく堅く立った赤い乳首が顔を出した。さらに、股間よりもさらに薄い銀のもやを溜めた腋のくぼみと、ミルクでできているように柔らかな二の腕まで現れた。トリーの背後でプティが息を呑む。
 黒衣を頭から抜き取ると、長い銀髪がはしからさらさらと流れ落ちた。とうとう全裸になったクリスタは、ぎこちない手つきで黒衣を丸めながら、顔を向けた。
「ぬ、脱いだわよ……?」
 トリーはため息をこらえて彼女を見つめた。
 きれいだろうとは想像していたが、ここまでとは思わなかった。クリスタの肉体にはおよそ筋張った筋肉というものがないようだった。輪郭には水の流れるようななめらかさと柔らかさが満ち、どこまでも細く白い。おびえて少し背を丸めているところまで、この上ないはかなさを感じさせる。
 そのくせ首筋や胸元には上気した紅色が乗り、内に燃える温かみをうかがわせる。乳房や腰には輪郭のはっきりした脂肪がついて、きれいな丸みを帯び、肌はぴんとつややかに張り詰めている。
「すごい……きれいだ、クリスタ……」
 そんな言葉しか出てこず、あとはまた息を詰めてトリーは見つめた。クリスタは手に持った黒衣を胸元に当てて、小刻みに震えながら懇願した。
「そんなに見ないで……私……」
 トリーは手を伸ばし、彼女の腰骨にかけて横を向かせた。腰の後ろにふれ、見たこともないほどくびれているそこを、すうっと撫で下ろして、尻に至った。「んくっ……」と息を呑むクリスタに、声をかける。
「君は、初めてのとき、僕にこうしたよね」
「え? ……あ、やっ!」
 トリーは顔を寄せ、はむっ、と尻に噛み付いた。びくん! とそこが跳ねた。熟す前の果実のようにかたい感じの尻に、甘く歯を立てる。「や、あっ、ああっ?」と戸惑うクリスタの声を聞きながら、つんと盛り上がった形のふくらみを口に吸い、手で揉んだ。指のあとが残りそうなほどつややかな肌の内側に、少しひんやりした肉が詰まっていて、握ると指が吸い込まれそうなほど柔らかく潰れ、彼女が声を上げるたびに、びくっ、びくっと硬くなった。
「おいしい……」
 ほのかに甘い汗の味がする肌に舌を滑らせながら、トリーは手を丸みの下へ動かした。美しい曲線の奥に暗がりがある。そこへ伸ばした指を滑り込ませると、じっとりとした温かい谷間が指を挟み、その奥の小さく引き締まったすぼまりが触れた。
「ト、トリー!」
 クリスタが悲鳴を上げ、黒衣を落として壁に手を突いた。膝がかくかくと震えている。トリーは取り合わず、さらに大胆に指を押しこんだ。足の細いクリスタは付け根に少し隙間がある。その隙間に尻のほうから手を差し込み、股間をゆっくりと撫で上げる。熱くぬかるんだひだに指が埋まり、たっぷりとしたぬめりが手のひらに溜まった。
「ひ……ひぃっ……やめて……!」
 クリスタが細い叫びを上げる。トリーは彼女の腰を抱えこんだまま、下から顔を覗きこむ。
「痛い?」
「ちがうっ……はずかしぃ……ぃ……」
 クリスタは泣き顔で強く首を振る。銀髪がさわさわと踊る。トリーはぞくぞくとした愉悦を覚えて、さらにささやきかける。
「ここに触ったことは?」
「そんなの……ないっ……」
「嘘はだめだよ。僕としてるときだって、服の上から触っていたじゃないか」
「じかは、じかはないのっ! お願いやめて、それっ……」
「こうしたかったんだよ、君は。これが今することなんだ、クリスタ」
「で、でも、でもっ……!」
 トリーは指をかぎに曲げ、ぬかるみの真ん中の谷に差しこんだ。潤みをたっぷりすくい出して、それを塗りつけるように尻のほうへぬるぬると撫で上げる。クリスタは「ひぃぃいんっ!」と甲高い鼻声を上げて、ぎゅうっと両肩を縮めた。二の腕にこまかな鳥肌が立っていた。
「クリスタ」
 トリーはたまらなくなって、立ち上がり、横から彼女を抱きしめた。むき出しの肌が密着して、ひと一人分の大きな温かみが腕に収まる。クリスタは抵抗せず、自分から身を預けてきた。トリーは彼女をしっかり支えながら、その急所をじっくりとまさぐった。
 トリーの腕の中で、クリスタの胸が激しく上下する。先ほどのトリーのように、はあはあと激しく呼吸しながら、クリスタが混乱したように首を振る。
「だめ、私、これじゃ何も、はあっ、はひぃっ!」
「いいんだって、それで」
 トリーは言いながらベッドに目をやる。すっかり興奮して自分の下腹に触れていたプティが、視線の意味に気づいてあわてて奥へ下がった。トリーはクリスタを抱え起こして、ベッドに横たえた。どさっと仰向けになったクリスタが、しどけなく両腕を投げ出してつぶやく。
「な、なに? きゃあっ!」
 トリーはその体に覆いかぶさった。胸を隠そうとする手を持ち上げて押さえつけ、乳房に口付ける。あの日陰の花のような甘い香りが、これまでにない濃さで鼻に流れこむ。仰向けになってもクリスタの乳房はつぶれなかった。形よく盛り上がったままでトリーの顔を押し返す。そこに唇を這わせ、乳首を口に含んだ。小さな初々しい感じの頂が歯の間でくっきりとこわばる。それをくすぐり、転がして、尖らせた舌でこりこりと押しつぶした。
「いっ、ひぃん、きぃっ……!」
 クリスタが歯を食いしばり、肩が浮くほど頭をのけぞらせる。痛む? と聞きかけて、そうではないことにトリーは気づく。逃げる気配がない。両腕を上にあげたままで、さらに体をさらそうとしている。それがわかって、トリーはもう片方の乳房も手におさめた。すっぽりと包み、回すようにこねて、指の間に乳首を収め、何度も軽く挟んだ。
「ひっ、いぃっ、はぁっ、トリーっ……」
 クリスタが体を寄せる。動きとしては大きくないが、あえぐ合間に目を向け、胸を浮かせるわずかな仕草でそれとわかる。もっともっと近づきたい、触れ合いたい、重なりたいと思い始めているのだ。トリーは顔を動かしてクリスタの腋に入る。ふっくりした二の腕の裏の、すらりとした筋の陰のくぼみ。クリスタはすっかり汗ばんでいた。鼻をこすりつけると、銀のかすみの中に潜んだ、甘酸っぱいほど濃い香りが嗅ぎ取れた。
「クリスタ、いい匂い……」
「ト、トリー!? いやっ、やぁんっ……!」
 悲鳴を上げて押し戻そうとするクリスタを押さえ、トリーはさっきの仕返しとばかりに味わった。
 それから唇を押し付けたまま肌の上をおりていき、乳房の丸みとあばらの畝を越え、下腹へ向かった。細腰を両手に収めて縦長のへそに口づけし、そこを過ぎてさらに下る。――さわさわとした茂みにたどりついた。それは透けるように薄くて、その下の赤みを隠す役には立っていない。
 そのときクリスタは足を伸ばしていた。トリーは横から覆いかぶさりながら、彼女の膝の裏に手を入れた。両足を持ち上げ、股を開かせる。
「はぁ、トリー、はぁっ……」
 クリスタは、顔を背けていた。だが、もう抗わなかった。トリーにされるがまま、白い太腿を左右に大きく開いて、中心をあらわにした。あふれたぬめりで、てらてらと光る腿の付け根の間に、小作りな感じの赤いひだが薄く開いて、白く濁った蜜をたたえていた。
 トリーはそこに顔を寄せ、口付けた。ひくん、とクリスタの膝が震えた。
「ひあ……やぁっ……!」
 クリスタの甘い鼻声を聞きながら、トリーはそこを舌ですくっていった。周囲に残っていた白い子種と、外側のひだの中に溜まっていた濃い蜜を舐め取ると、肉そのもののような深い赤に染まった奥の部分が見えた。舌を沈めると潮の匂いと味が湧き出した。内側のひだは耳たぶよりもずっと小さくて柔らかい。それが落ち着きなくひくひくと震えている。くぼみの上のはしの粒は、すっかり顔を出してつやつやと輝いている。トリーはそれを吸い、舌先で周囲を何度もなぞってやった。クリスタの細い体が、魚のように激しく跳ねた。
「ああっ……はふっ……ひぃんっ……」
「ああぅ……トリーさま、うぅ……」
 クリスタの嬌声に混じって、泣いているようなプティの声が聞こえる。ちらりと目をやると、彼女はもうすっかりこちらに見入って、スカートの下に入れた手を動かしている。目が合うと、なんとも複雑な泣き笑いのような顔をした。が、そんな自分を戒めるように強く頭を振って、すぐにこくこくとうなずいた。構わないから続けてほしい、と言いたいのだろう。
 嗜虐心がぞわぞわと湧き、トリーはことさらに見せ付けるようにして、体をずり上げた。すでに股間のものはさっきよりも激しく反り返っていた。
 クリスタの顔をうかがう。――清め手の乙女は、放心したように斜め上のほうを見上げていた。もう何をしても感じるだけになっているようだったが、トリーが手で勃起をあてがうと、察したらしく、ちらりとこちらを見た。
「クリスタ?」
 声をかけると、不安そうにトリーとプティの顔を見比べた。プティが、あはっと小さく笑って、彼女の手を取った。
「だいじょぶですよぉ。あたしだって、できたんですからぁ……」
 クリスタはまるで幼子のようにその手にすがりついて、顔を押し付けた。
 それを見たトリーは腰を動かした。ぬかるみの奥の入り口が見つかる。ぐっと体重をかける。「んんっ……!」とクリスタがプティの手に爪を立てた。
 わずかに行き止まりのような抵抗感があり――すぐにずるりとそこを抜けた。トリーは深々と呑みこまれた。熱さと締めつけが待っていた。奪って迎えられたことの心地よさが、ぞくぞくとトリーの背筋を這い登る。勃起が勝手にひくつき、ほとばしりそうになる。何か言おうとしたが、何も思いつかなかった。クリスタはプティの手にしがみついたまま顔も向けない。
 ただ、プティだけがクリスタの顔と二人の股間を見比べて、「しちゃった、ああ、入っちゃった……!」と、何か取り返しのつかないことが起きたような顔で、つぶやいていた。
 トリーは動きだす。クリスタの中は、腰を引くとそのまま吐き出されそうなほどの狭さだ。ひどく力がこもっている。「んっ、んっ、んっ……」とクリスタは息を殺している。トリーはひどいことをしているような気分になり、しかしそれが逆に心地よくて、動きを早めた。
 クリスタの両膝を胸の前に持ってくる。引きのばされた太腿が、二本の磨いた柱のように並ぶ。その付け根の、溶けてほぐれた火口のような入り口がトリーの張り詰めたものを呑みこんでいる。トリーは腰を押しつぶすようにして上からずくずくと突きこむ。プティがそこを食い入るように見つめながら、はじらいもなくスカートの中に片手を突っこんで、焦ったように動かしている。はだけたスカートの陰に、太腿までずり下ろした下着が見えている。
 トリーの背筋に、抑えようもない射精欲が高まってきた。だが、クリスタはまだ顔を隠してうめいている。このままでは何かいけないような気がして、トリーは寸前で動きを止めた。つながったままクリスタの足を開かせ、背中と頭に腕を回して強引に起き上がらせた。
「はあっ……!」
 クリスタはすっかりもうろうとした顔になっていた。口をだらしなく開け、銀青の瞳をうつろに曇らせている。顔にかかるくしゃくしゃになった銀髪をかきわけて、トリーはその目を覗き込んだ。
「クリスタ、クリスタ!」
「はぁ……トリー……?」
「まだ痛い? つらいの?」
「わかんない……もう、ぐちゃぐちゃ……」
「もうすぐだよ、ほら!」
 膝の上でクリスタの尻をつかんで揺さぶり上げ、ぐいと深く突いた。向かい合う姿勢になったのでしっかりとクリスタの体重がかかり、肉の奥に先端が突き刺さる。人形のようになっていたクリスタが「ひんっ!」と白いおとがいをのけぞらせた。その体をトリーは抱きしめる。
「動いて、クリスタ」
「うご、く?」
「僕も出すから、君もちゃんと受け止めて。君が言い出したことだよ、ほら……!」
 弾力のある尻の丸みを両手でつかんで手伝うそぶりをしてやると、クリスタはぐっと息を飲み込んでから、トリーの首に腕を回して、両膝をシーツに立てた。トリーはゆっくりと持ち上げ、ずり下ろす。するとクリスタも、自分の力で体を上げ、股間を押し付けた。
 二人の体の中心で、二人の動きのために、硬いものがねっとりとこすれあった。さざなみのように背中を震わせて、クリスタが熱い息を吐いた。
「トリー……わかる、あなたのが、ある……」
「クリスタ」
 二人は最初ぎこちなく、やがて激しく体をゆすり始めた。クリスタの白い体がトリーの腕の中で跳ねる。汗まみれになった乳房がぬるぬると胸の上を滑る。と思うとクリスタが動きを止め、ひねりこむように淫らに股間を押しつける。トリーを根元まで呑みこんだぬかるみが、意志があるようにきゅう、きゅうとひくついた。
「入ってる……トリーが、こんなに深く、中まで……!」
「そうだよ、クリスタ……」
「うう、トリーさまぁ……」
 置いてけぼりにされたようなプティの声が耳に届く。普段ならかわいそうに思っただろうが、彼女には昨晩同じことをしてやったのだ。今はむしろ小気味よく聞こえた。
「トリー」
 クリスタが強く肩を抱きしめて、耳に噛みついた。手加減しているのだろうが、痛いほどの強さだった。腰を小刻みにせわしなく上下させる。濡れた音が上がって、トリーもとうとう我慢できなくなった。
「クリスタ……っ!」
 ひときわ高くクリスタが腰を浮かせた次の瞬間、彼女の腰の裏を思い切り引き寄せて、トリーは打ち放った。
 びゅるぅっ! びゅるびゅるびゅるるるっ……!
 溜まりきったものがまっすぐにほとばしる。針のように鋭い快感が点滅する。抱きしめた娘の重く甘い体の奥に、音を立てて流れこみ、どぷどぷと満ちていく。
「……っ!」
 クリスタは声を上げなかった。その代わりに全身をこわばらせた。押し付けた頬に、首に巻いた腕に、もたれかかる胸に、潤んだ下腹とトリーをまたぐ太腿に。
 細い体からありったけの力をしぼり出して、トリーに抱きつき、迎え入れた。トリーがひと打ちひと打ち放つたびに、きゅう、きゅうとその力が高まった。
「あ、ああっ……!」
 溶け合うようなクリスタとの絶頂の中で、プティの最後のひと声が聞こえた。
 長く尾を引く射精の快感のあとで、トリーはゆっくりと落ち着きを取り戻していった。姿勢はまだ崩せない。クリスタが、そういう形に作られた彫像のようにしっかりと抱きついている。押し付けられたぬかるみが、貪欲なまでにしつこく、ひくひくと吸引している。無理やり首を回して横顔を見ると、彼女は目を閉じて歯を食いしばったまま、小さく痙攣していた。その頭の中は、強烈な快感の余韻でいっぱいになっているのだろう。
 時間がたつにつれて、抱擁がゆるんでいった。脇に手を入れて引き離すと、だらりと死体のように腕を垂らした。支えながらそっとベッドに横たえる。張り付いたようにつながっていた下腹がようやく離れて、トリーのものが抜けた。ぽっこりと丸く開いた赤い口が、呑みきれなかった白濁を一筋こぼしながら、ひくひくと閉じていった。
 そうやってはしたなく股を開いて横たわってもなお、クリスタは美しかった。白い肌をゆで上がったように肌を上気させて、ぐったりと全身を弛緩させた彼女に、トリーはしばらく見入っていた。
 横を見ると、頭をこちらに向けた姿勢で、プティも似たような放心状態に陥っていた。こちらは着たままで下半身だけをあらわにして、尿意を抑えるように両手を股に突っ込んでいる。顔は真っ赤で、大きく開けた口から、湯気の上がりそうな吐息をはあはあとこぼしている。まるでクリスタと同時にトリーに抱かれたような有様だ。トリーは飴色のふさふさした髪に手を突っこんで頭を撫でてやった。
「プティもいったんだ?」
「もう、もう、トリーさま、すごかったですぅ……」
 当てられた手に頭を押し付けながら、プティが子犬のように鼻を鳴らして言った。
「清め手さまをあんなにがくがく突いて、清め手さまもぎゅうって抱きついて、それで最後にびくんびくん震えてぇ……見てるだけで、いっぱいいっぱい、もらってるってわかって……あたしもう、自分が出されたみたいで、ぽーんってとんじゃいましたぁ……」
「ふふ、プティはほんとに可愛いな」
「でも、なんかここが痛かったですよぉ」
 胸を押さえて泣くような顔でプティは言った。トリーは顔を寄せて小声で言った。
「いちばん最初にしてあげたじゃない。忘れてないよ」
「ふぁ、トリーさまぁ……」
 トリーはプティから手を離して、クリスタの顔を覗きこんだ。彼女はまだ苦しげな顔で、荒い息をついていた。だが、顔にトリーの影がさすと、気づいてうっすらと目を開けた。
「トリー……」
 トリーは何も言わずに髪を指ですいてやる。クリスタがどこかに触れようと腕を持ち上げたが、途中で力尽きたように、ばたりと落とした。
「だめ……起きられない」
「いいよ、休んでて。疲れたんだろ」
「体が燃えて、灰になったみたい……なのにすごくふわふわして……気持ちいいの」
「そう。それ、よく覚えておいてね」
 トリーはベッドを降り、床に落ちていた黒衣を拾ってクリスタの体にかけた。それから自分の衣服を小脇に抱えて、出て行こうとした。
「待って!」
 二人が同時にそう叫んだ。トリーは振り向いて笑った。
「湯を浴びてくるだけだよ」
 ベッドに身を起こそうとしていた二人が、不安そうな顔をしている。それを目に焼き付けて、廊下に出た。
 段泉の間で体を清め、服を着た。そして寝室には戻らず、食堂の窓から外に出た。
 夜風が冷たかった。もうすぐ冬だ。トリーはローブの襟元をしっかりかきあわせ、右手にタカアシドリの杖をしっかり握る。眼下にザントベルクの村明かりが見えている。
 これが見納めかも知れないと思い、しばらくたたずんで眺めた。
 すると、少し離れた暗がりから、押し殺したような声が飛んできた。
「トリー?」
 緊張を帯びた声に聞き覚えがあった。トリーはそちらへ行き、道端のやぶの陰に入った。思ったとおり、そこには猟師の娘がいた。しゃがんで顔を付き合わせる。
「クローマ」
 クローマ・ヴァイオルは猟に出るときの姿をしているようだった。動きやすいシャツと胸当てに、腰から膝までをぴったりと覆うスパッツ。長く細いものを握っている。弓だ。寄り添うと、ハーブを思わせる澄んだ汗の香りがした。走ってきたらしい。
「無事だったんだね。神殿に傭兵たちが来なかった?」
「来たわよ、何事かと思った。でもうまく逃げたわ。この谷であたしを捕まえられる人間なんかいやしない。あとでこっそり村長の家へ行って、今まで様子を見ていたの」
「じゃあ、どうしてここへ?」
「先回りしてきたの。もうすぐ、ここへあなたを捕まえる連中が来るから」
「そう決まったんだね」
 トリーが言うと、闇の中でクローマが激しく首を振った。
「違うのよ。一部の男だけが勝手に決めたの。もう三人も子供ができたんだから、授けびとは用済みだなんて言って。冗談じゃないわ、トリーはもうとっくにこの村の人間なのに」
「君は反対してくれたんだね」
 顔をほころばせてから、ふとトリーは今の言葉を聞きとがめた。
「三人?」
「……あたしよ」
 感情のこもった震え声がしたかと思うと、引き締まった体が太い縄のようにするりと抱きついてきた。
「あれが止まったの。きっとあんたの子が出来たんだわ。あたし、産むから。あんたの子供、立派に育てるから。だからあんたも、そばにいてよ」
 トリーは言いようのない嬉しさを覚えて、彼女を抱き返した。するとクローマが、くんと鼻を鳴らしたかと思うと、首筋に鼻を押し付けた。すんすんと音を立てて嗅ぐ。
「何これ。いつもと違う……あんた、まさか」
「ああ」
 トリーはうなずき、ちらりと清堂を振り返った。
「多分、四人になるよ。子供」
「こんなときに……」
 クローマはあきれた顔をしたようだった。トリーはわざとこともなげに言った。
「最後の機会かもしれなかったからね。それに、クリスタが清め手をやめたがっていたから」
「孕ませてしまえば、やめるしかないから? そんな理由で子供を作るなんて!」
「それを言うなら村のために子供を作ること自体が勝手じゃないか。子供の幸せなんか考えてない。――いや、よそう。いま話すようなことじゃない」
「……そうね」
 クローマは一応、そう返事をした。――だが相当不満だったらしく、やにわにトリーの唇を奪うと、舌を突きこんで激しく口づけしてから、迫力のある口調で言った。
「あたしは! あんたの本当の姿を知ってて、それで好きになったんだからね? 忘れないでよ?」
「……わかってるよ」
「あたしだってクリスタはかわいそうだと思うわよ。でも、だから子供を作るなんていきなりすぎるわ。もっと時機を見てすればいいのよ……」
 なおもクローマはぶつぶつ言った。それがなんだか少女の愚痴じみていて、年上の彼女らしくなく、トリーはこんなときだというのに少し笑ってしまった。
 その笑いも、途中で飲みこんだ。村のほうから、松明を持ったいくつかの人影が登ってくるのが見えたからだ。クローマが気を引き締めた口調で、「連中だわ」と言った。
 トリーは捕り手を観察する。傭兵と、それに村の老人も数人いるようだ。すると、かたわらのクローマが弓を握る気配がした。トリーは手を当ててそっと制止した。
「だめだ」
「どうして? 見たとこ五人程度だわ。あなたとあたしなら、やれない数じゃない。少しずつやっていくしかないんじゃない?」
「村の人もいる。手にかけるわけにはいかない」
「あんたを売ろうとしているのよ!?」
「彼らを止めなかったって言うことは、他のみんなも同じ意見なんだろう?」
「違うってば、どうしたらいいかわからなくて、黙っていただけで――」
「どっちにしろ僕は村を二つに割るつもりはない。村のみんなに受け入れてもらうか、みんなと別れるかの、二つに一つだ。そのためにグゼナを倒すつもりでいる」
「グゼナを? 傭兵たちじゃなくて?」
「グゼナがすべての元凶だ。後の連中はグゼナがいなくなれば散り散りになってしまうよ。――忘れてた、ナオさんはどうしてるか知らない? 人質になっていると困る」
「……無事よ。そう言ってよければ、だけど。やつらの食事係みたいなことをやらされてる。乱暴はされていないわ」
「あまり無事とはいえないな。それだと、いざってときにすぐ人質にされる……」
「どうするつもりなの? 何か方策があるの?」
 答えず、トリーは別のことを言った。
「クローマ、君は、機会が来たら他の子を守ってほしい。機会は僕が作る」
「何か考えてるなら、いま教えて」
「だめだ、説明する時間がない。こうとだけ言っておく。――君の助けは、もう受けた。それで十分だよ」
「トリー!」
 それ以上クローマに何か言う間を与えず、トリーは立ち上がった。北の神殿にいるはずの彼女は唯一の心残りだったが、これでそれも片付いた。
「僕はここだ!」
 捕り手はすぐ先まで来ていた。傭兵が三人に老人が二人だ。彼らの松明の光の前に、トリーは姿を現した。おっ、と先頭の老人が声を上げる。
「ようやく出てきやがったか、この生意気な若造め」
 メルクだった。トリーの姿を見て卑しい笑いを浮かべる。
「よそ者のくせに娘たちに片っぱしから手をつけやがって、よくもまあ好き勝手やってくれたな。それも今夜でおしまいだ。この人らと一緒に、さっさと出て行け!」
 そう毒づいたかと思うと、さりげなく傭兵たちの後ろへ下がる。自分の身を危険にさらすつもりはまったくないようだった。トリーは冷ややかに言う。
「あんたも授けびとだったなら、実力で敵を追い払うことぐらい、考えてみたらどうなんだ。この村に入れたってことは、昔はそれなりに達者だったんだろう」
「やかましい、減らず口ばかり叩きやがって。実力で追い払えだ? そんなことができるもんか!」
 唾を飛ばしてわめいたかと思うと、一転して卑屈な調子で、彼は傭兵に言った。
「さあ、ギャノンさん。やつを連れてってくださいよ。あいつはいけすかねえガキで、みんな嫌ってたんだ」
 トリーは今まで彼にいくらか同情していたが、これでその気持ちもきれいさっぱり消え去った。
 大剣を背に負ったやつと、短弓を手にしたやつの間から、頭に布切れを巻いた壮年の男が前に出てきた。中ぐらいの長さの剣を腰に下げ、左手に使い込んだ手甲をつけているだけで、これと言って体が大きいわけでも着飾っているわけでもない。傭兵たちの中ではいちばん目立たない姿だ。
 だが、さっきから左右の闇に目を飛ばし、右手をわずかに浮かせていた。場数を踏んだ戦士に特有の、自然体でいながら隙のない態度だ。何が起こっても、次の瞬間には剣を抜いて的確な反応をしてみせることだろう。トリーは緊張した。
 そいつのほうでは、トリーを見てやや戸惑ったようだった。十歩ほど先から、声をかけてきた。
「エッサ・ガドリッジか」
「ヴィトリアス・ガドリッジだ。エッサとは違う」
「どっちでもいいが、なぜ出てきた。きさまは一人で城ひとつ落とせる使い手のはずだ」
「そう思うなら、なぜたったこれだけの人数で来たんだ」
 ギャノンと呼ばれた傭兵は、沈黙した。トリーは彼の内心を推し量る。危険な導師の前に策もなく出てくるような馬鹿には見えない。となれば――。
 トリーはぐるりと周りの闇を見回して、うなずいた。
「そういうことか」
 ギャノンがかすかに笑った。
「気づいたか。エッサかどうかはともかく、ただのガキじゃないな、きさま」
「へえっ?」
 メルクがよく飲み込めていない様子でおどおどと周りを見回す。トリーはことさらに大声で言って足を踏み出した。
「取り越し苦労だ、ギャノン。僕はあんたたちと戦うつもりはない。グゼナに会わせろ」
 茂みのクローマが気になっていた。じっと伏せていれば見つからないだろう。そうしてほしかった。
「もちろん連れていく。だが杖は寄越せ。それと……」
 ギャノンが片手を軽く挙げて清堂を指差すと、二人の手下がそちらへ向かい、窓から中に潜りこんでいった。トリーは怒鳴る。
「クリスタに手を出すな!」
「クリスタと、それにプティという娘もいるはずだな。二人は預かる。ガドリッジ、女たちが大事なら従えよ」
 何でもお見通しだといわんばかりにギャノンは言った。
 清堂から悲鳴が聞こえ、やがて二人が傭兵たちに連れ出されてきた。
「わかった」
 トリーは杖を足元の砂に投げ出した。  
 三十人以上の傭兵がわらわらと闇の中から現れ、トリーを囲んだ。


  第七章  ザントベルクの授けびと


 かがり火の焚かれた村の四辻に木の台枠をしつらえて、奇妙なものが置かれていた。両端の尖った細長い小船だ。トリーは、その前で止められた。
「待ってろ、小僧」
 ギャノンが言い、ピオニー亭へ向かった。トリーは傭兵どもに囲まれたまま、その船をしげしげと見つめる。背伸びして中を覗くと、水がいっぱいに貯められていた。
 とたんに、そばにいたやつに頭を殴られた。
「触るんじゃねえ!」
 どっと倒れたトリーは、地面にもたっぷりと水がまかれていることに気づいた。見回せば、四辻の地面全体が泥沼のようになっていた。
 泥まみれになって起き上がる。周りの傭兵どもがにやにやと笑って見ている。中の若い奴が、トリーの肩口を蹴って、場違いな、くそ真面目な顔で言った。
「なあ、小僧。おまえ腕利きの導師じゃなかったのか」
 トリーは答えない。若いやつは背後に目をやり、仲間が捕まえているクリスタとプティの二人を見て、トリーに目を戻した。
「おまえ、この村の種馬なんだってな。あっちのおぼこっぽい可愛い娘、あれ、おまえが孕ませたんだろ。それに隣のも。病気持ちだって聞いたが、上品そうで素敵な子じゃねえか。しかも、宿の女将もだってな。あんな美人の後家さんにまで手を出すとは、ひでえやつだ。人間としてどうなんだ、え?」
 しかつめらしく説教しながら、そばにしゃがみこむと、若いやつは不意にからかうように顔をにやつかせた。
「……で、どんな味だった? うまかったか?」
 ドッと傭兵どもが笑った。若いやつも笑い、起き上がろうとしたトリーを笑いながらまた蹴った。
「畜生、うまくやりやがって。替わってもらいてえぐらいだ、畜生、この色ボケ小僧が! ほらよっ!」
 さらに一度、勢いよく蹴りつけられたトリーは、泥の上を転々と転がり、小船の台枠の下まで滑り込んだ。地面を手でかいてもがきながら、かろうじて立ち上がり、まわりの連中の頭越しに、周囲を見回した。
 四辻を囲む家々の戸口や窓から、人々たちがこっそりと様子をうかがっていた。彼らに向けてトリーは叫んだ。
「ザントベルクの村人たち! これが見えるか! こういう連中が約束を守ると思うか! 僕を引き渡したって、こいつらは出て行かないぞ!」
「やかましいや、くそガキ」
 別のやつがさらにトリーの背中をどやしつけ、前のめりに転ばせた。
 傭兵たちの扱いなど、トリーは気にならなかった。それよりも重要なのは村人たちの態度だった。彼らに見捨てられたままではどうしようもない。なんとかして、出てきてもらいたかった。
 だが、四周の人々はトリーの叫びを聞くと、逆にそっと扉を閉めてしまった。トリーは落胆して泥の上に這いつくばっていた。
 ――授けびとなどと呼んでもてはやしたのも、しょせんは子孫をつなぐための道具に過ぎなかったということか。メルクにそうしたように、用が済めば付き合いをやめて、老いさらばえるままにするつもりだったということか。
「くそっ……」
 起き上がる気力もなくうつむいていると、傭兵たちが少し距離をとった。顔を上げると、少し先に、腰の曲がった驚くほど高齢の老婆がたたずんでいた。
 グゼナ・ギルデンツュングは、ギャノンを隣に従えて、青銅カマスの脊椎の杖を顔の前に縦にかまえ、食い入るようにこちらを見つめていた。深いしわにうずもれた両目がカッと見開かれ、不気味な輝きを放っていた。
「疫砂(エッサ)よ……久しくまみえなんだな……実に、実に久しいわ……」
「グゼナ……」
 トリーはよろよろと立ち上がり、首を横に振った。
「前にも言ったはずだ。僕はその男じゃないと」
「少しばかり姿を変えたところで無駄だ、エッサ。おまえの顔はわしのまなこの底に焼きついておるわ。こうして再びまみえたからには、是が非でももう一度、エフメフへ連れてゆくぞ」
「連れていく? どういうことだ、エッサは一人でインデホンフへ向かったんじゃないのか?」
 老婆はニイッと口の端を吊り上げ、喉の奥からごろごろと不気味な音を漏らした。とてもそうは聞こえないが、笑ったようだった。
「下手な空とぼけに付き合うひまはないわ。姿を明かさぬというなら暴き立ててやるまでよ。ギャノン! きゃつを痛めつけてやるんだ。正体を現すまでな!」
 かたわらの傭兵頭を見上げて老婆は命じた。ギャノンはわずらわしそうに眉をひそめたが、トリーに向かって軽くあごをしゃくり、「やれ」と言った。
「へっへ、ちょっと先走っちまったな」
 言いながら、先ほどの若い傭兵が腕をしごきながら前へ出てきた。大振りの拳をトリーに叩きつける。トリーはそれを飛びすさって避けたが、若いやつは囮だった。背後から別のやつの一発をガンと食らって、前に突っ伏した。数人が周りを囲み、蹴りの乱打を浴びせてきた。
「さっさと正体出せよ!」「いつまでもとぼけてんじゃねえ!」
 重い靴先が脇腹や腿に食い込む。頭をかばおうとした手の甲を蹴られて、ビキッと嫌な痛みが走った。「があっ!」と苦痛の声を上げてトリーは手を抱え込む。さらに激しい蹴りが続き、腕にもあばらにも鋭い激痛が走った。
「やめて!」
 悲鳴が上がる。プティの声だ。それに加えてもう一人、「やめて、やめて! グゼナ、なんてことをするの!」という叫び声も聞こえた。
「やめな!」
 とグゼナの怒声が響いた。傭兵たちが唾を吐きかけて引き下がる。トリーがかろうじて顔を上げると、駆け寄る女の姿が見えた。ナオだった。
「トリー! だいじょうぶ? ああ、ひどい……」
 ナオはそばにしゃがみこんで、トリーを抱き起こそうとする。トリーはそれを邪険に振り払った。
「出てきちゃだめだ、ナオさん!」
「だって、こんなの見ていられないわよ!」
「いたぶった程度では埒が明かないようだね」
 含み笑いをしているような低い声が聞こえた。はっとナオが振り返る。グゼナが邪悪な笑みを浮かべて、ナオに指を突きつけた。
「おまえたち……この女をやっちまいな。それにそっちの、悲鳴を上げた小娘もだ」
「グゼナ!? ど、どうしてそんなこと……」
 ナオが驚愕する。グゼナはほとんど歯の残っていない洞窟のような口を開けて笑った。
「おまえたちはわしのものだよ! わしの谷の働き手だ! どうしようとわしの勝手なんだ!」
「ひどい……!」
 絶望に目を見開くナオに、背後から手がかけられる。「ひっ!?」と振り向いた彼女に、傭兵たちが顔を突きつけた。
「悪いなあ、女将さん。メシまで作ってもらったのにな」
「気が進まねえが、何しろ仕事だからよう……」
 言いながら襟元に手をかけ、傭兵たちは乱暴に左右へ引いた。カートルが一気に裂けて、張り詰めた大きな乳房があらわになった。
「きゃあっ! や、やめて!」
「暴れるんじゃねえ!」
 辻の反対側では、別の連中がプティの服を引き裂き、クリスタまで脱がせようとしていた。「やだっ、いやああ! やめてぇっ!」とプティが身をよじって泣き喚いた。クリスタは蒼白になって、声も出ない様子で必死に抵抗していたが、大剣の大男に横っ面を思い切り張られて、地面に転がった。
 トリーは呆然として、尻もちをついたまま後ずさっていった。クリスタに馬乗りになった男がさらに何度も顔を殴りつけ、別の男が荷物の梱包でも開けるように、ナイフで黒衣を切り開いていく。さっき肌を合わせたばかりの白い脚がむき出しになる。プティは二人がかりで腕を押さえられて、膨らんだ腹を靴底で踏みつけられ、「だめっ、だめぇーっ! 赤ちゃん潰れちゃうっ!」と狂ったように喚いている。
 トリーの目の前でも、上半身裸で泥土に押し倒されたナオが、脂ぎった顔の太った男にのしかかられていた。「い……やぁ……っ」と閉じ合わせようとする両足を、力ずくでこじ開けられ、スカートを腹まではだけられる。「いやあっ!」とのけぞったナオが、トリーを見て泣きながら叫んだ。
「助けて、トリー、助けてぇ!」
 トリーはずるずると後ずさり続け、どんと背中を小船の台枠にぶつけた。その下の地面だけは湿っていない。打ち水が届いていないのだ。そこに後ろ手に両手を突っ込み、早口で叫んだ。
「ル・ザン・コーベルトー・ガーネルヴァル・ウル・エネマイ!」
 そして、両手に握った砂を、前方へ投げつけた。
 砂の粗い粒子が、ばらっと扇のように広がって落ち、空中にもやもやした細かなほこりが残る。傭兵どもは一瞬そちらに目をやったが、すぐに嘲笑を浮かべる。トリーがやったことは、追い詰められた少年の無駄なあがきでしかなかった。少なくとも、最初はそう見えた。
 トリーは両腕を前に差し出し、砂を投げきった姿勢のままで凍り付いている。風に流された砂埃が、ゆっくりと四方に広がっていく。
 それが傭兵たちのところまで届いた――その途端に、悲鳴が上がった。
「うわっ!?」「目、目が」「なんだ、こりゃあ!?」
 痩せ男が、大剣の男が、弓使いが、両目を手で押さえてもがく。残りの連中がいっせいに殺気立った。「何をしやがった!」と怒鳴ってトリーに武器を向ける。
 トリーは体の痛みによろけながら立ち上がり、精一杯力を込めた声で、「その子たちから離れろ!」と叫んだ。
「毒の砂だ。目が見えなくなってもいいのか?」
「野郎っ――」
 別の弓使いが、俊敏に矢をつがえて放とうとした。その瞬間にトリーがそちらへ指を向けて叫んだ。
「ウル・エネマイ!」
「ぎゃっ……!」
 弓使いがのけぞる。矢は斜め上に向かってひょうと放たれ、夜空へ消えた。
 ざわつく傭兵たちに、トリーはさらに叫んだ。
「もう砂埃はこの場に満ちている。指一本でも動かしてみろ、目玉を焼くぞ!」
 傭兵どもは沈黙した。ぎらぎらと目ばかり光らせてトリーをにらむ。険悪な雰囲気が満ちた。
「トリー……あなた……」
 ナオが呆然として見上げる。プティも涙に濡れた目を見張っている。それだけではなく、四辻の周囲から覗いている村人たちも驚愕したのがわかった。トリーは目を合わせないようにして、敵だけをにらんだ。
 辺境の人々が導師のことをどう思っているかは、昼間のプティの反応を見るまでもなく、よくわかっていた。ましてやグゼナがさんざん言い立てた後だ。きっと、今の瞬間、恐ろしい邪悪な使い手だと思われたことだろう。
 今の状況では、それも仕方ない。――みなを救うことのほうが大事なんだ、とトリーは自分に言い聞かせた。
 紙袋をしぼったような乾いた笑い声がした。グゼナだった。グゼナは杖をこちらに向けて、愉快そうに言った。
「そうら、そうら、やっぱりだ。おまえじゃないか、エッサ。それはフランクルドで九万の兵の目を潰した砂霞(スナガスミ)の術。おまえが別人だというなら、なぜモーグに譲られたその法術を持っている?」
「おまえの知ったことじゃない、こいつらを連れてさっさと出て行け!」
「どうするね? 男どもすべての目を潰してしまうかね? やるがいいさ、死体の山を築くがいい!」
「グゼナ」
 老婆の狂乱に、冷ややかな声が水をさした。ギャノンが腰の剣の柄に手をかけてグゼナをにらんだ。
「こんな話は聞いてねえ。俺たちを使い捨てにするとはな」
「なんだい、下っ端が一握りやられたぐらいでおびえるんじゃないよ」
「ふざけるな、貴様がそういうつもりなら、こっちはこうだぞ」
 ギャノンはすらりと剣を抜いて老婆に突きつけた。驚くかと思いきや、老婆は顔をくしゃくしゃにして笑い、言い返した。
「肝っ玉の小さい男だね! まあ、見ているがいいさ。このために支度をしたんじゃないか」
 そう言うと、老婆は身を縮め、いきなり駆け出した!
 柳のように腰の曲がった老婆だとは思えない、身軽ですばやい動きだった。誰もが虚を突かれた。前かがみのまま猿のようにするすると駆け、ふわりと跳躍する。ぼろぼろのローブを宙にはためかせ、トリーの頭上を飛び越えて、トンと小船の船縁に立った。
 その疾走の最中から、グゼナは詠唱を始めていた。
「ダゲンナル・クワダルンピグレルト・ルグルン・ルクル・クリゲネルレルテルトン……」
 船縁に立つと同時に、小船の中に青銅カマスの杖を突きたて、いっぱいに満たされていた水を、ぐるりと大きく一度かき回した。
「ルトルネクトルン・テクネン・ゲトー・トー・トー……」
 ざばりと、大魚を釣り上げるような仕草で杖を上げる。否、それは本当に釣り上げたのだった。
「トー・トー・オ・トー」
 水中から、一抱えもある青黒い巨大な頭が現れた。そう言ってよければだが、禿頭で頭髪がなく、鼻も口もなく、いやに大きな両耳が垂れているほかは、両目だけがぱっくりと開いている。
 そいつはさらに伸び上がり、人の背丈より大きくなった。大量の水が頭部から常にざあざあと肩下へ流れ落ちている。肩に当たる部分には腕がなく、代わりにたくさんの触手を水中から持ち上げた。ぬらぬらと艶光る数十本もの触手が、空中でうようよとうごめいた。
 魚を思わせる、丸くまぶたのない双眸が、かがり火の光を受けてぎらぎらと輝いた。そいつはせわしなくあたりを見回すと、触手の束を大きく広げ、今にも飛びかかりそうな仕草を繰り返した。
 その場のすべての人間が凍りついた。それは明らかに、人に害をなすことを喜びとする、邪悪な魔物の姿だった。トリーはかすれた声でつぶやいた。
「ゲトー・トー……ゴルドン湖の水魔! グゼナ、そんなものを使役したら――」
「そうともさ、こいつは人食いだ! 出たが最後、四十四人の肝を吸わねば戻らぬ化け物よ! しかし、エッサ。おまえのような導師がおれば話は別――」
 水魔が老婆の肩に触手を伸ばす。すばやく振り向いて杖でそれを払うと、グゼナは聞き分けの悪い子供に言い聞かせるような、注意深い口調で命じた。
「トー・トー・オ・トー・トー……」
 杖をトリーに向け、さっと跳躍して離れたところに舞い降りる。水魔がずるりと船縁から身を乗り出して、触手をトリーに伸ばした。
 グゼナが大笑した。
「一人で満足してしまうだろうさ。でなくとも、せいぜいあと数人でな! さあ、エッサ。覚悟をおし!」
「ウル・エネマイ!」
 トリーは叫んだ。砂埃がふわりと舞い上がり、水魔にまとわりつく――。
 だがそれは、牛よりも大きな怪物の肌を、多少濁らせただけだった。
 次の瞬間、どっと雪崩落ちた水魔の触手がトリーをぶちのめし、胴体を地面に押さえつけた。
 カアアア、と誰も聞いたことのないような甲高い咆哮が上がる。水魔の顔面の下部に口が開いていた。鮫の歯のような鋭い牙がずらりと並んだ、縦長のいやらしい口だ。小船からどろりと体ごと外へ這い出した水魔が、トリーの顔へとその口を近づけた。
 だが水魔が牙を立てる直前、グゼナが走ってきて、杖でその肩を打った。
「トー・トー!」
 水魔は不満そうに動きを止める。グゼナは慎重に声をかけてそれを制止しながら、いぶかしげな目をトリーに向けた。
「いやにひ弱だね。なまったのかい、エッサ」
 そのときだった。傭兵どもがざわめき出した。彼らを押しのけて、村人たちが前に出てきたのだ。先頭にはヒーゼ村長の姿があった。
 小さな家ほどもある水魔の姿にびくつきながらも、村長はグゼナに向かって強い声をかける。
「おいおい! グゼナよ、あんたがこんな化け物を連れ歩いとるなんて、わしゃ知らなんだぞ!」
「引っこんでな、おまえたちの出る幕じゃないよ!」
「そうはいかん、こやつはゴルドン湖のゲトー・トーじゃな? こんな魔物が人に従うなど、とんと聞いたことがないわ。ちゃんと収められるんじゃろうな?」
「おまえたちの知ったことかね! おまえたちが最初から素直にエッサに薬でも盛っておれば、わしもこんな化け物を出さずに済んだんだよ!」
「ということは、あんたでも手に負えんのじゃな? まさか、こやつをここへほっぽり出していくつもりか!」
 グゼナはニイッと口の端を吊り上げて笑った。
「だったらどうするね。焼き討ちにでもするかね? 火でこいつを退治できるもんなら、わしも見てみたいわ」
 カアアア、と水魔が咆哮してトリーの横の地面にあまりの触手をズンと叩きつける。一撃で馬の背骨でも折れてしまいそうな重さだ。のしかかられているトリーにしても、息をするのが精一杯だ。あばらが音を立ててきしんでいる。
 トー・トー、とグゼナが懸命にそいつをなだめながら、村長を振り向いた。
「いいからすっこんでな! あまり待たせるとこいつの見境がなくなっちまう。心配せずともエッサの腕の一本でも食わせたら、連れて帰るよ!」
「嘘だ……そん、ちょう……」
 トリーは仰向けに村長を見上げて、細い声を上げる。
「グゼナはもう村に戻るつもりがない……さっきわかった、こいつは賞金目当てなんかじゃない。エッサとともに、もう一度エフメフに戻って……ぐうっ……力を利用するつもりだ……」
「なんじゃと? エフメフに戻る? どういうことじゃ、トリー」
「こいつはモーグの信徒なんだ! モーグの鎖を切って、世に放つつもり――」
「トー・トー!」
 グゼナが叫んだ。カアッと口を開けた水魔が、トリーの頭をばっくりひと呑みにしようとした。
 その寸前、グゼナが水魔の肩を叩き、トリーは身をひねって避けた。右の二の腕にざっくりと熱い凶暴なものが突き立った。
「――がああっ!」
 トリーは悲鳴を上げる。ずくん、と閉じたあぎとが腕からごっそりと何かをもぎ取っていった。血が流れる、というよりもはじける。脈打つものがどくどくと速やかにこぼれ出していく。
「トリー!!」
 いくつもの悲鳴が重なった。
 トリーはそばに駆け寄ってきた娘たちの気配を感じる。すでにそちらを見上げる力も残っていない。だがまだ意識を失うわけにはいかなかった。やるべきことが、まさに今でなければできないことが残っていた。
 目を開けて、周りを見る。プティが、ナオが、クリスタが、それにヒーゼ村長やその娘のレスレ夫人がいる。
「ザントベルクのみんな……最後にひとつ聞きたい。僕は、この村の人間か?」
 傭兵どもが駆け寄ってくる。村人たちを捕まえて、不気味な化け物から離れさせようとひきずっていく。その姿に向かって、トリーはなけなしの力を振り絞って叫んだ。
「ここは、僕の村なのか!?」
 そうよ、と娘たちが叫ぶ。だから行かないで、残って、連れて行かないで――。
 だが、まだ、足りない。まだどうしても足りない。血が流れる。トリーの血が泥にこぼれ、染みこんでいく。
 その時だった。
「な、なんとかできるのか!?」
 男の声が聞こえた。人垣の向こうから伸び上がるように顔を出している。
 メルクだった。そして老人たちだった。かつては壮健な男として、ザントベルクを守ってきた人々。
 女どもにはわからない、トリーの叫びに含まれている最後の闘志に、彼らだけが気づいたようだった。
「できるのか! 小僧! おまえならできるのか!」
 トリーは、ほとんどまぶただけを動かして、うなずいた。
 その途端に、ヒーゼ村長が叫んだ。
「トリー、あんたはここの人間じゃ! ここはあんたの村じゃ!」
 確かにそれを耳にした。
 そう思うと同時に、トリーは詠唱していた。
「ル・ザン・メアトリモニエー・ウル・アマイ・ウル・エネマイ――」
「トー・トー!」
 気づいたグゼナが怒鳴るが、水魔のあぎとが再び襲い掛かる直前、トリーは詠唱を終えていた。
「メアスタイカテー、メアスタイカテー、メアスタイカテー!」
 ぼうん! と四方で大きな破裂音が上がった。四つ角のかがり火が天高く火炎を吹き上げたのだ。
 次の瞬間、それが消えた。あたりに暗闇が落ちる。傭兵と村人が驚いて声を上げる。
 何人かは、かがり火が地面に吸い込まれたのを見たかもしれない。――なんの仕掛けもなかったのに、突如落とし穴のように地面がぱっくり開いて、明かりを飲みこんだのを。
 カアア、カアアア、と水魔の咆哮がとどろく。びたり、びたりと重い触手が地面を打つ。だが、何が起こっているのか誰にも分からない。ただ暗くなったのではない。四辻全体をもやのようなものが覆ったのだ。それでも上空には星が輝いていたはずだが、それも見えない。
 もやは四辻だけを覆ったのではなかった。ザントベルクを――南北に歩いて半日はかかる谷全体を、深く重く押し包んだのだ。
「な、なんだ……」
 伸ばした手の先も見えない暗闇の中で、グゼナは周囲を見回す。不気味な音が聞こえる。
 ズボッ……ズルッ……グシャッ……。
 何か大きなものが、続けざまに飲み込まれていくような音だ。
 何が? ――人間しかいない。そんな風に飲み込まれるものは、この四辻には。
 何に? ――わからない。水魔はひっきりなしに咆哮している。勝ち誇った声とは程遠い。むしろそれは、苦悶のように聞こえる。
 身の危険を覚えたグゼナは、思わず法術を用いる。
「ル・ワント・ガールデー・ベイオブルブ・ウル・アマイ……!」
 だが、手ごたえがない。自分の身を速やかに包み込むはずの水の泡が、生まれてこない。何があってもそれだけはできるよう、たっぷりと水をまいておいたはずなのに。
 丸裸にされたような心細さを跳ねのけようと、老婆は絶叫した。
「エッサ、出て来い! 出てこないと、村人を襲わせるよ!」
「僕はここにいる」
 耳元で声がして、グゼナは総毛だった。あわてて振り返る。だが、見えない。
 その後ろから再び声がした。
「ゲトー・トーはもう動かない。僕が止めた。止めて固めた」
「固めただと? ふ、船いっぱいの水だぞ! そんな砂をどこから――」
 グゼナはまた振り返る。しかしそこにも闇しかない。トリーの声が耳に張り付いたように続ける。
「確かにこの辻の砂は水浸しだった。でも、僕はもう砂使いではないんだ」
「なに? では、なんの――」
「血の婚姻」
 ズボッ、ドボッ、と音は続いている。その合間に、トリーのささやきが流れた。
「僕はこの村と契約した。僕の血を絆として、この村の大地と。いま使っているのは砂じゃない――村の土地そのものだ」
「そんな、そんなことができるものか! いくら血をそそいだところで、思いつきでそんな大きな契約ができるはずが――」
「思いつきじゃない。ずっと用意していたんだ。この村に来た最初から、地に語り続けていた。東西南北すべての土に接吻して――半年の間、契約を続けていた。僕はもう、この村のことはたなごころを差すようにすべて知っている。ただ……」
 つかの間、トリーの声が途切れたが、やがてまたぽつりと流れた。
「村を形作るもっとも大事なもの、すなわち村人たちの同意が得られていなかった。でも、それもさっき手に入れた……」
 その声には安堵の調子が含まれているようだった。
 グゼナは背中に張り付いたような声から逃げ出そうと、やにわに駆け出しながら、叫んだ。
「ギャノン、ギャノンよ! 娘を捕まえな! 人質にするんだ、早く!」
 しかしそれに答えたのは、傭兵頭の声ではなかった。どこか離れたところから、女の声が聞こえた。
「トリー、聞こえる!? ナオさんは助けたわよ! 他の子も大丈夫!」
 それが神殿跡に住む女猟師の声だとまでは、グゼナにもわからなかった。彼女とはもう何年も会っていなくて、顔も忘れていた。
 彼女の代わりに村のすべてを知るに至った少年が、つぶやいた。
「クローマ、やったな。あの子ならやってくれると思った……」
「エ、エッサ!」
 とうとうグゼナはその場に膝をつき、相手の声のするほうに土下座して言った。
「わかったよ、わしの負けだ! 許しておくれよ! あんたとは、あの恐ろしいエフメフの砂漠を一緒に渡った仲じゃあないか!」
「それは僕の祖父だ」
 もやが薄れだした。星明りの下に、右肩からおびただしい血を流した少年が姿を現した。
「エッサ・ガドリッジはもう死んだんだ。僕はあんたに何のえにしもない。だから縛ろうたって無駄だ」
「な、なんだと……」
「フランクルドの砂使いは、もうどこにもいない」
 さあっと霧が消えるように視界が晴れた。四辻には何も残っていなかった。台枠に置かれた小船も、大勢の傭兵たちも、おぞましい巨大な水魔も。
 ただ、それらが元いた場所に、大小いくつものすり鉢型のくぼみだけが残っていた。
 ヴィトリアス・ガドリッジが、肩で息をしながら、残る左腕をグゼナに突きつけた。
「モーグの信徒、グゼナ・ギルデンツュング。ここはおまえの村だと言ったな。――じゃあ、おまえも僕のものだ。おまえのすべては僕が引き継ぐ。代わりに、墓をくれてやろう」
「……ガドリッジよ、おまえもその墓に入ることになるぞ」
 憎々しげに睨む老婆を見つめると、トリーはふっと笑みを浮かべた。
「それをさっき、決めたのさ」
 そうして、その場に倒れた。

 
 エピローグ


 無限に続くかのような暗闇を、ほのかな光を放つ銀の半球が進んでいく。それは法術で形作られた巨大な泡だ。音もなく流れる暗黒の地下水流の中を、ゆるやかに逆行している。中には山のような荷を積んだ一艘の細長い小船が浮かんでいる。その舳先に黒衣の娘が立つ。
「ル・ワント・ガールデー・ベイオブルブ・ウル・アマイ……ウル・アマイ……ベイオブルブ・ウル・アマイ……」
 クリスタが目を閉じて集中しながら詠唱を続けている。右手に、清堂の壁石から削りだした玄武岩の杖を握っている。時おり、泡の内側に杖で触れる。さざなみのように揺れて薄れかける泡が、それによってまたなめらかな平面を取り戻す。
 彼女のすぐ隣に、トリーが腰掛けている。不随になった右腕の代わりに、左腕にタカアシドリの杖を握っている。時おり、クリスタの目の届かないところで泡が薄れると、彼女を促して振り向かせる。泡は元通りになり、船はなめらかに進む。
 トリーは穏やかにつぶやく。
「だいぶ慣れてきたね」
 クリスタが、すっと通った鼻筋に軽くしわを寄せたままうなずく。
「ええ」
「船の調子もいい。メルクはいい仕事をしてくれた」
「……ええ」
 その名を出すときに彼女の返事がやや遅れるのは、船を作った男をまだ許せていないからか。
 ともあれ、泡の中は静穏だ。温かく、泡の光でほのかに明るく、相手と肩が触れ合うほど狭い。すぐそばに立つクリスタの涼しい香りと体温がトリーを包んでいる。おそらく、クリスタのほうもそう感じている。
 外界のシャブロン村で、グゼナの代わりに品物の取引を済ませ、泡を作って村に戻ろうとしたとき、彼女は言った。
 少し、疲れた、と。生まれて初めて顔を合わせる未知の人々と話したからだ。 
 そして、帰ったら荷下ろしで忙しいわね、とも言った。
 いまは二人きりだが、その時間ももうじき終わる。泡越しに、前方に光が見えてきた。地下水流の終点だ。
 トリーは黒衣の裾をつまんで、ゆっくりとめくり上げた。白いすらりとしたふくらはぎが現れ、その上のぴんと張った腿が覗く。
 クリスタは、かすかに身動きしただけだった。トリーを止めようとはせず、むしろ待ちかねていたように、腰を少しこちらへ向けた。
 トリーは腰までめくり上げた黒衣の中を見つめる。薄闇に逆三角形の質素な白い下着が覗く。出かけるときはきちんと穿くらしい。清潔そうで、しっとりとした乙女の肌のぬくもりを保っているように感じられる。
「ウル・アマイ……ベイオブルブ・ウル・アマイ……」
 立ったまま下着を覗かれる、という行いにも、別段動揺も見せず、クリスタは詠唱を続けている。平然としているようだが、じきにその頬には嬉しげな赤みが差した。
 やがて頭上が明るくなる。地下から抜けた。クリスタは詠唱を変えて小船を上昇させる。パリパリと澄んだ音がして泡の周りをきらめきが流れ落ちた。川面は氷結していた。氷が落ちきると、浮上した泡を、冬の午後の弱い日光が迎えた。
 トリーは幕を下ろすように黒衣を手放す。するとクリスタが咎めるような目を向けた。
「泡、着くまで続けるから……」
「寒いしね」
 トリーはまた娘の衣服をかきあげた。クリスタが前を向いて詠唱を再開した。
 太腿に手を回して指で柔らかく締め付け、頬をこすりつける。温かく、よい香りがする。頭を入れて股間を間近で見つめる。薄い布の縁がぴっちりと柔肌に食い込んでいる。上縁はなだらかな幅広の丘に押し上げられている。腹が膨らみ始めているのだ。
 クリスタは妊娠していた。
「ウル・アマイ……ベイオブルブ・ウル・アマイ……」
 唱えながらクリスタは左手で裾を握り、垂れ落ちないようにする。立像のように美しいすらりとした下半身をみずからさらす。トリーはその足を抱いたまま、舐めるように視線を這わせ続ける。腰のくびれの後ろにうっすらと鳥肌が立っている。そこにも触れずに眺め回した。
 二人の鼓動が早まり、体温が高まる。泡の中の空気は次第に暖まっていく。小船はうねうねと曲がりくねる小川をゆっくりと遡り続ける。
 やがて、石橋に差し掛かる前の最後の曲がり淵に差しかかった。村との間を木立が遮っている。そこで小船は止まった。
「ウル・アマイ……ベイオブルブ・ウル・アマイ……イネ・ベイオブルブ・コンティニュア。はあ……」 
 クリスタは舳先の穴に杖を立てて残すと、いったんトリーを押し離して、横木に腰を下ろした。呼吸を整えるように何度か深いため息をついてから、黒衣の裾に両手を入れて、腰の辺りでもぞつかせる。そしてするすると下着を下ろして、木靴を履いた片方のつま先を抜いた。軽く足を開いた姿勢で、はあ、はあ……と早い呼吸を繰り返す。
 トリーは前方に目をやったまま、言う。
「もうみんな来てるみたいだよ」
「ええ……」
「待たせる気?」
「だって……」
 クリスタが切なげな顔を向ける。瞳は濡れ、目元が赤く染まっている。
 トリーは上気したその顔を見つめてから、「どうしてほしい?」と穏やかに聞いた。こくっと小さく唾を飲んでから、クリスタはきっぱりと言った。
「見てほしい」
「何を?」
「体」
 トリーはクリスタの足の間にしゃがみこみ、膝を押し開いた。黒衣の裾を頭からかぶるようにして、股の間に入る。奥の暗がりが、じっとりと湿っている気配がする。よく見えずに肩で膝を押すと、クリスタは裾が左右にピンと張り詰めるまで、大きく足を開いた。
 何にも邪魔されることなく、トリーはクリスタの隠された中心を見つめた。
 はあ、はあ、とクリスタは大きく胸を上下させる。布の上からトリーの頭を撫でて、そこに相手がいることを確かめる。かすれた声で聞く。
「見てる? 見える?」
「……うん」
「ほんとに? 暗くない? きちんと見える?」
「少し、暗い……」
「じゃあ、見えるようにして。ひろげて。もっと近づいて」
 トリーはさらに顔を突き出す。手で当てて、広げて、隠れている部分までむき出しにした。
「見て、見て、じっと、じぃっと……見て」
 クリスタがうわごとのように繰り返して、腰をせり出しながら、トリーの頭をとても強くつかんだ。


 石橋に着くと、待ちかねた様子で村人たちが集まってきた。どうだった、大丈夫だったか? 声をかける。みな、初めて法術を使って水に潜っていったクリスタを心配していたのだ。クリスタは戸惑った顔で、はい、はい、と言葉少なにうなずく。新しい務めを無事果たした嬉しさが、その顔を赤く染めているように見えた。
 トリーを迎えたヒーゼ村長が、手を握って礼を言った。
「一時はどうなることかと思ったが、やればやれるもんじゃなあ。あんたのおかげじゃ、ほんとに……」
「僕もまさかこんなことになるとはね」
「あんた、どうかな。わしの跡を継ぐ気は……」
 トリーは首を振って言った。
「あなたはあと二十年はお達者なんじゃないですか。その役は、僕の子供にでもやらせてください」
「どの子にじゃね?」
 みんなが笑った。トリーも笑い返しつつ、気になっていたことを尋ねた。
「留守中、グゼナはおとなしくしていましたか」
「ああ、グゼナか。ずっとうちで寝たきりじゃよ。気の毒だが、ありゃもう長くないな」
 トリーは小さくため息をついた。財産と力のすべてを失い、すっかり無力になったあの老婆が、これ以上悪だくみをしそうもないというのは、ほっとする知らせだった。
 寄り集まった村人たちが、荷下ろしにかかった。クリスタはナオと顔を突き合わせて、帳簿合わせを始めた。
「トリー、トリー! こっち手伝ってよ、寄り合い所に持っていくやつ!」
 そう叫んだのはクローマだった。見て驚いたのは、彼女がまだ革のベストとスパッツという軽装でいることだった。もうクリスタよりも大きく腹が出ているのにそんな姿をしているのは、なんとも似合わないし、第一寒くて大変そうだ。トリーはあきれて言った。
「クローマ、まだそんな格好してるの。もっとあったかい格好にしなって言ったじゃないか」
 すると、クローマは目鼻立ちのはっきりした顔をしかめて、不服そうに言った。
「そんなこと言っても、あたしスカートって苦手なのよ。下がスースーするし」
 腹は出てきても活動的な性格は相変わらずで、重い木箱を次から次へと抱えて運ぼうとした。見かねたメルクが、怒ったほどだった。
「おいおい、クローマちゃん。無理するなって。子供に障ったら大変だろ」
「おあいにく様、トリーの赤ちゃんはこの程度でどうにかなるようなヤワじゃないわよ。あんたの種と違ってね」
「よ、余計なお世話だ!」
 顔を真っ赤にするメルクを笑い飛ばして、行こ、トリー! とクローマは招いた。
 寄り合い所というのは四辻にある例の屋根だけの場所のことで、個々の村人が取り寄せた荷物のほかは、ここで自由に売り買いされるのだった。他の人々ともに、片手だけのトリーも荷を運び続けた。八割がた終わったところで、周囲に目を配ってから、トリーはクローマを呼んだ。
「おいで」
「え、なに?」
「強がるのもいいけど、心配かけるのもほどほどにしなきゃ」
 クローマは一瞬きょとんとしたが、トリーが、辻の北にある、例の人のいない屋敷のほうを指差すとうなずいた。
 表から見えない邸の裏へまわって、雪のない日当たりのいいテラスに腰かけると、トリーはローブの中をごそごそと探って、手のひらほどの小さな包みを差し出した。「え、私に?」と顔を輝かせたクローマが、包みを解くと、金縁で装飾された革装の本が現れた。
「わあ……何これ」
 そっと開いてページをめくったクローマが、つぶやく。
「絵だ……すごい、色が着いてる。イセル師の鳥獣大全?」
「の、子供版。これならその子も楽しいんじゃないかな」
 トリーが腹を指し示すと、クローマははっと顔を見つめた。かと思うと本を置いて、トリーの首に腕を回してきた。
「嬉しい……ありがと、ほんとに嬉しい……」
「あの、言っとくけど君だけじゃないから……」
「それでも嬉しい。あんた最近あまり来ないから、忘れられてるのかと……」
「そんなわけないだろ」
 トリーも彼女の肩を抱いて、抱きしめた。
 やがて、肩の上でクローマがぽつりと言った。
「あんた、ほんとにこれでよかったの?」
「なにが?」
「村に無理やり引き止められて、まだ子供なのに四人もの子のお父さんにされちゃって……それに」
 ローブの上から右腕にそっと触れる。上腕の肉の大半を魔物に持っていかれたそこは、布の上からでもごっそりとくぼんでいるのがわかる。瀕死の重傷だったし、今でも完治したとは言えない。右腕はぶら下がっているだけで、使い物にならなくなった。
「こんな目に合わされちゃって……」
「気にするなよ。僕は導師だ。腕なんかなくとも、村は守れる」
「それよ。……あんたは村と結婚してしまった」
 トリーは村の土地と血の婚姻を交わした。たっぷりの血と引き換えに契約したから、もう解くことはできないし、解かなければ村を離れることもできない。無理にそんなことをすれば死んでしまう。そういうことを、あの戦いの後に説明してあった。
 クローマは気遣わしげに聞く。
「本当に、出て行きたくない? こんな狭い村に、ずっといたい?」
「まるで出て行ってほしいみたいな言い方だね」
「そんなわけがないでしょ! あたしは、あんたにいてもらいたいわよ!」
 真顔で怒って肩をつかむと、すぐにクローマは萎れたような顔になった。
「ただ、やっぱり、さ……あんたに無理させてるって気が、消えなくて」
「無理してるように見えるのかな」
 トリーはクローマの背中に当てた手を、するりと下へおろした。引き締まった尻の肉を、強めにぐっとつかむ。
「――ふっ!?」
 目に見えるほどはっきり、クローマが黒髪を逆立てた。「ちょっと、トリー……」と耳の横で戸惑い声を漏らす。
「僕が、無理してるように、見える?」
 穏やかに尋ねながらトリーはそこを揉みしだく。きゅっきゅっと搾るように揉み、さわさわとなぞるようにこする。「いま、そういう話じゃ、ちょっと……」とクローマが尻をもぞつかせる。木の床の上で、張りのある肉が揺れる。
 トリーは手を離し、とぼけた口調で言った。
「ごめん。話、続けよう」
「……」
 クローマは返事をしなかった。トリーに抱きついたまま、ふるふると細かく震えている。
 が、思い出したように顔を上げ、無理に平静を保った様子でトリーを見た。
「と、ともかく、あたしはあんたの負担になるより、むしろ助けてあげたひっ!?」
 ぐっとクローマが弓なりに背を逸らした。トリーが尻の谷間に手を差しこんだからだ。
「続けて」
 言いながら、尻と床の間にぐいと手を押しこむ。鍛えられた女猟師の体の重みを手のひらで受けながら、指先だけをわずかに持ち上げて天井をくすぐる。反射的にクローマがぐっと抱きついてくる。
「た、助けて、あげ」
「うん」
「だから、体のこととか、もっ」
「うん」
「変に、心配……しなくっても……いいっ、からっ」
「うん、心配されたくなかったら、もっと体を労わってね。僕からナオさんに」
「ひっ」
「言って、君の服、用立ててもらうから」
「そっ、それ、なら……」
「着てね。もっとあったかくておなかを締め付けない服」
「あっ」
「こんな風な、お尻がくっきり浮き出てる服じゃ、なくてね」
「あっ、う、うんっ、着る、着るか、らっ」
「無事に産んだ後なら、戻していいからね。これに」
 くるくるとくすぐり続けていた中心を、立てた指でぎゅっと突いた。「はっ……!」とクローマのうなじの毛が逆立った。
 トリーは手の動きを、また止める。クローマはすっかり柔らかくなって体を預けている。肌が間歇的に震え、かちかちと音がする。彼女が凍えたように歯を鳴らしているのだ。
 しばらくそのままでいると、クローマは黙ったまま尻をこすりつけてきた。トリーの手のひらの上で、もどかしげにくいくいと中心を押し付ける。
 トリーはいったん手を抜き、あらためて腰の裏からスパッツの中に手のひらを滑りこませた。クローマは待っていたように腰をわずかに浮かせて下に隙間をつくる。そこにするすると手を差し込み、まずは肉を握った。みっちりと筋肉の詰まった温かい尻が、指の上でぎゅっとこわばった。
「前にした話の、続きなんだけど」
「ん、うん」
 ぐにぐにと揉みしだき、柔らかくほぐしていきながら、トリーは言う。
「僕はエッサ・ガドリッジの孫だ。この村では隠せなくなったから明かしたけれど、外では言っていない。言うわけにはいかなかった」
「うん」
 手のひらを谷間へ入れる。さっきから待ちかねてひくついているすぼまりを、人差し指で押す。
「なぜなら、孫にも契約が受け継がれているから。祖母の血が入り、また母の血が入りはしたけれど、僕の血の四分の一はエッサから継いだものだ。だからモーグの法術の四分の一を、僕は持っていた」
 指を曲げ、穴に埋める。待っていた入り口は、ぬるりとそれを呑みこんだ。「うん……っ!」とクローマが強く抱きつく。
「その契約は、村と結婚した今でも生きてる。――そして僕の子供にも受け継がれるんだ。元の血の八分の一の力で」
「そ、それって……ひっ! いぁんっ!」
 トリーはずぷずぷと小刻みに出し入れする。食いついた入り口がきゅうきゅうとすぼまる。うんと手を深く入れて、指を深く送りこんだ。ずぷり、と根元まで入って、内側のぬらつきが指を包んだ。
「外でこんなことをしたら、ただじゃ済まされない」
「そ、外よ。いまっ、外なのよ、ここっ」
「その外じゃなくて――外でするの、好きなくせに――村の外のことだ。エッサの血筋が残っていると知れたら、追っ手に目をつけられる。子供ごと一網打尽にされてしまうかもしれない」
「ト、トリー待って、どっちかにしてっ! こ、これじゃ頭にはいらな、いぃっ!」
 スパッツの中の手を派手にずぷずぷと動かすと、クローマは髪を振り乱してもだえた。ゆっくりぐるぐると中で指を回すと、「はひぃぃ……っ!」と裏返った声を上げてしがみついた。
 トリーは彼女の体を離し、横へ押した。ぐったりと倒れそうになる。以前、後ろからへこむほど抱きしめてやった細い腹は、今ではしっかりと中身が詰まって硬く膨らんでいる。そこを押しつぶさないように、かたわらのテラスの柱へ、彼女の腕を取って導いた。
「しっかり捉まって。そっちを向いて」
 クローマは一言もない。言われたとおり柱にしがみつき、膝立ちで尻をこちらへ向ける。その腰周りに手をかけて、スパッツをひき下ろした。するすると裏返しに剥けて、ほんのり温まった形のいい尻が、太腿まであらわになる。
 そこにべったりと手を張り付けて、わざわざ一度左右に押し開くようなことをしてから、くすんだ色の着いた谷間に、トリーはまっすぐ伸ばした中指を当てた。
「だから」
 押す。飲み込まれる。星型にすぼまった入り口に、つぷつぷと柔らかく指が入っていき、二つの丸み全体がびくびくと引きつる。
「この谷にいることは、子供にとってもいいことなんだ。追われないで済む」
「こ、こんなの丸見え、丸見えじゃないっ……!」
 トリーは肩越しに振り向き、邸の庭にも隣家にも誰もいないことを確かめてから、指のささった尻を持ち上げるように手首を動かした。くい、とクローマの尻が太陽を向いた。
「ここなら誰も見ていないから、僕は安心できる」
「安心どころじゃ……ないわよぉ……!」
 クローマの声は、もう泣き声に近い。けれどもトリーが力強く指でえぐり続けると、ますます尻を振り動かして喜ぶ。
「打算もあるけど――僕はこの村が好きだよ。君たち村のみんなと同じだ。クローマ」
「も、もう、許してよトリー! あんたってほんと……大好き……っ!」


 午後いっぱい、水漬酒の蔵を回ったりして、日暮れにピオニー亭に戻った。
 夕食時の店には例によって老人たちがたむろしており、トリーが入っていくとじろりと目を向けた。声をかけるでもなく、テーブルに誘うでもない。トリーはカウンターの隅のいつもの席に腰を下ろし、ナオに挨拶する。老人たちは再び雑談を始める。
 やがてその中の一人が席を立ち、そばへきてカウンターにコトリと金属製のマグカップを置いた。トリーが目顔で問いかけると、その赤ら顔の太った老人は、ぶっきらぼうに言った。
「やるよ」
「なぜ?」
「おまえさん、身の回りのものをほとんど持ってないだろうが。一人前の村の男が自分のジョッキ一つ持ち歩かないんじゃ、格好がつかねえぞ」
 トリーがテーブルを振り返ると、老人たちはそれぞれ、しろめや銅や木製のカップを手にしていた。どれも自前らしい。
 手元のカップだかジョッキだかに目を戻す。柔らかな白銀色のしろめ材で作ったものだ。取っ手を鋲打ちした武骨な形で、口はトリーの拳がすっぽり入りそうなほど大きい。
 老人の顔を見上げた。彼は村の鍛冶屋だ。
「あなたが作ってくれたんですか?」
 老人は背を向け、何も言わずに片手を上げた。
 トリーはカップを掲げて、軽く目礼した。
「あ、トリーさまぁ。お帰りなさい、ちょっと待ってくださいね」
 奥から、髪をまとめてエプロンをつけたプティが出てきた。トリーは鷹揚に手を振って答える。プティはナオが出す料理を、それなりに慣れた手つきで老人たちのテーブルへ運ぶ。その姿は、春ごろそうだったように、ちょこまかとして身軽だ。
 彼女の腹からはもう膨らみが消えていた。
 ひと通り給仕をして回ってから、カウンターに入ってナオと替わった。ナオは奥へ入る。プティは木皿に料理を盛り付けて、トリーの前に出てくる。
「はい、召し上がれ」
 そう言って隣に控えた。トリーはクリスタに言ったのと似たようなことを口にする。
「だいぶ慣れたね」
「えへへ、今日はまだお料理こぼしてません」
「まだじゃないだろ。一度もこぼさないようにしなきゃ」
「がんばりまぁす」
 プティは白い歯を見せて笑った。
 彼女がピオニー亭を手伝いだしたのは、昨日今日のことではない。出産の数ヵ月前には始めていた。それでもまだ皿を落としたりするのだから、進歩が早いとは言えないが、仕事を身につけつつあるのは確かだった。誰よりも彼女自身がそれを喜んでいた。
「ん、うまい。君も食べなよ」
「まだお店が。後でいただきまぁす」
「それもそうか。ラフラとカリンカは元気?」
「とっても。二人とも元気におっぱい吸ってくれますよぉ」
 そこだけは前よりもふっくらと大きくなったままの胸を、プティは両腕でゆすり上げるようにした。
 トリーはゆっくりと夕食を取り、くつろいだ。
 やがて夜が更け、老人たちは三々五々、帰っていった。プティは店を片付け、トリーに見られながら照れくさそうに夕食を食べた。それから言った。
「あたし、今夜は小屋に帰るんですけどぉ」
「あ、そうなんだ」
「はい。昨日おとつい、赤ちゃんを見てたんで。今日はいいわってナオさんが」
 そう言って、何かを待つようにトリーを見つめた。トリーはちょっと宙を見上げて、言う。
「子供、見たいから」
「そぉですか……じゃ、ごゆっくり」
 にっこりと笑って、戸口を出て行った。
 トリーは階段を上がり、二階に入る。――と、小さなころころしたものが走ってきて、どんと膝に抱きついた。
「トリーお父ちゃん!」
「やあ、チャイー」
 母親ゆずりの鮮やかな緋色の髪を持つ幼女に、トリーは笑いかけた。チャイニーはきらきらと目を輝かせながら言う。
「お父ちゃん、おかえりなさい! 村のおしごと、ちゃんとやってきた?」
「やってきたよ。チャイーは元気にしてた?」
「してた! クローマと追いかけっこした! だからだから、抱っこして、抱っこ!」
 トリーは猫の子のように軽い幼子を抱き上げる。チャイーは右腕をよじ登って、首にしがみついた。菓子のように甘い匂いのする頬をトリーに押し付ける。トリーは軽く顔をしかめながら、もう一人の娘に声をかけた。
「ツェニーは元気にしてた?」
 姉のツェニーは妹より一つ年上なだけだが、性格はだいぶ異なっていた。ぬいぐるみで一人遊びしていて、目も向けない。トリーはそばに近づいて、かがみこむ。
「ツェニー、ネズミさんは好き?」
 ツェニーは上目づかいに振り向く。その目には警戒の色がある。トリーは笑って、ローブの袂から手のひらに乗るほどの、小さな陶器のネズミを取り出した。
「ほらネズミさん。ちゅうちゅう」
 床の上を這わせてみせると、肩に乗っていたチャイーが「わあっ」と飛び降りて、ネズミに飛びついた。
「かわいい! お父ちゃん、チャイーにちょうだい!」
「ほしい? じゃああげよう」
「わあっ!」
 チャイーはひったくるようにそれを取って、ネズミさんちゅうちゅう、と遊び始める。すると、ツェニーがそれをじっと見つめて、やにわに手を伸ばそうとした。
「ツェニーの」
「やあっ、これチャイーの! チャイーがもらったの!」
「ツェニーがさいしょにもらったの」
 取り合いになったところで、トリーは割って入り、隠していたもう一つのネズミをツェニーに差し出した。
「はい、ツェニーの」
 ツェニーはぽかんとトリーを見上げたかと思うと、さっとそれを奪い取って背を向けた。チャイーが朗らかに言う。
「ネズミさんもふたごだね! よかったね、ツェニー!」
「……うん」
 ちらりと振り向いたツェニーの小さな頬が、赤くなっているように見えた。
 トントンと足音がして、三階からナオが降りてきた。姉妹を見て、「なあに、何かもらったの?」と小首をかしげる。子供たちがその足元に駆け寄って、ネズミを手に競い合うように背伸びした。
「ネズミさん、ちゅうちゅう!」「トリーにもらった」
「まあ、かわいい。トリー、ありがとう」
 ナオは笑った。温かい笑顔だが、前髪がほつれ、少し疲れているように見えた。トリーは声をかける。
「上は眠った?」
「ええ、なかなか寝付いてくれなかったけど、今ね。見る?」
「うん」
「下へ行ってるわ」
 ナオは階段を降りていった。トリーは入れ替わりに三階へ上がった。
 夫婦の寝室だった部屋の隅にゆりかごが置かれて、その中で二人の赤ん坊が穏やかに眠っていた。片方は小さく、片方はひと回り大きい。小さいほうが、つい二週間前に生まれたナオの子供のラフラだ。大きいほうがプティの子供のカリンカで、ラフラより一月半早く生まれた。
 どちらも女の子だった。ヒーゼ村長が言ったとおり、この谷では男の子が生まれにくいらしかった。
 クルミぐらいしかない小さな拳をトリーが指で撫でていると、かたわらにひょいと姉妹が顔を出して、一緒にゆりかごを覗き込んだ。
「赤ちゃん、かわいいねえ」
「……うん」
「赤ちゃんもふたごだね!」
「ちがうよ、カリンカはプティお姉ちゃんのこども」
「でもどっちもトリーお父ちゃんのこどもだから、ふたごだよ!」
「ちがうよ、しまいっていうんだよ」
 微笑みながら二人を見下ろしてから、起きちゃうからね、と促して二階へ降りた。
 ナオはまだ上がってきていなかった。それで彼女の様子を察して、トリーは姉妹を寝巻きに着替えさせた。ベッドに入れ、明かりに手をかける。
 そのとき、妹のチャイーが言った。
「お父ちゃん、今日もママとちゅっちゅするの?」
「え?」
「チャイー」
 ツェニーが肩を引っ張ったが、チャイーはおかまいなしに、天真爛漫な笑顔で言った。
「お父ちゃんがちゅっちゅするとね、ママ元気になるんだよ! いっぱいちゅっちゅしてあげてね!」
「あ、うん……おやすみ」
 トリーは苦笑して、明かりを消し部屋を出た。
 すると、階段の手前で、とことこと小さな足音が追いついてきて、ローブの裾を引っ張った。
「トリー」
「……ツェニー?」
 明かりを消したので表情はわからない。ただ、ナオの腹が膨らみ始めてから、この口数の少ない賢そうな姉が不機嫌になったことには、トリーも気づいていた。
 気持ちはわかるつもりだった。そっと声をかけた。
「大丈夫、ママを取ったりしないからね」
 意味がわかるのかどうか、ツェニーはさらにくいくいとローブを引く。内緒話でもあるのかと思ってかがむと、不意に小さな手が顔にかかった。
 ちゅむ、と柔らかなものが頬に当たる。トリーは軽く驚いて、「ツェニー?」と聞く。
「ママばっかり、ずるい」
「え?」
「ツェニーも、おとなになったらちゅっちゅして」
 トリーはまじまじと幼女の顔を見つめようとした。だが、そのときにはもう、小さな影は身をひるがえしてベッドに駆け戻っていた。
 意外な本音に、トリーは頬を押さえて、なんとなく顔を赤くしながら階下に降りた。
 ナオはいつものカウンターの隅で、ぼんやりとカップを手にしていた。ランプのオレンジ色の明かりがその横顔を照らしている。トリーが隣に腰掛けると、それまで気づかなかったように、はっと顔を上げた。
「ああ、トリー」
「だいぶ疲れてるみたいだね」
「ええ……ちょっとね。赤ちゃん、あれぐらいだとまだ夜中もお乳がいるから」
「それにツェニーとチャイーもいるし」
「寝てくれた?」
「ベッドには入れた」
「そう」
 トリーは手を伸ばして、彼女の額にかかる前髪をかきあげてやった。ナオは薄く微笑むと、少しかすれたような声で、「いいかしら?」と聞いた。
「疲れてるのに?」
「疲れてるから……気晴らしみたいで悪いんだけど」
「いいよ」
 ナオは目を細めてうなずき、椅子から降りて、トリーの前にひざまずいた。
 ズボンの紐をほどいて下ろし、股間に顔を入れる。まだ柔らかなトリーのものに軽く顔を押し当てて、すう、すう、と何度も深呼吸した。はあ、と安心したように息を吐いて腿に頭をもたせ掛ける。温かな手で下から袋を持ち上げて、ころころと指先で揉んだ。
「落ち着くわ……」
 ナオはささやきながら、戯れのように指で挟んだり、はむ、としっとりした唇で甘噛みしたりした。しばらくトリーは、年上の美しい未亡人の好きにさせながら、そこをむくむくと大きくしていった。
 八分ほど勃起すると、ナオはカートルの胸元をはだけて下へぐいっと剥き、あふれるほど豊かな乳房を押し出した。両手を外側に添えて谷間に勃起を挟む。トリーは柔らかな肉にふわりと包まれて、おののくような快感を覚えた。カウンターに背中を預けて倒れないようにした。
「あのさ、ナオさん」
「なあに……?」
 愛しげに目を細めて目の前を見つめながら、ナオはふにふにと乳房をすり合わせる。乳首が濡れて、ぽたぽたと滴をこぼす。
「村の人たちは、今のままでいいのかな。つまり、もう外へ出て行けるってわかったわけだけど」
「そうね……」
 白い乳房の谷間から飛び出した赤黒い先端を、ナオは肉をこすりつけるようにして剥き、ああん、とことさらにゆっくり口を開いて、すぽりと含む。もぐもぐと味わいつつ、息つぎのついでのように言う。
「出て行きたい人は、出て行くでしょう。若い人もお年寄りも。でも、残りたい人は残るでしょうね。そのままでいいんじゃない?」
 ひくん、ひくん、と勃起はさらに反り返り、真上を向く。ナオは左右の乳房でぐるぐると揉むようにして、あふれ続ける乳汁にまみれさせる。顔を斜めにしてくびれをこってりと舐め取る。トリーは手放しで快感に浸りたい欲求に耐えて、続ける。
「それでいいのかな。村が壊れてしまわない?」
「んふ、んむ……それを言うなら、村は最初から壊れていたのよ。一人の授けびとに頼らなければ続かなくなっていたときから……」
「僕は……ああ……村を守ったつもりで、とどめを刺してしまったのかな……」
「かもしれないけど……ね、少し黙って。集中させて」
「あ、うん……」
 トリーは口を閉ざし、股間の艶やかな顔をじっと見つめた。
 ナオは憑かれたように熱心にしゃぶり、こね回し、愛撫を続けていたが、やがてトリーが「くぅ……そろそろ……」とうめくと、胸を離し、てろてろに濡れた肉棒を指三本で軽く挟んで、コリコリと揉みながら楽しそうに眺め回した。
「うふ、すっかり出来上がり……トリー、何日溜めたの?」
「何日……だと思う?」
「んんっと……」
 薄皮のすぐ内側までぎちぎちに張り詰めた勃起を、指先でくまなくなぞり回し、裏筋の根元をきれいな爪できゅっとつまんで、ナオはつぶやいた。
「わからないな。トリーって、いつもぱんぱんに溜めてくれてるから……♪」
「き、今日はすごいと思うよ……?」
「でしょうね。出したい出したいって叫んでるみたい」
 十本の長い指を、特に気持ちのいい裏筋や根元にていねいに絡めて、ナオはキスするようにとがらせた唇を、つむ、と先端に当てた。
「ん……今日は飲ませて。味がほしいの……」
「うん、し、搾って」
 ひらり、ひらり、とナオが指をはためかせた。根元から先へ導くように巧みに。裏筋に押し当てた親指だけは、強くこすこすと刺激を与える。ふとトリーは、他の誰によりも強くナオに対して覚える気持ちを、口に出した。
「ナオさんの……変態っ……!」
「んぐ……♪」
 美貌が嬉しげに歪んだ。
 トリーは射精した。腰を跳ね上げるようにして強く勢いよく。粘ついた体液を、びゅるびゅるとまっすぐ女の口に撃ち込む。ナオは突き入れられた勃起を舌で巧みに包みこみ、飛びこんできた粘液を受け止める。
「くぁぁ……あぁ……」
 トリーは大きく足を開いて解放感に浸りながら、ひくひくと爪先を痙攣させてこぼし続ける。椅子からずり落ちそうになっても自分では支えない。思ったとおり、ナオが肩を入れて食い止めてくれた。
 快感が炸裂し、薄れ、引いていく。ゆるやかな着地を、ナオが優しく追いかけてくる。管の中のじくじくした出し残しを、「ん、ん」と鼻を鳴らして吸う。やがてすっかり快感がひくと、それにぴったり合わせて、つっと唇を離した。
 目を閉じ、口元を手で押さえてうつむく。「ナオさん……」と声をかけると、待って、というように開いた手のひらを突きつけられた。トリーはかがんでその顔を覗きこむ。
 ナオのあごの線が、細かく動いていた。口を手で塞いだまま、じっとうつむき続ける。耳まで赤い。すん、すん、と鼻息の音がする。
「あっひ向いへ」
 トリーは背を向けて下を穿きながら、こっそりと様子を伺った。ナオは少し手を離して小さく息を吐くと、それをくんくん嗅いでいるようだった。
 かなり長くそうしてから、ナオは立ち上がり、隣の椅子に腰掛けた。それでもまだ口を押さえて目を閉じている。ぐったりとカウンターに突っ伏し、頬を動かしている。トリーは声をかけないことにした。黙って見つめながら彼女の頭の中を想像するだけで、十分すぎるほど淫靡に思えた。
 ごくり……ごくり……と二度ほど喉を動かしてから、ふう、とナオはため息をついて目を開けた。潤んではいたが、むしろさっきの疲れた顔より生気が戻っているようだった。
「よかった……♪」
「そう?」
「ええ。お口にたぁっぷりたまって、味も匂いも、じわぁって来て……。夢みたいだった」
「ナオさんて、ほんと……だよね」
「ばか……」
 そう言って肩を小突くナオが、なぜか年の近い恋人のように見えて、トリーはどきりとした。
 髪を何度もかきあげながら、「生き返ったわ……」とナオは言い、思い出したように付け加えた。
「私、そんなに疲れて見えた?」
「だいぶ」
「でも、そうでもないのよ。プティがずいぶんよく手伝ってくれるから。あの子、おっぱいの出もいいし。疲れたのは……きっと、トリーがいなかったからね」
「それは……嬉しいな」
「もうちょっとしたら、またしてね」
「今?」
「違うわよ、また赤ちゃん産めるようになったらってこと……」
 そう言って、ナオは肉付きを気にするように腰の辺りを撫で回した。心配しなくてもそんなに太ってないよ、とトリーは言いたくなった。
 が、ふとあることを思い出して、つぶやいた。
「上の二人、気づいてたよ」
「え……?」
「これ。こういうことしてるの、知ってた」
「うそ」
 ナオはあわてて顔を起こし、カウンター越しに奥の階段のほうをうかがった。トリーは彼女のふっくらした二の腕に手をかけて、引き戻した。
「大丈夫、今日はもう寝たから……」
「そう?」
「もし来たら足音がするからわかるよ。気にしないで」
「ならいいけど……だめね、私そういう風になると夢中で、気づかないから。もっと気をつけるようにするわ」
 しきりに髪を撫で付ける彼女を、なんだかおかしいような気持ちでトリーは見つめていた。
「さっきのことだけど」
「さっき?」
「村人が出て行ってもいいのかっていう話」
「ああ……」
「ツェニーとチャイーが出て行くって言ったら、どうする?」
 本当は、別のことを聞きたかったのかもしれない。――つまり、二人が恋人を求めたら、ということを。
 偶然かどうか、ナオの答えもそれを汲んだようなものだった。
「あの子たちは出て行かないんじゃない?」
「どうして?」
「だって、二人ともトリーが大好きだもの」
 ナオはそう言うと、くすりと笑った。
「でも、あなたが二人と結ばれるのは……ちょっと妬けるわ」

 
 トリーはそのまま泊まるつもりだったが、赤ちゃんの夜鳴きで起こされちゃうわよ、とナオが言った。
「プティを帰したのもそのためよ。休ませてあげても、夜中に起こしちゃったら意味がないからね。こういうところ、二人で育てるのは便利だわ」
「すぐ四人になるよ」
 トリーが言うと、ナオは明るくうなずいた。
「クローマやクリスタが加わってくれたら、もっと楽になるわ」
 トリーはピオニー亭を出て、夜道を牧童小屋へ向かった。
 星空に黒々とそびえる西の峰のたもとに、小さな明かりがひとつ灯っていた。それを頼りに、トリーは斜面を登っていった。明かりがあるということは、プティはまだ起きているのだろう。
 ところが、樫の木の扉を開けて小屋に入ると、窓際にランプが一つ置かれているだけで、人気がなかった。
「……プティ?」
 彼女はうっかりものだが、火の始末を忘れるほどではない。そもそも、単に消し忘れたならランプはテーブルにあるはずだ。トリーはランプを手に奥の寝室に入る。ベッドに飴色の頭があった。そっと近づいて、顔を覗きこむ。
「プティ……?」
 返事はない。すやすやと寝息を立てている。起きていれば無視するわけがない。寝たふりをする理由があるとも思えない。本当に眠っている。
「んん……?」
 彼女がランプをつけっぱなしで寝た理由に、トリーは首をかしげたが、じきに理解した。
 もちろん彼女はトリーのために明かりを残しのだ。だが、多分来ないだろうとも思っていた。来ないとわかっていて待ち続けるのは寂しい。それで眠ることにした。
 だからこれは、眠ってしまってはいるけれど、やはりトリーを待っているのだ。というよりも、眠っているところへ不意にトリーが訪れることを願っているのだ。
 目がさめたら思いがけない贈り物があるかもしれない、という子供のような期待。
 トリーはかすかに笑って、ローブを脱ぎ、ランプを消した。
 毛布のはしを持ち上げ、ベッドに入る。乳臭いような香りのする温かみに迎えられる。プティに寄り添う。ふわふわした髪に縁取られたあどけない寝顔を、息がかかるほどの近さで見つめる。そばかすの浮いた鼻の頭に口付ける。「ン……」とプティが声を漏らす。
 中は一枚ものの薄い夜着だ。手を入れてゆっくりと撫でる。胸はふくよかに張っている。一度孕んだ腹も、なだらかなふくらみを残すだけに戻った。
 さらに何度も、繰り返しトリーは撫でる。同じ毛布に包まれた、素朴な匂いのする柔らかな娘の体を。
 クリスタを見て、クローマと戯れて、ナオに呑まれた一日だった。それだけだ。短い触れあいの後で、すぐ離れてしまった。
 ここには、ずっと抱きしめていてもいい相手がいる。
 トリーはプティにのしかかり、腕を回して抱きしめ、口付けした。温かい体を押しつぶすように体重をかけ、なめらかなふくらはぎにかかとを絡めた。
「ん……く……?」
 声を漏らし、プティがほんのわずかに身をこわばらせる。トリーは声をかけない。かけなくていいとわかっている。匂いと重さだけで通じる。舌を入れ、呼吸を奪うような口付けを続けていると、すぐにプティが力を抜いた。星明りの照らす顔に、ふんわりと嬉しそうな笑みが浮いていた。
 のしかかって抱きしめたまま、船に揺られるようにゆらゆらと揺らす。くふ、くふ、とプティが少し苦しげに息を漏らす。
 毛布の中で、自分と相手の下を剥いで、こすりつけた。挟まれて、大きくなる。どくどくと育ち、食いこむ。かすかな湿りと粘つきが感じられる。
 足をそろえたままのプティの股間に、トリーはしばらく差し込んでいた。むっちりと肉のついた太腿の締め付けが心地よい。じきに少しずつ動かして、勃起の背で谷間をこすった。
 やがてプティが震え始めた。谷間が潤み、小さな芽が飛び出してきたのがわかる。うずいている。こらえている。
 それがとても可愛らしくて、トリーは長すぎるほどその焦らしを続けてやった。
 とうとうプティが目を開けた。切なげに、せわしなく瞬きを繰り返す。そこで聞いてやってもよかった。どうしてほしい、と声をかけて、恥ずかしげな答えを引き出してもよかった。
 だがトリーはそうしなかった。そう聞く代わりに、唇を離して、耳元でささやいた。
「二人目を」
「ふぇ」
「産ませるよ」
 トリーは腰を浮かせて、プティの右足を胸まで折り曲げさせた。斜めにひきつれて開いた股間に、硬くなったものをあてがって深々と差しこんだ。
 つながった感触。体のもっとも深いところで結びついた感覚。火照った娘の内部を、根元まで埋めた陽根で味わいながら、トリーは毛布をあらためて肩まで引き上げ、動くほうの片腕でプティを抱きしめなおす。
 寒々とした世界の片隅にある小さな村の、小さな小屋の小さなぬくもりの中で、自分を待っていた娘とひとつに溶け合う。抱きしめられた娘のほうも、おずおずと腕を回して、抱きしめ返してきた。
 トリーは動かない。つながったままプティの首筋に口付けている。プティも動かない。貫かれたままで、ゆるやかに胸を上下させて、おとなしく抱きついている。
 つい不思議で、聞いてみた。
「このままでいいの?」
「だって、このままがいいんでしょう?」
 トリーが初めて知った愛くるしい娘が、幸せでたまらない、というように首筋に顔をこすり付けた。
「あたしもですぅ。ずっとつながってたい……」
 それを聞くと逆に、たまらなくなってきた。
 プティの子宮を思い浮かべながら、トリーはゆっくりと腰を動かし始めた。




ザントベルクの娘里  完


(2008/1/18-2010/3/2)