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狛江・府中の渡来人遺跡探索  03.10.070

亀塚説明
亀塚碑
亀塚

秋も深まりよい季節になってきましたね。世田谷区狛江周辺の遺跡探索をしてきました。世田谷通り沿いに西進し、多摩水道橋にいたる手前の狛江駅の北側裏手の住宅地に、有名な亀塚古墳があります。亀塚古墳は、狛江古墳群の古墳で、全長48m、高さ約7m帆立貝式前方後円墳で6世紀初頭のものだそうです。副葬品中に神人歌舞画像鏡が中国で作られたもので大阪府の古墳から同じ鋳型で作られたものが二面発見されているとのことです。狛江の地名もあって渡来人の被葬者も考えられているそうですが、まだまだ断定はできないようです。仮に渡来人の古墳とすると、なぜ3世紀ころの銅鏡が6世紀の渡来人の古墳に埋葬されたのか疑問がでてきます。大阪の鏡と同じとすると、畿内の政権から派遣された渡来系氏族の首長に、なんらかの支配や儀式のシンボル?として与えられたのかもしれません。でも6世紀初頭だとすると、かなり渡来直後の可能性もあり、渡来してから政権の支配に属し、派遣されるまでの期間が短いように感じます。それにしても、この地域は世田谷通りから調布方面に抜ける道路どうしの間にあって、いつも通るとき、ここの住宅地の小道が近道なのですが、こういう大通りの通せないところというのは、昔遺跡発掘した聖蹟桜ヶ丘駅近くの一宮遺跡もそうでしたがおもしろい遺跡があったりするようですね。すぐ近くには泉龍寺があり、奈良時代、良弁僧正によって開創されたといわれています。またちかくに策があって入れませんが兜塚古墳りがあり、伊豆美神社があります。そしてそのちかくに万葉碑文がたっていました。北上して府中方面に20号の国領神社を越えてゆき、深大寺周辺にいきます。この寺は開創縁起によれば、満巧上人が法相宗を学び、733年に寺を建てて、750年に深沙大王の像を安置したのがはじまりとのことです。ロマンチックな男女の恋伝説がありますが、ともかくその伝説の中で生まれた子供が満巧上人で、この寺のちかくに虎狛神社というのがあり、この神社でその女性がまつられているとのことでした。733年法相宗系というのも渡来系のにおいをさせるものですが、この虎狛神社の所有地とされる近くの祇園寺というのがあります。そこには、渡来系ともいわれる石人像が門になっています。古代遺跡の見学をしたのち、帰りは深大寺のそばの「深大寺温泉ゆかり」で疲れを癒してきました。木造の雰囲気を出した露天風呂つきの黒色温泉で、東京でも、まだ心を癒せる場がいろいろあるようです。

※当地での実体験を期待・重視されたい方はご鑑賞をお控えください。

 ビデオ映像(ADSL用):亀塚古墳にて

 ビデオ映像(ADSL用):兜塚古墳にて