ゲーム研究室


確率の理論


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「その1.神はサイコロをもてあそぶか?」

「サイコロをふって6が出たとき次も6が出る確率は
1,高くなる 2.低くなる 3.変わらない
 正しいものを選べ」
という問題に皆さんはどう答えるだろうか?
筆者が独自に任意に(筆者の回りから)抽出された高校生に質問したところ約9割の高校生が3を選んだ。 最近の高校生の知能の低下が度々問題になってはいたものの、 ここまでひどくなっているとは信じがたいことである。 言うまでもなくこれは2を選ぶのが正しい。 6が2回続けて出る確率は1/36と非常に低い確率だからであるし、 「出目平均化の法則」によりサイコロの出る目はばらつく方向へ向かうからである。
こういうことを書くとA氏が「では、サイコロに記憶装置が付いているのか?」 と聞いてくるに決まっているのだが、言うまでもなくそんなものは付いていない。 サイコロに記憶装置なんかつけたらでかすぎてしょうがないからである。 (しかも高価になり壊れることを恐れて転がせなくなる。 転がせないサイコロなんて、もはやサイコロではない。)
 ではここで、なぜ確率は低くなるのか理解するためにサイコロをたくさんふる場合について考えてみよう。
 まず、サイコロをいっぺんに600個投げたとしよう。 「6は約100個出る」と言うことに疑問を持つ人はいないだろう。 いっぺんに600個投げるのと、 1個ずつ600回投げるのとでは同じ結果になることは一般に良く知られている事実であるから、 つぎに1個ずつ投げた場合を考えてみる。 1個ずつ投げて300回目まで投げたときに6が100個出ていたとしよう。 このペースでいったら大変なことなるのは用意に推測できるし、「出目平均化の法則」により、 以降6が出る確率は遠慮してだんだん下がっていかなければならない (当然、すでに下がり始めている途中であるが)。 そして600回投げ終わったとき約100個になるのである。 逆もなりたって、300回投げ終わった時点で、6が50個より著しく下回っていた場合は、 平均を取り戻そうとして、さらには「出目平均化の法則」により頑張って確率は高くなっていく。 (この例から冒頭の問題の答えが2であることがお分かりいただけたと思う。)
 こういうことを書くとB氏は「サイコロ同士話し合っているのか?」などと聞いてくるのだが、 いうまでもなくサイコロが話し合うはずがない。 そんなサイコロがあったら気持ち悪くて売れないに決まっているからである。
 ここで、確率に知識の無い人のために「出目平均化の法則」について説明しておこう。 エントロピー増大の法則によると、サイコロをたくさん投げたとき6が出る回数はすくなかったり多かったりせず、 平均に向かうとされている。これは、ビッグバン以来不変の真理である。 例えば「アベ・カエサル」は「出目平均化の法則」を立証する最も良い例である。 このゲームをやったことがある人なら、6を一回めくったら次に6をめくれる確率が低くなるのは容易に理解できるし、 さらにゲーム終了時に出目が見事に平均化されることも容易に理解できる。 これはすべての数字を4枚ずつ持ち、それらをほぼ全部使用するというシステムになっているからである。 これが理解できれば「出目平均化の法則」を理解するまであと一歩である。 サイコロを十分多くふれば、どの数もほぼ同じ数だけ出るのであるからさしずめ 「枚数の非常に多いアベ・カエサル」といえるであろう。 アベ・カエサルで6が出る確率が変化するのであるから、 それと同種のシステムを持つサイコロでも投げる度に6が出る確率が変わらないはずかない。
 今述べたのはたんなる理論にすぎないのであるが、 有史以来延々と数えられてきたサイコロの出目を調べてみるとこの理論が正しいことが立証できる。
 こういうことを書くと必ずC氏が「その出目表はどこにあるのか」というに決まっているのだが、 当然のことながら「どこにある」という類のものではない。なぜなら記録しているのではなく、 「サイコロの意志(サイコロ一つ一つの意志ではない、サイコロ全体を統括する思念体、 俗世間の言葉をかりればサイコロの神)」が記憶しているのである。 そのサイコロの神から選ばれた人(例えば筆者)へ思念によって伝えるものであり、 もともと紙に書いてあるものでは無く、また送られてきた思念をプリントアウトすることも禁じられているから、 第3者に見せられる類のものではないのである。(この宗教に入信したい人は筆者までお問い合わせを)
 今、記憶していると書いたが、出た目を記憶するのではない。 というのはサイコロの出目は最初から決まっているものだからである。 ここを誤解している人が大勢いて全く困ったことなのだが、 我々はサイコロの出目を前もって知ることができないので、確率で考えているだけであって、 実は動かしえない運命によって投げる前から決められているのである。 かのアインシュタインがボーアとの討論のなかで
 「神はサイコロをもてあそばない。ただ、人間の能力が至らない現状では確率は有効な手段である。」
と述べたのはあまりにも有名な話である。 (ところが最近の研究では神様が出目表を作る際にサイコロをふって決めていたいたらしいことが報告され大問題になっている。 これが事実であれば神はやはりサイコロをもてあそんでいたことになる。)
 ここまで読んで「出目平均化の法則」についてほぼ理解できた人なら 「今まで完全に出目が一致したことはあったのか?」という疑問をもつことであろう。 残念ながらながら答えはNOである。しかし、絶望してはいけない。 今人類はまさに「完全出目平均化」に向かっているのである。その日はノストラダムスが予想した「あの日」である。 核戦争その他の理由により、滅びようとしている人類の最後の一人が人類最後のサイコロをふり、 そのサイコロが地面に落ち(一説に6がでると言われている) 完全出目平均化が実現した瞬間にその人物も絶命し人類の歴史は幕を閉じるのである。 もっとも、この人物がなぜこのような状況下でひとりでサイコロをふっているのか全く不明なのであるが。

 補足)「それじゃ8面ダイスはどうなんだ」と言う意見があるがこれは全く問題にならない。 7と8は数えないでふりなおすことにすれば、6面ダイスをふっているのと同じ状況になるからである。 しかし4面ダイスはどうしようもない。 昔は無視できるほどの数しかなかったのだが、最近ではこういった変なサイコロが多数出回って (持っているだけならよいが、これで遊ぶ奴がいるので)出目平均化の邪魔になっている。 最近、6面ダイスで5と6が出やすくなったのはそのためである。

 名越康裕(なこしやすひろ、ボードウォーク・コミュニティー会員)


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