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調神社 04.05.01 , 大山阿布利神社 04.05.03

狛犬ならぬウサギ
調神社社殿
鳥居
ご由緒

今年のGCは、浦和に用事があったので、そのついでに調神社に行きました。狛犬のかわりにウサギになっているとは 聞いていたものの、実際ウサギがそのまま座しておられるのをみるにあたりなんともかわいらしいのに和みを感じてしまいました。調神社と書いて、ツキジンジャが正式名称、ツキノミヤジンジャとも呼ばれ、天照大御神、豊宇気姫命、素盞鳴尊の三柱を祭神 とし、延喜式にも記載されている由緒ある神社です。由緒書きによれば、第九代開化天皇乙酉3月所祭奉幣の社として創建され第十代崇神天皇の勅命により神宮斎主倭姫命が参向此の清らかな地を選び神宮に献る調物を納める御倉を建てられ武総野の初穂米調集納倉運搬所と定められたそうです。そして、倭姫命の御伝により御倉より調物斎清の為め当社に搬入する妨げとなるため、鳥居、門を取払られたとされ、実際鳥居が二本石柱状になったいるのは大変珍しいです。この伊勢の斎宮(イツキノミヤ)に調を奉るために、蔵があったとの伝承、かなり古い奈良以前の伝承を受け継いでいる可能性を感じます。調宮は調(みつぎ)の宮の略で、昔諸国に屯倉(みやけ)が置かれたとき、その跡に祭った社のことを一般にこう呼んだといわれているそうです。調物が高く積まれ鳥居の上部をはずさなければならないという伝承については、 『古語拾遺』の雄略天皇条にも秦酒公との関連で「蚕を織りて調を貢り、庭中に充ち積ましむ、此れより後諸国の貢調、年々に盈ちあふれき。更に大蔵を立てて、蘇我麻智宿禰をして三蔵(斎蔵、内蔵、大蔵)を検校せしめ・・・」とあり、当社の伝承 から、当時の斎蔵、調への意識をうかがうことができるのではないかと感じます。しかし、また本来伊勢の斎宮、もしくは中世の『倭姫命世紀』の近畿諸国にかかわる倭姫伝承が、なぜ関東に及んでいるのかとの点も重要で、実際倭姫命もしくは、そのような 内親王などの人物が関東に参向ったいたとしたらまた驚嘆すべきことではあるのですが、鳥居・ウサギ像の独自性とともにいろいろ不思議な神社でありました。その鳥居、岡の上の立地条件など、ビデオ映像でご確認ください。

さて、それから5月3日は、また一日休みだったので、かねてより札幌の家族から行くよういわれており全国でも大山参りで有名な大山阿布利神社に急に行ってみたくなり、午後から電車で行ってきました。小田急伊勢原駅で降りると、バスで30分、大山ケーブル駅に着きます。そこから15分商店街を歩いて追分駅からケーブルカーに乗って大山阿布利神社下社に着きました。通称雨降山と呼ばれるごとく 、着くと霧雨のようなものが降っていたのですが、幸い晴天に向かい、霧にたたずむ下社と眼下に広がる壮大な景色を眺めるにあたり、ひさしぶりに都会から自然へと開放された感じがしました。当社については由緒書き等によりますと、御主神大山祗大神(オオヤマツミノカミ)またの名(酒解神(サカワケノカミ)酒造の祖神とされる)、大雷神(オオイカツチノカミ)、高オカミノ(←レイという漢字を書くがパソコンでは表示できない)神(タカオカミノカミ)(殖産・灌漑・桑蚕の生業を守護する神)を祭神として祀っていました。大山阿夫利神社は、大山の山嶺に三社があり、本社は大山祗大神(オオヤマツミノカミ)を祀り、摂社奥社に大雷神(オオイカツチノカミ)が、前社に高オカミノ神(タカオカミノカミ)が祀られています。摂社の両社は、大天狗・小天狗と言われていたそうです。神社創立は、第10代崇神天皇の御代であると伝えられています。古来より大山は山嶽神道の根源地であり、別名に雨降山、古名を大福山と呼ばれていました。阿布利の語源は雨降りにあるそうです。天平勝宝4年(752年)に良辯(リョウベン)大僧正が入山して不動堂建立、神仏習合し、その後行基の高弟 ・増和尚は大山寺二世となり、大山全域を開き、山の中腹に諸堂を建立、大山寺第三世として弘法大師が当山に入り、数々の霊所が開かれたとのことです。聖武天皇の勅願所であった時など、房相総3ヶ国の租税から一山の費用をまかなうなどして報賽(祈願成就のお礼参り)を欠かさなかったのですが、元慶3年、安政年間の大火で全山消失、その後の再興が図られたそうです。今回は、下社まで行った後、山頂の本社に登ろうと思いましたが、すでに夕方となったしまい山頂までは往復3時間 もかかり、下社からのケーブルカーも5時で終わりとのことなので、夜中の徒歩での下山も危険でありました。そこで本社は中腹の不動尊とあわせて次回にまわしことにしました。昼過ぎには下社に着くようにしたほうがよさそうです。中腹の不動尊も行基の弟子が入山しており、かねてより研究中の行基伝承の痕跡を伺うことができるかもしれません。次回は今 展示中の東京国立博物館の空海関係展示とあわせていろいろ比較を行ってみたく感じます。と同時に近くの山腹にある日向薬師、白髪神社や、眼下の伊勢原・秦野方面の遺跡もたずねてみようと思います。

以上今年最初の遺跡探索でなにげなく取り上げました両神社ですが、どこかしら共通要素を多く含んでいるように感じました。 また今回はノートパソコンのバッテリーを仕入れたことにより、ようやくライブカメラからのビデオ撮影が可能となりました。そしてそのビデオ映像を以下掲載しましたのでボタンを押してご鑑賞ください。

※当地での実体験を期待・重視されたい方はご鑑賞をお控えください。

 ビデオ映像(ADSL用):調神社にて (社務所にて映像撮影・HP掲載許可を得ました)

 ビデオ映像(ADSL用):大山阿布利神社下社にて (社務所にて映像撮影・HP掲載許可を得ました)

下社社殿
下社社殿
ご由緒
下社からの景色