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02.03.22

国境の長いトンネル

 川端康成の小説「雪国」の冒頭、「国境の長いトンネルを抜けると雪国であった」の「国境」を「コッキョウ」と読むか、「くにざかい」とよむかについては議論があるやに聞いています。あるホームページの掲示板では、この読み方が「今も「日本近代文学会」ではアツイ話題」になっていると記していますが、ほんとかしら。

 かのベストセラー、齋藤孝『声に出して読みたい日本語』(草思社)では、この小説を引用して「くにざかい」とルビが振ってあるとのことです(追記2参照)。編者によってそのよみに決められてしまったのでしょう。

 10年ほど前まで、NHKテレビで「連想ゲーム」という番組がありました。その中で、「国境の長いトンネルを……」という文句が出題されたことがあります。女性陣が見事に正解し、声をそろえてこの一節を唱えました。
 ところが、これを見た放送作家だか放送評論家だかが憤激して、
 「最近はことばを知らない人が多いので困る。解答者の女たちは黄色い声を張り上げて『コッキョウの長いトンネルを……』と言っていた。あれは『くにざかい』と読むのだぞ」
 というようなことを、週刊誌か何かに書いていました。

 早稲田大学の某先生(国語学)は、学生がこの部分を「コッキョウの……」と読んだとき、「ん?」と疑問の声を発せられました。「くにざかいと読むべきでしょう」というお気持ちだったと推察します。

 一般に、「雪国」の冒頭を「コッキョウ」と読むのは無学で、「くにざかい」とよんでこそ日本語の達人だというふうに受けとめられているのではないでしょうか。なるほど、「国境の長いトンネル」、すなわち清水トンネルは、上野国・越後国の境にあるのであって、主権国家と主権国家との間のトンネルではありません。「コッキョウ」は変だというのはひとつの理屈です。
 しかし、廃藩置県を経た近代日本では「くにざかい」も消滅しているはずで、「くにざかいの長いトンネル」も、「コッキョウの長いトンネル」と同じぐらい変であるともいえます。
 川端康成は、「夜の底が白くなった」というような新感覚の表現をあえて使う作家です。この「国境」もふつうの使い方でないと見たほうがよいでしょう。「雪国」と「雪なし国」とをつなぐトンネルという意味であれば、「コッキョウ」のほうがむしろふさわしいかもしれません。

 なぜいきなり「雪国」の冒頭を思い出したかといいますと、山口幸洋『しずおか方言風土記』(静岡新聞社)を読んでいたら、「駿遠国境山地」ということばに行き当たったからです。

〔静岡県における一型アクセントの地域は〕このように一見複雑だが、地図上では南アルプスの一角、大無間山を取り囲む焼き畑中心だった村々で、地域の名称として「駿遠国境山地」の方が本来適当だろう。(p.27-28)

 静岡県の、旧駿河と旧遠江との境目あたりの山地をこう言っているんですね。「スンエンくにざかいサンチ」ではなく、どうしても「スンエンコッキョウサンチ」と読むべきところでしょう。
 そうであるならば、くにざかいの意味で「コッキョウ」と読むことはあるという実例になります。
 『日本国語大辞典』を見ると、森鴎外「渋江抽斎」から「若し丹後、南部等の生のものが紛れ入ってゐるなら、厳重に取り糺(ただ)して国境(コクキャウ)の外に逐へと云ふのである」という例が引いてあります。
 この「国境」は、つまり「くにざかい」のことですが、「コクキャウ」とルビが振られています。

 これらを見てくると、「雪国」冒頭の「国境」は、「上野国・越後国の境」と解釈した場合でも、なお「コッキョウ」と読んで支障がないと考えられます。

 それにしても、作品中のある一節をどうよむほうがよいかということが議論される作品は、古典ではよくありますが、近代小説ではきわめてめずらしいといえるでしょう。まして、その読み方で教養が測られる小説の一節というのは、なかなかありません。
 川端康成自身に尋ねてみれば、案外、「さあ、どう読むべきだろう?」とか、「特に決めていなかった」とか言いそうな気もします。


●この文章は、以下の追記の内容も考慮して大幅に加筆訂正し、拙著『遊ぶ日本語 不思議な日本語』(岩波アクティブ新書 2003.06)に収録しました。拙著では、まさしく川端自身が「上越国境とか信越国境とかいいますけどね。国境(こっきょう)と読んでいるでしょうね、みんな」と発言している対談も紹介しました。どうぞお読み下さい。

追記 小駒勝美氏に教わったところによれば、そのものずばり「上越国境」という言い方があるそうです。小駒氏によれば、このほか「信越国境」「上信国境」「上信越国境」などの言い方が各地にあるとのことです。ウェブの「Google」で検索された結果、なかでも「上越国境」が1670件で最も多かった由。「雪国」の冒頭の読みを決めるうえで、何かのヒントになるかもしれませんね。(2002.05.27)

追記2 高校で国語教師をされている前川孝志氏よりメールをいただきました。『声に出して読みたい日本語』は、最新版(2002.06.14 第6刷)では「くにざかい」のルビになっていますが、前川氏のお持ちの版(2001.09.18 第1刷)では「こっきょう」とルビが振ってあるそうです。「讀者の指摘によつて最初の讀みを改めざるを得なかつたといふのが眞相のやうです」とのことです。編者はむしろ「コッキョウ」派だったのか……。
 また、「噂の眞相」(2002.10)には次のようにあると教えていただきました(2003.05.10 原典で確認)。
 「驚いたことに齋藤は、誰もが知っている『雪国』のこの有名な冒頭の一節に、こんなふうにルビをふっているのである。〔中略〕そう、この気鋭の教育学者、なんと「国境{くにざかい}」を「国境{こっきょう}」と間違えているのだ。〔中略。文芸評論家の談話として〕『声に出して読みたい日本語』のこうしたとんでもない間違いは、鎌倉在住の俳人や歌人が寄稿することで知られるかまくら春秋社の雑誌『星座』の匿名コラムでもすでに指摘されていて、齋藤自身も、最近の版では一茶〔の誤植〕や『雪国』の部分はこっそり直している。」
 前川氏は、「そんなに自信を持つて決めつけられるのかと違和感を持ちました」と言われます。僕も、「くにざかい」のほうをより好む人がいるのはうなずけますが、「コッキョウ」派を論難するほどの材料はないと思います。(2002.09.19)

追記3 「雪国」の一愛読家「N.I」さんからのご教示によれば、1961(昭和36)年3月23日にNHK教育テレビで放送された「日本の文学・川端康成」という番組のビデオが、越後湯沢の「雪国館」で流れていたということです。
 その番組はどうやら、ナレーターが「雪国」を朗読し、出演していた川端康成自身がその朗読の感想を述べるものだったようです。そのナレーターは「コッキョウの長いトンネルを……」と読んでいたそうです。川端康成は「コッキョウと朗読されたのを聞いており、それを認めていたのです」。どういう表情で聞いていたのか、僕もそのビデオを見たいと思いました。(2002.11.16)

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