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御神田
夫婦岩
外宮池
猿田彦神社

伊勢 04.12.03〜04

いよいよ冬も近づき、バイクで遠出するのも最後となるこの時期、かねてより伺ってみたかった伊勢に今回探索に向かいました。朝9時に出発し、東名川崎インターから一路名古屋方面へと向かいました。昼すぎに浜名湖PAで、先の入院中かつて豊橋に住んでいた方からうまい聞いていたうどんを食べ一休み。名古屋に入ってからは、環状高速を抜け、東名阪自動車道に乗り、さらに伊勢自動車道を通って5時ごろ伊勢にたどり着きました。
伊勢に入ってからは、伊勢西インターチェンジで降り、まず外宮に向かいました。しかし5時までで閉門されていましたので、そのまま旅館に向かいました。途中で猿田彦神社が目に入ってきたので寄りました。これからなにか祭儀が始まろうとしていたらしく、さすがは神道の本場伊勢だなと感じさせられました。
そして、二見・鳥羽方面へと向かい二見のホテル清海で泊まりました。そもそもはインターネットでこのホテルが目に入ったという理由で選んだのですが、食事抜きプランで二人部屋6000円と安価であり、かつ温泉に入れるというお得なプランでした。実際4階の露天風呂はすばらしい眺めで、夜の海岸を目下にして、遠い沖合いのかがり火と星空を見ながら、波の音をバックに温泉につかるのは、まったく明日の伊勢参宮のための禊をしているような清らかな気持ちにさせてくれるものでした。
次の日は朝早く起き二見興玉神社のそばの夫婦岩を風呂から眺めました。このホテルを選んだのはたまたまですが、予約後、聞いたところによると夫婦岩の間から昇る朝日を冬至ごろに眺めてから、めぐり始めるのが一番よいそうです。その後バイクでそのまま二見興玉神社へ向かいました。朝からなにやら神主さんが太鼓をたたいて礼拝しているのも、またさすがは伊勢という感じでした。この夫婦岩の海底には鳥居があるそうで、また古来からの禊の場所でもあったそうです。
その後、そのまま42号線で内宮方面へ向かいました。途中月讀宮に寄りました。この月讀宮は、月讀荒魂宮とさらに二つ神殿があり、いわゆる荒御魂との論理が不思議でした。
そしていよいよ内宮へ。まず着いてから五十鈴川にかかる橋を渡り、内宮に入るわけですが、この五十鈴川の綺麗で浅い流れは、また禊場には最適な感じがし、そのような禊への条件というのも案外、内宮がこの地に鎮座するひとつの理由なのかもと感じました。実際禊でお偉いさん方がどの辺まで浸ったのかなども興味深いところではありますが、また樹齢数百年にいたるような木々が立ち並んでいる雰囲気も独特の神聖な雰囲気を醸し出している感じでありました。
内宮での荒魂宮など、かつてゼミで読んでいた皇大神宮儀式帳の中に記されている各建物郡が、そのまま今も目に飛び込んでくるのは大変新鮮で伝統の重みを感じさせられるものでした。と同時に、これだけ荘厳かつ格式ある建築物と礼拝格式が、すでに奈良時代以前に完成していたという事実についても、あらためてかなりの驚きを感じ、また日本文化として本来は誇るべきものであろうと深く感じました。
その後、内宮から山道を越えて志摩方面に向かい、15分くらいで伊雑宮に着きました。途中のうっすらと朝霧がかかった中、紅葉の中を通るのは、なんとも神秘的な雰囲気でありました。伊雑宮でまず飛び込んできたのは、御神田でありました。その鳥居と田んぼの組み合わせは独特で、初めて文献上によく現われる御神田という存在を目にできたことは不思議な感動がありました。ここでは香取神宮、住吉大社と並んで三大田植祭りが行われるそうで、豊饒やミケの献上の伝説を持つこの社独特の伝統を感じました。
その後近くの同じく豊饒と関係する大歳神を祀る佐美長神社に行き、そばの郷土資料館に向かいました。郷土資料館ではちょうど郷土の歴史の特別展示中で、御田植祭りの様子や道具、当地から出土した遺物類なども展示されていました。
そしてふたたび内宮方面へ戻りました。途中天の岩戸へと向かいました。天の岩戸へは車を止めて300メートルほど山道を歩いて向かうのですが、小川沿いの小道を山奥に進んでいくと、小さな滝と小さな鳥居の奥に小川が流れ出す洞窟が見えてきます。まさにちいさな天の岩戸という感じでした。そこに瀧祭窟と書かれてあるとおり、案外ここが伊勢の瀧祭宮の原型なのかなと感じさせられるほど、神秘的な清らかな流れとともにたたずんでいる場所でありました。ここであらためて伊勢の神宮の成立が当地の在地の信仰との兼ね合いの中で生まれてきたものであることをしみじみと感じました。
さて、内宮方面へ戻り、昨日の猿田彦神社に再度立ち寄り、外宮へと向かいました。外宮に入ってからまた内宮同様の壮大な神殿を見ました。そして特に目に入ったのは、やや小高い丘の上に位置する多賀宮の存在でした。やはりこの多賀宮の位置が高いのにはきっと古来からの意味があるのだと思うのですが、諏訪の前宮が小高い場所にあったのと類似するものがあったのを思い出しました。外宮については、また大きな池と能舞台があり,庭園的な雰囲気を持っているのも独特でした。庭園と禊との兼ね合い自体は案外、飛鳥池あたりの雰囲気とよく類似するものであろうと感じます。本来は禊をするための池なのでしょうけど、いつしか神楽舞台との兼ね合いもでき、庭園的な雰囲気が生じてきたのかと感じます。
その後、外宮から帰路に着き鳥羽のフェリー乗り場方面へと向かいました、しかし途中で銀行でお金を降ろし忘れたので、再度御幸通りを通って伊勢市街へと向かい、ついでに見忘れていた外宮のそばの月夜見宮へ行きました。この月夜見宮自体は、先の月讀宮と同じ月讀命を祀るのですが、こちらは夜を見ると書く点、また荒魂もひとつの神殿でひとつにの神殿で祀る点に相違があるそうです。なぜ同じような社がふたつあるのかはミステリーですが、それよりなぜすぐそばにあるのに外宮と一緒にならなかったのかのほうが不思議でした。そもそも伊勢の各宮自体は、ふたつくらい似たような宮が存在しているようなのですが、また各神に見られる荒御魂と和御魂の存在もまた不思議であります。どちらかというと荒魂のほうがよく祀られているようです。特にアマテラス大神の御魂は荒御魂、和御魂、住吉三神と合わせて五魂が、各々別々、あるいはひとつにして祭祀されており、その論理に注目すべきかと感じます。
伊勢を見終えてから、小雨が降り始めたので急いで鳥羽に向かい、フェリーで1時間三河のほうに向かい、東名で2時間半かけて帰宅しました。季節はずれの台風のせいで小雨に出くわすことになったわけですが、まだ台風で温暖だったので、この時期としては寒くないぶんよかったのかもしれません。深夜は記録的突風に全国見舞われたので早めに無事見終えそのまま帰って正解でした。
さて帰ってきてから本屋に行って伊勢のことについて調べているのですが、ひとつ目に入ってきたのは猿田彦と能面をつけた舞楽との兼ね合いについてでした。そもそもは猿田彦は天孫たちを出迎え案内する役目をもっており、また猿女とわれる天宇受売については天の岩戸伝承で、その舞楽をもってしてアマテラス大神を岩穴から呼び戻したという存在であります。この両者とも舞楽との関係が深い神であり、猿田彦については別名佐田神、白鬚明神と呼ばれ、天狗鼻の能面で表現される神であります。これらの天の岩戸の伝承が猿田彦とともに舞われる際に、どのような舞台と道具が必要かという点がひとつ気になります。この辺猿田彦については、『隠された神サルタヒコ』鎌田東二編・大和書房・1999を今読んでいますがお勧めです。猿田彦の存在は、世界の神話要素とも不思議な共通性を持つようですが、また国際的な視点から捉えられ始めている飛鳥池などとともに、いわゆる祭祀と王と舞楽との関係性の視点から特に渡来人研究会でもとりあげてみようと思いますのでまたご意見よろしくお願いいたします。

佐美長神社
天の岩戸
狛犬
五十鈴河禊場