*1
この歌は『拾遺愚草』自筆本に欠くが、名大本や書陵部御所本には収める。正編下巻2348の次にあたる。
*2
『続後拾遺集』収録歌として『員外之外』に収める3849の初出形で、初二句のみ異なる。
*3
『全句索引 本文篇』の補遺に拠る。大日本史料出典。『訳注藤原定家全歌集』(以下『訳注全歌集』と略)はこの歌につき「元仁元年四月九品往生和歌ではなく、定家の自筆自詠であることが確認しえないので、省く」とし、この番号のもとに次の「たちかへる…」の歌を収めている。
*4
『全句索引 本文篇』は「碧冲洞叢書第二十四」を出典とし補遺に収めるが、下冷泉政為の家集『碧玉集』に見える歌で、定家の作ではない。
*5
『歌枕名寄』諸本に定家作とするが、『万代集』『夫木和歌抄』いずれも作者名「中納言定頼」とし、おそらく定家作とするのは誤りか。
*6
『全句索引 本文篇』は次の一首と共に「新古今時代和歌資料攷―建仁期の新資料―(有吉保)」(日大人文科学研究所「研究紀要」)に拠って補遺に収めるが、この歌は『源家長日記』に「女房宮内卿」作として出ており、定家の歌ではあるまい。
*7
『全句索引 本文篇』に拠る。出典は東京大学図書館蔵写本。久保田淳氏の発見になる資料。「仁和寺宮五十首の草稿本に誰かが評を加え、さらに定家が推敲したもので、作品の形成過程がうかがわれる興味ある資料である。五十一首の内、九首詠み替え・さし替えがあって現在の五十首の形になったが、除去された八首が新出歌ということになる」(同書)。
*8
『六花和歌集』は定家作とするが、宝治百首の定嗣の歌。
*9
4599から4601までの三首、『全句索引 本文篇』に拠る。「定家作といわれる東京大学国文学研究室蔵「和歌秘抄」の例歌の中から、久保田氏によって定家作と認定されたものである」(同書)。
*10
『訳注全歌集』による。「正治二年(一二〇〇)十月一日当座二首歌合(散佚)で「社頭霜」を詠じたものか。「反古懐紙」は五島美術館展示で所見」(同書)。
*11
作者名「前中納言」とあるのみであるが定家を指すか。同じ歌が『夫木和歌抄』8344に「大嘗会御屏風 前中納言定家卿」として収録されている。なおこの歌以下は水垣による新出歌である。
*12
新編国歌大観第五巻の「沙石集」の拾遺(異本歌)に拠る。作者名「定家の卿」とある。
*13
新編国歌大観第十巻に拠る。『六花集』64には家隆作とする。
*14
『拾遺愚草』自筆本では「惜しむ」を多く「おしむ」と書いているが、「越しみ」「越しむ」などと書いた例もある(160・172・1676)。これらは行頭に「お」の字が並ぶことを避けるための便法であったと思われる。定家は「越」の字を「を」「お」両方に読める仮名として用いた。
*15
『拾遺愚草』自筆本では荻の葉を仮名書きするとき常に「おきのは」と書いているが、下荻は「したをき」と書き(1432・1929)、伊勢の浜荻は「いせのはまをき」と書いている(1279・2158)。おそらく同じ「荻」でも他の語との結びつきによってアクセントが異なるためであろう。
*16
「折る」を『拾遺愚草』自筆本は普通「おる」と書くが、雪折れの「折れ」は歴史的仮名遣と同じく「をれ」と書く(1665・2344・2356・2366)。
*17
『拾遺愚草』自筆本では「おいらく」「おいせぬ」などと書いてあり、「おゐ」の例はない。
*18
自筆本には萎れる意で「しおる」と書いたとおぼしい例もある(764)。
*19
但し定家は自筆本で青柳を常に「あをやき」と書いており、これは歴史的仮名遣と同じである。
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公開日:平成27年03月22日
最終更新日:平成27年03月29日