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水戸→福島 04.06.08〜9

大尽製鉄資料・民俗資料館
祖父の実家にて
虎塚古墳
磨崖仏

今回は、6月8日から9日にかけて、水戸の友人宅に泊まらせていただきながら福島の父方の先祖の地へ行ってきました。
水戸では装飾壁画で有名な虎塚古墳もみてきました。石室は公開されていませんでしたが古墳に登ってその状を確かめることはできました。大型の前方後円墳で、そこそこの大豪族を感じさせるおおきさでした。今年の石室公開は10月末からだそうです。その後温泉につかり、次の日福島へ常磐道でいわきインターを経由して磐越道に入り、船引三春インターから一路葛尾村に向かいました。30分程度の道のりで葛尾町役場につきました。そこには大尽製鉄資料・民俗資料館があり、今回は資料館を見学させていただきました。資料館には葛尾村の歴史を物語る展示がなされているのですが、この地域は近世以降豊富な木材を生かした製鉄業が盛んだったそうで、製鉄の道具などが多く展示されていました。また近代の養蚕の道具や囲炉裏のある部屋などもあり、どこかしら祖父の時代の様子を伺うことができたように感じました。この村はまた松本姓の方が3分の1を占めるそうで、また全国的にも珍しいわが父方の姓も多いようで、資料館でその父方の姓を見つけたときはかなり驚かされました。その後またバイクに乗って父方の親戚の家にはじめてお邪魔しました。 そしてその親戚の方のご案内で中世のこの地の豪族松本氏の大尽屋敷跡地とその松本氏が作らせた磨崖仏を見てきました。この屋敷跡地には石垣や十数もある倉の石垣があり、壮大な庭園池跡や普段は水を張って池になっていて水を抜くと入り口が現れるという忍者屋敷のような建築跡もありました。また京都から貴族の娘を娶ったときに建てられたという建物跡もありました。葛尾村の生涯学習向けパンフによると松本一族が信州からきたとき、その故郷の地、長野県埴科郡葛尾城にちなんで当地は葛尾と名づけられたそうです。そしてその後三春藩に二万三千両(3億円程度)を二回に渡り献上するほど、製鉄、木材、炭、絹、酒などで繁栄していたそうです。その松本氏が作らせたのが巨大な磨崖仏で、見るとほんとうに巨大な岩に小さな仏像がかなり高い位置に掘られており驚かされます。またパンフによると高野城というところに南朝方の「熊野宮・信雅王」が二年ほど住んでいたことがあり、三種の神器を収めた宝物殿跡もあるそうです。そしてその親族の方とお宅でお話していておもしろかったのは、「ここから1,2キロのところに天皇が住んでたんだよ・・」というお話でした。本当かなとおもったんですが、どうも南北朝の時に紀伊から南朝方の天皇が福島に逃れてきた有名な伝承があるそうです。「都路」という地名もそばにあるのですが、これは都に通じる路の意味だそうで、この地域は阿武隈山地のちょうど間中にあり、東西の武力から天皇を守るのに適していたそうです。昨年の探索でも茨城の大子町と金砂祭礼の順路について掲載しましたが、この大子というの後醍醐天皇のそれに由来があるらしく南朝由来の地名が残っているそうです。茨城にその宝物が運ばれたというという話もあり、思うにこの北関東方面の伝承を考えるにあたって、やはり古代と中世の伝承の双方から挟んで分析いかないといけないかなと感じた次第でした。これらの詳しい伝承については以下のHPを参考にしてみてください。http://www.tokyobbs.or.jp/mikumo/nachou.htm
それから祖父の実家にも行ったのですが、2,300年は経っているであろう黒ずんだ木造の大きな屋敷が今も静かにたたずんでいるのに感動しました。そしてどこかしらそこではじめて出会う親戚の方々や先祖の写真の顔をみると祖父や父親によく似た面影があることに、血のつながりの重さや神秘さを感じました。わが祖父の実家からは、かつて坂上田村麻呂が侍従50人とともに山頂の大岩に座らせて蝦夷平定の論議をしたという伝説の残る五十人山が見えるのですが、父方の姓は、家系によるとその地の大豪族田村氏からでているそうです。田村氏は伝説では渡来系の首長氏坂上氏から出ていることになっています。ということで、微妙にこの地も渡来人と関わりがあるのですが、伝説的要素がかなり強いにしろ、渡来人の痕跡を探ってみるのもおもしろそうな課題ではあります。その辺当地の渡来系氏族坂上氏系田村氏と南朝伝承については、以下の橋本捨五郎氏の福島のノンフィクション小説のHPに詳しく研究が掲載されていますのでご参照ください。当地の渡来系伝承も多く掲載されています。
http://www.soyusya.com/rekishi/pages/kamigami/154.html
また坂上氏系田村氏の系図は以下のHPを参照にしてください。
http://www.myj7000.jp-biz.net/clan/03/03004.htm
なお、この小説に出てくる坂上氏系田母神氏と同時に枝分れしたのが父方の姓なのですが、現在でも郡山市に中田町に地名が残っており、たぶんそこが父方の姓の本拠でしょう。その中田町は先の小説の舞台の地にもなっている「二ツ石山」の近くなのですが、この小説と今回の探索とを考えているなかで、改めて先祖の地の探求と渡来人研究がどう自身のアイデンティティーと結びついていくのかが不思議とわかってきたような感じがしてきました。先祖の地の探求と現在の自分のあり方との探求お勧めです。