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白山・岐阜席田郡・伊吹山 05.5.3〜4

御母衣湖から見た白山
席田郡から白山方向
美濃国分寺跡
泉神社湧水由緒

 今回はかねてから掲示板で話題になっておりました白山→岐阜席田郡の南北ライン、および栃木県井吹里(泉町)との関連でご指摘あった岐阜県伊吹山周辺について調査に行ってきました。突如思わぬ事情から思い立って朝2時に川崎を出て中央高速に乗り一路諏訪、松本方面へ。朝方には諏訪インターに着きました。そこで南北に伸びる巨大な地震雲を発見し写真にとって一休み。さらに長野自動車道に乗り松本インターで降りて、158号(別名:野麦街道)に入り、上高地の山脈をすり抜け、高山市へ8時ごろ着きました。高山市街からさらに158号に沿って清見・壮川方面へ東へ向かい、牧戸で156号に乗り換え北上します。すると右手に御母衣湖が見えました。そこでまだ散りかけの桜の向こうに、青く透き通った神秘的な御母衣湖を見て感動。そして頂上付近が雪で白くそまる白山を左手あがめながら、白川郷に向かいました。この白川郷、世界遺産に登録された合掌造りの民家が有名なのですが、また「どぶろく祭り」も有名です。白川郷には白川八幡神社があり、そばに白川村郷土文化保存館があります。祭りに使用される獅子頭など郷土の品々を拝見させていただいたのですが、またその「どぶろく酒」もいただけるそうです。
 さて、この白川八幡神社は由来によると、口伝では初期和銅年間にあり、周囲43カ村の総社として、応神天皇を祭り、産土信仰とともに、往昔より新穀で神酒を造っていたそうです。掲示板でも話題になっていた秦氏等の渡来人と神酒作り、応神天皇祭祀、白山信仰、和銅年間の渡来系氏族の全国展開などを考慮すると、もしかすると渡来系の影響があるのではと感じました。今後さらに調査してみようと感じています。
 さて、向きを変えて先の156号を戻って南下し岐阜方面へ向かいました。白山中居神社のある郡上市を過ぎ、岐阜市内に入り長良川を越えて、まず岐阜市歴史博物館へ。ここでおおむね岐阜県の古代史について理解できます。また資料類もそろっており、私は「文化マップgifu」岐阜新聞社出版局編とともに、岐阜市歴史博物館研究紀要・1994年8月号に古代美濃国の古瓦についての調査分析が載っているので購入しました。特に井川祥子氏の「古代美濃国における軒瓦の様相」には、美濃各地の古瓦の系譜論について掲載されているのですが、今回の目的である新羅人の移配と郡の創設が奈良初期に行われた席田郡に関連する記載が載っておりました。席田郡内の席田廃寺、弥勒寺跡の瓦の系譜が分析されており、席田廃寺の瓦自体は、美濃でももっとも古い川原寺式らしいのです。また美濃各地からは不破勝氏など百済系渡来氏族の影響もみられるそうで、さらに論文読みすすめてみたいと思います。
 その後、岐阜市街から157号の載り西進し、長良川を越えて、173号に入り北上していくと、船来山麓の本巣市に着きます。そして168号に載るとすぐ席田小学校があり、そばに郡府という場所があります。おそらくここが先の新羅人の住んだ席田郡と郡府のあった地なのですが、渡来人研究会年度末報告ではこの席田郡から真北にラインを伸ばすと先の白山にぶつかること、真南にラインを伸ばすと伊勢にいたることを発見していました。そこで白山を目印に南北に測量を渡来系集団が行ったのではと考えていたのでした。そこで白山が望めるかどうかを確認したのですが、素人目には白山南方手前の野伏ヶ岳については、今写真と比較してみてもよく望めていたことがわかります。しかし白山そのものは正直見えるのかどうかわからない感じでした。ただ、この野伏ヶ岳の西麓が見え、ここが東経136度41分で席田郡・船来山の東経136度41分と一致することを考慮すると、この野伏ヶ岳西麓と手前の船来山を目印に南北にラインを測量した可能性もあるでしょう。さてこの郡府というところにはかつての古代の郡府跡地があるのですが、ご近所の方に神社がないかどうか聞いてみると、なんぼかあるとのことでした。そこでその郡府跡地の中に潜む神社に行ってみました。すると白山神社・諏訪神社と合祀されており、白山信仰の一端を垣間見ることができました。やはりこの席田郡に住んだ新羅系渡来人が、新羅から日本への航海の目印にした白山、そしてそこから生じた白山信仰をこの地に残した可能性もあるのではないかと感じます。また諏訪神社もそこにみえることは、同じく諏訪大社→鹿嶋神宮の東西同緯度レイラインとの関連も気に留めておくべきかと感じます。あと船来山の麓にも弥勒寺とともに白山神社があり、この地域の白山信仰の盛んさを物語っているのでしょう。
 そこで日が暮れて一日目は終わりにして、157号を南下して21号にでて東進し美濃加茂市大田町のホテルで一泊しました。翌朝、ふたたび21号を西進し、掲示板でも話題となった伊吹山へ向かいました。岐阜市街を越え、掲示板で「揖(い)」音と朝鮮語音との関連が指摘されていた揖斐川を渡り、216号に乗り換えると美濃国分寺に着きました。
 美濃国分寺を見て、そばの大垣市歴史民族資料館へゆき、裏手の美濃国分寺跡地や当地域の古代史について調べました。美濃国分寺は前身の豪族寺院を改良して造られたそうで、白鳳期以来の古瓦が出土しているようです。美濃国自体は川原寺式の瓦の分布が多い地域だそうで、天武朝以来の伝統を継承する寺院を改作・拡張して国分寺としたことに推測されるそうです。不破の関での攻防など壬申の乱の影響も強い地域だそうですが、個人的には国分寺跡から発掘された鬼面の瓦が気になりました。他にも美濃国内の小島廃寺、長良廃寺からも鬼瓦が出土しているそうで、渡来系の鬼信仰とのかかわりがないかどうか調べてみたいと思います。
 その後南進して21号に戻り、西進するとすぐに南宮神社につきます。まず道を間違えて手前宮代の南宮摂社の大領神社へ行ってしまいました。この大領神社は、壬申の乱で功のあった宮勝木実を祀っているのですが、先の井川氏の論文によるとこの宮代は百済系渡来氏族宮勝氏の本拠地で、そばの氏寺と目される宮代廃寺からは、百済系の瓦が出土しているそうです。そして南宮大社へ行ったのですが、一宮らしく広い敷地に荘厳な格式を持つ神社でした。祭神は伊勢神宮の天照大神の兄神である金山彦命であります。この金山彦命については、神武東征の時に霊験をあらわしたことにより府中に祀られ、崇神天皇の時代に現在地に遷され、古くは仲山金山彦神社と呼ばれたが、国府の南に位置することから南宮大社とされたそうです。奈良以前からの起源を持っているようですが、また金山彦と渡来系の製鉄氏族との関連も予想されます。当社には刀剣も多く残っているようで、美濃で盛んであったとされる刀鍛冶の面影を残しているのでしょう。まとちょうど5月5日に神幸式・蛇山神事という祭りが行われる直前であり、境内に立派な神輿三基が置いてありました。御旅神社に向けて、神輿三基を運んでいくそうですが、その間市場野という祭祀場に高さ13メートルの蛇山と呼ばれる櫓を立て、神木の末と竜の尾を示す剣を取り付けた蛇頭を勢いよく上下左右に揺り動かしながら進むそうです。そして蛇山の前に連結された車楽(だんじり)では、少年少女が還幸舞、脱下舞、竜子舞を踊るそうで、どこか渡来系祭祀の面影を忍ばせているようです。
 その後、21号をさらに西進して不破の関、関が原古戦場跡に着きます。そこで関が原歴史民族資料館に寄り、さらに伊吹山方面へ365号に乗り、西進して伊吹町に入り大野木交差点を右折して大清水というところに、泉神社があります。この泉神社の伊吹山から地下をとおって湧き出るこの水は名水100選に選ばれるほど有名だそうですが、 その起源は古く天智朝にさかのぼるそうです。由緒は以下のとおりです。
 
「泉神社社伝によると、天智天皇の頃、当地の山野は弓馬操練の地とされ、多くの牧士等の居住することとなりました。たまたまこの地に天泉が湧出し、その水が清潤であったので天泉所と称し、ここにスサノオ命、大己貴命の二柱を産土神として祀り、今日に至りました。その後天泉所は大泉大清水と改められました。古くは景行天皇の皇子、日本武尊が伊吹山の蝦夷遠征にむかわれ、毒霧にあてられ失意酔えるが如くなられた時の「居醒水」と伝えられ、また小栗助重が病気を祈祷した霊泉とも崇められています。伊吹三名水として二千年来涸れることのないこの御神水は、昭和六十年三月二十八日環境庁より日本名水百選の認定を受けました。大清水神社氏子総代」

 そこでかつて掲示板で紀氏さんからご指摘うけました栃木県の泉町(古い呼称:井吹里(いぶき:せんぷうり))と、この岐阜県の伊吹(いぶき)町泉神社との関係を考えあわすと、「泉」、「いぶき」の語で対応性が出てきます。さらに渡来人研究会年度末報告で取り上げた近江からの製鉄関連渡来人の栃木方面移配との関連を考慮してみると、やはりこの金山彦に象徴される製鉄と関連深い伊吹周辺の地から栃木矢板市の泉町へ渡来人が移動した可能性もありうるのではないかと感じます。
 ここで2時を回り、携帯の電池も切れ写真も取れなくなったので、当日夜勤に向けて関が原インターから名神高速、中央道を経由して東京へ戻りました。
 今回の遺跡探索は、かなり突発的な事情から始まったものですが、渡来系氏族と関わる伊勢→岐阜席田郡→白山へかけての南北ラインを確認することができ、そのラインにそって白山信仰など、渡来系氏族の痕跡を多く見出すことができたことは大きな収穫であったと思います。今後も今回巡れなかった地域の探索などを含め、研究を進めて行きたいと思いますので、みなさんよろしくお願いいたします。

諏訪の地震雲
白山と民家
白川八幡由来
白川八幡
白山・諏訪神社
大領神社由緒
高宮神社神輿
泉神社
泉神社湧き水
白山からの流水
伊吹山方面
岐阜城