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「師走」の字面を見ただけで忙しない気持になってくる。もっともこれは当て字で、語源は「四極(しはつ)山」などと言う「しはつ」と同義らしい。諸説あるものの、年の果て、どんづまりの月を意味する語であったことは確からしく思われる。
古歌に「しはす」を詠み込んだ歌は意外なほど少なく、万葉集にはたったの一首しか見つからない。
『万葉集』巻八 紀少鹿女郎の梅の歌一首
十二月 には沫雪降ると知らねかも梅の花咲く含 めらずして【通釈】十二月には沫雪が降ると知らないのだろうか、梅の花が咲き始めた。蕾のままでいないで。
旧暦十二月は晩冬であり、春の足音も聞こえようかという頃。梅が咲くのも珍しくはない。早々に咲いてしまった花が沫雪に遭って傷むことを危ぶんだ、優しい心根の歌である。作者は若き大伴家持の年上の恋人だった人。
中世になると、「しはすの月」がよく詠まれるようになる。これはおそらく兼好法師の『徒然草』の影響であろう。第十九段に、師走二十日余りの「すさまじきものにして、見る人もなき月」を冬の「あはれ」な風物として取り上げている。「すさまじき」――寒々として荒涼たる風景の、殺風景と紙一重の美を、中世の風流人は好んだのだった。
『碧玉集』 (炉火) 下冷泉政為
見るも憂きしはすの月に埋み火のほのかなるしも影すさまじき
【通釈】見るのも憂鬱な、師走も尽きる頃の月に、炉の埋み火がほのかに燃えているのが、何とも光の寒々としていることよ。
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『蔵玉集』 (十二) 鴨長明
暮れて行く年は身にそふ老なれど春まつ月のいそがしきかな
同上 顕昭
花はまだつぼむ枝かとほのみえて梅初月の心色めく
『続亜槐集』 飛鳥井雅親
戸ざしせで物すさまじき庭の月夜な夜なぞ見るしはすなれども
『雪玉集』 (春漸近) 三条西実隆
新しき年の光にむかふかなしはすの月のあり明の空
『為村集』 (寒夜月) 冷泉為村
しばし見る袖にも霜の満つるかと師走の月のかげすごき空
『志濃夫廼舎歌集』 (赤穂義人録を見ける時) 橘曙覧
影さむきしはすの月にきらめきし剣おといかにするどかりけむ
『流星の道』 与謝野晶子
墨の色霧降るたびに東京へ沁み入る如き師走となりぬ
『松杉』 前川佐美雄
逃れえぬわが奈良すでに師走なる啾々(しうしう)と夜を怨霊のこゑ
『サラダ記念日』 俵万智
恋をすることまさびしき十二月ジングルベルの届かぬ心
公開日:平成18年12月4日
最終更新日:平成18年12月14日