カピスタの昏き眼差し ――銀葉林綺譚――


 野営地を守るために海兵隊が周りを囲んた。連日襲ってくる獰猛な獣たちのせいで、遠征隊はすっかり殺気立っていた。
 新大陸の密林の奥深くは、油断のならない場所だった。
 わたしたちは内輪の秘密や自分たちだけの時間をすっかり奪われてしまった。手洗いにまで歩哨がついた。その最中に襲われる水兵が三人も出たというのが理由だが、それにしても、外の海兵二人に挟まれて、地面の穴の上を天幕で囲っただけの個室で用を足すのは、かなりの程度、苦痛だった。
 人目から逃れられるのは、野営地と手洗いの間の、ほんの二十ヤードほどの小道だけだった。そこには、どちらの明かりも届かない木陰がある。
 そこにヒオリが潜んでいた。
「セリ」
 短い呼びかけがあっただけ。気がついたら、木陰に引きずり込まれていた。男のものではありえない、細くしなやかな手が、丸太でも扱うように無造作に抱きしめた。わたしの憧れる、よく引き締まって強いヒオリの体が、わたしを縛り付けた。
 左の尻にかたく食い込む、ヒオリの勃起を感じた。わたしはささやき返す。
「見つかるわ」
「ここなら大丈夫。ねえ、セリ?」
 乙女めいた可憐な顔をわたしの耳元に寄せて、ヒオリがささやく。楽しげで、期待に満ち、ほんの少しだけ遠慮のこもった声音だ。行いと器官と声のすべてで、今すぐこの場で犯させてほしいと懇願している。
 わたしは、自分の肉付きのいい体が相手を刺激してしまうことをわかった上で、無言でうねうねと身をもがく。思ったとおり、ヒオリの指が強く乳房に食い込んできた。男性器がごろごろとわたしの尻の上で左右に転がる。二分も続ければ射精してしまうだろうと、もう経験からわかる。
 動悸が高まり、下腹がじいんと熱くなる。ヒオリに求められるのは、このうえない喜びだ。この陽性で美しい光の精のような娘の価値は、フリゲート艦「絶え間なき西風号」の誰もが認めている。軽やかで上品な長い黒髪を持ち、赤ラインで縁取りされた、黒ラシャの軍服めいた短いワンピースの制服を身に着け、すらりとした足を太腿まで締め付ける光沢のあるタイツを履いている。それが誰よりも似合っている。
 そして彼女は、カピスタという先祖返りの半陰陽種族だ。女でありながら男性器を持っている。それが彼女に特別な魅力が付け加えている。だが彼女は、それをわたし以外の誰に対しても隠している。
 特別で輝くような彼女に比べると、わたしには陰性という言葉がよく似合う。湿ったような重い銀髪で、胸にも尻にも重ったるく肉がついている。青ラインの制服がいつもきつい。眼鏡越しに冷たく人を見つめている。少なからず自分を嫌っている。
 そしてわたしは、カピスタでもなんでもないただの女で、彼女と違って他のパートナーを選べない。彼女がいないと耐えられない。
 だがそれを明かす気は絶対にない。
 わたしは、悟られぬよう太腿をきつく閉じ合わせる。ショーツの中がみるみる潤んでうずいてきたことなど、彼女に教えたくない。
 教えたくはない――が、知ってほしい。わたしの隠蔽を叩き割って突き破ってほしい。それがわたしの歪んだ願い。
 わたしは本音を最大限隠して、拒絶する。
「さっき、始まったのよ」
「うそ」
「数えてよ。もう二十八日たってるでしょ」
 ヒオリはつかのま沈黙した。肌を重ねるようになってもう長いから、体の周期はお互いわかっている。やがてどうやら納得したらしく、うつむいた。
 落胆している。獲物を襲うことが出来なくて、がっかりしている。
 それを見ながら、わたしは背中を這い上がるくすぐったい優越感を楽しむ。
 フリゲート艦の艦内で、わたしは彼女に身を捧げた。
 意を決して、彼女に処女を与えたのだ。わたしの監視を感じなくなったことで、ヒオリは欲望をすべてさらけ出し、思うさまにわたしをむさぼってくれた。目が覚めてから、わたしは彼女がしたことの証をしっかりと受けとめた。体中につけられた口付けの跡や、大切な部分に刻まれた鈍痛、そしてたっぷりと注がれた子種などを。
 それは確かに喜びだった。目が覚めたら下腹に何かが詰まっているという、生理的な不快感さえ、夜が明けて恥じ入っているヒオリを見ているうちに、心地よさに変わった。
 それでヒオリはすっかり自信を取り戻し、わたしの上に立つ弾道官としても、身体的なパートナーとしても、元のように快活になったのだが――。
 そのあと、少し行き過ぎになった一時期があった。具体的に言うと、わたしをいきなり押し倒して犯そうとしたり、寝ているところを襲ってきたりしたのだ。
 そのときにわたしは、暗い引け目のないヒオリがそれほど魅力的ではないということを知った。
 だから、行き過ぎを是正した。彼女の行為を、何度か強烈に拒否してやった。
 前回は、艦内で彼女をいじめすぎて、ふたなりのくせに勃起しないというひどい状態に追い込んでしまった。だから今回は慎重に加減した。あまりにも我慢が続いてつらそうなときには、ある程度好きにさせて、欲望を発散させてやった。(ただし、本当に交わらせたのはあの晩一回きりだ)
 その甲斐あって、今のヒオリは、以前のように裏表のある状態に戻っている。艦長その他、周囲の人間に対しては明るく優れた態度を取りつつも、わたしの前では微妙に卑屈になる、という状態に。
 この調査隊が出発する直前、つまり五日前にも、一度相手をしてやった。彼女の好きなわたしの乳房を思う存分口で吸わせて、はしたなくいきりたった男根を、満足するまで手で搾ってやった。溜まっていた精汁をすっきりと吐き出して、とても喜んでいた。
 だから今はまだは、彼女はそんなに危険なほど溜まってはいないはずだ。拒んでもいい。
 ぐい、と引きずるようにしてしゃがまされた。ヒオリがわたしの正面に立つ。顔の前にヒオリの腹が来る。本来、股間に向けてほのかな谷を作るはずのスカートの前が、挑発的に持ち上がっている。
 どういう意味、というようにわたしは見上げた。ヒオリがじれったそうにささやく。
「飲んで?」
 そう言って、わたしの頭を股間へ押し付けようとした。ぐぐぐ、と手にこもる力に、わたしはのけぞって抵抗しようとする。
 いきなり、ふっ、と手の力が抜けた。
 わたしは力あまって、がくんと仰向けになりかける。
 体勢が崩れたその瞬間、ヒオリがもう一度頭を押さえ、同時に軽く背伸びした。
 わたしはすっぽりとヒオリのスカートの中に収まってしまった。水兵たちの誰もが覗きたいと思っているそこを、ヒオリは自分からわたしになすりつける。絹のなめらかな下着にわたしの鼻面が埋まる。
 軽く吸うだけで流れ込んでくる、ヒオリのそこの海草のような匂い。
 ぎっちりと充填されて熱と重さを発散する、布越しの勃起。
 そういったものを露骨に押し付けられて、わたしの理性は急速に蒸発していく。ヒオリの相手をするのは、楽しみであるとともに、冒険でもある。魅力的すぎて、すぐ溺れたくなる。
「……ふぁ」
 目が濡れ、勝手に口が開いた。ヒオリがほしい――ヒオリに思い切り印をつけられたいという欲求が水位を増し、頭のてっぺんまで満ちそうになった。
 しかしそこで、こらえた。今はヒオリが主導権を取っている。こんな形で従ったらいけない。これではお互いが不幸になる。
 強烈な獣欲を縛り付けてやってこそ、カピスタは美しく魅力的になるのだ。
 わたしは顔を横に傾けて、あぐり、とヒオリの幹を噛んだ。なるべく痛むように、かつ、絶対に傷つけないように。
「ぎぃっ!?」
 ヒオリが悲鳴をあげ、腰を引いた。口から逃れた性器が、臆病な小動物のようにひくひくと跳ねた。
 わたしはスカートから顔を出して、ぺろりと唇を舐めた。
「だめと言ってるでしょ、ヒオリ。ここは人目が多すぎる」
「セリ……!」
「セリさま、弾道官閣下! ご無事ですか!」
 おりよく、野営地のほうから海兵の声がした。
 ヒオリは数秒の間、わたしの口に挿入しようと、未練たらしく腰をもぞつかせた。わたしは押し殺した声でささやいた。
「ほら、ヒオリ。正気になって!」
 ばちんと音を立てて太腿を叩いてやると、ヒオリはようやく、はっと目の光を取り戻した。きちきちに突っ張ったショーツの前に、短いスカートを無理やり押し下げながら、ささやく。
「行って、セリ」
「言われなくても」
 わたしは木陰から出て小道に戻った。内心では動悸が止まらず、子宮のあたりが泣いているようにきゅうとうずいていた。
 必要だとわかってはいても、ヒオリの誘いを断るのは努力が要る。
 道を行くと、向こうから来た海兵と出会った。
「セリさま、ご異常は?」
「ないわ。うるさいわよ」
「は、失礼を。――しかしダスティン卿が警戒を怠るなと」
「女の手洗いを急かすなと副長に伝えて」
 わたしは天幕に戻った。これも手洗いと同じで、携行性を最優先にした、腹が立つほど薄い布製の代物だ。舌打ちひとつしただけで隣の天幕にまで聞かれてしまうだろう。
 これも、ヒオリを抑制する枷のひとつとなっていた。人に聞かれることを、彼女は滑稽なほど気にしていた。
 五分ほどたつと、わたしと入れ替わりに手洗いに行ったヒオリが戻ってきた。天幕に入り、木の枝を組んで毛布をかけたベッドに腰を下ろす。
 ちらりとわたしに目を向けてきた。懇願の眼差しだ。わたしは無言で首を振り、入り口のほうを指さす。そのすぐ外、つまり二歩と離れていないところに歩哨がいる。
 ヒオリはため息をついてうつむいた。
 わたしはさりげなく、彼女を念入りに観察した。折れてしまうのだけは、防がなければならない。彼女がどうしてもつらいようだったら、そばへ行って、処理してやるつもりだった。
 だが彼女は、やにわに手荷物から茶色の瓶を取り出すと、丸薬を呑んで寝てしまった。わたしにも見覚えのある、船医に処方された強烈な眠り薬だ。
 今のところ、彼女はまだ獣欲を抑える余裕があるようだ。わたしはほっとして、先のことを考えた。
 はたしてこんな調子で、この探検が終わるまでうまくやっていけるのだろうか。
 わたしたちはまだ大銀脈を見つけていない。それどころか、ナルカルベナ川の水源にすらたどりついていない。

  ‡

 十日前、わたしたちは新大陸の幻鏡湾に停泊して、待ち焦がれた光景を目にした。
 練絹を広げたような柔かい白銀の微光が、海面を埋め尽くすさまを。
「これが『幻鏡燦』……」
 ヒオリがガンネルに両手をついて、子供のように目を輝かせた。彼女と並んで、私も見た。
 夕方から始まった奇跡は、夜が深まるにつれて沖のほうへ広がっていった。月のない夜だったにもかかわらず、幻鏡湾は光に満ちた。微光は表面的なものではなく、層となった海水の全体から湧いていた。それらが河口から注がれる河流にかき回されて、湾の中に幻想的な光の渦をゆったりと形作っていた。
 この現象は二ヵ月に一度起こる。ネリド共和国海軍の「絶え間なき西風号」が幻鏡湾を目指したのは、そもそもこれが目当てだった。大陸を見出した初期の航海者が、その現象に名前をつけた。
『幻鏡燦』と。
「きれい……まるで海の中の極光ね」
 わたしは半面を光に照らされたヒオリのほうが綺麗だと思いつつ、言った。
「あなたは子供のようね」
「なによ。きれいなものをきれいと言って悪いの?」
「もちろん悪いと言うことはないわ。あっちに群れている船員たちだって同じことを考えているに違いない。でも幹部連はそうは考えないでしょうね。特にカーマイン艦長たちは」
「彼らが何をすると言うの」
 ヒオリが振り向いて、形のいい細眉をいぶかしげにひそめる。そういう顔をしても彼女にはどこかしら気品がある。
 わたしは、いつもの卑怯な道具――ほとんど見透かされたことのない冷たい無表情――を使いながら、答える。
「調べて奪うでしょうね」
「なにを?」
「価値あるものを」
「こんな壮大なものを奪えるとは思わないわ!」 
 ヒオリは両手を広げて言った。
 翌朝になると、神秘的な現象は嘘のように消え去った。密林の生い茂る陸地に抱かれて、幻鏡湾は穏やかな、どこにでもあるような海面をさらした。外海の海流が、湾を洗ってきれいさっぱり光を持ちさってしまったらしかった。ヒオリは少し残念そうだったが、満足な顔をしていた。
 だが、わたしの予想どおり、満足しないひとびとがいた。
 その翌日になって、調査隊が編成された。幻鏡湾に注ぐ大河、ナルカルベナ川の水源地を探すという名目だった。上陸調査をすれば、原住民との接触が予想される。当然、わたしたちも同行を頼まれる(実体は命令だが)と思った。ところが、調査隊のリストにわたしたちの名前はなかった。
 ぴんと来たわたしは、フリゲート艦の幹部と談判しにいった。女を連れて行くのは危険だと言い張る艦長たちを相手に、真の目的を聞き出すには、半時間あまりもかかった。
「銀鉱?」
「そうです」
 五十代のカーマイン艦長は、無精ひげの生えた精悍な顔に渋い表情を浮かべて、デスクに小瓶を出した。
「ドクター・シフランに、幻鏡燦が発生している最中の海水を調べてもらいました。その結果、あの光沢物質は特殊な形で安定した銀化合物だとわかったのです。ナルカルベナ川の上流には、どうやら大規模な銀鉱脈が存在しているらしい。海に散った銀を集めることはできないが、銀鉱ならば掘ることができます。新しい銀山が見つかれば、共和国の国益に大いに資することでしょう」
 わたしは小瓶を取って日に透かした。絵の具を思わせる、光沢のある濃密な液体が、ゆっくりと瓶の中で回った。化合物云々という話に興味はなかったが、それが共和国に与える影響についてはわたしにもわかった。
「あなたの利益にもね」
 艦長は顔をゆがめたが、彼の隣にいたサー・ダスティン・シュタイン・グレイヴ副長がにやりと笑って言った。
「もちろん。そしてあなたたちにも、だ」
 彼が方針を変えたのがわかった。弾道官をのけ者にして、できるだけ取り分を増やそうとしていたが、ごまかせなくなったので、逆に抱き込むことにしたのだろう。
 わたしは薄笑いを浮かべて、言ってやった。
「わたしたちを戦利品の頭割りの人数に加える必要はない。でも調査隊には参加するわ」
「どういうことですか」
「そのままの意味よ。分け前はいらないと言っているの」
 艦長はそれを聞いて苦笑した。ダスティン卿は曖昧に微笑んでいた。
 卿の戸惑いは、わからないでもない。わたしだってどちらかといえば彼に似た人間だ。生臭い世俗的な欲望を持っている。金儲けをして、うだつの上がらない両親を少しは驚かせてやりたい、とも思う。
 だがヒオリは現世利益そのものに興味がない。見たことのないもの見て、誰も知らないことを知ることが目的だ。とくに自らのカピスタという種族の秘密を求めている。そしてわたしもそういう彼女を好み、合わせようとしている。
 副長には、そんな彼女のことはずっとわからないだろう。わたしはひそかに優越感を抱いた。
 ヒオリに話を伝えると、単純に喜んだ。
「まだネリド人が誰一人入ったことのない土地を探検するのね。楽しみだわ」
「可愛い土民の娘もいるかもしれないわね」
 わたしがそういうと、つかの間きょとんとしてから、ヒオリは顔を赤らめた。
「……そんなこと!」
 否定の言葉とはうらはらに、彼女が何か乙女らしからぬことを期待したのは明らかだった。
 やがて艦長付きの従卒がやってきて、わたしたちが調査隊に参加するよう、改めて懇請する旨を伝えた。
 三日後、幻鏡湾の海岸で準備を整えた調査隊が、川に沿って出発した。総勢四十名、フリゲート艦の乗員の三分の一近くがその隊に割り当てられ、ダスティン卿が指揮を取った。
 わたしたちは、新大陸の密林に踏み込んだ。

  ‡

 重なりあって生い茂る木々のどこかから、ヒューホホホホホ、と不気味な猿の吠え声が聞こえた。
 列になって進む一行は、顔を上げもしない。森に入った最初のころは、その鳴き声に驚いたが、無害なやせ細った猿の声だということがわかると、誰も気にしなくなった。
 それでなくても、重い荷物を背負ってうだるような暑さの中を連日歩いていくのだから、声のほうを見る余裕など誰もない。
 わたしも無視していた。弾道官付きキャディであるわたしは、私物を水兵に任せ、ヒッコリーの狙擲棍を収めたバッグしか担いでいない。それでも疲れが溜まっていた。
 ひとり、素手のヒオリだけが、ふと顔を上げた。
 苔むした倒木の上に立って、頭上を見回す。高さ五十ヤードにも達する巨木が立ち並び、蔦と下草が生い茂っており、視界は著しく悪い。
 彼女を待つために列が止まってしまった。わたしは苛立って言った。
「早くしてよ、ヒオリ」
「雌が答えない」
「なんですって?」
「あの猿の声には、今まで必ず雌猿が答えていたはず。誰か二度目の声を聞いた?」
 ヒオリが水兵たちを見下ろした。男たちが疲れた顔で首を横に振る。
 ヒオリの雰囲気が変わった。わたしに手を差し出して言う。
「鋼の九番!」
 声に鋭い張りがあった。わたしは、半ば反射的にバッグから近距離用の長棍を取り出して、差し出す。続いて弾丸も取り出すと、ヒオリはそれをひったくるように取って言った。
「支持役はいい、セリは木の三番を使って」
 ざわ、と不吉な予感が立ち上がった。わたしは性急に聞いた。
「敵なの?」
 キャディのわたしに棍を握れと命じるのは、近づく敵から自分を守れという意味だ。ヒオリがうなずく。
「生き物の声がしない。黙っている。誰かいるわ!」
 それを聞いたわたしは、振り返って隊長に報告しようとした。
「ダスティン卿! 戦闘準備を――」
 わたしの目に、隊列の後方から降ってくる複数の人影が移った。はるか頭上の木の枝に結びつけた蔓につかまり、振り子のようにぶら下がっているのだ――と理解したときには、彼らはもう蔓を手離し、隊列に向かって落下してきていた。
「後ろ!」
 降り返ろうとした最後尾の海兵を、敵がぐしゃりと踏み潰した。次々に降りてきた戦士たちを見て、一瞬、水兵が静まり返る。
 敵は異形だった。顔が縦長で恐ろしく大きい。ねじまがった髪が噴泉のようにぼうぼうと生えている。目は三角に切れあがり、上下二段に四つも並んでいる。
 三日月のように釣り上がった口から、奇声が漏れた。
 ひやあおおおおお!
 その直前、わたしは相手が木の面をかぶっていることに気付いた。中身はただの人間だ!
「みんな、こいつらは――」
 だがわたしが叫ぶより早く、敵は襲ってきた。
 石斧を振りかぶって、凄まじい勢いで突っこんでくる。水兵たちがぎょっと驚き、円月刀を抜いたが、歯がゆいほど遅かった。
 たちまち二、三人の水兵が頭や腕を強打されて、ばたばたと倒れた。
 先手を取られた水兵たちが動揺し、浮き足立ちそうになる。
 その瞬間、隊列の頭上を、ゴッと風を切って硬く小さいものがすっ飛んでいき、先頭の敵の顔面を音高くはじいた。
 かこぉぉ……ん
 当たったのは石だった。敵の顔が、いや、仮面が割れる。中から浅黒い肌をした、鼻翼の大きな男の顔が現れる。
 ヒオリの叫びが走った。
「西風号、防御円陣!」
 水兵たちの頭には、長い航海の間に、乗艦の名が自分の姓よりも重要なものとして刻み付けられている。落水した時、仲間を探すとき、彼らはいの一番に艦名を叫ぶ。
 ヒオリの叫んだそれが、海軍兵士としての意識を叩き起こした。
 目が覚めたように、水兵たちがいっせいに寄り集まり、鋭い刀の先を四方へ向けた。その間にもう一度、空気を切るスパッという小気味いい音ともに、鋼球が飛び、敵の小柄な戦士をひとり、打ちのめした。
 倒木の上で長棍を降りぬいた姿勢のヒオリを、水兵たちが惚れ惚れと眺めていた。
 ひとり、まったく異なる表情の男がいた。調査隊長の、ダスティン卿だ。彼は木の上を見上げて苛立たしげに言った。
「弾道官どの、降りてください! 部隊の指揮は私の仕事だ!」
「ええ、お願い。――敵はもう逃げていくようだから」
 ヒオリはあっさりと言って、身軽に倒木から飛び降りた。ダスティン卿が驚いたように前方を振り向くと、ヒオリの言ったとおり、敵の戦士たちは影のように音もなくしりぞいて行くところだった。
 完全に出番を取られた形のダスティン卿が、怒りに顔を赤らめる。水兵たちが声をあげて笑った。
 ヒオリがわたしのそばに来て肩を叩いた。
「来て。一人、しとめたと思う」
「殺したの?」
「いえ、こめかみに当てたの。生け捕りにできるかもしれない」
「わかった。そこの三名! 手伝って」
 三十歩ほど戻ると、シダのしげみの中に、茶色の肌の戦士が仰向けに倒れていた。ヒオリの言ったとおり、仮面の左のこめかみに小さな穴が開いている。恐ろしいほどの精度だ。よくこんなに器用に狙えるものだ。
 円月刀を構えた水兵が、左右から戦士の腕を取ろうとした。
 その途端、待ちかまえていたようにそいつが跳ね起きた。不自然な寝姿から、両手の力でくるりと逆立ちをして、両足を大きく広げ、左右の水兵に蹴りを入れる。ぱ・ぱん! とキレのいい音がして、水兵が吹き飛ばされた。
 わたしはそいつの体格を見た。小柄なだけでなく、細くしなやかな体つきをしていた。ヒオリに似ている――けれど、あれは?
 もう一人の水兵が、敵に切りつけようとした。戦士はくるりと回転扉のように身をかわして、後ろ向きに体当たりした。その動きの中に、うまく肘か膝頭の一撃を混ぜていたらしい。ゴキッと硬い音がして、水兵がギャッと体を折った。
「セリ!」
 言われるまでもなく、わたしは木の三番を肩に担ぐように構えて前に出た。戦い方はとうに決めてあった。敵は内懐に入り込んで、素手で攻撃してくるタイプだ。
「シャアッ!」
 威嚇の声をあげて、敵が低い姿勢で突っ込んできた。わたしは制服のポケットから鋼球を出して握り締め、敵へ走った。
 あと数歩で接触、というところで、鋼球をふわりと投げた。敵は見事にこれを見切った。たん、と地面を切って頭上へ飛ぶ。驚くべき跳躍力だ。鋼球は誰もいない空間を横切る。
 でもわたしはこれを待っていた。
「ふっ!」
 息を吐きながら、思い切りお辞儀をして、肩に担いだ長棍の根元を跳ね上げた。先端の重い撃頭が、前上方へと伸び上がる。ガツッと手ごたえを感じたところで、思い切り引いた。
 どさっと敵が落ちてきた。L字の撃頭がどこにひっかかったのか知らないが、三ヤードも飛び上がったのに引きずり下ろされるとは思わなかっただろう。
 敵に隙ができたその一瞬――ふつうの剣士なら間合いを詰めるべきときに、わたしは二歩分飛びのいて、距離を取った。
 仮面の奥で、敵の目に戸惑いが浮かぶのが、はっきり見えた。
「んん、ふっ!」
 わたしは腕を思い切り伸ばして旋回した。わたしの体軸から指先まで一ヤードに一インチ欠ける。それプラス、長棍の一ヤード二フィート三インチ。
 大きな円軌道に乗った撃頭が、次の行動に出ようとしていた敵の頭部を、真横からぶちのめした。
 毒牙を打ち込む蛇のように。
「ひゃぶっ」
 奇妙なうめきとともに、敵の仮面が外れて飛んだ。くしゃくしゃの銀の長髪がばらりと広がり、失神しつつある瞬間の、白目を剥いた顔が見えた。
 水兵たちが声をあげた。
「――女!?」
「ええ」
 わたしがうなずくとともに、そいつはどさりと倒れた。
 体を覆う木の枝の蓑がはだけて、褐色の乳房が覗いていた。
 わたしたちはそいつを生け捕りにした。

 少し進んだところで、そびえ立つ崖にぶつかった。そこでは、ナルカルベナ川が幅広の雄大な滝になって降り注いでいた。いまや捕虜を尋問する理由が二つに増えたわけだ。銀脈についてと、この崖を越えるルートについて。
 ダスティン卿はキャンプの設営を命じ、捕虜と同性のわたしたちに尋問を依頼した。
 尋問といわれても、わたしたちは現地人の言葉を知らない。苦労するだろうと思っていたら、年配の水兵が一人送りこまれてきた。天幕の入り口で直立不動になって名乗る。
「フォア・トップマンのバスコっていいやす。弾道官さまのお手伝いをしにまいりました」
「おまえは現地人の言葉がわかるの?」
「あっしは『猪突する壮士号』に乗り組んでおりました」
「――あの、最初に財宝を積んで戻ったフリゲート艦の?」
 ヒオリが身を乗り出した。ご存知なんですかい、とバスコが日焼けした顔をほころばせる。
「壮士号が大陸の金砂湾に停泊しているあいだ、土人の連中と談判をして、いくらかことばを覚えやした。あそこはここから五十マイルも離れていやがるんで、すっかり言葉が通じるかどうか、わかりやせんが……」
「何もわからないよりはマシだわ。よろしく、バスコ」
 わたしとヒオリは、左右から彼に笑いかけた。バスコは両手の指をもじもじと組み合わせてうつむいた。
「あんまり近寄らないでくだせえ」
「わたしたちが嫌い?」
「そうじゃあねえんで。その、恥ずかしながら……あっしはこの年になるまで女ってもんを知らずに来ちまったんで、こんな風に話すのは初めてなんでさあ。今もその……本当にいやらしい言い方で申し訳ねえんですが、弾道官さまのいい匂いのせいで頭がガンガン鳴るわ、息ができなくなるわ、大変な騒ぎなんで」
 ヒオリと顔を見合わせて、わたしたちは笑った。
「ごめんなさい、それじゃあ離れておくわ。それより仕事を始めましょう」
 わたしたちは、ベッドに寝かせた現地人に向き直った。
 年のころ十四、五と見える、褐色の肌の女戦士。
 わたしはふと思い立って、濡れタオルを持ってこさせた。ほこりや泥のついた彼女の肌を拭うと、琥珀を思わせる美しい色艶が覗いた。胸や腰に巻いている蓑や草の葉の類も取り払って、全裸にした。現れた豊かな乳房や、しっかりと肉のついた尻周りも、丁寧に拭いてやった。
「バスコ、ぼーっと見てないで手伝いなさい」
「は、あの、その……」
「おかしな想像をしない! これは土民の娘よ」
 わたしは、わざといかめしい表情を作って、バスコをしかりつけ、手伝わせた。かわいそうにこの初心な男は、真っ赤になってしまい、心なしか腰を引くようにして、やりにくそうに働いていた。
 気の毒だけど、弾道官のヒオリを働かせるわけにはいかないから、仕方ない。
 彼は彼で面白かったが、わたしはヒオリの様子も、ひそかに観察していた。彼女は壁際に立って腕組みしていた。かなり完璧に無表情を保っていたが、不自然に口数が少ないので、付き合いの長いわたしには、彼女が強く自制していることがよくわかった。
 二人の気持ちは、わたしにも多少わかった。きちんと綺麗にしてやると、この現地人の娘は十分に美しい容姿をしていた。からみあっていた銀髪に櫛を入れてやると、まるで水のようにさらさらと櫛の歯を通した。頭はとてもきれいな卵形で、耳が少し獣のように尖っていた。
 シーツを着せると、珍しい肌の色もあいまって、異国の妖精のような姿になった。
 背丈はわたしやヒオリより拳ふたつ分低く、体つきは未発達で幼いが、男の注目する部分はほかよりも成熟しているように見える。
「きっと、早熟な種族なのね」
 わたしがつぶやくと、ヒオリがうなずいた。彼女のやけに真剣な目つきで、その頭の中のことがわかってしまい、わたしはくすりと笑った。
 両手足をベッドに縛りつけて、アンモニアを嗅がせた。顔をしかめて何度も大きなクシャミをし、娘は目覚めた。
「ふあ……?」
 ぼんやりと左右を見回してから、はっと目を見開いて、飛び起きようとした。縄に手足を引かれて、ダンとベッドに叩きつけられる。逃げられないと知ると、歯を剥いた。ふぁーっ! ふぁーっ! と何度も威嚇の息を漏らす。
 準備を終えたわたしは後ろに下がった。代わりにヒオリがバスコに合図してから、娘の顔を覗きこんだ。
「おはよう、目が覚めたわね。では、まず名前を聞こうかしら」
 バスコが乾いた葉を打ち合わせるような音を、何音節か発した。むっとした顔で、娘がそちらを見た。
 通じるだろうか。
 娘はぶっきらぼうな口調で、何か言った。バスコが二度ほど聞き返してから、こちらを向いた。
「パシニア、と言っているようでやす」
「ありがとう。娘、おまえの名前はパシニアね? 私はヒオリよ」
 ヒオリが顔を近づけて言った。娘が彼女を見て、意外なほど正確な発音で言った。
「ヒオリ?」
「そう、ヒオリよ。パシニア」
「ぺッ」
 パシニアは唾を吐いた。ヒオリの頬に唾液がぴちゃっと当たった。
 バスコが顔色を変えて武器を握った。水兵の体罰に使う革の鞭だ。わたしも緊張した。ヒオリがこういう形の侮辱を受けるのは初めて見た。彼女はどう反応するだろうか。
 ヒオリは表情を変えずに、ゆっくりと頬をタオルで拭いた。そして続けた。
「さっきの襲撃のときもそうだったけど、最初から戦いを挑むのは賢くないわ。人間はまず話し合うべきだと思うの」
 バスコの通訳。パシニアが答える。
「強いほうが正しい」
「なら私が正しいことになる。さっきおまえを倒したのは私よ」
 それを伝えると、パシニアの顔に明らかな動揺が走った。気付いていなかったのだろう。
 無理もない。私たちの弾道術は、この世の何よりも遠くから敵を倒す。
「私たちは質問をしたいの。素直に答えれば解放してやるわ。一、この崖を越えるにはどうしたらいいか。二、この川の上流には銀鉱脈があるのか」
 バスコが一の質問をすると、パシニアは苦しげな顔で沈黙してから、言った。
「その方法はウカニヤ族の秘密だ。言えない」
 わたしたちは目顔で笑みを交わした。これで少なくとも、崖を越えられるということと、越えることに意味がありそうだということがわかった。
 だが、二番目の質問をした時の反応は、想像を絶するものだった。
 突然大声で喚きだし、固定された手足を必死にばたばたと動かし始めたのだ。
「だめだ、だめだ。絶対に近づいてはいけない、と言ってやす」
「近づくなとは、何に?」
「なんだ、おい。ええ? ――銀の葉の森?」
 バスコが振り向いて、驚きのにじむ声で言った。
「銀の葉の森は、生者が決して足を踏み入れてはいけないウカニヤ族の霊地だと言ってやす」
「……銀葉林、か」
 わたしはごくりと唾を飲み込んだ。それは比喩なのだろうか、それとも文字通りの意味なのだろうか。想像が広がった。
 月のない夜、湖を囲む森。ざわと強い風が吹くとともに、はらはらと散り始める無数の葉。それはすべて鈍く輝く銀の粉に覆われていて、高く低く舞い上がると、吹雪にも似た輝く渦をいくつもいくつも巻き起こし、見るものを狂わせてしまうのかもしれない……。
「そこへはどうやって行くの?」
 ヒオリが尋ねた途端、パシニアは口をつぐんだ。
 それきりだった。何度尋ねても、優しく説得しても、声を荒げても、しゃべらなくなった。それだけ大事な秘密だということなのだろう。
 バスコが鞭を振り上げた。
「こいつ、生意気にだんまりを決め込みやがって、痛い目にあわせてやろうか!」
「待って、バスコ。それは下策よ」
 手を伸ばして、わたしは遮った。彼がわたしを見た。わたしは冷静に考えた。
 じきに自然に薄笑いが浮いてきた。ヒオリを最初に捕まえたときと同じ、わたしの心の暗い回路が、うずき始めていた。
「バスコ、こいつの言葉の『いい』と『悪い』、『従う』をわたしに教えて」
「そんなことを知ってどうなさるんでやすか?」
「いいから」
「はあ……『いい』は『フィフ』、『悪い』は『ニヤ』、『従う』は『サパシュ』でやす」
「フィフ、ニヤ、サパシュね。ありがとう。ではこれから、二人で特別な尋問をします。おまえはしばらく出ていて」
「特別ってえと?」
「女同士の方法があるのよ。歩哨に、全員天幕から十歩以上離れろと伝えて」
 意味ありげに笑ってみせると、バスコはまた顔を赤らめて、わかりやしたと敬礼した。
 彼が出て行くと、わたしはヒオリに顔を向けた。
「彼、素直でいい男よね。覚えておいてやりましょう」
「何をするつもりなの?」
 そう聞くヒオリの顔には、抑えがたい好奇の色が浮かんでいる。彼女も、これから起こることの見当がついたようだ。
「まずはこの子を縛りなおすわ。手伝って、片足ずつよ」
 単純な大の字になっていたパシニアを、両足がM字に開くように縛りなおした。体を起こして、両手は膝に縛り付ける。いろいろと抵抗したけれど、腋の下をくすぐると途端に笑い出して全身ふにゃふにゃになった。
 姿勢を変え終わると、わたしはベッドに腰掛けて後ろからパシニアに体を寄せつつ、ヒオリに言った。
「あなたは、足元に立って見ていて」
「何もしなくていいの?」
「そのうちたくさんしてもらうわ」
 そう言うと、わたしは身動きできないパシニアの後ろから、ふわりと体を当てた。わたしよりも細く小柄なパシニアが、ぞわりと鳥肌を立てる。
「ヒッ!?」
「自己紹介がまだだったわね。わたしはセリよ。覚えてちょうだい、パシニア」
 パシニアが肩越しに振り向いて何事か喚いた。それを無視して、わたしは腋の下に両手を差し入れた。
「パシニア、『フィフ』?」
 彼女は胴体にシーツを巻いている。そのシーツごと、両の乳房を下から握った。熟す前のりんごほどの大きさの肉が、ふるんと手のひらに乗った。
 嫌悪に肌を震わせて、パシニアが体をばたつかせる。
「ニヤ! ニヤ!」
「『ニヤ』ね? この程度でそんなことを言われても困るわ」
 薄手のシーツ越しに乳房をまさぐって、頂上を見出した。小豆ほどもない小さなその粒を、ぐりっと爪を立てて挟む。びくんと裸の肩が痙攣した。
「ンギィィッ!」
「フィフ? ニヤ?」
「ニ、ニヤッ、ニヤァァ!」
「わかるわ。じゃあ、これは?」
 爪を離し、柔らかく手のひらをかぶせた。伏せた椀を回すように、ゆるゆると優しく揉む。パシニアがうつむいて、弱弱しく首を振った。
「ニヤ……ニヤッ」
「わかってないわね。こっちは?」
 再び、乳首を爪で挟む。容赦はしない。潰れるほどの加虐。目を見開いて、パシニアが絶叫する。
「プキ、プキィッ、ニヤァァアア!」
「『プキ』は『痛い』かしら。はい、こちらは……?」
 また手を離して、労わるように乳房を揉んでやった。わたしやヒオリよりも生硬な感じの、幼い丘。きっと誰にも触れられたことはないだろう。
 パシニアは、はぁはぁと息を荒げながら、ぽつりと答える。
「フィフ……」
「フィフ、フィフ。そうよ、ちゃんと答えられたわね」
 ようやく期待通りの返事をした。わたしは穏やかな声をかけ、しばらく胸を愛撫してやった。
 それから、笹の葉のように薄く尖った耳朶を、ぱくりと口にくわえた。パシニアがまた震える。
「ンフッ?」
 くちゅくちゅと唾液で濡らしてやる。髪からは雨の森の匂いがした。花の香りのヒオリに比べたら田舎者もいいところだけど、悪くはない。
「パシニア、フィフ?」
「ニア――」
 言いかけたところで、口を開けて、ガチンと音を立てて噛みついた。びくぅっ! とパシニアが雷に打たれたように体を引きつらせる。
「プキィーッ!!」
「これはニアよね。はい、こちらは?」
 もう一度柔らかく口に含み、ちうちうと軽く吸うようにして舐めまわす。噛んだところは切れて血が出ていた。舌先を当てて、優しくくすぐってやった。
 パシニアが、肩を落として涙声でささやく。
「フィフ……」
「じゃあこれは?」
 カーテンをめくるように長い銀髪をすくいあげて、その下の細い首筋に口付けした。こめかみと肩の間を、押し付けた舌先で何度も往復してやると、パシニアは目を閉じてぞくぞくと震えた。尖った耳が、ぺこりと低く萎える。
「フィフ」
「わかってきたじゃない」
 わたしはもう一度耳に顔を近づけて、ささやいた。
「パシニア……『サパシュ』?」
 服従させるのが目的だ。言質を取れば、尋問が進めやすくなるだろう。
「サパ……」
 耳を伏せて屈服しかかっていたパシニアが、はっと目を見張り、懸命に首を振った。
「ニウル! カッサ パハ ニウル!」
 意味は大体想像がついた。わたしはため息をついた。
「嫌って言ったんでしょうね。強情だこと」
 それから顔を上げて、ヒオリに目をやった。思わず笑みが漏れた。
「切ない?」
 ヒオリが食いしばった歯の間から、悔しげな声を漏らした。
「……わかってるくせにっ……!」
 彼女はスカートの裾を両手で懸命に押さえていた。それでも股間の膨らみを隠し切れていなかった。わたしたちの絡み合いに刺激され、彼女もまた発情しつつあった。
 また、というよりも、彼女がもっとも発情していた。彼女はカピスタなのだ。愛だの恋だのを跳び越えて、少しでも気に入った女にはすぐ種付けをしたがる性がある。
 その浅ましさが素敵だと、わたしは思っている。
「こちらへ来て」
 押し殺した無表情を、ほのかに赤く染めて、ヒオリが近づいてきた。肩が大きく上下している。とても興奮しているのだ。可愛い。
 おびえた目をしていたパシニアが、ヒオリの股間に目を留めた。
 その途端、彼女は奇妙な反応を見せた。
 ヒオリの顔と股間をせわしなく見比べて、不思議そうにつぶやいたのだ。
「レル エ スプラケ サク メプ……」
「不思議なの? 女にあれのついていることが」
 わたしはヒオリに目をやって、促した。
「見せてやって」
「え、でも……」
「よそにはばれないわよ、この子の話すことはバスコ以外わからないんだから」
 スカートを押さえたまま、ヒオリはしばらくためらった。困ったような目をわたしに向ける。何をしているんだろうと思ったが、ふと気付いた。わたしに気兼ねしているんだ。
 わたしはさらに声をかけて、背中を押してやった。
「まさか、わたしが嫉妬しないか心配してる?」
「……あなたはそんな女じゃないわね」
 苦い顔で言ってから、ヒオリは思い切ったようにスカートをたくし上げ、ショーツに手を入れて中のものを引き出した。
「んっく……」
 ずるっと下着を押しのけて、ヒオリのしるしが顔を出す。すでに先端まで剥けて赤々とした艶を帯び、一本芯が入ったようにすらりと反り上がっている。
 ヒオリの顔は真っ赤だ。その顔を見つめてやると、下がさらに一回り大きくなった。
「で、どうすればいいの」
 やけになったようにきっぱりとヒオリが尋ねた。わたしは首を振り、尋ね返す。
「ここからはあなたが主役よ。どうしたいの? 好きにすればいい」
「好きにって……尋問でしょ?」
「だからよ。めちゃくちゃにしてやればいい。服従しない限りはね」
 言って、わたしはパシニアにささやいた。
「『サパシュ』?」
「ア……アア……ニ、ニウル」
 パシニアは拒否して首を振る。だがもはや勇ましさはない。ヒオリの猛々しいものに目を奪われ、おびえている。
 わたしは宣言した。
「始めてちょうだい」
 ヒオリが近づき、パシニアの両膝に手をかけた。つかの間、二人の力が拮抗してぶるぶると膝が震える。だが膝は縄で開かれており、閉ざしようがない。やがてパシニアはヒオリの前に、無防備に股間をさらした。
 シーツの下端に隠されたそこを、ヒオリは息を荒げて見下ろしている。後ろにいるわたしの位置から、そこは見えない。声をかけて聞いてみた。
「どうする気? ヒオリ……」
 答えの代わりに、ヒオリは地面に膝をついた。押し開いたパシニアの股の間に顔を近づける。
 やがて、くちゅくちゅと濡れた音が聞こえてきた。
「ン……クゥゥ、ゥ……」
 パシニアがぎゅっと唇を噛み、きつく目を閉じる。その横顔をわたしはしげしげと見つめる。年のころ十四、五と踏んでいたが、今こうして、必死に愛撫に耐えているところを見ると、それよりさらにもう少し幼いような気がした。
 わたしは彼女のシーツを押し下げ、乳房をあらわにして両手でねっとりと揉みしだきながら、尋ねる。
「パシニアは何歳なの? こういうことは初めて? 気に入った……?」
 もちろん答えはないが、代わりにはっきりした反応があった。愛撫が続くにつれてパシニアの肌はどんどん火照っていき、しきりに首を振って、何かを堪えようとした。
 耳の中に舌を入れながら、ささやく。
「ニア?」
「ンウ……フィフゥ……」
 寒気を感じているような、ぶるぶるという小さな震えが間断なく続き、ときおり、びくっ、びくっ! と鋭く跳ねる。堅く噛み締められていた歯がいつの間にか薄く開き、ちろりと健康そうなピンクの舌が覗いた。わたしは彼女のあごをそっとつかみ、下唇にぴたぴたと触れてやった。
「ここ、自分で舐めると、気持ちいいわよ……?」
 まるで言葉がわかったかのように、ちろちろっ、と唇を舐めた。「フアァ」ととろけたうめきを漏らして、パシニアが薄目を開けた。覗いてみたが、視線が合わなかった。彼女はもう何も見ずに、内側の感覚にすっかり浸っていた。
 わたしは彼女の股の間を見下ろし、白いシーツをかきあげた。贅肉のない、いかにも敏感そうな感じの褐色の下腹に、ヒオリが顔を埋めていた。彼女も光のない薄目を開けているだけで、少女の太腿を両手でかかえこみ、その味わいにどっぷりと溺れていた。外から見えないひだの中で、思う存分下と唇を動かして、蜜と唾液をかき回しているんだろう。
「どう、ヒオリ」
「んぷぁ……?」
 ヒオリが顔を上げる。熱い吐息で顔の周りが曇って見える。あごの下までてろてろに濡れている。
「おいしい? ヒオリ、舐めるの好きだものね」
 淫猥にとろけた顔で、こくこくとヒオリはうなずいた。普段の明晰な彼女からは考えられない。見ているわたしの動悸も高鳴りっぱなしだった。
「やわらかいの……むちむちしてるの……おちんちん、ぎちぎちになっちゃうぅ……」
「そうね、したいのね。まだ我慢できる?」
「ううん、ううん。頭も、あそこも、もうぱんぱん……したい、したいぃ……」
「立って」
 ヒオリは半分しか言うことを聞かなかった。パシニアの肌から手を離そうとしないのだ。中腰まで体をあげて、パシニアの太腿から股間、肉の薄い下腹や脇腹を、しきりに撫で回す。はー、はー、と深い息を漏らしながら、どろりと熱く溶けた目つきでへその下辺りを見つめ、マッサージでもするように手のひらを揺すりながら押し付ける。ぺたり、ぺたりと場所を変えて手を当てる。
 自分のへそに食い込みそうなほど反り返った性器から、糊のような液体がトロトロと間断なくあふれていた。
 完全に発情して、挿入を待つだけになったヒオリに、わたしは可能な限り冷たい声をかけた。
「ヒオリ、だめよ」
「……あぅ?」
 理解できない、というような目をヒオリが向ける。それを無視して、わたしはパシニアに尋ねた。
「サパシュ? ニウル?」
 パシニアは熱に浮かされたように目元をぽうっと染め、自分の股の間で支度を整えているヒオリを、半ば朦朧とした半眼で見つめていた。
 カピスタの妖しい魅力の真髄を見る思いだった。つい先刻まで鳥肌を立てるほど嫌がっていた幼い乙女が、いまや自ら股間をひくつかせて迎え汁を漏らすほど、発情している。
 いや、発情させられているのだ。わたしにはよくわかる。ヒオリに抵抗するのはひどい苦痛なのだ。彼女に触れられると、抱かれたいという甘い期待が強く湧いて来る。
 かつてヒオリは、ハマンズダート弾道院で同級生の寝込みを襲ったことがあった。あれを制止できて、わたしは幸運だった。もし見逃していたら、ヒオリはきっと彼女を孕ませてしまっただろう。そしていらない騒動を起こしたに違いない。
 その点、この土民の娘だったら、ヒオリの子ができようが篭絡されようが知ったことではない。
 ないのだけれど――。
「サパシュ? ニウル?」
 わたしはもう一度、冷静さを保とうと務めながら、聞いた。
 これは尋問だ。溺れてはいけない。
「ヒオリ、待って」
 鋭く声をかけて、彼女も押し留めた。いま彼女の中では情欲が荒れ狂っている。長引かせるのは危険だ。
 パシニアのあごをつまんで、こちらを向かせ、わたしは強く聞いた。
「パシニア、答えなさい! サパシュか! ニウルか!」
「ア、ア、ア――」
 わたしとヒオリを見比べたパシニアが、不意に表情を崩して泣き笑いのような顔になり、かくかくとうなずいた。
「サパシュ! パシニア サパシュ ヒオリ ネ カピスタ!」
「――カピスタ?」
 わたしは驚いた。なぜ彼女がその名称を知っているのか。それはネリドに伝わる言葉だ。
 ここは広大な海を挟んだ新大陸なのに!
「ヒオリ、パシニア サパシュ! ヒオリ!」
 美しい銀の細髪を振り乱して、パシニアがヒオリに哀願した。ヒオリが切迫した目でわたしを見ている。痛々しいほどだ。
 十分だ、とわたしは思った。パシニアは屈従した。あとは好きにさせてやってもいい。ヒオリだって溜まっている。
「ええ、ヒオリ。しても――」
 言い終わらないうちに、ヒオリがパシニアに覆いかぶさった。脚の間に入り、するりと体を重ねて、唇を奪う。流れるように自然な襲い方だった。挿入の瞬間すらわからなかった。気がつくとヒオリは娘の下腹にふかぶかと性器を埋めて、絶頂の声を漏らしていた。
「くぅぅんっ! くぅっ、くぅん、くぅん、くぅぅぅんん……っ♪」
 口付けしたまま鼻声を漏らし、それにぴったり合わせて、何度も勢いよく腰を打ち込む。形のいいヒオリの尻に、スカート越しに華奢な筋肉がぐいぐいと浮かび上がる。
 わたしは息をすることも忘れて、膣内射精を続けるヒオリの腰を凝視した。自分がされているのではないから、いくぶん冷静に見られた。ヒオリがどんなにそれを待っていたか、どんなに喜んでいるかが、まざまざとわかる激しい動きだった。
 それを受けているパシニアの痙攣も、はっきり感じ取れた。わたしが支えてやっているパシニアの背中が、ぞくんっ! と怖くなるほど震えた。ヒオリの一打一打に合わせて、ぞくん、ぞくん! とくっきりした痙攣が走る。抱いているだけで、彼女の脊髄を貫く真っ白な快感が想像できた。
 ヒオリのめちゃくちゃな口付けを受けていたパシニアが、頭を振って逃れ、口を大きく開けてあえぐ。
「ップハァッ! ハッ、ハッ、ハッ、ハァッ……!」
 まなじりが裂けそうなほど目を見開き、なにかの発作のように激しく息をつく。ひょっとすると彼女の本能の一部は、相手構わず交わってしまうヒオリの重大な危険に気付いているのかもしれない。だがパシニア本人は完全にその快感に負けていた。むさぼるように放ち続けるヒオリに、人形のように身を任せていた。
 パシニアはわたしの腕の中で、熱い肉人形のようにぐったりと力を失ってしまった。
 あきれるほど長くぐいぐいと動き続けていたヒオリが、最後にひときわ強くぎゅうっと腰を埋めてから、ようやく力を抜いた。パシニアの上にどっと倒れこみ、疲れきった顔で深呼吸を続ける。全身が汗びっしょりで、頬からも前髪からもぽたぽたとしずくが滴った。
 声を出す前に、わたしは何度も唾を飲んで、渇ききった喉を湿さなければならなかった。
「……ヒオリ」
「……」
「ヒオリ、満足した?」
 ヒオリが顔を上げた。その顔にとてもゆっくりと、表情が戻ってきた。微笑むか、照れるかのどちらかだろうと思っていた。
 違った。
 飢えだった。
 ヒオリの瞳に光が冴えた。情欲で恐ろしいほど潤んでいる。うすく、笑みを浮かべた。手がわたしに伸びてきた。
「まだなの」
「……」
「まだ、できる。したい。この子、弱すぎる」
 息がつまり、喉がからからに渇いた。忘れていた。甘く見ていた。ヒオリはカピスタ――後の世まで多情と伝えられた種なのだ。
 古い魔物が身を起こすように、第一の獲物から悠然と体を離して、ヒオリが立ち上がった。貫かれ注がれたパシニアは、もはや股を閉じようとする力もなくしたらしく、陵辱されたひだの間から、泡立つ白いクリームを垂れ流しにしていた。
 用の済んだ獲物には目もくれず、ベッドを回ってヒオリがそばに来た。濡れた暗い美しい笑みがわたしを捉える。
「するわね」
 全身ががたがたと震えだした。わたしは気力を振り絞って否定しようとした。
「――うん」
 気力はまったく役に立たず、わたしは幼い子供のようにうなずいてしまった。
 カピスタを目覚めさせてしまったのだとわかった。これがその力。手に負えない。止めることなど思いもよらない。
 きっとまた、船の中でされたように、五度も六度も七度も犯されてしまうのだと思った。
 それはとても甘美な想像だった。パシニアよりも激しくしてほしかった。
「セリ――」
 ささやきを聞いて、わたしが目を閉じた時。
「エエイ、尋問はまだ終わらんのか!」
 出し抜けに、天幕の外から怒り狂った男のだみ声が聞こえてきた。
 何もかもぶち壊しだった。
「あ……」「くっ」
 わたしは正気を取り戻し、ヒオリは唇を噛んで一瞬憎悪の顔になった。
 二人の時間はそれきり終わった。魔法が解けたのだ。
 わたしは弛緩した体に力を込めて、ベッドから降りようとした。染み出した湿りで下着が座面に貼りついていて、股がひどくぬらついた。ヒオリの腕をすり抜けて横に立ち、背中を軽く叩いた。
「前をなんとかして。わたしはパシニアを見る」
 ヒオリがぎこちなく顔を背け、天幕の隅へ行った。
 わたしはそこらの布をかき集めてパシニアを拭き――一部は手で押して「搾り」――シーツを着せて体裁を整えた。しかし、元のように固く縛りなおす前に、ダスティン卿が天幕のすぐ外まで来た。
「弾道官どの、そろそろ尋問の目処はつきましたかな!」
「いま協力を取り付けたところです。まだ入らないで!」
「ほう、協力とね」
 卿の口調が和らいだ。わたしは振り返り、今のうちに、と合図した。
 ヒオリが腕組みしてそばにやってきた。目を閉じて、深い呼吸を繰り返しながら言う。「私は、もういいわよ」
 見た限りでは、異常はなかった。手を伸ばして前髪を払ってやった。
「じゃあ、そっちを持ち上げて、外の空気を入れて。――偉いわね」
 思わず、そう付け加えずにはいられなかった。あれだけの情欲を収めるのは、きっとつらかっただろう。
「慣れてるわよ」
 憮然とした顔で、ヒオリは言った。
「ヒオリ クシシク ルン ギ ラル」
 声を聞いて、わたしたちはベッドを振り返った。パシニアが諦めたような、物憂げな眼差しをこちらに目を向けていた。
 恨み言ではないようだった。
 ヒオリの目を捉えると、また言う。    
「レル クサカ ズン ザワー」
「なんですって?」
 わたしが近づいて聞くと、ふいと顔を背けた。
「何よ……」
「あら」
 ヒオリが、ぷっと噴き出した。パシニアのそばへ行って、頭を撫でる。異族の娘は目を閉じ、黙って身を任せていた。
 振り向いてヒオリが笑う。
「セリ、嫌われたわね」
「慣れてるわ」
 今度はわたしが憮然とする番だった。
 外へ合図をして、ダスティン卿を招きいれた。海兵と通訳のバスコを引き連れて、フロック姿の壮年の海軍士官が入ってくる。バスコが目顔で謝っていた。卿は居丈高に言う。
「本当にこの者は協力を申し出たんでしょうな」
「ええ、確かに。試しに何かお聞きしたらいかがです」
「ふむ、では名前と族名を言ってみろ、蛮族め」
 バスコが通訳した。パシニアはダスティン卿に反抗的な目を向けていたが、ヒオリに髪を撫でられてしぶしぶ答えた。
「ウカニヤ ギ パシニア」
「ウカニヤ族のパシニアだと言っとります」
「よし、けっこう」
 先ほど一度尋ねたことなのだが、ダスティン卿にそんなことはわからない。彼は満足げにうなずき、わたしたちに言った。
「準備が整ったなら、弾道官どののお手をわずらわせることもない。これから先は我々が引き受けましょう。お引取り願えますかな」
 意外な申し出にわたしたちは抗議したが、サーベルを持った海兵二人に立ちはだかられては、どうしようもなかった。しぶしぶ退散した。
「あの子、大丈夫かしら……」
「心配しなくてもいいと思うわ」
 しきりに気にするヒオリに、わたしはベッドに仕掛けたある細工のことを話してやった。
 自分たちの天幕に入ってからほどなく、尋問部屋のほうで騒ぎが起こった。怒声とものの壊れる音が聞こえ、バタバタと足音がした。じきにわたしたちの天幕にも、バスコがやってきた。
「弾道官さま! 大変でやす!」
「彼女、逃げていった?」
「な、なぜそれが?」
 驚くバスコに、わたしたちは知らぬふりして微笑んだ。
「獰猛そうな種族だったからね。隙を見せてはいけないのよ」
 ヒオリには教えたが、わたしはパシニアの拘束をほんの少し緩めておいたのだ。ヒオリがそう望むだろうと思ったためだ。個人としてもカピスタとしても、自分が種をつけた相手が拷問死することを、ヒオリが望むわけがない。
 もっとも、弾道官としての立場から言えば、こちらの内情を向こうの部族に教えてしまうことになるので、賢明な行動ではなかったが……。
 追跡を手伝ってくれとわめくバスコを、わたしは制して、逆に尋ねた。
「それより、聞きたいことがあるの。これはどういう意味かしら。『ヒオリ クシシク ルン ギ ラル』」
「はあ?」
「あの子が言ったのよ」
「ええと、クシシクは『気をつける』ですな。ルンは『銀』、ラルは『蛇』だったと思いやすが」
「……ヒオリ、銀の蛇に気をつけろ」
 わたしたちは顔を見合わせた。
「蛇が出るのかしら、この先」
「毒があるのかも。――あるいはものすごい大群だとか」
「バスコ、じゃあこれは? 『レル クサカ ズン ザワー』」
 それを聞くと、バスコはものすごく嫌そうに顔をしかめた。「ほんとにそう言ったんですかい……」とうめく。
「どういう意味なの、教えてよ」
 ヒオリがせかすと、バスコは投げやりに言葉を連ねた。
「彼女、またぐ、大きい、山」
「……うわぁー」
 ヒオリがおかしな声を漏らした。嫌がっているような、楽しんでいるような口調だ。
 多分、その両方なのだろう。
 わたしを見て、繰り返す。
「聞いた? セリ。……うわぁー!」
 やはりこの娘は子供っぽい。――眉根を自然に寄せてしまいながら、わたしは思った。

  ‡ 
 
 苦労して崖を登り、調査隊はさらに進んだ。
 道のりは厳しかった。密林は暑く、夕方には驟雨が降り、まるで蒸し風呂のようだった。帽子の裏にまでかびが生えた。
 それに二日に一度は野獣や土人の襲撃があった。野獣はよく気をつけていれば避けることができたが、土人はどうもこちらを追い返すことが目的らしく、撃退しても撃退しても現れた。
 襲撃があるのとないのとでは、疲労度がまったく違う。緊張のせいで誰もよく寝付けなくなった。また常に見張りに人数を割かれたため、隊員の消耗が早まった。わたしたち二人でさえ、どちらか一人ずつ歩哨に立たされることになった。
 かわいそうなのはヒオリだった。野獣に襲われるのは単独行動のときが多いため、決して列から離れてはいけないことになった。手洗いの天幕すら、野営地の中に作られた。それよりもひどいのは行軍中で、天幕すらなしに、ただ背中を向けただけの兵に囲まれて、用を足さなければいけなかった。
 パシニアが逃げてから一週間というもの、ヒオリが一人になっているのを見たことがなかった。自慰すらできなかったはずだ。けれども彼女は列とともに歩き、気丈に弾道官としての務めを果たしていた。
 もともとヒオリは一行の中でもっとも細く華奢だ。カピスタだから見かけよりも精力はあるが、体力、筋力は低い。
 それなのに、ナルカルベナ川が渓谷に入り、左右に切り立った山がそびえ、道がいっそう険しくなっても、大の男たちに交じって歩き続けたのだから、見上げたものだった。
 彼女はさらに、男たちよりも危険な力を内に抱えていた。
 
 六日目の初夜直の終わり――八点鐘代わりに叩かれる鍋の音が鳴った。
  カンカーン カンカーン カンカーン カンカーン……
 時刻で言えば夜零時だ。これから深夜直が始まる。わたしは起き出して、天幕を出た。
 篝火を浴びて、鋼の一番を杖代わりに、ヒオリが立っていた。
「交替よ」
 声をかけると、振り向いた。唇には血の気が薄く、瞳は膜がかかったように濁っていた。目の下はうっすらと黒ずみ、バター色の肌に黒髪が張り付いている。わたしは彼女の腕に触れた。
「休んで。とても疲れて見える」
「あなただってそうよ。顔色、まるで紙みたい」
「わたしは大丈夫。いざとなったらあなたを負ぶっていくぐらいの体力は残ってる」
 これは本心だった。経験から、自分の限界まではもう少しあるとわかっていた。
「起こしに行くまで寝ていていいから」
 わたしはそう言って、ヒオリの手から鋼の一番を取った。ヒオリはうなずいたものの、わたしのそばに立ったまま、服に触れたりしてぐずぐずしていた。
「どうしたの?」
「私――私、もう、そろそろ……」
「そろそろ、何?」
「その……げ、限界……」
 わたしの横顔に貼り付くヒオリの視線を感じる。そっと腰の辺りをうかがうと、スカートを持ち上げる彼女の生理現象がすでに始まっていた。
 わたしは危険を感じる。隣の天幕の歩哨がこちらを見ているのだ。目が良ければ勃起に気付かれてしまう。
「やめてヒオリ、収めて」
「でも」
「人が見てるから!」
「むり」
 ヒオリの息がだんだん荒くなる。わたしの体の匂いを吸っている。まずい。このままではタガが外れる。
 わざと陽気な声で言った。
「いいから寝てちょうだい。心配しなくても大丈夫よ」
 そして、トンと軽く胸を押した。背後へ数歩、ヒオリはたたらを踏む。
 他人の目には、仲間同士で気をつかいあっているように見えただろう。
 ヒオリはこれを拒否と受け取ったらしかった。傍目にわかるほど悄然と肩を落として、とぼとぼと去っていった。
 かわいそうだが、仕方がない。わたしは胸の痛みをこらえて、四時間の歩哨に立った。
 森の奥からときおり光る目が現れたり、頭上の梢を何かが飛び渡っていったりした。しかし幸い、襲撃はなかった。わたしは機械人形のように視界を視線で掃きつつ、暇つぶしの思考に没頭した。
 銀の蛇とはなんだろうか。本当にそんな生き物が存在するのだろうか。ダスティン卿に話したところ、そんなのは土人の崇めるいかがわしい神にすぎないと言われたが。
 それは銀鉱脈と関係あるのだろうか。銀鉱脈は本当に存在するのだろうか。
 銀の葉の森という言葉も出ていた。それらは相互に関係しているのだろうか。
 考えるうち、もうひとつ、疑問がわいた。
 海岸で見たあの特殊な自然現象――幻鏡燦は、二ヵ月に一度起こるという話だった。
 それはなぜなんだろう。
 取りとめのない思考のかけらが、まとまりなく頭の中を飛び回った。結論らしいものは出そうになかった。
 そうこうしているうちに、いつの間にか鍋の音がした。
  カンカーン カンカーン カンカーン カンカーン……。
 わたしはまばたきして、目頭を擦った。朝の八点鐘――午前四時だ。
 足音がしたのでハッと振り返ったが、近くに立っていた、赤の制服姿の海兵だった。
「ご苦労さまです、セリさん」
「ヒオリを呼んでくるわ」
「いえ、お二人とも朝食までお休みになってください。ここは我々が」
 海兵は疲れた顔に笑みを浮かべて言った。わたしは礼を言って持ち場を渡した。
 夜明けはまだ来ない。暗い野営地の中をふらふらと歩いて、天幕へ戻った。
 中へ入ると、ヒオリの寝息が聞こえた。わたしは道具を片付け、服を脱いだ。シーチェストの上に例の眠り薬の瓶があった。今夜もヒオリは飲んだらしい。
 わたしは彼女の隣の寝台に横になった。
「セリ……」
「え?」
 名を呼ばれたので、思わず身を起こした。だが、よく目を凝らすと、ヒオリの顔はこちらを見ていなかった。外の篝火が、天幕越しに淡い光を注いでいる。じきに目が慣れて、ヒオリの姿が見えるようになった。
 黒の制服とタイツを脱いで、下着だけになっている。濃い陰影のついた、すんなりした肢体が見える。汗ばんではいるが、肌は滑らかで美しい。じめじめと蒸す天幕の中の空気が、そこだけ涼しく澄んでいるように錯覚させられる。
 その、ほの暗い下腹部で、性器が場違いなほど激しく勃起していた。
 細い腰を巡る清楚なショーツが、ちぎれそうなほど伸びて、かろうじてそれを隠していた。
「う……」
 彼女が起きているのかと、わたしは息を呑んだが、やがて昔調べたことに思い当たった。眠りが浅いときや、疲れているときに、ひとりでに起こる生理現象だ。ヒオリはそれに当てはまる。しかもずっと処理していない。
 あくまでも、無意識のことなんだろう。
 そうとわかっていても、わたしは彼女から目が離せなかった。
「ん……セリ、セリぃ……」
 ヒオリが苦しげにいやいやをして、汗ばんだ太腿をすり合わせる。はぁはぁと息を荒げ、ずるっ、ずるっ、と丸いかかとで何度もシーツを蹴る。もじもじと尻を揺すったかと思うと、何度も腰をせり出した。
「セリ……はやくぅ……」
 下着の山はピンと張り詰め、肌から大きく浮き上がっている。その中に見えるシルエットが、ひくひくといなないている。山の頂上は中からさくらんぼを押し当てているように赤い。見る間にそこに、じわじわと汁が染み出した。
「んんぅ……くぅん……くぅんん……」
 シーツの端を噛みながら、ヒオリが腰を使い始めた。何もない空中に向けて、懸命にぐいぐいと性器を突き上げる。手ごたえが物足りないのか、突き上げたままゆらゆらと空中を探るように動いたりする。
「くふっ、くふぅん、んふぅぅ……セリいぃ……」
 ずっとわたしの名を呼ばれている。寝不足で重く張った頭が、興奮でさらに張り詰めて、頭痛がした。耳元でどくどくと心臓の音が聞こえる。体がきゅうっと縮まるほどのうずきに襲われた。
 わたしは自制したというより、迷った。下手に起こしたら、ヒオリは暴走してしまう。本能のままわたしを犯し尽くし、満足するまで止まらないだろう。
 でも、あと一時間もしないうちに朝食になり、兵が呼びに来るはずなのだ。
 夢うつつの彼女を前にして、わたしはためらった。
 その直後、あまりに硬く育ちすぎたヒオリの勃起が、ショーツの端から滑り出した。
 すらりとした弓形の性器の裏を、ずるんと布が滑っていくのが見えた。
 それが最後の刺激になったのだろう。
「くううう、うぅんっ!」
 ヒオリが腰を突き上げ、射精した。
「んーっ! んぅぅん! んんう、んんぅーっ!」
 張り詰めた肉の棒が背伸びするように跳ね上がり、びちっびちっと何度もへその辺りを叩いた。艶やかな赤い実のような、張り詰めた先端の切れ込みから、白い粘液の筋が勢いよく飛び出し、彼女の顔のほうに向かって何条も走って、びしゃっ、びしゃっ、と立て続けにはじけた。
 寝汗にまみれたヒオリの顔や乳房が、あっという間に精液でまだらになっていった。ブラジャーや髪にもそれが粘りついた。一部は頭を越えて寝台の外まで飛び、たぱたぱと地面に落ちてねっとりした砂玉を作った。
「うわっ……」
 例の生臭い花の香りが濃厚に立ち昇り、わたしは顔をしかめた。
「くぅん、くぅぅん……はぁ……」
 ヒオリはぐったりと力を抜いて寝台に体を沈めた。夢の中のわたしを存分に汚して満足したのか、苦しそうだった顔も、いくぶん安らかになっていた。
 わたしは、安らかどころではなかった。
 あまりのことに、呆然としていた。
 まさか、夢精するなんて。 
 彼女が溜まりきっているのはわかっていたけれど、触れてもいないのに出してしまうなんて……。
「ヒ……ヒオリぃ……」
 情けない声が漏れた。非難の気持ちが湧いて、どっと体が重くなった。
 こんなことで出さないでよ、と言いたかった。我慢に我慢を重ねて苦しむヒオリはとても可愛かった。もっと眺めていたかったし、解放する時は、いっしょに楽しみたかった。
 一人で勝手に楽になってしまうなんて、ずるい――そう思った。
 そして、しばらくヒオリを見つめた。
 半裸の姿で髪まで精液まみれになって、安らかに横たわっている。これを放置するわけには、さすがにいかないだろう。朝食に間に合わせるには今からわたしが拭いてやるしかない。
 ため息をついて、タオルを手に取った。
 張りのある健康そうな肌に飛び散った粘液を、丁寧に寄せ集めた。練乳よりもなお弾力があって、ぷりぷりと揺れている。獲物を惑わせる彼女の余香に包まれて、そんなものを拭っていると、変な気分が収まらなかった。
 もとよりわたしは、これが好きだ。
 いかにも生命力に満ちていそうな、ヒオリの精液の匂い、感触、味が。大陸にいたころから、ヒオリを手で搾ったあとのハンカチを、乾いてもなかなか洗えずひそかに持っていた。
 ハマンズダートの丘でしたことを思い出す。――彼女のこれを、喉の奥で受け止め、たっぷりと飲み干した。多少の生理的な嫌悪感と、それをはるかに上回る危険な陶酔があった。体の中まで委ねてしまうことの快楽が。
 それを思い出すと、ざわざわと胸が騒いだ。
 おかしなことだけど、ヒオリ本人には見られたくなかった。彼女が寝ていることを神経質にちらちらと確かめてから、わたしは腹の上の液塊を、人差し指で少しすくいとった。
 そして口に含んだ。
「んぷ……んむ、ちゅぷ、ぷふ……」
 ぬるぬるした潮臭い味がした。誰にも見られたり聞かれたりしないように口を手で覆って、舌でくちゅくちゅとかき混ぜてみた。ヒオリの奥で作られた種の匂いが、ツーンと鼻の奥に沁みた。何か、他人に許してはいけないところを触れさせているような、背徳的な強い興奮が湧いて来て、ぞくぞくした。
「……んはぁ……」
 くらりと傾きそうになった。心地よい、酔ったような気分。目を落とすと、まだまだ大量の粘液がヒオリの体を汚していた。いちいち拭いてなどいられなかった。
「ん……ぷ♪ ヒオリ……」
 舌を当て、片端から舐めていった。くぼんだ腹から形のいい胸へ、胸から顔へ。整ったヒオリの顔を覗きこんだとき、自分がそこをひどく好いていることに気付いた。汗ばんだつややかな頬や、すっきりした鼻筋に舌を当てて、猫のようにぺろぺろとこそげとった。
 髪はしゃぶった。
「んんんう……っぷは、はぷぅ……ちゅくちゅく、ちゅぐぅ……」
 髪をしゃぶるなんて考えられない。だからこそ、恐ろしく興奮した。そうしなければ汚れが落ちないから、という絶好の言い訳があった。わたしはヒオリの黒髪を何度も何度も唇の間に滑らせて、こびりついた粘液と味を、すっかり吸い取った。ヒオリの頭の匂いは、胸がぶるぶる震えるほど甘く感じられた。
 最後に、性器が残っていた。
「はぁ……はぁ……んむっ」
 ヒオリの下腹で、仕事を終えて柔らかく縮こまっていたそれを、わたしは震える唇の間に吸い込んだ。これは手早さの勝負だとわかっていた。もたもたしているとヒオリが目覚めるか、反応してしまう。そうなったらまた一からやり直しだ。
「んむぅふ……くふ、くぷふ……」
 たっぷり溜めた唾液の中に、まるごと浸して、舌でこそぎながら音を立てて吸い取った。柔らかくなった先端の丸みを拭い、くびれにかぶさる皮の中にも舌を伸ばした。
 精液の他にも、かなり濃い味がねっとりと溶け出してきた。お互い触れないことにしている、何日分もの分泌物の味と匂い。ヒオリには同じことで恥ずかしい思いをさせられた。こうやって仕返ししてやれるのはいい気味だった。
 今日からは、わたしもヒオリのここの味と匂いを知っているのだ。
「っぷは、はぁ、はぁ……」
 口を離して、タオルで拭った。自分のしていることがいやらしすぎて、頭が破裂してしまいそうだった。手早くヒオリの下着を着付けなおしてやると、わたしは急いで自分のベッドに横たわり、背を向けた。
 そしてハンカチをきつくきつく噛み締め、自分の股間に手を潜らせた。
「……く……っ……ふぅ……んん……」
 目をつぶり、背を丸めて、思うさま指でかき回す。口と鼻の奥いっぱいに満ちる、ヒオリの卑猥な匂いが、この上なく強い妄想を与えてくれた。それに加えて先ほどの鮮烈な光景があった。ヒオリのまっすぐで激しい絶頂、あの行く手に自分を置くのはたやすかった。
 わたしは、自分の頭の中で、ヒオリにめちゃくちゃに自分を犯させた。
 ――ヒオリ、ヒオリ、ヒオリ、ヒオリぃ……!
 時間がなかった。頭のてっぺんまで妄想で満たして、わたしは一気に絶頂へと突っ走った。 

 当番兵に呼ばれて二人で着替えている最中、ヒオリがふと眉をひそめて、自分の腕や肩をくんくんと嗅いだ。
「なんか……なに、これ」
「どうしたの」
「いえ……」
「匂う?」
 わたしが顔を近づけて嗅ぐふりをすると、やめてよ、とヒオリは怒ったように身を引いた。
「あなたはわたしの匂いなんか、知らなくていいの」
「そう」
「……わたしは知ってるけどね」
 ヒオリは意味ありげに笑った。わたしは穏やかに無視して、言った。
「ところで、体調は?」
「ん?」
 ヒオリは自分の体を見回して、顔を上げた。鬱屈の色濃い影が、いくらかうすれているように見えた。
「少し……落ち着いたかな? 眠ったからかも」
「でしょうね」
「……なんなの?」
 ヒオリが眉をひそめる。わたしは首を振り、ざっと櫛を入れた髪を手で払って、促した。
「早く行きましょう。斥候が戻ったみたいよ」

  ‡

「見つけたか!」
 斥候の言葉に、ダスティン卿が身を乗り出した。他の人々も色めき立った。
 斥候である三人組の水兵たちは、興奮した様子で我先に話した。
 この渓谷を登りつめると、山に囲まれた広大な盆地のようなところに出る。高台に登って眺めたら、盆地の全景が見えた。一面森に覆われていて、中央に湖がある。凄いのはその森だ。木々の葉がまぶしいほど輝いていた。下に降りて取ってみたら、信じられないことに、葉が銀でできていた。
「本当か、それは」
 険しい目で尋ねる卿の前に、水兵がポケットのものを差し出した。
 おお、とみなが嘆声を漏らした。――それは確かに、銀でできているように見える、葉だった。手のひらほどの大きさで、ヒイラギのように縁が尖り、表面は白く粉を吹いていた。
 ダスティン卿はそれを受け取ると、意外にもまだ喜色は見せず、船医のシフランを手招きして、渡した。シフランはうやうやしくそれを受け取ると、ひとことも言わずに自分の天幕に引っこんだ。本当に銀かどうか、確認しにいったのだろう。
 不安な、息詰まる時間が流れた。すると水兵が「まだ多少あるんで……」とポケットから別の葉を引っ張り出した。それを見ると、回してやれとダスティン卿が言った。
 水兵と海兵たちが、欲望に目を輝かせながら、順番にそれを手にしていった。
 わたしのところにも回ってきた。見掛けだの代物だろうとさほど期待せずに受け取ったら、ずっしりと重かったので、驚いた。
 ヒオリに渡すと、わたしよりはるかに真剣な顔で振ったり折り曲げたりして、つぶやいた。
「柔らかいのね。鉛みたい。中までみっちり詰まってる。重いし、金属なのは間違いないけれど、人の作ったものじゃなさそう」
「生き物なの?」
「れっきとした植物みたいよ。見て、導管の中がちゃんと中空になっている。こんな細工物は作れないでしょう。この粉みたいなのは毛よ。――そうだ、金属の毛は体によくないはず。みな、できるだけ吸い込まないようにして」
 ほうほうと感心しながら覗き込んでいた水兵たちが、あわてて顔を遠ざけた。
「どうしてこんな植物が生まれたのかしら」
 わたしが言うと、ヒオリはダスティン卿に目をやってから、少し声を潜めて言った。
「きっと、土壌にとてもたくさんの銀が含まれているんじゃないかしら。いえ、まだ銀と決まったわけじゃないけれど……」
 その時ちょうどシフランが天幕から出てきて、興奮した顔で叫んだ。
「銀だ! 質量比で三割以上もの銀を含む有機化合物――」
 言葉の後ろ半分は、水兵たちの歓声にかき消された。この瞬間、彼らの苦労が報われたのだ。
 水兵たちは半ば売られるようにして海軍に強制徴用され、ただ同然の賃金でこき使われてきた。彼らのわずかな希望といえば、敵国船を拿捕することと、こうして未知の財宝を見つけ出すことだった。
 軍艦の行動で手に入った富は、厳格な決まりに基づき、乗組員に配分される決まりだ。身分によって極端に差がある決まりではあるけれど、たとえ平水兵の身分でも、銀鉱が取り放題だとなれば、数年は遊んで暮らせる額になるだろう。
 半月近くに及んだ行軍の疲れも忘れたように、みなが先を争って天幕を片付け始めた。その喧騒の中で、ヒオリがわたしにささやいた。
「銀葉林、本当にあったわね」
「ええ。でも、それが本当だったということは、ルン・ギ・ラル――銀の蛇も?」
 わたしは不安を覚えてそう言ったのだが、ヒオリの反応は真逆だった。くすりと笑ってささやいたのだ。
「楽しみね」
 
 その日の午後遅く、わたしたちは銀葉林に入った。そこは水兵に聞いて想像していたよりも、ずっと神秘的な場所だった。
 硬質の反響に満ちた、明るい闇の森――こんな風に言っても、なかなか理解してもらえないだろう。
 その森に踏み込んだわたしたちが最初に耳にしたのは、人の声と大勢の足音だった。例のバスコが気付いて、みなを止めた。
「おい、みんな気をつけろ。誰かが大勢いるぞ!?」
 わたしたちはいっせいに抜刀し、防御円陣を組んだ。その行動が完了する直後まで、確かにざわざわとした足音、ガチャガチャという金属の音が聞こえていた。
 だが、わたしたちが態勢を整えてから二、三秒もすると、辺りはしんと静まり返り、何の物音もしなくなった。
 銀葉林――一抱えもある白い幹が立ち並ぶ森は、耳が痛くなるような静けさを満たしていた。わたしたちの前には不思議な空虚が広がっていた。木漏れ日のまったくない、けれども暗くない空間が、奥深くまで見えている。
 ヒオリがささやいた。
「ダスティン卿」
「なんだね」
「叫んでいいかしら」
「叫ぶだと!?」
 ダスティン卿が声をあげた。
 その数瞬後、叫ぶだと、叫ぶだと、と森中から卿を真似たささやき声が戻ってきた。卿がぎょっとして振り向く。
 先に適応したのは水兵たちだった。息を吐いて武器を下げる。
「木霊(こだま)だ」
「だな」
「こだまだと。ここは高山ではないぞ」
「ないったって、現に湧いてるんだから仕方ねえでしょう。おーい!」
 バスコが叫ぶと、おーいおーいと声が戻ってきた。
「ね」
 水兵たちが笑った。
 その時ヒオリが片手でみなを制し、耳に手を当てた。――が、じきに首を振ってやめた。
 わたしは聞いた。
「どうしたの?」
「聞こえなかった?」
「なにを」
「しゃりしゃりしゃり、って」
「何よそれ」
「なんて言うんだろう。たくさんのシャンデリアを引きずって歩くみたいな?」
 わたしは口を閉じた。水兵たちも、困ったように顔をしかめた。
 ひとりダスティン卿だけがそっけなく言った。
「それも木霊だろう」
「とても変な音だったのだけど」
「木立のせいで音が歪んだのだろう。おかしなことを言って兵どもを怖がらせないでいただきたい、弾道官どの」
 さあ野営地を探すぞ、と卿が気勢を上げた。ヒオリはわたしを見て肩をすくめた。
 盆地の銀葉林には、涸れ川のような溝がたくさんあった。雨が降ると、周辺の山地から水が流れてくるのだろう。そこは表土がえぐられ、白っぽいもろもろとした土壌が覗いていた。ヒオリが土をつまんでシフラン船医と話し合っていた。
「これはやはり石英質の?」
「そうだね、典型的な酸性土壌だ。活火山でなくてよかった」
「でも、これだけの銀が析出していることを考えると」
「熱水活動があったのは確かだな」
 まったく理解できなかった。わたしは自然科学が苦手だ。離れて歩いた。
 その夜は、涸れ川から離れた開けた土地に野営した。例によって二交替で歩哨が立った。ヒオリはこの夜もせがんで来たけど、わたしは断った。この森でそんなことをしていたら危険だ。
 ヒオリは食い下がった。
「じゃあ、じゃあそばで寝てくれるだけでいいから」
「そばで寝たらあなたは我慢できなくなるでしょ」
 わたしはうんざりして言った。――ヒオリだけでなく、わたしも我慢できなくなるに決まっていたから。
 それにヒオリがこんなに求めてくるのは、多分不安のせいでもあるに違いなかった。例のルン・ギ・ラルとまだ出会っていない。
「じゃあ、いつならいいの?」
 自制してもしきれない様子で懇願するヒオリに、わたしは言ってやった。
「安全に帰れる目処がついたら、よ」
「そんなの、いつよ……」
 ヒオリは消沈してしまった。
 難しいところだったけれど、わたしは折れなかった。彼女は昨夜一度、寝ながら済ませている。まだ大丈夫だろう。
 その夜はわたしが初夜直に立ち、零時から眠った。
 どれぐらい眠っただろうか。まだ辺りが真っ暗で、非直の者たちが熟睡している時に、異変が起こった。
 いきなり地面がズシンと揺れたかと思うと、どこか遠くで、どぉん……と雷のような音がしたのだ。わたしは目を覚ました。自然現象にしては、何か不穏なものがあった。
 震動と遠雷のような音は、数分間隔で、不規則に続いた。それがどうやら、近づいているらしいと気付いた時、わたしは急いで服を着て、天幕から飛び出した。
 他の人々も大勢目を覚まして、何事かと起き出してきた。わたしはヒオリのそばへ走って聞いた。
「あれは何?」
「しっ――いま、レオンが木に登ってる」
 水兵の仕事は帆柱に登って帆を上げ下げすることだから、みんな木登りは得意だ。中でもレオンは、海面上百十フィートの主檣冠までわずか二十五秒で登るほどの手練だ。
 わたしたちは木を見上げて待った。
 やがて空中から声が降ってきた。
「何か大きなものが動いてます――こっちには来ませえん――涸れ川の向こうを通過します」
 みながほっとしてざわめいた。ダスティン卿が叫び返した。
「大きなものとはなんだ! 動物か?」
「わかりませえん、木の梢が順番に揺れて――あっ、立った! 何かが立った――」
 レオンの叫びが不意に途絶えたかと思うと、地響きと重い音が、ほとんど同時に来た。
  ドォン……!
 体が軽く浮くほどの衝撃を受け、わたしたちは沈黙した。
 しばらくしてレオンの声が続いた。
「去っていきます……もう見えません。暗くて」
「セリ」
 そのとき、ヒオリに脇腹をつつかれた。彼女は耳の横に手のひらをかざして、音を聞いていた。
「ほら」
  しゃりしゃりしゃりしゃり……
 たくさんのガラス細工が押し砕かれていくような音を、わたしは確かに聞いた。
 夜明けと同時に、斥候が送られた。わたしたちはそれに同行した。
 涸れ川を越えて三ケーブル(約五百メートル)ほど進んだところで、レオンが梢を差して、裏返った声をあげた。
「あ、あれっ、あれを!」
 頭上を振り仰いだわたしたちは、驚いた。
 暗い青空が見えた。――裸の枝の間から。
 銀葉林の銀の葉が、ことごとくふるい落とされていた。まるで、突然ここだけ冬景色になったようだ。
「葉は?」
 ヒオリの指摘に、わたしたちは地面を見回した。葉は、あるにはあった。ヒイラギに似た銀の葉がまばらに落ちていた。
「少なすぎる」
「そういえば……そうね、これだけの木々の葉がすべて落ちたのなら、もっと分厚く積もっているはず」
「どういうことでしょうか」
 まだ少年のような水兵のレオンが尋ねた。ヒオリはうつむいてじっと考えこんてから、言った。
「もう少し先へ」
 三十歩も進まないうちに、明白な証拠が見つかり、わたしたちは立ちすくんだ。
 木々の間を縫ってうねうねと伸びる涸れ川――いや、それは、U字型の溝だった。何者かがそれを掘り返したのだ。削られた土の生々しい断面がそれを証明していた。
 少し先では、長さおよそ二十ヤードにも達する、舟形の深いくぼみができていた。断面の、ぎっしりと圧縮された砂の様子が、途方もなく重い何かが大地にこのくぼみを刻んだことを物語っていた。
「これではっきりしたわね。こいつが地面を強く叩いて、音と震動を起こしたのよ」
 スループ艦の船体がすっぽり入りそうなくぼみを見下ろしながら、ヒオリが言った。レオンがうなずいた。
「俺が見たのも、そんな感じの光景でした。何か細長いものが木々の間から立ち上がって、倒れたんです」
「なんのために?」
 わたしはそう言ったが、ヒオリの返事は半ば予測できた。「もうわかるでしょ」と微笑んでから、ヒオリは言った。
「梢の葉を叩き落すため。――そして恐らくは、その葉を食べるためよ!」
 溝の周りには多くの銀の葉が残っていた。わたしたちがそれを踏むと、シャリシャリと涼しげな音がした。
「銀の蛇(ルン・ギ・ラル)の仕業だわ」
 ヒオリの断定に、レオンが目を丸くして、森の奥へ消えている溝の先を見つめた。
 それはまさしく、ネリドではすでに絶滅した巨怪の、生きた足跡だった。

 ところが、わたしたちが持ち帰った報告は、ダスティン卿を悩ませることになった。
「銀の葉を食用にする巨怪だと?」
「ええ。原住民が銀の蛇(ルン・ギ・ラル)と呼んでいるものよ。全長は推定で五十ヤード、胴の差し渡しは四ヤード。わたしたちの予想では、直接の危険はない」
「なぜそう思うのです。人食いの化け物かもしれん」
「人食いの化け物が、人のいない銀葉林で生きてこられたはずがないでしょう」
「ふむ」
 ダスティン卿は鼻を鳴らして、理屈ですな、と言った。
「しかし、無害だとしても放っておくわけにはまいりません。軍艦並みの図体の生物がのさばっていると聞けば、本国の採鉱会社が尻込みする。それではこの森を見つけた意味がない。我々は巨怪を討伐せねばならない」
 それを聞くと、ヒオリが鋭く言った。
「なぜそんなことをする必要があるの。銀がほしければ、私たちの手で持てるだけ持って帰れば済むでしょう。それで十分じゃない?」
「ジエッタやシュヴァルスレーが、土人のヒスイの腕輪を持ち帰った時代とは違うのですよ、弾道官どの。現代社会が求めているのは宝物ではなく資源だ。手で持ち帰る? それでは西風号の艤装費すら出はしない。ここに集積所を作るんですよ。そして銀葉林じゅうの葉を集めて、筏に乗せて下流へ流すんです。そこまでやって初めて、我々の冒険的な航海に意義が生まれるというものだ」
「そんなことをしたら銀葉林がなくなってしまうじゃない!」
「でしょうな。それが何か?」
 ダスティン卿は大げさに目を見張って言った。
「本国から五千マイル離れた山の上の森ひとつ消えたところで、どうだと言うんです? 心配しなくとも、この程度の名所ならまだまだいくらでも見つかりますよ。新大陸はとても広い」
 ヒオリは沈黙した。その横顔から衝撃を受けているのがわかった。彼女が口を開こうとしないので、わたしは一礼して、彼女をつれて引き下がった。
 天幕に戻ると、ヒオリは混乱した様子で首を振った。
「森を丸ごと持って行こうだなんて――軍人さんたちがそんなことを考えていたなんて、私……」
「まあ、あなたは余りわかってないと思っていたけれどね」
 わたしは主計から買った気付けのラムをカップに注いで、舐めて、と差し出した。ちびちびと口をつけるヒオリを見ながら、言う。
「こんなのは序の口よ。ネリドも、隣国のヴォーハンも、国力をつけるのに必死だもの。彼らが新大陸の探検に乗り出したのは、勢力を強めるため。わたしたちが制圧弾道官にされたのも、そのためよ。未知の人々だの生き物だのを探すなんてのは、彼らにとって二の次、三の次なんだから。そこを忘れちゃいけないと思うわ」
「セリは?」
 顔を上げたヒオリが、すがるように言った。
「セリはそれでいいの? お金儲けや、戦争のためだけに利用されても」
「もともとわたしはそのために育てられたようなものよ。どこかの金持ちと結婚するか、どこかの師団で将軍の妾にされるか――そんな人生になるんだと思っていた」
 ヒオリの顔に失望が浮かんだので、わたしは小さく笑った。
「でも、それはあなたに会う前のことよ。あなたが嫌なことなら、わたしだって嫌」
「……セリ」
 ヒオリが顔をほころばせた。とても嬉しそうな目でわたしを見る。わたしはつい、言わなくてもいいことを付け加えた。
「あなたに従うのが仕事だからね。弾道官殿」
「そんな風に言わないで」
「はいはい、冗談よ」
 ばつが悪くなり、顔を背けてわたしは言った。
「それであなたは、どうしたいの。軍人のえげつないやり方がいやだというのはわかるけど、代わりにどうすればいいと思うのよ」
「私は――銀葉林を食いつぶしたくはない。でもバスコやレオンも喜ばせてやりたいわ」
「つまり軍と士官たちだけが邪魔だということになるわね」
 反乱、という単語がちらりと頭に浮かんだが、すぐ打ち消した。わたしたちが西風号を乗っ取ったところで、水兵は従わない。海で彼らが従うのは、船を動かせる士官たちだけだ。それは金銭欲とはまた別の衝動だ。
「理詰めの説得では、無理だろうな……」
 わたしは頭をかいた。もうずいぶん髪を洗っていなくて、不快だ。ヒオリも腕組みして考えこむ。
 ふと彼女が言った。
「ウカニヤ族に頼めないかしら」
「なにを?」
「何かを。ええと、そのう……銀の蛇(ルン・ギ・ラル)の大切さについてダスティン卿をに言い聞かせてもらう」
 わたしは天を仰いだ。
「あなた、言ってることがむちゃくちゃよ。卿が土人の説得なんかに耳を貸すわけがないでしょう。それにウカニヤ族だって今さら談判なんかしてくれないわよ。するなら最初から話し合いに出てきたでしょうよ。第一あなたが言っているのは、敵に内通して同僚の気を変えさせようとする行為であって、これは立派な寝返り……」
 わたしは口を閉ざした。
 肩を縮めてわたしの論評を聞いていたヒオリが、不思議そうに顔を上げた。
「セリ?」
「待って」
「……どうしたの」
「黙って。今ちょっと」
 何かが見えた。
 わたしの脳裏に、さまざまな断片が散らばっていた。それらが、意外な形で組み合わさるような気がした。
 わたしはそれらの断片をなんとかひとつにつなげようとした。
 ウカニヤは調査隊を追い返したがっている。談判しないのは、言葉が通じないと思っているからだ。しかしこちらにはバスコがいる。
 バスコは「猪突する壮士号」にいたと言った。金を山ほど積んで帰ったあの艦の水兵だったなら、大金を受け取って引退していてもいいはずだ。でも彼はまだ水兵の身分で船に乗っている。おそらく、分け前に与かれなかったのだ。でもあのような実直な性格で、しかも有能な通訳だから、彼自身に手落ちがあったとは考えにくい。
 上官に不正があった可能性がある。それなら、彼は士官を恨んでいるはず。
 いっぽうで、銀の蛇(ルン・ギ・ラル)だ。
「ねえ、セリ……」
「うるさい!」
 銀の蛇は銀の葉を食べる。幻鏡湾には二ヵ月に一度銀が流れ出してくる。銀の流れがある。なぜ二ヵ月に一度なのか? 二ヵ月に一度、銀の葉がいっせいに散るのか? いや、それでは銀の蛇が絡んで来ない。銀の蛇を絡めなければいけない。二ヵ月に一度、銀が流れてくることとからめなければならない。ああ、そうだ。銀の葉を食べた蛇が、二ヶ月に一度生まれ変わる。だから銀が流れてくる。それがいい。
 銀の蛇は人を食べない。これはよくない。いや、よかったのか。人食いならば、狩られてしまう。何か他に危険な要素は?
「ヒオリ」
「なによ、もう」
「金属の毛は体に悪いと言ったわね」
「あら、聞いてたの? よく覚えてた――」
「どう悪いの? 病気になるの?」
「ええとね、まず呼吸器にそういうものが入ると、肺を悪くするわね。鉱山や工場で細かい粉末を吸った子供が、二十歳にもならないうちに死ぬなんていう、かわいそうな話を聞くわ」
「ほかに」
「ほかには、これはまだはっきりとはわかっていないんだけど、奇形が生まれるという話も聞いたことがあるわ」
「奇形……」
「ええ、親が鉱山から流れる水を飲んでいると、その親から生まれた子供の体が、普通と異なる場合があるんですって。もっとも、鉛や銅の話だけどね。貴金属は関係ないとか……」
「――最高」
「なんですって?」
 奇形はいい。食われたり、襲われたりなどといった危険よりも、そういう、形のない不気味な恐怖のほうが、強く心に訴える。ダスティン卿はどう思うだろう? 大丈夫、彼は知的な選民を自任している。凶暴な巨怪よりも、こういった要素のほうをかえって恐れるはずだ。
 そう、これでいい――これなら怖いもの知らずの水夫たちも恐れる――ウカニヤも損はしない――完璧だ。
「ヒオリ」
 わたしが顔を上げると、ヒオリは「何よ」と眉を吊り上げて横目でこちらを見た。相当不機嫌そうな顔だ。
「どうしたの。何か嫌なことでもあったの?」
「どうしたのじゃないわよ、セリったら……」
「まあどうでもいいわ。とてもいい考えを思いついたの。手伝ってもらえる?」
 わたしは勢い込んで言ったけれど、ヒオリは不愉快そうな顔のままだった。あっちを向いたままで毒づく。
「奇形が最高って、どういうことよ」
 一瞬、何を言われているのかわからなかった。
 それから、彼女が傷ついたことに気付いた。彼女はカピスタで、それを気にしている。わたしに侮辱されたと思ったんだろう。
「ああ……ごめんなさい、あなたとはまったく関係ないの。つまりね」
 わたしは謝りながら、計画を説明した。
 最初は怒っていたヒオリも、じきに機嫌を直し、乗り気になってくれた。

  ‡

 翌日、偵察と称してヒオリとバスコが出かけていった。わたしは野営地に残った。
 ダスティン卿は、なんとその日一日だけで、巨怪を捕らえる罠の設営を半分がた進めてしまった。驚くべき発想力と統率力だが、考えてみれば、海軍軍人である彼のような男にとっては、その手の作業こそ得意中の得意なのかもしれなかった。
 その晩、ヒオリたちは帰ってこなかった。最初からそういう予定だったが、わたしは心配でよく眠れなかった。
 翌日も作業が進み、夕刻には罠が出来上がった。
 ヒオリが帰ってくるはずの頃合だったが、依然として彼女は現れなかった。
 わたしははやる心を抑えて、彼女を待った。

 暗黒の銀葉林に、松明の炎が踊る。
「ホッホーッ!」
「ホッホーッ!」
 男たちが明かりを振りたて、声の限りに叫んで鳴り物を打ち鳴らす。
 その光から逃れるように、巨大な灰白色の姿が、うねうねと波打った。
 伝令が息を切らせて走ってくる。
「成功です、巨怪は松明を嫌って向きを変えました!」
 ダスティン卿が勢いを得て叫ぶ。
「やはり光が苦手だったか。勢子にもっと叫べと伝えろ!」
 わたしは卿とともに、罠の近くで待ち伏せていた。やがて森の奥から、音もなく灰白色の巨怪が滑ってきた。
「大きい……」
 わたしたちは息を呑んだ。こちらへ向かってくる巨怪は、その頭部だけでもちょっとした小屋ぐらいの大きさがあった。胴体の後ろのほうは闇に溶けて見えない。
 銀の蛇(ルン・ギ・ラル)というぐらいだから、普通の蛇が大きくなったようなものかと思っていたが、実物はかなり異なっていた。
「つ、角があるぞ!」
「それに背びれもだ!」
 水兵たちがおびえた声をあげたが、ダスティン卿が叱咤した。
「落ち着け、勢子たちが無事だ。こいつは人間を襲わん!」
 罠のまわりには明かりをおいていない。巨怪が勢子たちを引き離すと、その姿は逆光に埋もれて輪郭だけになった。のっぺりした大きな頭が、ぬっ、ぬっ、とひと息ごとに近づいてくる。みなが息を殺した。
 やがて巨怪は、わたしたちが待機している広場に、ぬうっと頭を突き出した。
 高さ四ヤードもある巨大な頭部が、わたしの五歩先をするすると通過する。生き物というよりも、何か建物じみた大きさ、存在感だ。表面は騎士の鎧のように硬い光沢がある。意外に大きくて感情をたたえた黒目が、高みを見回していた。
 その瞬間、卿が叫んだ。
「捕まえろ!」
 ザザーッ、と梢から細いものが落ちてきた。ロープだ。巨怪の通り道に、あらかじめ何十本ものロープを張り渡してあったのだ。
 通過しようとしたルン・ギ・ラルの背に、ジグザグにロープが降りかかった。すかさず卿が声をかける。
「それ引け、引け、引け!」
「ヨーホー!」
 一列に並んだ水兵たちが、掛け声をかけて、ぐいぐいとロープを引いていく。船の上では毎日やっていたことなので、遅滞がない。
 水兵たちの牽引力が、木々にかけた複雑な滑車装置を介して、すべてのロープへ伝えられた。二本や三本なら引きちぎられてしまっただろうが、巨怪の背には三十本近いロープがかけられていた。頭を上げてのた打とうとした巨怪が、ズシンと地べたに倒れ伏す。卿が緊張した声を発した。
「各班、索具を確かめろ! 遊んでいる滑車はないか、絡んでいるロープはないか!」
「一班、順調ですぜ!」
「二班、問題ありやせん!」 
「よーし、うまく行ったな……」
 ダスティン卿がどうだと言わんばかりにわたしを見た。わたしはしぶしぶうなずいた。この手際のよさは賞賛せざるを得ない。
 松明を持った勢子が集まってきて、巨怪を照らし出した。白銀の鱗がきらきらと光った。
「すげえな」
「こいつは末代までの語り草だぜ」
「こんな化け物がいるとはなあ……」
「急所を探せ。暴れられてはかなわん」
 ダスティン卿の指示でみなが武器を持って近づこうとした時――
 風を切って飛んできた石が、彼のハットをパンと宙に跳ね上げた。
「だ、誰だ?」
「ラキト レ スカレ ネリド!」
 鋭い声がした。振り向いたわたしたちは、目を疑った。
 そこには、数え切れないほどのウカニヤの戦士たちがいて、こちらに槍をつきつけ、投石布を振り回していたのだ。
「西風号、集合――」
 ダスティン卿が叫ぼうとした時、原住民たちの中から、きっぱりした声が響いた。
「ダスティン卿、待って! この人たちは戦いにきたのではないのよ!」
「その声は――弾道官?」
 人垣の間から、鋼の一番を背に負ったヒオリとバスコが現れて、こちらへやってきた。
「ヒオリ……」
 彼女たちが無事で、わたしはほっとしたが、内心では戸惑っていた。二人はもっと早く帰ってくる約束だった。ウカニヤはもっと遅れて、無関係な振りをしてくるはずだった。
 そばに来たヒオリが、わたしにささやいた。
「大丈夫だから」
 わたしはうなずいた。怪我がないという意味であるとともに、計画に支障がないという意味だろう。
 ヒオリはダスティン卿に向かって言う。
「偵察中に出会ったので、よく話し合ってみたわ。この人たちが銀葉林とルン・ギ・ラルを崇めているのには、きちんとした根拠があったの。聞いてくれる?」
「土人のたわごとだ。聞くつもりはない」
「私たちに選べるのは、聞いた上で追い払われるか、聞かずに追い払われるかなのよ」
 ヒオリがちらりと背後を振り返ると、オウッとウカニヤたちが声をあげた。卿は怒りで顔を朱に染める。
「あ、あんたは敵に寝返ったのか」
「誤解だわ。私はあなた方を助けたいし、ネリドにも帰るつもりでいる。聞いてほしいのは、銀葉林にいるのが危険だということよ」
「危険? 巨怪ならあの通り、捕獲しましたぞ」
「あれではないわ。本当の危険は、この地の土」
「土?」
「銀葉林の土は、重金属分を多量に含んだ酸性土――そうですね、シフラン博士」
 急に話を振られた船医が、ああうむ、と曖昧にうなずいた。ヒオリは足元の白い土をすくって、差し出した。
「この土の成分は雨が降ると溶け出し、水に混ざる。私たちがここに居続けるなら、嫌でもその水を飲むことになるわ。そうすると、どうなると思うかしら、卿」
「どうなるとおっしゃるのです。もったいをつけずにさっさと話されるがいい」
「彼らは、それを教えてくれたのよ」
 ヒオリが振り返って合図をすると、人垣が割れて、三人の男が前に出てきた。彼らはそれぞれ、小柄な仲間を背負っていた。ダスティン卿と、見守る水兵たちの前に、その仲間たちを降ろす。
 うっ、とネリド人たちがいっせいに口元を押さえた。
 その三人はいずれも老人らしく、しわくちゃの顔をしていたが、体が普通ではなかった。
 一人は左腕が根元から消えており、盛り上がった肉芽が断面を塞いでいた。
 一人は女で、萎びた長い乳房をむき出しにしていたが、それは片方だけしかなかった。
 一人は他の者と違って布を体に巻いていた。傍らの男がそれを持ち上げると、皮膚に無数の豆を貼り付けたような、醜い肌の病が見えた。
 ヒオリが神妙な顔で言う。
「昔、一度ルン・ギ・ラルが銀葉林から消えたことがあったらしい。十年ほどで戻ったきたけれど、その十年の間に生まれた子供は、みなこんな風になってしまったのですって」
「どういうことです。蛇の霊力が病を防いでいるとでも?」
「喜んでほしいわ、ダスティン卿。ネリドで発達した科学的思考というものは、海を渡ってもある程度通用するのよ。つまり、ルン・ギ・ラルは銀の葉を食べることで、無害な物質に変えていると考えられる。私たちはナルカルベナ川沿いの密林をずっと歩いてきたけれど、あきらかに異常な生物は居なかったでしょう。それは、川に有害物質が流れ出していないから。ルン・ギ・ラルが銀の葉を掃除しているからよ。それが行われなくなったとき、銀の葉から毒が溶け出して、下流一帯を汚してしまうというわけ」
 卿に口を挟ませず、ヒオリは再びシフラン船医に目をやった。
「博士、西風号で行った、幻鏡燦の調査結果を覚えていらっしゃいますね。あの物質の特徴は?」
「きわめて反応性が低かったことだね。ネリドでは見たことのない化合物だったので、不思議に思っていた。新大陸固有種の生物活動による副産物だと考えれば、納得がいく」
 ヒオリの言い分が飲み込めてきたのか、シフランが鷹揚な態度で答えた。彼はにやにやと笑い始めているようだった。
 ヒオリはダスティン卿に向き直る。
「そういうわけよ」
「どういうわけだと?」
「ルン・ギ・ラルを殺すと、この盆地は毒の泉に変わってしまうということよ。逆に言えば、ルン・ギ・ラルと銀葉林の謎を解けば、いずれネリド本国の鉱山からも汚染を一掃できるかもしれない。もちろん両方を生かしておくのが前提よ」
 ダスティン卿は押し黙った。ヒオリから目を逸らし、苛立たしげに舌打ちを繰り返したかと思うと、葉巻を切って火をつけた。
 息詰まる沈黙が続いた。
 にらみ合いを終わらせたのは、ネリド人でもウカニヤ族でもなかった。
 突然、バキバキバキ、と凄まじい音が起こった。振り向いたわたしたちが見たのは、ロープをかけた木の一本をへし折り、力を込めて体をくねらせようとするルン・ギ・ラルの姿だった。
 ぬめぬめした野太い胴体の中央が、山なりに持ち上がる。張り詰めたロープが、びん、びん、と音を立てて切れ始めた。
「まずい、押さえろ!」
 卿が叫んだが、あまり意味はなかった。ロープは滑車を通じてつながっている。主要な部分が二、三本切れると、するすると緩んでいき、あっという間に拘束力を失った。
 巨怪が頭部を高々と持ち上げた。船のへさきを思わせる大きさの頭部が梢の上に消えた。ヒオリの、半笑いのような声が聞こえた。
「鳴き声がほしいところね。――蛇には無理だろうけど」
 わたしが何か言う前に、ルン・ギ・ラルは吠えた。
  びおおおおぉぉぉ……!
 大きな洞窟を吹き抜ける風のような声音とともに、ゆっくりと頭部を落としてきた。
  どぉぉおん!
 重い巨怪が地を打つと、木々も人間も何もかもが、躍り上がって転がった。
 ゆさゆさと梢が揺れ、何万枚もの銀の葉が降りそそいでくる。雪の夜のような不思議な光景の中、巨怪は松明の少ないほうへと滑らかに進み始めた。やはり光が嫌いらしい。
 わたしもヒオリも足を取られて倒れていた。その耳を、悲鳴が打った。
「助けてくれえ!」
 はっとそちらを見たヒオリが、「来て、セリ!」と叫びを残して駆け出していた。反射的にわたしも後を追った。
 闇の中へ消えていく巨怪の横腹に、人影がひとつ、不自然な姿勢でぶら下がっていた。草原の獣のように疾走したヒオリが、軽やかに巨怪の背に飛び乗った。彼女ほど身軽ではないわたしは、必死の思いで巨怪の尾に飛びついた。幸い、ぎざぎさした竜のような尾びれがそこまで続いていたので、手をかけることができた。
 わたしたちを乗せたまま、巨怪はうねうねと森の中を進んでいく。陣地の明かりは背後に消えた。しゃりしゃり、しゃりしゃりというあの不思議な音だけがついてくる。小枝がバシッと腕を叩き、その勢いにわたしはぞっとした。いざとなったら飛び降りればいいぐらいに考えていたが、これは下手な馬車よりも速い。
「ヒオリ、ちょっと、ヒオリ!?」
「切るわよ!」
 それはわたしへの返事ではなかった。ぶつっという音がしたかと思うと、「わぁーっ!?」という悲鳴が下へ落ち、すみやかに後方へ離れていった。
 わたしは暗闇の中を、巨怪の背びれを手がかりに前のほうへと進み、ようやく服を着た人間の体に手を触れた。
「ヒオリ?」
「いらっしゃい、セリ」
 わたしと同じように背びれにつかまっているらしいヒオリが、苦笑いじみた声を漏らした。
「なんか、レオンが絡まっていたから切ってあげたんだけど、引き上げたほうがよかったかしら」
「落ちたあとも喚いていたから、死んではいないわよ。人のことよりわたしたちのことよ! どうするの?」
「どうするって、飛び降りる?」
 ヒオリの形の影が、こちらを向いた。わたしは激しく首を振った。
「荒っぽいのは苦手よ」
「じゃあ、止まるまで乗っているしかないわね」
「呑気なことを言ってる場合?」 
「どうして?」
 はずむような口調に、わたしは気付いた。
「あなた……楽しんでるわね」
「私たち、巨 怪 に 乗 っ て る のよ? この三百年、誰も見たことのない生き物の背に!」
 間近に迫ったヒオリの瞳が、輝いているのが見えるようだった。
「ううん、あのジエッタですら、黒竜と言葉を交わしたことはあっても、背中になんか乗らなかったわ。でも、でも私は……!」
 ヒオリは舞い上がって状況を見失っていた。反対にわたしは心の底まで落ち着いていった。歴史は、ここぞという栄光の瞬間に死んでいった馬鹿な冒険家や将軍のことを、嫌というほど伝えてくれている。それはつまり、今のこのヒオリのようになっていたからだろう。
 わたしがいる限り、そんな風にはさせない。つとめて冷静に促した。
「ヒオリ、もっと前へ行きましょう。中央のほうが安定していそうだから」
「う、うん」
 戸惑いつつも、ヒオリがうなずいた。
 わたしには目算があった。ルン・ギ・ラルは頭を高く持ち上げる習性がある。その際には根元のところで胴体をしっかり安定させるはずだ。その瞬間を捉えれば、飛び降りることができるだろう。
 しかしその計画は、ルン・ギ・ラルの思いがけない行動でぶち壊しにされた。
 不意に、周囲にそびえる木立が消えた。広い空間に包まれたのを感じる。
 と思う間もなく、ざばっ! と水が足元から打ち寄せた。ヒオリが悲鳴を上げる。
「いやだ、なに?」
「――湖だわ!」
 巨怪が、盆地の中央にある湖に泳ぎだしたのだった。ヒオリが恐慌を起こして叫ぶ。
「セ、セリ、私泳げない!」
「もっと前に行って。頭は水から上げているはず」
 何が「はず」だ、こいつが水に潜らないなんて誰が決めたのか、と思いつつも、わたしは言った。ヒオリの手前、絶対にあわてるわけにはいかなかった。
 巨怪は胴体をすっぽりと水に沈めてしまった。驚くようなことじゃないわ、とわたしは声に出して言った。蛇が泳ぐところを見たことがあるでしょう。首から下を左右にくねらせて進む。でも蛇だって呼吸をするから、頭を沈めることはないわ。
 ヒオリは首まで水に浸かりつつも、幼子のように真剣に話を聞いて、背びれにつかまりながら、前へと進んでいった。
 やがて、わたしの予想通り、水面上に盛り上がった頭部にたどり着いた。しかしそこへ登る前に、また状況が変わった。
 ずしんという震動とともに、巨怪が速度を落とす。闇に慣れた目に、平坦で白い地面が映った。陸に泳ぎ着いたらしい。わたしはとっさに叫んだ。
「砂浜よ、飛び降りて!」
 驚いたことに、ヒオリはわたし自身よりも素早く手を離した。どさりと落下し、すぐさま声をあげる。
「大丈夫!」
 それを聞いてすぐ、わたしも飛び降りた。
 砂浜で身を起こしているわたしたちのそばを、巨怪はするすると通り過ぎていき、そこから再び始まっている、銀葉林の奥へと消えていった。
 それを見送って、ヒオリがため息をついた。
「はあ……行っちゃった」
 わたしは立ち上がって砂を払い、周囲を見回した。星明りで見える限りでは、そこは湖に面した銀葉林の端だった。要するにあの巨怪は、嫌な光からできるだけ遠くへ逃れるために、湖を横切って近道したということなんだろう。
 耳を澄ませても、何かが近づいてくる気配はなかった。この三日踏査した限りでは、銀葉林に猛獣はいない。ひとまず、危険はないと判断した。
 それでようやく、気を緩めた。
「はあ……」
 腰を下ろすと、砂を踏む音がして、ヒオリがそばにやってきた。「大丈夫?」と聞いてくる。
「大丈夫よ」
「ルン・ギ・ラル、行っちゃったね」
「ええ、そうね」
「セリは楽しくなかったの?」
 彼女の気がかりそうな声に、わたしは苛立ちが高まって、笑い出しそうになった。こっちはあなたを助けようと必死で考えていたのに。何が、楽しくなかったの、だ。
 でもわたしは、首を振って静かに言った。
「楽しかったわよ」
「セリ……」
 おかしなことだけど、それでかえって、ヒオリには伝わったようだった。ザッと膝を突く音がして、肩に手をかけられた。
「ごめん、今気がついたわ」
「何に?」
「私たち、とんでもない綱渡りをしてきたのね。振り落とされていたかもしれない、溺れていたかもしれない、踏み潰されていたかもしれない。夜の湖で放り出されたら……生きていなかったわよね」
「なんとかなったでしょ」
 わたしが言うと、強く揺さぶられた。
「ごめん、ほんとに……ああ、ずっと心配してくれてたのね! 私、なんにも気付かなくって……」
 首に腕を回して、ヒオリが抱きついてきた。彼女は細かく震えていた。はしゃいでいた反動だろう。わたしは、彼女の背中を優しく叩いてやった。
「気にしないで」
 そうやって、しばらく背中を撫でてやりながら、取りとめもなく話をした。
「あの毒の話、でっちあげのつもりだったのに、当たったのね」
「ああ、奇形になるっていう?」
「ええ。まさかウカニヤ族の生き証人を連れてくるとは思わなかったわ」
「あれ偽物よ」
「……偽物?」
「腕と乳房は、別々の事故と病気でなくしたものですって。皮膚病は見たとおり、豆を肌に貼り付けただけ」
「あの見た目は、てっきり本当の犠牲者かと……」
「思ったでしょ? セリが信じたなら、ダスティン卿も確実ね」
「あなた、策士だわ」
「原案を考えた人に言われたくないな」
 わたしたちは抑えた声で笑った。
「じゃあ、シフラン博士とも密約を?」
「いえ、彼とは何も。でも、前から気が合っていたから。あの場で即興で話を合わせてくれたみたい」
「彼ら、どうしているかしら。あれからうまく休戦となっていればいいけど……」
「ほんとね。――あっ」
 ヒオリが額に手をかざして、立ち上がった。
「明かりが見える」
 言われてみれば、対岸に光がちらついていた。わたしも立ち上がった。森から出てきた人影が、松明をかざして動いていた。距離は一マイルほどあるだろうか。
「巨怪の這った痕を追いかけてきたんでしょうね」
「大変……早く戻って知らせないと、私たち、溺れたことにされるかも」
「明かりもないのに歩いていくのは気が進まないわね。沼地や淵にはまるかもしれない。助けを待ったほうがいいわ」
「でも……」
「大丈夫よ」
 わたしは言った。ヒオリが振り返る気配があった。
「水兵たちがほっときゃしないわよ。朝になったらレオンやバスコが探しに来るわ」
「そ、そう?」
「少なくとも、あなたのことはね」
 海の男たちは、命の恩人のことは決して忘れないものだ。
「それじゃ、あわてなくていいのね……」
 安心したように、ヒオリが軽く息をついた。 
 わたしたちは、しばらく何も言わず、並んで立っていた。
 そのうち、ヒオリがぎこちなく言った。
「セ、セリ」
「ん」
「変な意味に取らないでね。その……私たち、脱いで絞ったほうがいいと思うの。濡れてしまったから……」
「ああ」
 わたしは軽くうなずいた。くすくす笑いを漏らしてしまいそうだった。ヒオリはこういうことになると、まるっきり隠し立てということができない娘なのだ。
 変な意味に取るなと言いつつ、彼女の声には、期待がありありと含まれていた。
 わたしは考えた。片道、二十日近くもの旅程。うまく行けば、帰り道はウカニヤの脅威がなくなるかもしれないけれど、十分なプライバシーに恵まれることは、やはりないだろう。彼女には、つらく長い禁欲を強いることになる。
 ううん。
 わたしにも、だ。
「ヒオリ」
 わたしは言った。声が濡れて震えたけれど、かまわなかった。
「して」
「――何を?」
「いやらしいこと」
 ヒオリの呆然とした眼差しを、頬に痛いほど感じた。
 聞き間違いかと思ったんだろう、彼女はおそるおそる近づいてきた。わたしを横から抱くのも、ごく、そうっとだった。腰に股間を当ててくる。そこがものすごい勢いで充血していた。
 とても小さなかすれ声で、ヒオリは言った。
「い……いいの?」
「そうね。たとえば――」
 顔を向けないまま、身を預けた。心臓が高鳴りすぎて痛かった。
「動物になったつもりで好きなだけ、いいわ」
 ヒオリが呼吸を止めた。ぎゅうううっ、と抱く腕に力がこもった。
「と――止まらないからね」
 わたしは瞬間的に発情しきったヒオリに、壊れそうなほど抱きしめられた。

「はぁ、はぁ、はぁ、はぁ……」
 黒ラシャの制服の上から、ヒオリの手がわたしを撫で回す。
「はぁ、はぁ……んくっ、はぁ、はぁ……」
 スカート越しに腰をなで、太腿をさする。肩を抱き、青のパイピングで縁取られた胸飾りに手を潜らせる。薄い手のひらで、乳房をすくい上げる。
 体をぴったりと寄せて、際限なく密着してくる。痛いほどの渇望が伝わってくる。わたしが欲しい、と体全体で訴えている。
「はぁーっ……はぁーっ……」
 肺が焼けるように熱くて、蒸気のような吐息が出る。
 さっきからわたしの呼吸は、荒くなりっぱなしだった。
 触れられれば触れられるほど、激しくなった。今はヒオリを拒まなくていい。そう考えると、怖いほど興奮した。ヒオリがどんな風に侵してくるか、想像するだけで胸がはちきれそうだった。まだためらいがちなヒオリの動きが、もどかしかった。
 ヒオリはわたしの耳元に顔を寄せて、とろんとした目で見つめている。両手をわたしの体に這わせている。わたしは、虚勢だと見抜かれるのを承知で、言ってやった。
「何やってるの、じれったい。あなたがしたいのは、本当にそんなこと?」
 ぴく、とヒオリが止まった。わたしは最高に興奮していた。これと同じ挑発を、船の中でやった。でもあの時は、意識を失っていた。
 いまは正気だ。ヒオリがどう出てきても、わたしはしっかり受け止めなければいけない。
 ヒオリの手が、迷うように、わたしの股間へ向かいかけた。
 触られる、とわたしは身構えた。
 でも、本気のヒオリはそんなに生易しくなかった。ヒオリはいったん伸ばした手を引っ込めて、わたしの顎をつまみ、振り向かせた。彼女の、挑むようなとても強い目と、わたしはまともに見つめあう。
「眼鏡、外して」
 言われたとおり、わたしは眼鏡を外した。わたしの顔は、突然無防備になった。
「しゃがんで」
 言われたとおり、わたしはしゃがんだ。砂に膝を置き、膝に両手をついて、胸を震わせながら彼女を見上げた。
 その顔に、彼女の鞭のような命令が叩きつけられた。
「少しでも嫌だったら、すぐにこう言うの! 『あなた何馬鹿なことやってるの?』って。いい!?」
「――わかったわよ」
 わたしは、極め付けに冷たい声で答えてやった。
 見せ付けるような露骨な手つきで、ヒオリはショーツを下げ、性器を取り出した。あのすらりとした健気なシルエットが、スカートを持ち上げて勃起する。
 彼女の潮の匂いがした。胸がきゅーっと苦しくなった。
 ヒオリが嘲笑する。
「私の言ったこと、わかってる?」
 わたしは、無表情を保ちながら、かろうじてうなずく。ヒオリの目が恐ろしく輝いている。
「言わないのね? なんにも?」
 ヒオリがそれを手で押し下げた。つるつるに張り詰めた先端が目の前に来る。わたしはまだ何も言わない。両手を膝についてじっと待ち受ける。ヒオリが片手でわたしの頭を押さえた。片手で幹を持ち上げてわたしの口にあてがう。わたしはまだ何も言わない。
 はぁぁぁ、とヒオリが熱い歓喜の息を吐いた。
「言って、ほら、こんなの嫌いって、さあ!」
 言葉とともに、性器が口に入ってきた。先端が唇を押し広げる。歯の間をくぐる。舌を押しのけ、ふかぶかと喉へ収まっていく。
 わたしは、言葉もなく震えていた。――すでに寝込みを襲うほど好きになっていたヒオリのあの味が、こんな奥まで入ってきてくれたのに、何か言えるわけがなかった。
 できたのはただ、舌の裏から湧き出してきた唾液を、たっぷりとからめてあげることだけ。
  ぢゅぷぷぅ……。
 わたしはとうとう、ひとことの反抗もせずに、ヒオリの口内姦をとろけきった舌で受け止めた。
 頭を押さえるヒオリの手に、興奮と歓喜の強い強い力がこもった。
「セリ、あなたって……もうっ!」
 いきなり、両手で頭をつかまれたかと思うと、立て続けに前後に揺さぶられた。ヒオリが我を忘れていた。わたしをただのモノのようにぐいぐいと動かして、反り立った勃起をいやというほど突きこみ、こすり立ててきた。
「んぐ、ぐ♪ ふ♪ んぉ、く、んふ♪」
 わたしは喜びのあまり正気が飛んでしまいそうだった。彼女が夢精したあの夜、狂おしいほど妄想した味と匂いと感触と勢いが、本物になってわたしを犯していた。カピスタの彼女の、欲望のすべてが、いまわたし一人に向いていると考えると、頭の中が熱くねっとりと煮崩れてしまうような気がした。
 強すぎる興奮に捉われて、わたしは全身を小刻みに震わせていた。乳房が厚ぼったく張って敏感になっていた。腰の奥のうずきは、むずがゆさを通り越してシクシク痛むほどで、きつく閉じ合わせた太腿の間に、じっとりと潤みがあふれているのがわかった。
「はぁぁ、あ、あぁく、くふ、セリ、セッリ、んく♪」
 ヒオリは顔をばら色に染め、唇から舌をこぼし、身も世もなく快感に溺れて、絶頂へとひた走っていた。わたしは彼女の望みどおり、肩から上の力を抜いて、ただ彼女に動かされるがままの道具と化してやった。
 円筒形に張り詰めたヒオリのものが、びくびくと激しく痙攣したかと思うと、ぐうっと膨張して一気に精液を打ち出したのは、間もなくだった。
「んあぁーーっ! あぁーっ、ふぁぁーんんっ♪」
 濡れきった嬌声とともに、腰を情けなくガクつかせて、ヒオリが射精した。わたしとの同調感だとか、精を与える味わいだとかを頭から無視した、ただ放出したいがための、放出だった。
「んっ、んぅぅんっ、あっ、あおぉっ、んぁぉっ、……♪」 
 びゅうっ、びゅうっ、びゅうっ、と噴水のように太くて勢いのある液流があふれる。わたしの口内と鼻腔を、ヒオリの味が渦巻いて洗う。意識すべてが彼女の味で染め抜かれる。嬉しすぎてめまいがする。
 多い。ものすごく多い。こちらの呼吸や気分などお構いなしに、後から後からがんがん射ち込んでくる。一発目から喉を鳴らして飲んだけれど、とうてい追いつかなかった。ごぽごぽと音を立てて、口の端からだらしなくこぼした。精液でいっぱいになった口と喉に、さらに粘液が流れ込んできた。わたしは呼吸できなくなり、がくりと傾いて砂に手をつき、頭が破裂しそうな息苦しさに耐えて、最後までヒオリに口を使わせてやった。
「くぉ……ぉぉん……っ♪」
 ヒオリが鼻を鳴らしながら、ふるふると震えて射精を終えるまで、十分に待ってから、わたしは飛びのくように顔を背けた。呼吸器にまで入りかけていた精液を、必死に吐き出した。
「げぼっ! え゛っ、けほっ! げほっ!」
 けんけんと肩震わせて咳きこみつつも、わたしは深い陶酔の中にいた。ヒオリを、とことん満足させてやったという自信があった。あの子が他の相手を求めたって得られないし、得られたとしても、ここまでのことができる娘はいないだろう。
 わたしは、一仕事すんだような達成感を覚えていた。
 しかしそれは甘かった。まったく甘かったのだ。
 わたしの相手は、カピスタだった。
「セリ」
 肩に手を置かれた。ねぎらいのつもりだろうと思った。軽く見返してやるつもりで、振り返った。
「これぐらい、どうってこと……」
 最後まで言えなかった。
 ヒオリは美しい青の瞳をらんらんと輝かせ、今あれほど出したばかりとは思えぬほど猛り立った性器を誇示して、わたしの前に立っていた。
「いま、思い出したのだけど」
「な、なに?」
 わたしは、わけもなく身を引きたくなった。何か危険な響きが、彼女の声にはあった。
「行軍中、誘ったのに断られた時があったよね。生理だからって」
「……ええ」
「あれ、何日前だったかしら」
 予想外の言葉に、頭が一瞬空白になった。
 銀葉林についたのが三日前。パシニアとのことがあったのがその六日前。あれを理由に断ったのは、そのさらに五日前だったはずだ。
 つまり、今から十四日前に、前回のあれが来た……。
「セリはいつも、きちんと二十八日で来るのよね?」
 わたしはダッと砂を蹴って、逃げ出そうとした。
 しかしヒオリにそれを読まれていた。一瞬早く駆け出した彼女が、わたしの腰にタックルをかけて、砂の上に押し倒す
 わたしは焦りに駆られて叫んだ。
「だ、だめっ! それは本当にだめ!」
「セリぃ……♪」
 抵抗は、逆効果だった。ヒオリはたとえようもなく嬉しげな声をあげると、わたしの背中にべったりと張り付いてきたのだ。
「やっぱり、当たってた……?」
「あ、当たってなんかないわ! あなたの勘違いよ!」
「……じゃあ、してもいいんじゃないの」
 腰にしっかりと抱きつかれたまま、後ろから膝を突き上げられた。わたしの膝が「く」の字に曲がり、尻の後ろに彼女が貼り付く。
 恐ろしいほどの手際のよさで、彼女がわたしの下を脱がせた。濡れた下着がくるりと剥かれて、尻がひやりと涼しくなった。
 そこにヒオリが手を差し込み、わたしのひだを指で広げる。
「ねぇ、してもいいよね? セリ……」
「だめよ、だめ! 落ち着いて、ヒオ――」
 リ、と言うことができなかった。
 下の入り口に、ヒオリのこわばりが当たった。
 きしっ、と一瞬でわたしは金縛りにかかった。背中に抱きついた想い人が、今まさに寸前の姿勢で、切なげにわたしにささやいた。
「取るから」
 ぬむ、と先端がくぼみにぴったりはまる。
「責任。私」
 むずむずとかきわけて、入ってくる。
「生まれるまで絶対見捨てないし」
 熱さが、犯す。わたしを、広げて。
「生まれたら、私が引き取る」
 入る。入ってくる。ヒオリが、わたしの中に。
「あなたも赤ちゃんも。絶対一生見てあげるから」
 とても重いものがわたしを押し広げていく。
 わたしが柔らかい、こんなに柔らかいなんて。
「だからセリ……いじわるで素敵なセリ……」
 動き出す。くいくいと、遠慮がちに。
「受け取って? これ受け取って? 私の、これぇ……」
 動く、押す、こする、こねる、かき回す。
「これ、ね、たまらないの、入れたいの」
 動いてる、挿れて動いてる、だめ、しびれる。
「挿れて刺して、注ぎたいの。セリにしたいの、どうしようもないの」
 だめ、だめ、ほんとに、これ、やめて、お願い。
「あっ、セリに、あっあっ、セリにね、こうやってね、ずっぷり挿れてね」
 すごく動いてる、音がしてる、わたしの中、奥、突かれてる、こねられてる。
「挿れて、包まれて、あっ、お肉すごい、あっあ、セリ、セリ、これ?」
 だめ、もう、絡む、ついちゃう、わたしが、ヒオリに、絡みつく。
「いいのね? ね? いいでしょ? これいいのよね?」
 やめてやめて、そこだけこすらないで、溶けるしびれる、濡れる漏れちゃう。
「あっあ、すごい、すごくきゅうって、セリすごい、うれしそうっ」
 ちが、もう、違うのにっ、からだ勝手に、うずいて、きゅうって。
「ね、セリ、ね、ねえっ。言って、何か、ねえっ、言ってよ」
 もっ、もう、「許しっ」て、声、止められ、もうっ、無理っ「んっあ」
「返事して、返事聞きたい、セリ、聞かせて。いいよね? ね?」
 そっんな、「ずるいっ、挿れてから、そんなにっ」、断れ「ないっ」
「いいのね、いいのね。こんなに、トロトロ、とっても、トロトロっ」
「言わない、言わないでっ、ヒオリずるい、ずるいずるいずるいっ」
「いい、いいのっ、ずるくてもっ、嘘じゃない、嘘じゃないからっ」
「それ、それがずるっ、ずるいってばぁ♪ そんな、そんなのっ」
「はぁあ、セリ、セリ♪」
「そんなのっ、断れないっうれしくてぇっ!」
 わたしは必死になって、できる限り抵抗したけれど、無駄だった。ぴったりとしがみついたヒオリにささやかれ懇願され、入り込まれ動かれて、もろくも溶けてしまった。
 砂の上に伏せて尻を突き出して、情けなく泣くわたし。後ろから腰をつかんで、とても丁寧に動きながら、ひっきりなしに声をかけるヒオリ。
 あたりは真っ暗で、邪魔者は誰もいなくて、さっき溺れるほど飲まされたばかりで、相手はわたしを知っているヒオリだった。わたしが抵抗できる要素なんてひとつもなかった。
「ね、いいよね、ね、セリ?」
 うん。うんうん。もう、いい。どうでもいい。結局、ヒオリだもの。
「今の、「うん」? 「うん」よね? くぅっ♪」
「うん」いい。ヒオリならいい。わたしいい、後悔しない。
「セリ、セリ。ん? なぁに、セリ?」
「貸して、手、貸して」
 ヒオリがわたしにかぶさって、頬に手を当てる。わたしはその手に口付けしながら、振り向いて頼む。
「絶対、よ? ぜったい、はなれないでね?」
「……うん、うんんっ! 離れない、私セリから離れないっ!」
 ヒオリが顔を真っ赤にしてうなずく。わたしの中にぎゅうっと食い込んでくる。
 もう、決めた、もう。
 わたしは抵抗をやめて、目をつぶって、切ない下腹に集中する。
「いいわ、ヒオリ。いいわよ、もう」
「いい? いいの、セリ?」
「したいんでしょ、ここにありったけ、したいんでしょ」
 わたしは搾る。奥をきゅうっと引きつらせる。
 一番だいじな奥のところで、ヒオリが硬く硬く膨れている。
「いいわよ、してよ。わたしに……あなたの種、付けちゃって……」
 言ってしまった、ごまかしようのない、ひとことを。
 わたしはうつぶせて、力を抜く。ヒオリももう、何も言わなくなった。ただ呼吸と、心臓の音だけ、どこまでも荒くしながら、ひたすら動いてる。
 と思ったら最後に、またくっついてわたしの手にぴったり手を重ね、耳元に顔を突っ込んできた。
「セリ」
「ん」
「感じて」
「ん」
「すごくいい、きっと。ね?」
「んん……♪」
 尻を押し潰すみたいにして、ヒオリが思い切り刺した。
 わたしの腹の真ん中で、ヒオリが力いっぱい跳ねた。びくん、びくん、びくん! とものすごく跳ねた。
「くううぅぅぅ……♪」
 すぐそばでヒオリが、切なくてたまらないという顔をする。目をかたく閉じて、まつげを震わせ、激しく頬をすり寄せながら、腰に力を込めてびゅくびゅくと射精している。まるで子猫のようで、とても可愛らしい。
 ヒオリのほとばしりを、奥にはっきり感じた。わたしはかたく息を止め、内側に快感を溜めようとした――ら、するっと底が抜けて、深い深い絶頂に落ちた。
「くぅくっ……!」
 全身にぞわぞわと鳥肌が立つ。とどめのようなヒオリの強い抱擁だけを感じる。身体のあちこちが消えてしまって力が入らない。しゃあーっ、とすごい勢いで何かが漏れた。
 想像を、軽く、越えていた。

 消えた体が戻ってきても、底深い満足感は和らがなかった。全身に気だるい幸福感が行き届いていて、ずっとこのままがいい、これ以上何もいらない、という気分だった。
 半ば砂の中に突っ伏して、人事不省にでもなったようにひくひくと震えていると、ヒオリが離れる感触がした。完璧に飛んでいたわたしは、そのままどさりと倒れた。
 するとヒオリがなにやらわたしを動かした。裏返し、ボタンを外して、服を脱がせる。わたしを全裸にする。
 それから自分も脱いで、わたしに抱きついた。裸のあたたかいすべすべした肌を押し付けて、口付けの雨を降らせながら、少しだけ遠慮がちに、言った。
「ね……次、いい?」
 前は七回だったかな、とわたしはうつろに思い出した。
 今夜はそれ以上かも。
「セリ……?」
 気がかりそうな声とともに、下腹にぴたりと濡れたものが当たった。それは当然のように、三度そそり立っている。
 あきらめた。何もかも。
「いいわよ。好きなだけ」
 わたしがうなずくと、ヒオリは顔を輝かせてまたわたしを抱いた。
 それから朝日が昇るまで、やめようとはしなかった。

  ‡

「セリ、ごめんなさい、セリ」
 子供のように取り乱したヒオリが、わたしを湖面に浮かべて洗っている。
「本当にごめん。あんまりよかったから……」
 わたしはぐったりと力を抜いて、身を任せていた。全身綿のように疲れきっていた。
 吸われて齧られたところが痛い。
 内腿についた口づけの痕、全部タイツで隠せればいいけれど。
 腰ががくがくで、歩ける気がしない。
 それどころか、身を起こせるかどうか……。
 ヒオリが謝る。
「次はもっと抑えるから!」
「次なんか……あるもんですか」
 わたしはぎりぎりと歯をかみ鳴らして、ヒオリをにらむ。
 身を縮めて恥じ入ったヒオリが、でも、と舌を出した。
「種を付けていいって、言ったわよね?」
「……付いてたら、もうしなくていいでしょ」
 あっ! とヒオリが本気でうろたえた。
「そ……そうか。そしたら私、どうすれば……」
「一人でしたら」
 わたしは腹が立って目を逸らした。
 まあ、ヒオリらしいとは思ったが。

 明るくなってからも、辺りにはしばらく朝霧が立ち込めていた。
 裸で迎えを待つわけにも行かないから、服を着た。べたべたして気持ち悪かったが、気温が高いので寒くはなかった。
 わたしたちは、野営地に近いと思われる方向へと、湖岸を歩き出した。湖は大きく見れば円形ではあったけれど、山から注ぎ込む川や、その痕跡がいくつもあったので、まっすぐ進むことはできなかった。入り江にぶつかると、渡れるところまで遡ってから先へ進んだ。
 三十分ほど歩いて、朝霧が薄れてきたころ、前方から声がした。
「ヒオリ!」
 女の声だった。調査隊に女はいない。わたしたちはハッと立ち止まる。
 銀葉林の木々の間から、石槍を手にした、褐色の肌の仮面の戦士が現れた。腰蓑や首飾り越しに、華奢なわりに豊かな体つきが垣間見えた。
 ヒオリがわたしを後ろにかばいながら、ずっと背負ってきた鋼の一番を構えて言った。
「パシニア?」
「エル パシニア」
 戦士が仮面を取った。透けるような細い銀髪の少女が顔を現した。
 武器を構えてはいないが、表情は友好的なそれではない。軽く唇を引き結んで、緊張しているように見える。彼女は一度、カピスタの魅力に惑わされてしまったようだが、普通に考えれば、無理やり犯されたのだから恨んでいるはずだ。
「そういえばヒオリ、結局ウカニヤとはどういう協定を結んだのよ」
「ごく限られたものよ。私が調査隊を連れ戻してやるから手を貸せと言ったの。同盟を結んだりはしていないわ」
「じゃあ彼女とは敵対したまま?」
「まだ笑顔を見たことはないわね」
 わたしたちは構えを崩さず、相手の出方を待った。
 パシニアはわたしたちの数歩先までやってきた。そこまで近づくと、身長差を意識しないわけにはいかない。こぶし二つ分ほど下からわたしたちを見上げた。その表情は硬くてよく読めない。内心を押し隠している。
 何か言うかと思ったが、しかしすぐに顔を背けて、歩き出した。砂浜の先のほうへ行って、手招きする。
「ヒオリ」
 わたしたち二人は顔を見合わせた。
「案内してくれてる?」
「もしくは、罠に誘っているとか」
「なぜ罠の必要があるのよ。戦う気なら戦士の集団が来るでしょう」
「親切にされる理由がわからないわ」
 パシニアは辛抱強く待っている。結局わたしたちは、どのみちそちらへ行くつもりだったから、と自分に言い聞かせてついていった。
 パシニアの気持ちはともかく、目的はじきにわかった。湖からひときわ深く森の中へ食い込んだ入り江。周りを銀葉樹に囲まれた静かな水面を指して、彼女は叫んだ。
「スラフ ルン ギ ラル!」
 わたしたちは目を凝らし、ぎょっとした。深い緑の水の中に、あの巨怪がうずくまっているように見えた。
「ヒオリ……」
「いえ、違う」
 眉根を寄せていたヒオリが、よく見えるように場所を変えながら、言った。
「背中を見て。割れていない?」
「割れ……あの筋みたいなののこと?」
「形も崩れている。これは、脱皮したんだわ。それに、ほら! 底を見て」
 注意深く覗き込むと、大蛇の下に、無数の鈍いきらめきが見えた。苔に覆われてはいたが、それは銀の鱗に間違いなかった。
「何回、いえ、何十回分もの皮が積もっているみたい。ここはルン・ギ・ラルの寝床か、巣のようなものなのかしら」
 ヒオリが手まねでパシニアに、皮を脱いだあとか、と尋ねた。パシニアはうなずいた。
「オハォセ ヒオリ ヌ ハマ ルン ギ ラル スァスフ グィ レ フィフ」
「ええと……」
「モン クラル イニ ルン ギ ラル バッフ」
「ごめん、わからない」
 ヒオリは苦笑した。指を二本立てようとしていたパシニアが、むっとしたように口を尖らせたが、すぐ表情を和らげて、また歩き出した。
 先を行くヒオリに、わたしは言った。
「わたしはわかったような気がしたけど」
「ん?」
「あの子、月が二度回る、って言っているように見えなかった? 二ヵ月に一度、脱皮するという意味じゃないの」
「――つまり、あれが幻鏡燦現象の源流?」
 ヒオリが振り向いた。
 高く昇った朝日を受けて、水底にちらちらと光が瞬いているのが見えた。

「おーい、弾道官さま!」
「ヒオリさん、セリさーん!」
 茂みの先から、不意に水兵たちの声が聞こえてきた。ぴくりと耳をそばだてたパシニアが、だっと反対の方向へ走り出した。
 とっさにヒオリが声をかけた。
「パシニア!」
 すでに姿を隠しかけていた少女が、ふと立ち止まる。ヒオリが手を上げた。
「ありがとう、またね」
 パシニアは猫のように微動だにせず、こちらを見ていた。
 唐突に言った。
「マタネ」
 そして倒木を飛び越えて姿を消した。
「あは……」
 思わず笑みが漏れた。
 それからわたしたちは水兵たちと合流した。思ったとおり、レオンは捜索の先頭に立っていて、ヒオリを見つけると泣かんばかりに感動した。他の水夫たちも、巨怪に乗って湖を渡ったとわたしたちが話すと、目を丸くして驚いた。
 しかし、彼らを驚かしたあとは、わたしたちが驚かされる番だった。
「撤収ですって?」
「はあ、ダスティン卿がお決めになりました」
「ウカニヤ族と休戦したの?」
「土人どもは、あのあとすぐいなくなっちまったんで、関係ねえです。しかし、シフラン先生が夜通し話して下すってたようで」
 水兵たちの説明に、わたしは面白いと思った。博士はやはりわたしたちに好意的なようだ。でも、それはなぜだろう。
 それはともかく、水兵たちの様子が気になった。わたしがヒオリにささやくと、ヒオリも眉をひそめてうなずいた。
「そういえばそうね。――おまえたち、不満じゃないの? てっきり、森中の葉を持ち帰りたいってごねるかと思ったのだけど」
「へへへそんなワガママは言いやせん。なあ」
「おうともフフフ」
 水兵たちはにやにやと笑っている。気になったので、わたしはレオンに詰め寄った。
「ちょっと、どういうことなの」
「いえ、それが、ねえ」
「焦らされるのは好きじゃないんだけど」
 わたしが目を細めて見つめると、レオンはなぜかのけぞって嬉しそうな顔をした。嫌な感じがして、わたしはにらんだ。
「レオン?」
「セ、セリさまの眼差しが……」
「さっさと答えなさいよ」
「実は金砂湾に行くんでさあ」
 バスコが種明かしをしたので、わたしたちは驚いた。
「あそこに? そりゃあ嬉しいでしょうね、あなたたち」
「いえいえ……セリさまもヒオリさまも、きっと面白いと思いますよ。みんな河口の金に目がくらんじまって、まだまだ奥地まで探検が進んでないって話ですからね」
「なあんだ、金しかないのかと思ったわ!」
 ヒオリの浮世離れした言葉が、いちばん水兵たちを驚かせたようだった。
「金しか、だとよ」
「さすが学院出のお方は違うね」
 しきりに感心されたヒオリが、戸惑ったようにわたしを見た。
「何か変なこと、言っちゃったかしら」
「あなたはそれでいいのよ」
 わたしは肩を叩いてやった。

 こうしてわたしたちは、幻鏡湾で起こる幻鏡燦について、一応の調査結果を得て、帰途についた。
 水兵たちは、持てるだけの葉を持っていくことを許されたので、ご満悦だった。ただし、人体に害があるかもしれない(というヒオリの嘘をみなが信じている)ので、本国につくまでは船倉に封印することになったが。
 ダスティン卿はといえば、銀葉林とルン・ギ・ラルを発見し、幻鏡燦の原因を突き止め、さらにこの辺りで初めてウカニヤ族との交流を成立させた探検隊長、という立場になった。これは本国に胸を張って報告できる、立派な成果なのだが、本人はやはり、多少不満なようだった。人間の欲には限りがないものだ。
 ヒオリは大体において探検を楽しんだようだが、ウカニヤ族のパシニアから聞いたことを気にしている。彼女は確かに「カピスタ」と言った。銀葉林での別れの時には、ルン・ギ・ラルのことに気を取られて、聞きそびれてしまった。
 なぜ彼女はカピスタを知っていたのだろう。そして、そのことと、別れ際の彼女が見せた、それなりに友好的な態度とは、関係があるのだろうか。
 もっとも、ここへ来てヒオリは、自分の身体についてのコンプレックスをそれほど意識しなくなったようだ。おそらく、周りに女がいないためだろう。学院では周りと比べて自分を卑下していたが、フリゲート艦の連中の中では、そんなことを気にしなくてもいい。
 彼女はすっかり「絶え間なき西風号」の人々と馴染んだ。この艦はまだ当分、本国に帰らないが、それでも不満はなさそうだ。
 そしてわたしは――大きな不安と困惑と、ほんのわずかな希望を抱いている。
 銀葉林を出てから、ナルカルベナ川を下って、幻鏡湾の西風号に戻った。真水や木の実などを積みなおして出帆した。何やかやで、あの巨怪の夜から一ヵ月近くたった。
 なのにまだ、月の巡りが来ないのだ。
































note:
肝心の弾道術をあまり出せなかった。次の次はもっと出す。
なぜ次の次かというと、次の話では二人が船から落ちてしまうため。
弾道術など使っているヒマは、多分ない。
(2008/07/16)