第8話 私のカメラ遍歴(パート2)
| 第2話の続きをとガンモまるみのホームページのガンモさんからリクエストがありましたので少々書きたいと思います。 実は大した内容ではないのですが少々お付き合いください。 学生の頃は、音楽にはまっていましてカメラなど眼中になかったという話を書きました。学生から会社員になり会社員時代もバンド活動などしていました。楽器に関しても作ったりするのが好きで基本的にパートはギター、ベース、キーボードが出来ましたので 自作のギターなど作っていました。 会社生活は学生と違い朝が早く通勤しているとよく朝のきれいなひかりに出会うことが多くなりひさしぶりにカメラバックからミノルタXー700をひっぱり出しました。がさすがに背広でXー700は恥ずかしかったもので何かポケットに入るぐらいの小さいカメラがあるかなぁと思い中古カメラ屋さんに入ってみると昔、苦労して買ったカメラが異常に安く売られていました。 (カメラを触っていなかったので時代がとまったままであったので) そこで目に付いたのが小さくって簡単なカメラといえばこれしかないと言うほどのオリンパスペンEEでした。これなら背広のポケットに入ると思い思わず衝動買いをしてしまいました。それからそのペンEEで朝の光を入れて撮影していましたがどうも目測がうまくいかずにピンをよく外していました。何か昔のカメラ(安かったので)いいものがないかなぁと思いカメラの診断室という本を買い見ていると電子マークが付き電子のかたまりのようなカメラが1台、目に付きました。 (Xー700を買った理由と同様に電子にあこがれがあったので。) 電子のかたまりとくれば、このカメラしかないでしょう。ヤシカエレクトロ35です。実物をみたことがないので中古カメラ屋さんに行きました。きっと高いカメラなんだろうと思い無け無しの3万円を持っていき、中古カメラ屋さんにいきました。 そこで見たヤシカエレクトロGTNの精悍で美しいスタイルに魅了されお値段もお手ごろ8000円でしたのでまた衝動買いをしてしまったわけです。ついでにコンバージョンレンズも一緒に買ってしまいました。ファインダーを除くと1眼レフとは別世界の光景が目に入ってきました。(ここからレンジファインダー好きになっていきます。)レンジファインダーの方がイメージを作りやすく目に映るものがすべてきれいに見えてきたのが不思議です。 この時代になるとバンドのほうも会社が忙しくなったり、結婚したりするメンバーが出てきてしまい空中分解のように終わりになり、なおさらカメラの楽しみにどっぷり浸かっていきました。 別の中古カメラ屋さんに行ってみるとカメラの分解標本が置いてあったのでこれなら自分でも作れるかなぁとか思いました。 使えるカメラを壊すのは非常にもったいないので確か故障カメラを置いているお店があったなぁと思い、そこに行きキャノネットSの ジャンクを1000円で手にいれました。(ここからジャンク修理の楽しみに浸かってしまいました。) 標本用に分解していくとネジとギアがおもしろいくらいに簡単に外れていくので楽しくバラバラにして遊んでいました。なにを思ったのか標本を作るはずがこのカメラ元に戻せるかなぁとか思ってしまいバラバラになったものを三日かかってこつこつと戻していきました。なんとここでジャンクの神様がいるのかわかりませんがカメラが無事に動き始めたのです。撮影をしてみてもしっかり写るようになっていました。これだったら他のカメラも安くジャンクで手に入れて直るかなぁと安直な考えでまたジャンクカメラを買ってきて分解を楽しむようになりました。始めはジャンクだから壊れても所詮ジャンクと思いめちゃめちゃに壊していきましたが壊すことによりカメラの構造に興味がわいてきて、壊れていくものを見ていると少々さびしく思えてきましたのでここで壊れたカメラを再度分解して構造を勉強して数をこなすことによって今のようにある程度まで修理が可能になっていきました。 ここまできたらいろいろなカメラの内部構造を見てやろうと思いカメラのシリーズを集めるようになっていきました。出来るだけ安くあげるためにほとんどジャンクを買ってきて修理して内部を見て前回発売のカメラとどこが違ってきているのかを比べ始めました。 知らぬ間にどんどん数が増えていきカメラ分解オタクとなっていってしまったわけです。 後は日本のカメラの完全シリーズ化を目指していきたいと思っています。どこまで基本的にジャンクで集められるかは謎ですが。 よく思うと子供の頃、カメラで写真を撮られるとなにか恥ずかしくうれしい記憶があります。失敗した写真も多くアルバムにはられているのではないかと思います。写真だけ残ってカメラ本体はどこにいったのでしょうか? 家族の1コマを撮ってきたカメラたちを大切にしていきたいと思っています。 というわけでここいらで昔話を終わります。 |