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香取・息栖・鹿嶋 05.5.8

香取神宮本殿
息栖神社本殿
津宮鳥居
息栖神社忍潮井

 先日の白山・岐阜探索に続き、連休探索第2弾として、9日は、香取神宮、息栖神社、鹿嶋神宮といういわゆる東国三社を巡ってきました。なぜ東国三社かというと、すなわちその三社は直角二等辺三角形で結ばれる小型レイラインを形成していることが知られているからです。香取神宮から真東に10キロほどいくと息栖神社につき、息栖神社から真北に同じく10キロほど行くと鹿嶋神宮につくのです。渡来人研究会年度末報告でもとりあげたレイラインと渡来人の測量技術の手がかりを求めて、今回三社を調査してみました。
 朝6時に川崎を出発して、首都高速に乗り、さらに千葉から東関東自動車道に乗りかえ、一路茨城は鹿嶋方面へ。途中進行方向と垂直に南北にのびる断層雲が連なっており、大型の地震の気配が。1時間ほど走ると佐原インターに着きます。そこで降りて、北方佐原市へ向かうとすぐに香取神宮が右手に見えてきました。香取神宮はやや小高い場所にあるものの周囲は丘に囲まれていて、鹿嶋、息栖神社を測量するにはあまり適さないように感じました。他に測量場所があるのだろうと感じながら、参道へ。まず本殿に向かいました。本殿は黒い柱で構成され赤系の神道的というよりは、寺院的な感じの荘厳な建築であるのは意外でした。経津主大神を祀っています。その後要石と奥宮を見ました。要石についての古伝によると、「この地方はなおただよえる国であり、地震が頻絶し、人々はいたく恐れていた。これは地中に大きな鯰魚が住みつき、暴れさわいでいると言われていた。大神たちは地中に深く石棒を差し込み、鯰魚の 尾を押さえ地震を鎮めたと伝わっている。」とのことでした。確かに今でも最近も銚子沖で地震が起きているように、かなり地震の頻発する地域であるようです。以下Hinet地震観測網での震源分布サイトをみると、いかに香取・鹿嶋地域の地震が通常的に頻発しているかがわかります。http://www.hinet.bosai.go.jp/hinet_hypomap/
 その後、経津主の荒御魂を祀る奥宮へ。やや本殿から離れた小高い場所に奥宮があります。和魂、荒魂の構造、伊勢と同様ですが、鹿嶋にも後述するようにやはり奥宮に荒魂が祭られており、共通性が伺えました。帰りにおいしい厄落としだんごを食べて、息栖神社方面へ。まず香取神宮からすこし北上すると神道山古墳群があります。この古墳群には、古墳時代後期の全長45メートル高さ6メートルの前方後円墳や円墳10基が確認されており、今はハイキングコースなど公園となっております。上っていくと円墳などが見えるのですが、またかなり見晴らしもよく、ひとつの測量地点にもなりうるのではと感じました。その後、さらにすこし北上して利根川沿いの津宮に。この津宮は、利根川のそばにある大きな鳥居で有名だそうですが、利根川から階段が伸びており、伝承によると香取大神が海路から上陸したとされる地点です。この津宮は大変眺めがよくまた利根川はるか向こうの平坦な土地に続く息栖方面、鹿嶋方面までも見渡せ、背後の香取神宮との測量をするのには絶好の場所であったろうと感じました。香取神宮のやや西よりの小高い丘にある奥宮から真北に伸ばすと津宮に至ることがあり、中継地として神道山古墳をとおるのですが、その南北ラインがひとつの測量に由来するのではなかいかと感じます。
 さて、その後356号沿いに息栖方面へ西進し、摂社の側高神社を右手にみながら、小見川大橋、息栖大橋を渡って、すぐ左折したところに息栖神社がありました。この息栖という地名を聞いて、なぜ「息」なのかという疑問がありました。「栖」は神栖という地名がこの辺にあるように、地域の名称ともおもわれるのですが、「息」については、おもいあたるところはひとつであり、つまり息長帯姫:(神功皇后)に由来するのではと感じました。 さて、参道へはいり、向かって左側に力石という村の力自慢が持ち上げた石があり、右側には鹿嶋の摂社高房社などの境内社があります。本殿はピンク色と白灰色で塗られており、どこかしら女性的な雰囲気のする小ぶりな社でありました。主神は岐神、相殿の神として住吉三神、天鳥船神を祀っています。
 そこから、参道を戻って港沿いの大鳥居のほうにいくと、忍潮井というふたつの井戸があります。そばの伝承碑によると「忍潮井は男瓶・女瓶と呼ばれる二つの井戸であり神功皇后の三年(194年)に造られたものと云われて、あたり一面海水におおわれていた頃、真水淡水の水瓶を発見しこれを噴出させ住民の生活の水としたもので海水をおしのけて清水が噴出しているところから、忍潮井の名が付けられたと伝えられております。」とありました。それぞれの井戸に沈んでいる男瓶、女瓶の形状は、男瓶が白御影石、女瓶はややこぶりな土器とのこと。その昔、大同二年(809年)に数キロ下流の日川地区から息栖神社が当地に移されたおり、男瓶女瓶が神を慕って三日三晩泣き続け、ついに自力で川をさかのぼって当地にたどり着いたという伝承があります。思うにここで先ほどの息栖の息から予測された神功皇后伝承との接点が出てくるわけですが、この白御影石とその移動伝承は、記紀にも記されるとおり朝鮮古来の伝承にみられ、掲示板で話題になった男が女を追い求めて目的地にたどり着く伝承は、三国史記157年条の延烏郎・細烏女伝承や、天日矛伝承、そして掲示板話題の宇佐神功皇后、応神天皇伝承とのかかわりを感じさせるものです。そして住吉三神伝承も神功皇后紀のそれであり、この息栖神社が鹿嶋から真南、香取から真東に等距離で正確に測量されて造られていることは、ある種その神功皇后伝承を信仰していたおそらくは渡来系と関わりの深い測量技術をもった集団の移住がこの地にあったからではないかと感じます。
 さて、その後息栖神社から124号に戻りそのまま北上していくと鹿嶋神宮に至ります。昨年も鹿嶋神宮には来たのですが、今回は前回見れなかった要石を見に行くことにしました。本殿から境内に入り広大な森林を抜けていくのですが、左手に神鹿がみえます。この鹿にちなんで鹿嶋としるされ始めたのは723年からだそうでそれ以前は香島だったようです。常陸国風土記によると、大化五年(649年)に中臣氏に請て下総国海上国造部内以南一里、那珂国造部内寒田以北五里を割いて香島郡を置くとあります。香取のほうはそのまま香の語で残っており鹿はいませんね。さらにゆくと荒魂を祀る奥宮、要石が見えてきます。要石については、水戸黄門仁徳紀に七日七夜掘っても掘っても掘りきれずと書かれ、地震押さえの伝説とともに有名だそうです。その後本殿そばの鹿島神宮宝物館にて鹿嶋神郡に関する展示が開かれていたので、出土遺物や資料「常陸国風土記に見る鹿嶋神郡」を購入しました。その中には郡家や神宮の大剣の伝説にも関係するであろう鍛冶工房の遺構についてなど、調査結果が記されております。
 ここでようやく香取神宮、息栖神社、鹿嶋神宮という東国三社の直角二等辺三角形を走って巡ったのですが、地図で確認すると、香取神宮から真西につまり北緯35度53分ラインに大戸神社があることに気がつきました。そこで鹿嶋から大戸神社へ51号に乗って西進し、利根川をわたってから356号に乗り換えさらに西進しました。しかし利根川沿いの356号の支線を本線と間違えて走ってしまい西進しすぎて、神崎神社へ着いてしまいました。そこで小高い岡の上に立つ神崎神社に行ってみたのですが、由緒によると白鳳二年(647年)創始とあり、先ほどの息栖神社同様、天鳥船を祀り、少彦名命、大己貴命、面足命、惶根命を祀っているのでした。利根川沿いということもありますが、やはり息栖神社同様に天鳥船を祭る点で注意しておくべき神社かと感じました。その後、356号の本線に戻って東進し、横目に八坂神社や神崎大師、今宮神社をみながら、大戸神社へたどり着きました。
 この大戸神社、御祭神は天手力男命であり、日本武尊の蝦夷征伐の時代に征伐祈願のために建てられ、何度かの遷宮の後、孝徳天皇白雉三年(650年)に現在地に造営されたとあります。もし、この650年造営の記載が事実ならば、そのころに大戸神社と真西に位置する香取、息栖神社、あるいは鹿嶋神宮も測量をもとに創設されたことになるかもしれません。鹿嶋の創設がさきほどみたとおり、649年とされておりますから時代的には対応します。ただ先ほど購入した「香取神宮小史」香取神宮社務所編によると、摂社大戸神社条には、「社家傳説に「天武天皇白鳳年中建社、所祭手力雄神也」」とあるそうで、神崎神社同様白鳳年間に降る可能性もあるでしょう。(ただし白雉三年(650年)と解釈する説もあるようです)そのほか、この神社には羅龍王面と、納曽利面という雅楽面があり、鎌倉時代末期の作品とされています。この面に三度水を注ぐと雨が降るという伝承があるようです。この神社の天手力雄神もやはり天岩戸神話でアマテラス大神を岩穴から引き出した神であることを考慮すると、先の息栖神社の神功皇后伝承と住吉三神など、アマテラス系+・・・の宇佐・伊勢に連なる祭祀形態が、奈良以前に測量集団とともにもたらされた可能性を示しているのではないかと感じます。
 帰りはそのまま大戸神社を南下し51号にのり、大栄インターから東関東自動車道で東京方面は戻ったのですが、その途中3時ごろ栃木でM4.7震度4の地震があり、朝方見えた地震雲も北方向を残してなくなってきていたので、おそらくは朝方の地震雲はその栃木方面の予兆であったのだろうと感じましたが、また香取・鹿嶋の要石と地震押さえの伝説を思い出しながら、古代関東人が感じていた地震などの自然への鋭い感覚と観念をひとつまた実体験したような気がしました。

香取神宮要石
鹿嶋神宮要石
神崎神社由緒
神崎大師
大戸神社由緒
忍潮井由緒
東関道地震雲
香取奥宮