ママが子供の頃は白黒のテレビが当たり前であったが、別にカラーがみたいとか、好きな時間に好きな番組が見られる装置がほしいとは切実に思わなかった。今、現実にテレビはカラーで大型化しビデオはもうあたりまえだ。これは技術が進み、価格を下げ、ビデオのソフトの低価格化、レンタル店の発生によっていると思う。新しい需要を発生させる技術がテレビをここまで進化させてきたと思う。もっとパソコンが普通の生活の中に溶け込み21世紀の世界を素敵にするために何が必要か考えてみた。
直接は関係ないが昨日も図書館で本を借りてきた。ずっと前にリクエストしていた本でリクエストしたことも忘れていた^^;; まだ読んでいないが、以前NHK特集であった「電子立国、日本の自叙伝」のような感じだ。それをコンピュータに特化し、詳しい歴史が関係者のインタビューで語られている。中々面白そうだ。
NIFTYへの接続環境を整えるのが全然進まないで、こんなことばかり書いている^^;; Macがあれば当座の仕事は済むんだもの。
世の中、パソコンやインターネットだけじゃなく、規制緩和、価格破壊、終身雇用や年功序列の崩壊などなど急速に変わっている。しかし、小学校はママが通っていた20数年前とまったく変わらない。教室の雰囲気、授業の内容、学校行事、PTAなど殆ど同じだ。未だにわら半紙なんて質の悪い紙に輪転機で印刷した宿題が出るのだ、あれは消しゴムですぐに切れる。日本って豊かになったのじゃないの? 10年ひと昔というし、パソコンの機種なんかは半年がひと昔で、20数年なんていうと太古の昔になっちゃう。
家庭ではTVやビデオ、TVゲーム、パソコンなどに触れているのに学校は昔のまま、とても保守的だ。子供達は好奇心がいっぱいで革新的、新しいものはどんどん吸収できるのに中々そのような環境にならないのは残念だ。もちろん、学校によって、あるいは先生によってはそんなこと無いんだろうけど、多くの学校は保守的なままだ。
ちょっと前に先生が子供たちの名前や作文をホームページに載せたら教育委員会だかから削除するような指示があったことがニュースになった。権力を持つおやじたちは何を考えているんだろう。自分が分からない得体の知れないものだからといって子供達の好奇心や、伸びる可能性のある芽を摘むのは許せない。
こんな学校でも給食だけはすごく変わったようで、子供が持ってくる給食のメニューをみると毎日美味しそうなものが並んでいる。子供も給食が好きだといっているし、これはいいことだ。ママは給食が嫌いだった。
最近思う、学校教育の中でやってほしいこと
1年くらい前にネグロポンテのビーイング・ディジタルという本を読んだ。情報はディジタル化することにより価値観がまったく違ったものになるというもので、まさにそう思う。米国にはこういう考えをもった人が教育に係わる(かな? 著者はMITメディアラボの所長)ところの上のほうにいると思うと羨ましい。
日本だと教育用のコンピュータの話題になるとワープロを使うと漢字を書けなくなるという低次元の危惧の声が必ず出るが、漢字は読めれば書けなくてもいいじゃない。伝統的に字は心を表す「お習字」なんてあるが、そんな懐古的な科目よりももっと未来に繋がる教育が必要だ。
学生時代にテレビで国会中継を見ていて、友達がこうやってリモコンで自分も裁決に加わりたいと言っていたが、これだって技術的にはすでに可能だ。これからの時代は技術的な問題よりもそれを受け入れていく社会が実現するかが問題だ。そのためにも未来の社会を築く子供たちの教育現場を変えるべきだ。