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千葉 04.08.18

海ホタルにて
上総国分寺
上総国分尼寺
下総国分寺

秦野につづいて8月18日、上総、下総国の国府がそれぞれ所在した市原市と市川市を巡って参りました。川崎から409号線を通ってアクアラインを通って東京湾の下をもぐって千葉目指して走りました。トンネルを通って行き、その途中海ホタルで海上にあがり、東京湾一帯を360度眺めて食事をしました。幸い晴天で景色もよく、古代の船乗りが眺めた景色を思い浮かべていたのですが、台風が迫ってきたこともあり風が大変つよく、海ホタルから続く橋をバイクで走っていくのはかなり命がけでした。さて、木更津について16号に乗り市原市につきました。市原市はかつて上総国の国府が置かれていたところで、現在も国分寺、国分尼寺の遺構が残されています。上総国分寺の領域は武蔵、下野国分寺につぐ広大な領域だったそうで、実際その端から端まで走ってみるとよくその規模を実感できました。その国分寺跡を見てから近くの市役所裏にある国分尼寺跡とその展示館に行きました。この展示館では発掘された遺物などを展示してあるのですが、特に大和の山田寺、川原寺、紀寺系にそれぞれ属する竜角寺廃寺、大寺廃寺、真行寺廃寺の瓦などを目前に観察することができたのは大変貴重でした。そして真行寺廃寺からは8世紀後半の女瓦に花鳥文、渦巻文、重圏文などの多種の朝鮮半島系叩き文が見えるとのこともあり、その寺の遺物を拝見できたのも渡来人研究としても貴重でした。そのほか墨書土器、鍛冶製品なども展示されており、またその尼寺跡に復元された回廊などもなかなかよくできていました。その後京葉道路に乗って下総国の国府があった市川市に至り、下総国分寺に向かいました。下総国分寺は市川市街地からや北方へ向かい丘陵地の急坂を上ったところに静かにたたずんでいます。下総国分寺の領域は丘陵上とのこともあり上総国分寺にくらべてはるかに狭いのですが、逆にかなり眺めのよい場所にあることがわかりました。配置が百済様式とされる法隆寺様式なのに対し、寺域内からは忍冬文とされる新羅様式の瓦が出土しているそうで、朝鮮系渡来人が建築にかかわったことが考えられているそうです。この他市川市の博物館も近くにあったので寄ったのですが、今回は残念ながら閉館になってしまっていまたした。その後そのまま京葉道路経由で首都高速に乗ってついに東京湾を一周して帰宅しました。なお、半年ほど前に千葉市の市街地の小高い丘上にある千葉寺にも行きましたが、ここも8世紀はじめの建築伝承が残り、行基伝承がまた残存している渡来人研究では貴重なところなのでお勧めの渡来人研究スポットであります。こうして東京湾を一周してみると、確かに東海道、つまり相模から千葉にいたるまでは、たぶん海を渡ったほうがはるかに時間的にも早いことがわかるのですが、上総国国府が平地海岸沿いにあるのに対し、下総国府はやや川沿いをさかのぼり、さらに丘陵地にあるというのも、当時の交通、防衛目的を考えて見なければならないのだろうと感じました。と同時に渡来人のそれら国府建築への貢献がやはり奈良方面から影響を受けてなされていたということが改めて確認できたように感じ、これら千葉周辺の渡来人が高麗郡、多胡郡など内陸の国府、寺院建築にどう影響をもたらしたのかを今後さらに考えてみたく思いました。

 ビデオ映像(ADSL用): 上総国分寺にて

 ビデオ映像(ADSL用): 下総国分寺にて