筑前 福岡城



お城のデータ
所在地 福岡県福岡市中央区城内
遺 構 天守台、櫓門、櫓、石垣、土塁、曲輪、堀
形 式 平山城 築城者: 黒田長政 築城年代: 慶長6年


見 ど こ ろ

 福岡城は、九州一の規模を誇る城だ。 内郭部だけでも8万坪という広大な広さだ。

 実戦本意の武骨な感じのする城であるが、築城の名手であり豊臣秀吉の軍師であった黒田如水と猛将黒田長政父子が、城の縄張りには特に心血を注いだ城だけのことはある。

 この巨城には天守がなかった。 大天守・中天守・小天守と3つの天守が築かれていれば、さぞ壮観な眺めであっただろう。 今も残る穴蔵を持つ大天守台の規模からして、熊本城並の天守がここには建てられるだろうに。 しかし、如水は天守を築かせなかった、黒田家安泰のために。

 現在の福岡城には、北九州市に以前は移築されていた祈念櫓が築城時に建てられていた場所(本の丸)に戻されている。 また、南二の丸には多聞櫓、大手門(下の橋)脇に潮見櫓が移築されて残っている。 

 その他にも名島城の城門であった名島門、「黒田節」で有名な母里太兵衛友信の屋敷にあった長屋門も移築されて、城内に残っていた。

 福岡市内の黒田家菩提寺には、本の丸表門が寺の山門として、また仏殿として花見櫓と月見櫓が移築されている。

 私の独り言だが、菩提寺にあるよりは、城跡にある方が櫓も櫓門も喜ぶのではないか・・・。


歴     史

 慶長5年、関ヶ原の戦功により黒田如水・長政父子は筑前52万石に加増され、豊前中津より名島城に入城した。

 名島城は、立花鑑載が立花山城の支城として築城し、小早川隆景が城を大改修して居城としたが、水軍を意識した城した要害であった。

 しかし、名島城が堅固な城であっても筑前の中心として、城下を発展させるには後背地も乏しく、また城域も手狭であった。 このため、新城を築くことになった。

 慶長6年から7年の歳月を費やして、商人の町博多と那珂川を挟んで隣り合わせの地に築城したのが福岡城である。 侍の町「福岡」は、黒田氏縁の備前福岡にちなんで名付けられた。

 福岡城は、内城と外城とに別れ、内城だけでも8万坪の面積があり、城の規模としては、九州一の巨城である。

 しかも、この同時期に黒田父子は、本城福岡城の他に(元和の一国一城令で後に破却)、大隈(益増城)、鷹取城、左右良城、黒崎城、若松城、小石原城と6支城を整備している。

 黒田氏は、2代忠之のときに黒田騒動が起きるが、無事本領を安堵され、以後12代長知のとき明治を迎えるまで、福岡の地を動くことはなかった。


お城へのアクセス
鉄 道: JR鹿児島本線博多駅〜地下鉄大濠公園駅〜徒歩約5分
 車 : 九州道福岡IC〜都市高速道路1号線西公園IC〜市道
駐車場: 二の丸下、護国神社等の福岡城周辺の有料駐車場を利用。


ひとくち MEMO
九州最大の規模を誇ったお城。
  • 福岡城の城門・櫓移築先
    崇福寺 : 福岡県福岡市東区千代4丁目7(周辺道路は道幅が狭いので注意)

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