98.12.28
平安時代の「たしかめる」
現代、ふつうに使われていることばが、実は、古い時代には使われていなかったというような例がよくあります。
前から不思議だったのは「調べる」ということば。「調べる」は、昔は《音楽を演奏する》とかいう意味だったので、《調査する》という意味はなかったのです。
とすれば、《調査する》のことを、昔はどう言っていたのだろう? おそらく、「尋ねる」とか「(書を)みる」とかいう言い方がそれに近かったかもしれませんが、はっきり対応しているわけではないようです(後述)。
似たようなのが、「たしかめる」ということば。岡島昭浩氏によれば、「たしかめる」ということばは、明治より前の例が見当たらないようです。でも、昔の人でも《たしかめる》という行為はしたはずです。岡島氏はまた「源氏物語」の原文と与謝野晶子の現代語訳をつき合わせ、蜻蛉巻にある「案内する」ということばを紹介しています。
例の、心知れる侍従などにあひて、いかなる事をかく言ふぞ、と案内せよ。(日本古典文学全集版・第6巻 p.194)
(与謝野晶子訳「こちらの味方になっている侍従などに逢(あ)って、真相を確かめて来てくれ。どんなことをこういうふうに言っているかをね。=角川文庫版・下巻 p.492)
ただし、この個所は日本古典文学全集の訳では「様子を尋ねてみよ」、角川文庫版の玉上琢弥訳では「尋ねて見よ」となっています。つまり、「案内する」は、《たしかめる》の中でも特に《人に問いただしてたしかめる》ということのようです。
では、人に聞かずに「自分の目でたしかめる」というようなときにはどう言うのでしょう。
やはり「源氏物語」から候補を探すと、一つは「見定める」でしょうか。
御心のうちには、いかにしてこの人を見し人かとも見定めむ、(浮舟巻 全集版・第6巻 p.107)
この個所、角川文庫版では「何とかして、この女を、前の女かどうか、はっきり確かめたい。」とあるので、「見定める」を《たしかめる》と考えてもよさそうです。ちなみにこの「女」は浮舟のこと。
もう一つの候補は、常夏巻にある「尋ねる」でしょう。
いかに定めて、かくあやしきけはひも尋ねず迎へ寄せけむ(全集版・第3巻 p.237)
(新潮文庫 p.97)
近江の君という、おしゃべりな娘を引き取って後悔している内大臣のせりふです。全集訳では「どんなつもりでこんなにおかしな人柄をよく調べもせずに呼び寄せたのだろう」とあり、角川文庫版も「調べもせず」です。
このことから、最初にふれた現代語の「調べる」にあたるのは古語では「尋ねる」だったことが想像できますが、これはまた「確かめる」と訳してもいいと思います。平安時代には《確かめる》《調べる》《尋ねる》の境界があいまいだったのでしょう。
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