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新しい風街

 
宮沢賢治は、岩手県のことを「イーハトーヴォ」と呼んだ。松本隆は、渋谷−青山−麻布のあたりを「風街」(かぜまち)と呼んだ。
 私も自分や身内にしか通用しない地名をつけるクセがある。日記の中で、自分の住居は「サブマリン」、その近傍の公園の物置は「ツバキハウス」となっている。どちらもかつて新宿にあったロック喫茶やロック・ディスコの店名を借用しているから、宮沢賢治や松本隆みたいにクリエイティブでない。しかし命名癖はそれだけにとどまらない。蒲田は「ジンロ街」だ。ジンロは「真露」で、韓国の焼酎だ。
 数年前に蒲田の飲み屋の軒数が渋谷を抜いたという。池袋を抜いたのは、もっとずっと前だ。つまり、蒲田は都内では新宿に次ぐ飲み屋街だというのである。しかし、この街にあるのは、「統一性のなさ」、「産業構造の転換のチグハグさ」、単純に言えば「雑多」ということになる。京急と環八が交差する踏切によって、時間帯によっては、羽田空港に行くのに浜松町から行ったほうがはやい、「不合理さ」も加わる。松竹キネマ〜高砂香料の跡地に昨年竣工した「アロマスクェア」によるビル風によって、傘の骨が何回へし折れたかわからない。こちらのほうがよほど「風街」と呼ぶにふさわしいと思うことがある。
 「日本でもフランスのように、街の景観を保護するきびしい規制を設けるべきだ。」と述べている犬養道子が蒲田にくれば、こうした行き当たりばったりや、品のなさをみて卒倒してしまうかもしれない。あるいは、ビジネス者の心構えについての説教をさんざん述べながら死んだ千葉敦子が生き返って、早朝の蒲田の飲み屋で夜間労働者や水商売の人たちと接触すれば、違和感にうちひしがれるか、そうでなければ、こんな連中は再教育しろと言うのかもしれない。
 私は蒲田を、「工業の町」とか「労働者の町」などと呼びたくない。かりにそう呼ぶとしても、いくばくかの否定的な意味合いを込めることになる。しかし、いっぽうで、犬養や千葉がこだわる統一性や規範性は、失礼だが、彼女たちの人生経験の限界からくる、偏狭なものの見方だと思っている。
 整然とした街は「死んだ街」であり、そうしたところからは、新しいものは生まれてこないともいえるのである。
(99年7月18日)
注記
 「風街」がどこかは、松本隆「微熱少年」(新潮社)による。

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町のデザイン

 町のデザインは、百人の人がいれば百通りのビジョンを思いつく。しかし、人間の無意識に深く根ざしたビジョンが、普遍性をもっているのではないだろうか。


明智町で気づいたこと

 仕事柄、頻繁に地方に出かける。岐阜県・明智町では、古い町並みに心を引かれた。宿場町だったので、かつて旅籠屋か木賃宿だった二階屋がならんでいる。そんな古い宿のひとつに泊まった。女将さんに「この建物は、いつごろ建てられたのでしょうか。」とたずねたところ、「百年以上前でしょうね」。
 明智町は「大正村」と称して、大正時代の洋館や役場などの建物をテーマパークのような観光の目玉にしている。しかし、季節はずれの観光客たちは、もっと古い町並みに心をよせていて、写真を撮ったりしていた。
 この江戸時代の町並みは、バブル崩壊でも高度成長でも変わらなかった。太平洋戦争でも「大正ロマン」でも明治維新でも変わらなかった。十九世紀以来のあらゆる政治的・社会的な変動も、権力者の抗争も、この町並みを変えることはできなかった。きっと何百年もの間、いま私がこうしているように、ツバメが飛びまわっては餌を雛に与えるのを人々は見てきたのだろう。
 ほんとうに意味のあるものは、ある種のなつかしさのようなものを私たちの心のどこかに呼び起こすばかりでなく、ただ無言でそこにあるだけで意味をもっている。


私たちの町・蒲田

 中国系の人々を対象にしたスーパー。ベトナム人向けのよろず屋。韓国人、フィリピン人、インド〜パキスタン人を対象にした食材店。蒲田にはそういう店がたくさんある。夜の三時でも、案外たくさんの居酒屋が営業していたが、タイ料理が専門の酒場が多いようだ。夕方耳を澄ますと、いろんな国の言葉が飛び交っている。
 蒲田や川崎・横浜の繁華街ですんなり受け入れられるこんな「アジア化」や「国際化」も、山の手の住宅街では「外国人排斥」の激しい抵抗にあう。老人やおばさんは違和感や犯罪への不安をもつし、中年や青年にも職を奪われる懸念があって、抵抗があるのかもしれない。それでも日本も結局はアメリカや西欧と同様に、他のアジア諸国の人たちを受け入れることになるだろう。
 蒲田は行き当たりばったりの変化をしていくこともできる。あるいは、明智町が中途半端に近代的なものを観光の目玉にしているように、都心部や新宿を中途半端な形で模倣していくこともできる。しかし、別の道もあるのではないだろうか。
 東洋の人々の心は、故郷の家族や田舎の家にあるかもしれない。郷党との語らいにあるかもしれない。海や草原に沈む太陽にあるかもしれない。しかし心の奥には、ほとんどの日本人の意識から離れてしまっている平安や自在さがあるように思う。私はエキゾチックな好奇心で述べているのと違う。世界の人々の自在さに触れることは、私たちの無意識の更なる無意識に気づいて、尊重していくことと同じだ。
 もしできることなら、この町・蒲田にたくさんのアジアの人たちが生活していることをプラスに考えるだけでなく、積極的にプラスにする町をデザインしたい。
(03年6月10日)
注記
 この拙文は地域誌に掲載された。

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WWW雑感

 パソコンの発達とインターネット利用の普及は、書くことに、数百年前に印刷技術が確立したときと同じくらいの革命をもたらしている。しかし、書くことの本質はあまり変わらない気がする。そのことをすこし書いてみたい。
 二十年前に、金もうけを目的とせず、できるだけ費用をかけずに簡単な同人誌をつくろうとするならば、謄写版原紙を切り、インクがついたローラーで押しつけるなり輪転機をつかうなりして印刷し、更にホッチキスでとめて・・・ということになったと思う。多少お金があれば、手書きのものやタイプしたものを版下にして、オフセット印刷したかもしれない。一般雑誌と同品質の印刷物をつくろうとすれば、A5版100頁程度でも、100万円の出費を覚悟しただろう。もちろん、原稿料などは払わないとしてだ。
 コピー機の発達とワープロの登場により、ワープロで印刷したものをコピーしたほうが、謄写版より安あがりになった。それでも、印刷したものをどのように流通させるか、という問題は変わらない。主要都市にあるミニコミショップの類や、無料配布を前提に、喫茶店、飲み屋、アングラ劇場、ライブハウスとかにおいてもらうか、別のメディアを媒介にして購読者を確保するか。いずれにしても、めんどうなわりに、限られたひとの視野にしか入らない。
 パソコンの発達とそれに連動するインターネット利用の普及は、そうした課題を克服しつつあるようにみえる。たとえば、この「時評」は、ワープロソフトやHP作成ソフトでhtmlファイルをつくり、UNIXのサーバーに送信して、検索エンジンに登録するだけだ。英語で書けば、世界中のひとがみてくれるかもしれない。この程度の操作でも、年上の世代の人々には敷居がたかく感じられるだろうが、いまの中学生や高校生の多くは、二十歳代までに身につけてしまうだろう。ホームページをみるだけなら、操作もへったくれもない。
 このことの革命性は、立花隆や大前研一が述べているとおりだ。しかし、彼らに同意する反面、どうもひっかかるものがある。立花や大前は、ここまでりきんだり驚いたりすることもないのに、過剰にりきんでいるように思えるからだ。私たちは、ただ単に、昔でもできたことを、もっと手軽にやっているだけでないのか。
 私にとって、書くことの意味は、なにも変わっていない。話し言葉にゆきづまったときに、書く、という行為が始まった。そして何回も再開された。二十年たっても同じだ。
(99年3月20日)




自己とは何か


0.はじめに


 ある年齢の人たち、一般的には10歳くらいから青年初期の人たちが深く考えることのひとつは、「死の恐怖」だと思う。「ある年齢の人たち」と書いてはみたが、たいていはその後も、恐怖は解決されずに心に残り続ける。いったい死んだらどうなるのだろうか。暗い闇の中をずっとただようことになるのか。しかも生きている時間よりも死んだ後の時間のほうが、途方もないくらいに長い。
 「生まれる前と同じ状態になるのだ。」という解答は、いくばくかの説得性を持つが、それがどんな「状態」か判らないかぎり、不安は解消されない。
 そして一方、「なぜ私は私として生まれ、なぜ他の人や他の生物として生まれてこなかったのか。」という疑問もある。そのような疑問をもつことも、普遍性があるはずだが、解答を得ようとすればするほど宗教的になってしまう。どこかで飛躍した思弁を導入してしまわなければならなくなる。平たく言えば、どこかで判りもしないことを判ったように言わなければ、何も言えなくなってしまう。
 かつてのタダモノ論者は、全ての本質は物質であるかのように言ったかもしれぬ。しかし人の身体は、もちろんその一部の脳も、代謝を続けている。たとえば脳の物質が半分入れ替わったら、半分自分でなくなることになるのか。全部入れ替わったら別人になってしまうのか、と問われたら彼らはどう答えただろうか。
 「私(自己)というのは所詮、幻想(観念)に過ぎない。」として、以上の不安や疑問を無意味なこととして処理することもできる。だが、私たちはそれぞれに、自己と他者を区別してしまっており、客観的に「幻想」なのだ言ったところで、「幻想」を払拭したことになる訳でもない。


1.思考実験

 人は動物の一種である。動物のなかで人だけが、自己と他者を区別するのか。正確にはわからないが、人だけではないだろう。しかし、アメーバやプラナリアのように、ふたつに分裂して増殖してゆく生物は、分裂する際、自己はどちらに行くのか。あるいは、自己はどうなってしまうのか。
 SFアニメのなかで、物質をそのままの形で、つまり原子や素粒子の配置等も全く変えずに、離れた場所まで移動させる装置なるものが登場することがある。その装置を使用すれば、人間も光に近い速さで、移動できるという設定になっている。アニメの作者も視聴者も疑問をもたないかもしれぬが、私がそのような装置で「移動」した場合、「移動」後の私は、ほんとうに私なのか。いったん原子レヴェルや素粒子レヴェル、またはそれ以下のレヴェルまで解体されてしまい、再構成(数年来馬鹿が好んで使う「リストラ」という語とは全く意味が違う)された私(の身体)は、ほんとうは別人ではないのか。ただ、そのような装置があったとしても、その疑問を解消することは、たぶん不可能である。「移動」後の「私」も同じ記憶、感性、性格、顔立ち、筋骨、持病等々をもつし、すくなくとも主観的には、自己とその連続性についての実感に変化がないに決まっているからである。そして、関係する他者にも、移動後のA氏とその前のA氏を区別することができない。
 こんどは、その装置の応用として、ある一つの物体を解析して、全く同じ二つの物体を作る装置を想像してみる。その装置にA氏が入れば、A氏がふたりになることになる。このような「ふたり」は一卵性双生児どころではなく、完全に同じ存在である。どちらも自分がA氏だと言ってゆずらないだろう。もしその装置が、ある物体と同じ物体を複製する装置なら、複製過程を見聞した他者は、どちらが真のA氏かを「判別」することができるだろう。しかし、更なる疑問が生じることになる。
 ここで、私たちは、「偶然」という概念は成り立たないと、仮定してみる。あくまでも仮定であって、量子的な偶然性(不確定性)も、無視する。そうすると、「他者」とはなにか、という疑問が突出してくる。まったく同じ二つの物体をつくる装置や、ある物体とまったく同じ物体を複製する装置が、私(の身体)を対象として動作する。そして、できあがった二人の「私」が、まったく点対称の位置で、運動量も、両者に働く物理的な作用(重力、光線、電場、磁力等々)も同じだと仮定してみる。 前述のように、私と、もうひとりの私はまったく同じ身体的精神的状態におかれているのだから、常に同時に、まったく同じことを、感じ、考え、行為するだろう。片方の私が、足がかゆくてひっかけば、もう片方の「私」も同じようにふるまう。私が「腹がへった。」とわめくとき、もう片方の「私」もおなじに、しかも同時に、わめくだろう。まったく同じ「私」が存在することについて、気持ち悪く感じて、複雑な動作をしても、同時に相手も同じように思惟し、同じように動作する。光の速度など考慮しなくてよいから、鏡と異なり、真に同時である。私も相手も、差異を見出そうと努力する。そして、将棋の「千日手」のように、無意味な結果に終わる。相手の動作は、私(の身体)と同様に、私の思うがままである。私が猥褻なことを考えたり行為したりするとき、相手も同様にふるまう。相手に対して私のプライバシーを主張してみることもできるが、意味をなさない。ここで、私と相手は相互に、「相手はほんとうに<他者>なのか?」という疑問をもつことになる。
 問題にしたいのは、こうした仮定(思考実験)が成り立つかどうかでない。差異がない場合に「他者」と言えるかどうかを問いたいのだ。ふたつの身体を持った「私」がいてもよいのではないのか? そして、差異がない限りは「他者」とは言えないと自分に言い聞かせてみる。しかし、すぐにはとうてい納得できないことに気づくことになる。この<気づき>について、うまく説明するのはむずかしい。想像の世界(思考実験)で述べており、人によっては、設定そのものが、無意味だとか無効であるとか言うかもしれない。そうした異議については、保留した上ででこの議論をすすめてゆく。困難は、具体的な身体感覚をうまく言葉にできないことに由来している。あえて言えば、差異のないもうひとりの「私」にたいして、少なくとも短期間のうちには、絶対的な制御感や感性の共有感をもつことができそうもない、ということになる。


2.身体と自己

 まったく同じ存在でも、<他者>となりうるのだとすれば、こんどは、逆の疑問もわいてくる。私の身体には、複数の「私」がいるのではないか。たとえば、ふだん私と同じ行為・思考・感受をしている、別の私がいるのではないか? この仮定は前項の冒頭で述べた、分裂して増殖する生物が自己感情をもつ場合の説明に役立つかもしれない。また、たとえば、トカゲの尾は、切れてもぴくぴく動いている。このとき、尾は本体からの制御が効かなくなっている。尾にも<心>のようなものがあるのだとすれば、この「<心>のようなもの」は、いつ発生したのだろうか。

 この場合、トカゲの切れた尾に残存する神経系が作用して、トカゲの尾を<制御>している。その神経系はトカゲ本体の脳の神経系に比べれば単純であるものの、クラゲなどの神経系に比べれば、高度だと考えられている。同じ動きを繰り返しているように見えても、動いている尾に刺激を与えれば反応する様子が窺える。尾が学習したり考えたりするのかどうかは明確でないが、ミミズには薄弱ながら学習能力があるとされることから類推すれば、何らかの<考える>能力はあるかもしれない。<心>のようなものがあるのかどうかは保留するにしても、触感を持っていることは確かである。ここでは以下の二点を強調したい。
 ひとつは、その余命がわずかだとしても、切れたトカゲの尾は、少なくとも下等動物と同等以上の<個体>だとみなすことができる。そして、トカゲの尾に限らず、私たちの手足についても、おなじことが言えるらしい。突発的に首が吹っ飛んだ人や哺乳動物の胴体が、暫時動作を継続していたという報告は多い。
 ふたつめは、トカゲの尾は、本体についている間は自律的に振る舞っていない。それにもかかわらず、本体との関係が切断されたとたんに、<自分勝手>に動き始める。このことは、逆の過程がありうることを暗示している。つまり、ある自立した個体でも、他の個体と癒着して、更に神経系が連結して制御や支配を受けることになった場合、相手の個体の一部に格下げされてしまうだろう。そして、この場合更に次の二点が気になってくる。

@ その連結の程度は様々に段階的に想定できるから、
 <個体>として振る舞える程度も段階的なのだろうか?
A 制御を受けた個体の記憶が保存されていて、また
  切り離されて個体として振る舞うようになった場合、
 制御を受けていた期間は、<眠っていた>ことになるのか?

 たとえば、AがBの制御を受けるとする。とりあえず、Bが<私>(の脳)で、Aがその左腕だと考えてみればよい。なんらかの原因で左腕に通ずる神経束が中途半端に麻痺したり、中途半端に切れたりした場合を想像してみる。この場合、制御の度合いは変化しても、たぶん左腕がその分<自分勝手>に振る舞うことはないだろう。神経だけが切断されても、手足が勝手に動き出すことはまずない。これは結局、トカゲの尾についても同様で、単に神経系の連結が断たれるだけでなく、たとえばニューロン細胞への体外からの電気的ショックのような別の契機がなければ、身体の一部が勝手に自律的に振る舞うことはほとんどないことを暗示している。きわめて特殊な場合、たとえば頭がふたつあって胴体を共有するシャム双生児のような場合、ふたごは相互に、「支配−従属」の関係にあったりさえする。
 だがいっぽう、日常のありふれた状態であっても、私たちの身体には、ある程度自律的に振る舞っている部分がある。内蔵である。よほど特殊な修行をした者でない限り、私たちは意識して心臓を止めることはできない。心臓の鼓動ばかりでなく、腸のぜん動を自在に制御することはほとんど不可能である。それなら、内臓は意識から独立して活動しているから、別の心や生命があるのかと言えば、単純には言えない。三木成夫は、内臓には腸管系の植物神経が、感覚には体壁系の動物神経がかかわることを示唆している(『海・呼吸・古代形象』,1992)。腸管系の両端、つまり口と肛門は、体壁系の感覚が及んで脳の作用に依存するが、腸管系の内部、つまり胃や腸などは感情にふかくかかわっている。だとすれば、「心」について、内臓の作用と切り離して考えることはできないことになる。そして、「心」について正確に考察するならば、たとえば脳が中心や実体としてあり、脳以外の臓器や他の神経は、付属物であるとか代替が効く、というものではなさそうである。代替が効いたとしても、性格の一部は変化する可能性がある。
 この数年、わが国では臓器移植についての議論が活発に行われている。多くは粗雑な議論だと思う。微に入り細に入り議論しているようでいても、重要なことはほとんど語られていない。政治家ばかりでなく<専門家>である医者の議論も、大半がご都合的で、私を心底から納得させるものではない。医者といえば、私の父が死の床についた際に「大」病院の医師たちは父を厄介払いしようした。更に、死の直前まで患者を苦しめるだけの「データ採取」をしようとした。また、これは別の病院でのことだが、薬剤師や栄養士にさえ患者や家族には他人行儀なのに、権威にはよわくて名誉欲の皮が突っ張ったような人種がいるのをかいま見たことがある。そんなことなどを思い起こせば、こんな医療関係者に<生命>がもてあそばれるのかと心配になってくる。これでは、ドナー登録など空恐しくてできたものでない。
 「移植治療以外では助からない患者は死ねというのか。」という批判がかえってくるかもしれない。しかし、移植治療がほんとうに有効なのか。成功したら、あとは入院などせずに健康者として天寿をまっとうできるのか。深刻な副作用等の不具合はないのか。というような研究は不十分なように思える。このような議論をしているあいだに、人工臓器の研究が格段にすすんでしまうように思えてならない。そして、問題の半分は消滅するが、半分はのこることになる。人工臓器を移植することによっても、人格が変わるのではないのか、と。
 とりあえず、私(たち)には、複数の自己がある、としておく。そして私たちが、自己を客観視するとき、その対象は主体である自己そのものなのか。厳密に言えば別の自己なのだろうか。ゲーデルの不確定性定理と関連させて、次の項で議論したい。


3.さらに根底にある問題

 私にとって「自己とは何か」を問うことは結局のところ、「生命とは何か」、「魂とは何か」、「心とは何か」を、宗教的にでなく、科学的かつ論理的に追求していくことにほかならない。「自己とは何か」のような議論はデカルトから始めるべきだ、という意見もあるだろう。しかし、私はデカルトを本気で読んだこともなく、正直なところ興味も湧かず、デカルトと同じ道を辿る必然性も感じない。現在では、西欧近代哲学の方法はローカルで、限定的な有効性しかないように思える。
 神経系や遺伝子等の医学的研究をもっととりいれるべきだ、という意見もあるかもしれない。しかし、それは補助的な意味しかないだろう。音楽について議論するのに、CD、カセットテープあるいは塩ビレコードのしくみを検討しなければならない、というものでもないだろう。
 多田富雄による、免疫の観点からの自己判別の議論にしても、基本的には本論のような考察が別にあって然るべきだという気がする。しかし、たとえば、多田道雄・中村桂子・養老孟司『「私」はなぜ存在するか』(1994)のなかの、以下の議論は興味深いものである。

養老 ・・ 多田先生が免疫で自己ということをおっしゃる。
 多田先生の立場としては非常に具体的なんですね。だけど
 普通の人に聞いたら、かなり抽象的なんです、「自己」自体が。
 ゲノムの自己となると、どっちが抽象的なのかわかりませんけれど、
 もうちょっと抽象的かなって気がする(笑)。
 抽象度が受けとり手によって違う。
中村 今養老さんは物体、実体から出発なさった。そうすると確かに
 おっしゃった順番に抽象度が高くなります。第一、どんどん見えなく
 なりますね。・・
養老 ・・免疫的自己というのは実在なのか抽象なのか、どちらでしょ
 う。
多田 免疫学的な自己というものがあるかというとそれはない。
 自己ということがあるんだと私は思っています。ことというのが
 実在かどうかは考え方によって異なります。
  免疫の場合、「自己」「非自己」を識別するといわれていますね。
 場合によっては認識している、などといいますけれど、ああいうものを
 本当に認識というのかどうか、という問題になります。たまたま脳が識
 別したり、認識したりするのと同じような現象が起こっているから、
 識別とか認識とか言っていますけれど、・・。 ・・「免疫系の自己」
 というものがあるかというと、事実として、自己と非自己を識別して、
 非自己が入ってくれば確実に排除しますし、自己に対しては一般に免疫
 反応を起さない。それは事実なんですね。それでは自己と非自己の境界
 はどうか、というとあまり明確ではなくて、かなりファジーなもので
 す。・・

 多田はこのあと、後天的に決まった行動様式が自己ということではないか、と述べている。別の分野の研究者が、<器質−経験>、<実体論−関係論>、<ハードウェア−ソフトウェア>、<もの−こと>、<下部構造−上部構造>あるいは<物質過程−幻想領域>などとそれぞれにいうのとパラレルである。そういう意味では必ずしも新しい議論ではない。比較的理解は容易だが、正確には、認識するときの対象化された自己は、自己であって自己でない。このことを検討してみる。
 ラッセルは、自己が自己について言及することについてのパラドックスを考察し、それを一般的に禁止することを主張した。この場合の「自己」というのは、「命題」なり「論理」なりについて、「それ自体」という意味である。たとえば「自分自身について述べることはできない。」という性質をAとする。AはAという性質をもっているか、と問えば、Aは性質ではないとも言いたくもなり、二律背反におちいることになる。
 また、ゲーデルは、第一不完全性定理で「公理系Pが無矛盾ならば、Aも非Aも公理系Pにおいては証明できないようなPの閉じた式Aが存在する。」とし、更に第二不完全性定理「公理系Pの無矛盾性はPが無矛盾であるかぎりPでは証明可能でない。」を示した。
 無矛盾性をもつもの、つまり体系は、自己を自己の内部での証明によって根拠づけること(証明すること)が不可能だということになる。体系を対象としても、自己を証明することはできない。自己の体系内での無矛盾性の追求をやめて、自己の体系を別の上位体系の部分にすることで根拠づけを試みることはできるかもしれないが、上位体系もまた自己の内部における存在証明をすることができないため、体系化が行き詰まることになる。矛盾を孕まずに自己が自己を対象化しようとすれば、矛盾を内包することになる。
 しかし私たちは、このゲーデルの不完全性定理を侵犯するかのように、自己を対象化しているようにみえる。なぜ私たちは、このパラドックスを「止揚」しているようにみえるのだろうか。

(この項つづく)

注記
 この論考は、「コンセプトノワール」に連載中である。後半部は、まだ未発表で、手直しすることになる。
 たいていの人から、「こんなこと、考えてもしかたがない。」と言われそうなテーマで、論をすすめている。「輪廻転生」という概念について、論理的に肯定できるのか、否定できるのかを追求するのが、主要な目的だ。 20年以上前に一度書いたが、発表する場を喪失して放置していたものを再構成している。

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「座右の書」

 「座右の書」というべき書物をもっているひとは、結構多いにちがいない。すぐ手の届くところにおいて、日常的に読む本のことだ。そうした書物となりうる条件について考えてみた。必ずしも、古典的な名著である必要はない。
 思いつくがままに、人々が「座右の書」にしそうな書物をあげてみる。ある人たちにとっては、『聖書』や『仏教聖典』であったりするだろう。あるいは、バグワン・ラジニーシ『存在の詩』、山岡荘八『徳川家康』、マルクス『資本論』、吉本隆明『言葉からの触手』、池田大作『人間革命』、フロイト『精神分析入門』などであったりするかもしれない。
 これらの書物に共通するものはなにか、を考えてみた。ことわっておくが、私はこれらを全て読んだ訳でない。少なくとも『徳川家康』と『人間革命』は読んでいない。ただし、『徳川家康』はテレビ番組になったのをちょっとみたことがある。また、『人間革命』は、石井いさみの劇画になったのを本屋で少々立ち読みしたことがある。だから控えめに、これらがどんな書物なのかを、ごく簡単に書きならべてみる。
 『聖書』は、神と人の愛憎や、より普遍的な倫理を追究する際の悲劇や逆説を述べた書だ。『仏教聖典』は、人の欲望の矛盾と共同的な和合を説いた書だ。『存在の詩』は、ラジカルな内観法の書だ。『徳川家康』は、権謀術数と権力者の道義をテーマにした書だ。『資本論』は、19世紀までの経済学を集大成し、市民社会の矛盾を解き明かした書だ。『言葉からの触手』は、プロの文芸批評家の、何十年もかけて溜めた生命/精神のエネルギーが80年代の社会と接触するプロセスで、反射したり屈折したりしながら飛び散った言葉を集めた書だ。『人間革命』は、著者が苦労して成長し努力して、ひとを指導してゆくさまを記した書だ。『精神分析入門』は、精神の現象を生物学に還元せずに、「自我」や「リビドー」などの概念を提出することによって解釈し、対話的に述べた講義の内容をまとめた書だ。
 こんなにあっさりと述べては、身もふたもない。著者たちも不満だろう。だが、こうしてならべてみると、これらの書物は一種の超自我か、超自我に結びつくようなテーマをもっている、という気がする。こうした書物のなかで、特に抽象的な書き方になっているのが『資本論』、『言葉からの触手』および『精神分析入門』だ。どうしてそうなるのか。普遍性を追求すれば抽象的にならざるを得ない。そして近代以降、あらゆる事物を宗教の概念で説明しようとする試みは、アカデミズムの中心では断念されている。だから、著者たちが意識的にか無意識的にか、アカデミズムをふまえたうえでそれをのり越え、その時代の極力多くの人に関わるテーマにこだわる度合いに応じて、書き方も、ドグマからは遠ざかるが、抽象的になってしまう。このことは深刻だ。普遍性をもった書物ほど難解にならざるを得ず、難解でない書物は、その分、普遍性を喪失していることになりかねないからだ。私たちは、普遍性を手放そうとする願望に普遍性があるかのような錯覚や二律背反に陥り、安直で一面的な理解や 教理に、一種の安逸感をもってしまうのを否定できない。特にわが国のように、東洋的なものと西洋的なものが、ごちゃごちゃに混ざり合ったややこしい国ではなおさらだ。太平洋戦争、十年前のバブルや今の逆バブル、あるいはサリン事件など、人々が、後から考えれば馬鹿らしくなるような単細胞な発想に基づいてふるまったり、いつまでたっても、手をかえ品をかえ、結局おなじことを繰り返しているのも、そうした底流があるからだと思える。 
(99年3月14日)

Any Time at All

 ビートルズの楽曲のなかで、いちばん好きな唄だ。
歌詞は、なんていうこともない。

  Any time at all, any time at all,
  Any time at all, all you've gotta do is call and I'll be there.

速いテンポでこんなフレーズが、突き抜けていく。
そしてこんなことばに至る。

  If the sun has faded away,
  I'll try to make it shine,
  There's nothing I won't do

ただの恋の歌だ。荒唐無稽なことをいってはいない。
けっきょく、<君のために。一緒に>、と言ってるだけだ。
あえてこの楽曲のなにが官能をそそるかを言えば、any time at all を、年寄りにとってはしつこいくらいに、繰り返している点だろう。


これはレノンの作品だが、レノンの歌詞は、「現実」的な打算や小細工にとらわれない、直接性を含んでいる。その場その場で言葉を変えたりしない。
そして、目がまわるような、感性の
変換には、より多次元的なスピードが必要だ
いつだって.....

だけども、at All という言い方は、いまの私には言えない...
とどまることが、できないから。
間に合わせは、いつまでたっても間に合わせに過ぎないから。
徹底的でなければ、意味がないから。
いまの世の中の変化は、1960年代より、ずっと激しいから。
いまの世の中は、これっぽちの楽天も許さないから。
いまの世の中では、善意は通用しないから。
もっともっともっとはやく。
もっともっともっとめまぐるしく。


 思春期のころはむしろ、ジョージ・ハリスンのお世話になった。
この、Here Comes the Sun の作者は、重い病気だという。
太陽に祈る以外、なにもできない。

(01年11月10日)
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