河川による風下の冷却量
著者: 近藤純正
条件の設定
場所:東京都内 千住新橋付近、荒川(夏期)、この付近の市街地は海抜
ゼロメートルに近い
2007年8月1日11~16時の気象庁の観測(東京、熊谷、つくば館野)を参考に
する。
気温=30℃=303K、その黒体放射量=σT4=478 W/m2
水温=23℃=296K、その黒体放射量=σTs4=435 W/m2
気温と水温の差=7℃(水温が低い)
水蒸気圧=25hPa, 日射量=700 W/m2、雲量=7、日照率=80%
大気上端までの有効水蒸気量(推定、概算)=33mm(=33 kg m-2)
大気放射量(推定)=435 W/m2、薄雲が多い。
水蒸気量:高度h=10mまでw=0.18mm、20mまでw=0.36mm、30mまでw=
0.53mm(地表面に近い大気の科学、式2.6)。
風は川をほぼ横切って吹いており、風向変動を考慮して風が水面を渡る距離は
水面幅の1.5倍とし、X=1.5×200m=300mとする。
水面による冷却量
川の風下側で高度h(=10m、20m、30m)までの大気層が水面の影響を受け
て冷却すると仮定し、ここでは概算を行う。
(1)長波放射による気層 h の熱損失量
厚さ h の気層の”等温大気の射出率”:ε=0.29(h=10m)、0.35(h=20m)、0.39(h=30m)
(「地表面に近い大気の科学」の式(2.4)参照)
水面の上向き長波放射量=σTs4=435 W/m2
高度hでの上向き長波放射量=(1-ε)σTs4+εσT4
=(1-ε)×435 W/m2+ε×478 W/m2
(「地表面に近い大気の科学」の式(2.3)参照)。計算結果は下記の表に
掲載してある。
(厚さ h の気層が失う上向きの長波放射量:⊿R↑)=(高度 h での
上向き長波放射量)-435 W/m2
通常の日中なら下層が高温なので、”下向き長波放射”は高度 h における値より
も地表面における値が大きいが、低温の水面によって h の層が冷却されるぶん、
その差は小さくなる。
したがって、ここでは”下向き長波放射量”の h における値と水面での差
=0と仮定し、
厚さ h の気層が失う”正味の長波放射量”:⊿R≒⊿R↑・・・・・(1)
計算結果は下記の表に掲載してある。
(2)有限水面の交換速度
「身近な気象」の
「M23.河川改修と魚の大量死事件」の注2(有限面の交換速度)の
式(3)~(6)を参照し、f を安定度による補正係数とすれば、
CHU=f ×CHU(中立時)
CHU(中立時)は同じ注2の式(1)より計算する。
ここでは水面距離 X =300m(川の水面幅の 1.5 倍)であり、補正係数 f は
X の対数の関数に近いので、f はX=100mのときの値(安定度の影響が
ほとんど効かず、f=1)と、1000mのときの値(安定度の影響がほぼ完全
に効く)の平均値であると仮定する(計算結果は後掲の表にまとめてある)。
(3)水面上の顕熱輸送量の計算
H=Cpρ×f×CHU(中立時)×(Ts-T)・・・・・・(2)
Cpρ=1200J K-1m-3、Ts-T)=7℃
(1)(2)で表す ⊿R と H はともに水面上の単位面積(1m2)、
単位時間(1s)に失う熱エネルギーである。
風下大気の気温下降量
風が水面上を渡る時間 t は、水面距離を X 、風速を U とすれば、t=X/U である。
したがって、風下側で高さ h の層が鉛直方向に混合され、その層内では
気温が一様に低下するとすれば、気温下降量 ⊿T は次式で表される。Cpρ
を空気の体積熱容量として、
⊿T=(⊿R+H)X /(CpρhU)・・・・・・・・・・・・・・(3)
風速 U=2m/s、4m/s、厚さh=10m、20m、30mについて計算した風下側
の気温下降量を以下の表に示した。
表A28.1 風下の厚さ h(m) の気層の気温下降量⊿T(℃)の計算結果
風速 U と混合層厚さ h (風下側で一様な気温低下の層)を変えたとき、
h の層が失う正味長波放射量⊿R、大気が水面に失う顕熱輸送量 H
風速 U(m/s) 2 2 2 4 4 4
混合層 h(m) 10 20 30 10 20 30
CHU(中立)(m/s) 0.0041 0.0041 0.0041 0.0065 0.0065 0.0065
補正係数 f 0.52 0.52 0.52 0.60 0.60 0.60
CHU (m/s) 0.0022 0.0022 0.0022 0.0039 0.0039 0.0039
⊿R(W/m2) 12 15 17 12 15 17
H(W/m2) 18 18 18 33 33 33
気温下降量 ⊿T(℃) 0.38 0.21 0.15 0.28 0.15 0.10
この概算結果から、風下の厚さ h(=10、20、30m)の気層平均の、放射
と顕熱輸送による気温下降量⊿T は 0.1~0.3℃ 程度である。
この気温下降量は最大値である。なぜなら、風下側の陸面は風上側と同様に
高温で、地表面と気温の差は20~30℃もあり、陸面の交換速度
は水面のそれよりも大きく、しかも下層大気の安定度は不安定である。それゆえ、
風下側の陸面上では、水面上で失った値の1桁も大きな顕熱が供給され、
急速に昇温する。つまり、川面の冷却効果は、気塊が陸地(河川敷)に上陸
すると短距離でなくなってしまう。
考察と今後の研究指針
問題点1:
千住新橋付近では、南風が吹くときの風上側には高層マンション・ビルが
立ち並び、風上側堤防・河川敷下の水面の近くでは微風状態になる可能性が
ある。風下側にも堤防だけでなく、首都高速道路の高架があり、いずれも
南風を弱める。つまり、現地は複雑であるために、橋上の中央付近や広い
国道4号線上で風が強くても、水面上やその周辺で風の弱くなる場所もある
ので、ちゃんとした計算を行うには、それを確かめる必要がある。
問題点2:
水面の距離 X=1.5×200m=300mで下層大気は顕熱を失って低温層(安定層)
ができる。この層、つまり内部境界層は風下距離とともに厚くなったもので
ある。
「水環境の気象学」の図7.7によれば、この厚さは風下距離の1/100~2/100
程度である。ゆえに、この厚さは水面の風下端で3~6m程度と推定できる。
この低温の重い空気は河川敷に上陸し、さらに高い堤防を越えなければ
ならない。風が弱ければ、この安定な低温層は水面の風下端によどみ、風は
この層の上を通り過ぎていくだけで、風下側の市街地は低温とならない
可能性がある。
福島県の吾妻小富士(直径450m、深さ70mの旧噴火口)での観測によれば、晴天夜間に
形成される冷気湖は火口稜線上の風速が3m/s以上になると破壊されはじめ、
風速5m/s以上では冷気湖が形成されない(近藤ほか、1983)。
このことからすると、荒川では風速1~2m/s以上なら、川面の風下側に
できた安定な冷気層は、その上を吹く風の混合作用(運動エネルギーによる
機械的な作用で位置エネルギーを変化させる作用)と川岸で破壊され、
市街地に広がるものと想像される。ただし、そのときまでに川面による
冷却効果は弱まっているだろう。
問題点3:
一段と高い位置に広がる風下側の岸(河川敷)に冷気が上陸すると、下層の
高温地面から熱が供給されて混合層の形成がはじまり、冷気は上方に拡散
されながら堤防を越えるだろう。
この際、市街地に入るころ混合層の厚さ、つまり h がいくらになっている
かが問題である。
上記の計算では h=10m、20m、30mの3通りを行った。現実の h が
この範囲にあれば、気温下降量は0.10~0.38℃となるのだが、実際には
陸地の地面からの加熱が加わり、川面による冷却効果は短距離でなくなって
しまうだろう。
問題点4:
千住新橋付近では、荒川は東西方向だが、川下(東方)の JR 鉄橋付近から
下流は南東方向に、さらに下流の東京湾に近くなると南方向に流れる。
それゆえ、千住新橋付近の風が川を横切る風向であっても、川に沿う風の
実効的な距離は300mより長く1,000m以上の場合もあるかもしれない。
そうすると、空気が低温の川水で冷やされる量(空気が失う顕熱輸送量)は
大きくならないか?
答: 大きな影響はない。なぜなら、①風下距離(吹走距離)X が増すにした
がって単位面積当たりの顕熱交換量が小さくなること、②安定度の効果がます
ます効くようになるからである。
この日の気温水温差=7℃、風速=4m/s(水面上10~15m高度)程度で
あり、水上大気の安定度は強い。安定度の効果は風下距離 X=100m程度まで
は少ししか効かないが、X>1,000mでは大きく効くようになる。つまり
風速は、高度10m以上では X によらないが、1m高度以下では X とともに
しだいに弱くなり、単位面積当たりの顕熱など交換量が急激に減少する。
「水環境の気象学」の図7.6を参照すると、水面のバルク交換係数は中立時
の20%程度になる(f=0.2)。
以上、①と②の効果により水上大気が安定な夏には、風下距離 X が
1,000mほど長くても、川水による冷却効果はそれほど大きくはならない。
研究の指針:
風下での気温下降量はわずかであるので、これを観測から確かめるには0.1℃
の精度が要求される。通常行われているように、川の周辺に固定点を設け
て、この温度差を観測から見出すことは非常に難しい。
なぜなら市街地での気温観測は観測点のごく近傍(5m~30m程度)の
環境により、ごくローカルな範囲を代表する気温しか観測できないからである。
このことは本ホームページの「研究の指針」で述べた通りである。
そこで、日射除けをした通風筒内に入れた気温センサーを用い、移動観測
を繰り返す方法を勧めたい。橋の中心から両側1000mまで往復を繰り返す。
日中、気温の時間変動は±1℃程度であるので、0.1℃の精度で求めるには、
理想的には100回のデータが必要である(100の平方根=10であるので、
気温観測値の曖昧さは1℃/10=0.1℃となる)。
移動距離 100mごとに気温を記録し、1往復に1時間を要するとすれば、
1日に5往復つまり10回分のデータがとれる。それゆえ、晴天で風向も
似た条件の日について、延べ10日間観測すれば完全だろう。
その結果、河川による風下市街地の気温下降が0.1℃以下となっても、あるいは
0.3℃程度となっても、それは大きな成果である。
道路上で観測を繰り返した結果、道路上1~2m高度における気温の南北分布
は単純にならない可能性がある。なぜなら、国道4号線上では、ビルなどの
影響で風速が系統的に強い所と弱い所ができていると考えられるからである。
風が強い所では鉛直混合が盛んで、路面からの熱が上方へ拡散されやすい。
また10階前後のビルによって日陰ができる所もある。
道路に沿う気温がビルや日陰の複雑な分布と対応して得られるだろう。それは
それで面白い結果であり、都市内の細かな環境を理解するための貴重な資料
となる。
関連研究として次のものがある。
(1)千住新橋周辺に存在する、いろいろな高さのビル屋上の風上側で気温を
観測し、気温の高度分布を知る。気温は時間変動が激しいので、注意すること。
この結果から、高い高度に架かる橋の上では、晴天日中の気温が周辺の路面上
よりも低くなることを理解する。
(2)水面の風下端付近で、低温層の厚さと気温分布について高度 0.05m~5m
の範囲で観測し、水面上にできる内部境界層を知る。同じ気温センサーを
2~3時間かけて、繰り返し上下させて測る方法がよい。
(3)複雑な構造の地物がある現地とは別に、広い平坦地など観測が容易な
場所において、風下の気温降下量を観測し、その高度分布を知る。
いきなり難しい現地観測を行なう前に、こうした基礎研究の積み重ねが
大切である。
(4)千住新橋と違う条件の橋、つまり、陸面とほぼ同じ標高に架かる橋の場合、
一般に橋は水面から離れた高さにあり、陸面の高度1~2mから流れてきた
高温気塊は、橋の架かっている範囲の凹地形で上下に拡散されて低温になる
(次の補足を参照)。
補足:違った条件の地形
上記(4)で述べたような凹地形、すなわち平らな陸面のレベルに比べて川の
水面が深い場合を想定する。晴天日中なら、陸面の地上
1~2mの高温気塊は凹地形を横切るとき鉛直方向に拡散されて、
やがて橋レベルの気温は低下し、渡る前の高度20~30mの気温とほぼ同じに
なり、橋レベルの気温は1~2℃は低下する。
この場合、橋レベルの気温下降は川水によるのではなく、
鉛直混合・拡散によるものである。
凹地形を渡りきったころ、気温は鉛直方向に一様になり、これが再び高温の
平らな陸面上に上陸する。ここから新しい内部境界層が風下距離とともに
発達し、地面に近い層から気温が上昇する。陸地が平坦で凹地形の幅が十分
に広い場合を想定すると、地上1~2m高度の気温が凹地形を渡る前の気温
にほぼ等しくなるまでには、1km程度の風下距離を必要とする。この必要
とする風下距離は凹地形の幅に依存する。この距離が影響の及ぶ範囲である。
以上の議論は、河川がなくても地形・地物の配置の工夫によって風通しがよく
なり、夏の都市気温を低下させることができることを意味する。
また、これに類似な問題として、夏の高層マンションの上層階では下層階に
比べて気温が低い。そのかわり、上層階では年間の霧日数が多くなる。
風通りをよくして都市気温を下げることは、地表面からの顕熱量を上空へ
拡散することであり、風下大気をより昇温させることになる。
このように考えていくと、本問題は限りなく広がっていくテーマで
あり、気候改変を軽々しく実行すると他所に悪影響が及ぶという問題
にもぶつかることになる。
基礎がわかると面白いテーマ:
本研究は面白い内容であるが熱収支や、熱伝導率・熱容量と温度変化
の関係など基礎をよく理解していないと、非常に難しい課題である。
「水面も地表面であり大気そのものよりも温まることもある」ことを忘れて、
単純に ”水=涼しい、冷たい” と考えてはならない。
「M35.エネルギーと温度変化(要点)」
や、「M12.入門3:熱の流れと現象」
、その他の章や参考書による勉強を勧めたい。
熱収支の基礎がわかれば、本研究は面白いテーマとなる。
最近、基礎的な勉強なしで面白そうなテーマを見つけて研究を開始し、理解
不能に陥る学生が各地で増えつつある。思い切りシンプルな課題を選び、
よく理解できたとき、研究の楽しさ、自然の巧妙さに気づくのである。
参考文献
近藤純正・森洋介・安田延寿・佐藤威・萩野谷成徳・三浦章・山沢弘実・
川中敦子・庄司邦彦、1983:盆地内に形成される夜間の安定気層(冷気湖).
天気、30、327-334.
近藤純正、1987:身近な気象の科学-熱エネルギーの流れ-.東京大学出版会、
pp.189.・・・・・(初心者向け、専門家にも面白い)
近藤純正(編著)、1994:水環境の気象学-地表面の水収支・熱収支.
朝倉書店、pp.348.
近藤純正、2000:地表面に近い大気の科学-理解と応用-.東京大学出版会、
pp.324.
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