
幾春別市街から奔別立坑櫓を望む
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住友奔別炭鉱は三笠市でも最奥に位置する炭鉱です。明治35年に開鉱し、後に住友系列となりました。北炭が卓越する三笠において唯一の他の大手資本による炭鉱です。閉山は北海道でも閉山ラッシュとなった昭和40年代半ばの昭和46年です。現存する巨大な高さ51mの立坑櫓は昭和35年完成のものでそれからわずか11年の急激な情勢の変化が窺い知れます。平成19年10月20日に一部内部の一般公開が行われ多くの人で賑わいました。
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立坑櫓には奔別の文字が掲げられ勇壮な雰囲気。櫓は幾春別の市街からも見えますが脇にぐるりと周りこむ道がありそこから見るのがいいでしょう。
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立坑櫓に隣接してあった事務所は取り壊されましたがホッパーは健在です。上部の屋根が残るホッパーは今となっては非常に貴重です。立坑櫓とホッパーは以外の周りの施設は残念ながら解体されてしまいました。
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立坑櫓裏の道はかつての奔別市街へ向かう道でした。写真の左の土手の上には学校がありました。
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学校跡から奔別市街を見渡してみました。炭鉱住宅があった地は荒野と化していました。
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立坑櫓から台地に上ったかつては学校のあった場所にある殉職者の慰霊碑と顕徳碑。
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学校跡に点在する施設。写真右はトイレの跡。幾春別小学校、奔別小学校がこの地には並んで建っていた時期もありました。
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立坑櫓の背後の高台には立坑櫓が活躍する昭和35年以前の炭鉱の遺跡が点在します。写真は変電所。
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排気ブロアー建屋。炭鉱坑内の換気のための施設です。
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安全灯室。
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斜坑捲上用ベルトコンベア土台。
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変電所。
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ポケット。
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幾春別市街の小高い丘の上には幾春別神社がありました。平成26年5月の訪問の際は手水の屋根が折れ転がっていたのが少々寂しかったです。
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丘には小さな錆びついた児童遊園があり、幾春別市街も望むことができました。
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