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高麗郡 05.03.26

万年橋から
白髭神社由緒
日枝神社由緒
高倉の獅子舞

最近ようやく暖かくなり遠出の季節になりました。そこで正月に続き高麗郡の探索に向かうことにしました。今回は掲示板の紀氏さんの著書にある高麗川にかかる万年橋周辺の遺跡を中心に探索しました。拝島橋を越えて16号に乗り一路北上し入間を抜け、407号に乗り高麗に向かいました。高萩の交差点を越えて、すこし走ると高倉天神という交差点があります。そこをすこし行って脚折月待戸の交差点を左折して数分走ると高麗川にかかる万年橋で出くわしました。なぜ万年橋が重要なのかについての詳細は紀氏さんこと保田氏の「古墳のこころ」を読んでいただきたく感じます。そこでは、要点としては真東は香取(鹿嶋)神宮を望む万年橋を測量起点としてカゴメ(六角形)方向に古代の遺跡が造営されていたとのことであります。また籠目の歌を手がかりに、万年橋を中心にそばの鶴舞、鳩山市、滑川町との関連から、いわゆる「籠の中の鳥はいついつ出会う・・鶴と亀が滑った」という歌詞との対応を考えられています。そこから外来文化特に鳩とのイメージからキリスト教とのかかわりをご指摘されているのですが、確かに行ってみると西南の高麗郡方向はもとより、四方よく見渡すことができ、測量起点としても絶好の場所であることがわかりました。

そこから東へ戻ると右手に日枝神社があります。由緒によると昔高倉朝臣が近江に住んでいたころ信仰していた日吉神社に由来するそうです。高倉朝臣は高麗郡の郡司家として、高麗郡設立の若光以来の系統らしいのですが、詳細は当研究会年度末報告の高麗郡分析をご参照ください。この日枝神社ではまた江戸時代から伝わる高倉の獅子舞があるそうで内容詳細は上記掲載の由緒の写真をご参照ください。そこからさらにすこし東進すると左手に白髭神社があります。白髭神社の由緒によると、715年の高麗郡設立に際し、郡内に勧請されたことに由来するそうで、境内には樹齢900年を超える木もありその起源の古さを証していました。

そこからさらに東進すると先ほどの脚折月待戸の交差点の戻るのですが、その周辺の高倉天神という地域には天神信仰があったようです。地名は高倉朝臣と関連するのでしょう。さらにそこから東進すると右手に高徳神社があります。大正時代にこの地域の村社等を合祀したことに由来するそうなのですが、境内には白髭神社、熊野神社、天満天神社、氷川神社、そしてこの高徳神社が五角形に配置されており、この地域の古来からの信仰と、配置にある意味ユニークさを感じさせられます。

その後は、再び407号に乗り、南下して飯能市に入り、カトリック飯能教会にていわゆる復活徹夜祭のごミサに預かり帰宅しました。
帰り道拝島橋周辺で東西に横たわる巨大断層雲と西方の赤い雲の発光現象をみるにあたり、かねてからうわさされていた大地震発生の予感を感じたのですが、翌27日の地震雲の大発生があり、その29日早朝スマトラの大地震となりました。この復活祭の時期はキリストの 罪なくしての受難と死を、そして復活を追想するのが慣わしですが、 日本神話でも同様アマテラスの受難と岩戸隠れと復活の伝承があり、そのわれわれにも起こる自然災害などの差し迫る受難から逃げださずに向かい合 うために、どう対処すべきかを聖書や神話がわれわれに語りかけてくる重要さをしみじみと感じさせられます。

高徳神社
樹齢900年
万年橋
断層状雲