ショパン:ピアノソナタ第2番 作品35、第3番 作品58

Frederic Chopin : Piano Sonata Op.35, 58
 

ショパンはピアノソナタを3曲作りました。最初のものは10代に作曲したもので、ピアノ技法などに凝った点は見られるものの内容的には習作の域を出ないとされています。したがってショパンのソナタというと通常は2番と3番を示します。

ピアノソナタというと、モーツァルトやベートーベンの作品が有名で、演奏機会も多いと思います。実際、モーツァルトのソナタ「トルコ行進曲付き」や、ベートーベンのソナタ「月光」「熱情」などは、普段クラシックを聴かない人でも必ず耳にしたことがあるポピュラーな曲だと思いますし、僕自身もいくつか弾いたことがあります。なお「ソナタ Sonata」というのは、クラシックの楽曲の1種で、それぞれが一定の形式を備えた複数の楽章から成る器楽曲を示します。また、主題(メロディ)とそれに基づく展開部があり主題の再現を経て曲を締めくくる、という形式を特にソナタ形式と呼んでいます。多くの場合は、1楽章あたり2つの主題を持ちます。ソナタと呼ばれる楽曲は、通常第一楽章がソナタ形式となっていることが特徴としてあげられます。なお、「ソナタ」は独奏楽器の器楽曲に付けられる名称で、例えば複数楽章の大規模な管弦楽はソナタではなく「交響曲 Symphony」と呼ばれます。ちなみに、ソナタの漢字表記は「奏鳴曲」。明治時代の人の感性に拍手です。

さて、ショパンの場合ですが、上記のようなソナタの特徴を備えつつも、古典的ピアノソナタとは明らかに異質なものになっています。早い話がモーツァルトのソナタとは違うんです。各楽章は形式的には古典的な規範の範疇にあるのですが、随所に独創的なアイディアが盛り込まれて、多彩な要素が含まれているのです。
多楽章ソナタ形式のショパンの曲は、2つのピアノ協奏曲、ピアノ三重奏曲、3つのピアノソナタ、チェロソナタくらいしかないのですが、中でもにピアノソナタ第2番は、すでに完成していた「葬送行進曲」の前後に楽章を付け加えて4楽章の曲に作り上げるというイレギュラーな成立をしたこともあり、楽章間の関連がわかりにくくなっています。このようなことは、ショパンのピアノソナタの理解が難しくなる要因の一つと言えます。なおピアノソナタ第3番は円熟期の作品だけあって確固とした構成をもとに曲想を自由に飛翔させた名作になっています。

 

ピアノソナタ第2番 変ロ短調 Op.35

第三楽章に有名な「葬送行進曲」が入っています。某テレビゲームにより、世界でもっとも多く演奏されたクラシック曲の1つとなりました(笑)。先に述べたように、ソナタ第2番は葬送行進曲に合わせて前後の楽章が配置されたのですが、そのためか曲想は楽章単位でしっかりと完結しており、連携が散漫でつかみどころのない印象を与えます。このソナタの構成は当時かなり斬新だったと思うので、ほとんど理解されなかったのも無理はないと思います。ただし、新しもの好きのシューマンは例によって「こんなに性格の違う楽章をまとめてソナタと呼ぶなんて暴挙だ!(=全くの型破りで素晴らしすぎる)」とアイロニーを込めて絶賛しています。
さて、実際楽譜を見ながら曲を聴くとわかるのですが、この曲は楽章ごとが全然関係なさそうに見えるようで、楽章に共通する音型として常に短三度の動機が使われており、その点を意識して演奏されたときには不思議と繋がりが良くなってしまうのでした。またテーマとなるモチーフ(メロディ)が非常に印象的というかキャッチーで役割も明確なため、それぞれの楽章は構成感が掴みやすく、聴きやすい曲の部類に入ると思います。これがソナタ2番の人気が高いゆえんでもあるのですね。残る問題はフィナーレ(第四楽章)ですが、それはまた後ほど。

<第一楽章>
重苦しい序奏のあと、胸が締め付けられるような焦燥感を持つ素晴らしいメロディがagitatoで奏でられます。初っぱなからこの切なさ、この哀愁。まさにピアノの詩人のなせる技で、一気に聴衆の心を引きつけてしまいます。Des-Bの短三度の繰り返しによる旋律、これが第一主題で、通り雨のように過ぎ去るとすぐに第二主題が入ります。嵐のような第一主題とは対照的に、穏やかなメロディなのですが、第二主題に入る前の第一主題終止部における転調法がポイントです。ソナタ形式では第二主題は平行調になるのが普通ですが、このような繋ぎの部分におけるショパンの和声法は巧妙で、「さあ!第二主題は長調ですよ」といきなり調が変わるのではなく、経過音などを駆使してスルスルッと違う調に変わってしまいます。なお第二主題は盛り上がった後の和音連打を経ていったん終止します。この部分では逆にわかりやすく和音連打によって終止感を強調しています。
次にリピートを経て展開部に入ります。低音部でオクターブのパッセージとして展開される第一主題が中心となり第二主題も入り乱れつつ、複雑な転調をしながら進んでいきます。転調はわかりにくく、楽譜も臨時記号の嵐となります。この展開部は、ショパンにしては非常に即興的な感じで、あまり続けていると聴いている方も辛くなってしまうので、区切りのよいところで切り上げて再現部に入ります。この切り上げ方が絶妙で、再現部への連結部においても半音階を使いつつ長調へ転調していくという複雑さです。
さて、通常のソナタ形式において、再現部は提示部とほとんど同じ構成になるはずですが、ここでは第一主題を省略していきなり第二主題から入ってしまいます。実はこれこそがショパンのソナタ形式のお約束です。なぜ第一主題を省略するかというと、私の想像としては、すでに展開部で第一主題の材料を存分に扱った後ですし、哀愁溢れるメロディを再現部でも登場させることで過度に感傷的になるのを避けたのではないかと思います。このような再現部における主題の省略は、ショパンにおいてはソナタ以外の様々な曲で見られます。すなわち、この点がショパンの楽曲構成の大きな特徴となっているのです。結果として、再現部は第二主題を中心にしつつ、コーダの終盤で一瞬だけ低音で第一主題を回想し(これもショパンの得意技)、最後は豪快にロ長調の主和音を決めて締めくくります。 

<第二楽章>
堂々たる第一楽章のあとはゆっくりテンポの甘美な楽章・・・と思いきや、いきなり不協和音が連打され物々しい雰囲気で始まるスケルツォです。ソナタ楽曲におけるスケルツォ楽章はベートーヴェンが始祖で、シューベルトなどに受け継がれています。四楽章形式の場合、スケルツォ楽章は第三楽章に配置されることが多いのですが、ベートーヴェン自身も交響曲第9番では第二楽章にスケルツォを配置していますし、このあたりの構成は自由度が高いようです。さて、スケルツォは速い三拍子で、本来なら軽妙な曲調が基本ですが、ショパンのスケルツォはわずかの例外を除いて深刻なものばかりです。この楽章も例外ではありません。また、三部形式(A-B-A)で285小節におよぶ規模で、オクターブでの急速な動きや跳躍、4度和音の半音階進行など、演奏技術上の高度さも要求されます。例によって不穏な雰囲気のA部と夢想的なB部の対比が鮮やかで、再現するA部は短縮され最後に一瞬B部が回想されて終わります。全体の形式としては第三楽章と同じですが、聴いた人にもたらす感情は全く別物。つまり、この楽章は1楽章と3楽章を繋ぐ−しかも適度な独立感と緊張感を持って−という役割になるのではないかと思います。

<第三楽章>
葬送行進曲です。標題音楽を嫌ったショパンは単に「行進曲」としか書いていないのですが、この曲調は葬送以外には考えられません。しかし葬送と言っても対象が人でないのは明らかで、どうやら「他国に侵略された生まれ故国ポーランドの葬送」という意味合いに取った方が良さそうです。短三度が繰り返される低音部は、そのまま第一楽章のメロディに反映されています。ここにきてようやくわかるのですが、ソナタ2番は短三度の動機を共通点として各楽章が構成されているのです。このような最小単位での動機引用がされているため、「楽章間のつながりがなくバラバラ」という評を生んだのでしょう。形式としては三部形式で、重い行進曲の間に天国的なトリオが入った対比も鮮やかです。中間部の伴奏形が延々同じアルペジオで続くのはやや冗長なのですが、実はこれがショパンの数少ない欠点のひとつです。同時期に作られたと思われる「幻想即興曲」もそうですが、メロディの着想は天才的なのに伴奏形がワンパターンなのです。ショパン自身もこの欠点には気づいていたようで、ソナタ第2番以降は完璧な完成度の作品しか作られていません。

<第四楽章>
多くの人がソナタ第2番で理解に苦しむ楽章です。全編、左右の手がユニゾンで摩訶不思議な三連符を演奏します。一体何を表現してるのでしょう。ショパン自身は「行進曲のあとで右手と左手がユニゾンでおしゃべりをする」とだけ記しています。クーラックは「秋の風が新しい墓の上に枯葉をまき散らす」と記しています。このフィナーレの解釈は様々な論議を呼び、演奏者も知恵を絞らなければならないため、ソナタ第2番はショパンの作品の中でも演奏困難なものになってしまいました。
さらっと聴いただけでは音階の羅列にしか聞こえませんが、じっくり楽譜を追っていくと驚くべき事実が判明します。実はこの音列の中に主題断片が潜んでいるのです。すなわち短三度モチーフを半音階的に分解しているのです。第一楽章では悲嘆に暮れ、第二楽章では荒々しく感情を噴出させ、第三楽章で重苦しい行進曲が弾かれたあと、ずっと曲を支配していた短三度モチーフをばらばらに壊してしまう。まるでそれまでの出来事が浮き世の夢とばかりに消え去っていくように。このフィナーレは、インスピレーションだけに頼るのではなく、とことん考え抜いて作品を仕上げていたショパンならではの、たいへん巧妙な作曲技法を垣間見ることができるのです。

 

ピアノソナタ第3番 ロ短調 Op.58

第2番の5年後の作品です。楽曲の規模や完成度では第2番を上回るショパン円熟期の傑作です。全体に幻想性を漂わせつつもしっかりした構築美を見せる第一楽章、流麗で真に諧謔的な第二楽章、重厚かつロマンティックな第三楽章、劇的な盛り上がりを見せる第四楽章と、構成的に隙がありません。ただしこちらの方が第2番よりもわかりにくい、という意見もあります。第2番は各楽章ではシンプルなモチーフが主体で、展開部もわかりやすく、カッチリとした構成にまとめているため聴きやすい&わかりやすい印象を受けるのですが、第3番では使われるモチーフが非常に多い上に構成的な自由度が増しているので、つかみどころがない印象を受ける人も多いようです。さらに後期ショパンの特徴であるポリフォニックな書法や対位法的処理が存分に盛り込まれており、そこを意識して聴けるかどうかで面白さも違ってくるという、なかなか難しい作品でもあるのです。

<第一楽章>
この曲のわかりにくさ、とっつきにくさは主として第一楽章に起因します。ソナタ形式なのですが、主題提示のあとに長い推移(=つなぎ)が入ります。通常、推移はその直前の主題を元に展開していくのですが、この曲の場合は第一主題後の推移に第二主題の素材を登場させたり、推移に移行する際に転調したりと手が込んでいます。特に第二主題提示後に入る推移は非常に長く、要所要所のフレーズを明示的に表現しないと、つかみ所のない演奏になってしまいます。しかも登場するモチーフが多いので、いっそう散漫になりがちです(モチーフそのものはすべて主題を素材としています)。このような構成上の複雑さをこの曲の欠点と考える人もいるようです。しかし、この楽章から感じられる幻想的な雰囲気やスケールの大きさは、この構成に依るところが大きいと思われ、決して欠点ではないと考えています。ソナタ第2番の第一楽章ではシンプルなソナタ形式を見せてくれたショパンですが、さすがに同じ手は使いません。
さて、すべての装飾を取り払ってこの楽章の大きな骨格を見ていくと、序奏もなにもなく、いきなり決然とした第一主題が始まるのが最大の特徴というのがわかります。構成が複雑なので、最初の提示をはっきりさせているのです。つづく第二主題はあらゆる面で第一主題とは対照的で、拍子感を強調する第一主題に対してカンタービレなメロディで美しい横の流れを聴かせてくれます。その後、展開部に入ると逆にモチーフは少なくなります、ほとんど第一主題を基本に展開し、そこに第二主題が入ってきて、続いてポリフォニックに展開します。和声的には転調が多く複雑ですが、それによって非常にファンタジックで大きな広がりを感じさせる素晴らしい展開部になっています。そして第一主題の終止部を経由して、第二主題のみによる再現部となります。再現部は提示部とは異なる調で演奏されるので、若干印象が変わって聞こえます。「同じ事は繰り返さない」「再現するときは変化を持たせる」が円熟期のショパンなのです。

<第二楽章>
スケルツォ楽章ですが、ソナタ第2番やショパンの他のスケルツォのような不穏な空気は全くありません。実に軽妙流麗で、真に諧謔的です。また、第一楽章が内容盛りだくさんで演奏時間も長いので、こちらはシンプルな三部構成となっています。内容も単純で、流麗な8分音符が動き回るスケルツォ部と緩やかなトリオからなります。流麗できらびやかなピアニズムが印象的なスケルツォ部は、第一楽章第一主題の下降音型を転用したものです。一聴しただけでは関連性がわかりませんが、楽譜で比較すると一目瞭然です。また、変ホ長調のスケルツォとロ長調のトリオという調性が非常に大切です。ロ長調は第三楽章の調性であり、何よりこの曲全体の中心とも言える調性(ロ短調−ロ長調)です。したがって、トリオで登場させておくことによって楽章間の調性格を統一することができるのです。さらに、この楽章を変ホ長調トニカで終止することにより、第三楽章の始まりの嬰ニ音(=変ホ音)へと接続していくわけです。
余談ですが、ショパンはエンハーモニック(異名同音)が嫌いだったようです。調性に対するこだわりが強かったので、転調しても調号を変えることが少ないのです。例えば「英雄ポロネーズ」の左手のオクターブ・パッセージが有名なトリオでも、ホ長調→変ホ長調へ転調しているにもかかわらず調号はホ長調のまま#4つです。おかげで臨時記号(#、♭、ダブルシャープなど)だらけになって読譜に苦労します。しかしこの第三楽章ではエンハーモニックを利用しつつ、調号上でも変ホ長調−ロ長調−変ホ長調の転調を行っています。それはおそらく、トリオのロ長調を明確に示したかったためと思われます。

<第三楽章>
第二楽章の終止音から始まるのですが、上で述べたように、これは変ホ音のエンハーモニックである嬰ニ音で、調性としてはロ長調になります。したがって、聴衆は「変ホ長調かと思ったら違った!」というショックを受けます。ショパンはそれを強調するように3オクターブユニゾンによる短い序奏を付けていますが、微妙な転調を経由してすぐロ長調トニカに解決します。脅かしておいてから、調和の取れた安定感をもたらす・・・緊張と緩和の組み合わせですね。
さて、この楽章は形式的には三部形式(ABA)ですが、シンコペーションを強調する伴奏のA部から流れるようなB部への移行がとても美しいです。このB部は大変長いうえに禅問答のようなアルペジオが続く中を次々と転調しながら要所要所を小終止で締めるという流れになっています。幻想的な雰囲気が支配しますが、実は、中間部のアルペジオがやはり第一楽章第一主題の音型になっています。また、A部が再現する直前の和声の展開(93−98小節)にショパンの苦労のあとが見えます。再現部は短いのですが、伴奏形にアルペジオが加わりB部と折衷したような雰囲気がします。

<第四楽章>
典型的なロンド形式によるフィナーレです。序奏-ABABAB-コーダという単純な構成です。円熟期のショパンにしては珍しく力強いエネルギーに溢れた内容になっており、ここまでの長い道のりを総決算するような素晴らしい盛り上がりを見せます。
オクターブを連打しながらどんどん緊張を高める素晴らしい序奏は精神的高揚感をもたらし、これが最高潮に達するとお待ちかねのAメロに入ります。短調なのに悲しくなく、緊張感を持ちつつ決然とした力強さを感じさせるメロディはショパンの十八番で、彼の生んだメロディの中でも特に素晴らしいものでしょう。
B部は華やかなフレーズを重ねつつ、お得意の転調の嵐です。わずか2〜3小節で長調と短調が目まぐるしく入れ変わるのがすごいです。Bの後半にある右手の急速なフレーズによる展開はスケルツォ楽章と同じ、すなわち第一楽章モチーフの引用です。さらに半音階的に転調を重ねる印象的な終止型を挟んでA部が戻ってきます。
第四楽章は、Aが出てくる度に左手の伴奏の音数が増え、より華麗に、より豪華になっていくのが特徴です。1小節=約1秒間という速いテンポで演奏されますので、最後(3回目)には左手の伴奏だけで1小節に12個もの鍵盤が鳴らされることになります。こうなるともう聴いた感じは轟々と押し寄せる音の波になります。このアルペジオの上を朗々とメロディが唄われるかっこよさは筆舌に尽くしがたいのでぜひ聴いてみてください。
コーダはB部の発展形で始まり、オクターブで奏される力強い低音が推進力となります。さらに英雄ポロネーズにも出たような左手のファンファーレを右手の半音階を交えたピアニスティックなフレーズで修飾して、最後にロ長調の主和音を豪快に連打して終幕となります。
第四楽章の構成の単純さを見て、この楽章はあまり重要ではないと評価する人もいたようですが、第一楽章などの複雑さを考慮するとフィナーレは単純明快に押し切った方が後味がよくなるのは明白です。また、単純な構成とは裏腹に、微妙な和声や転調が巧みに使われている点も見逃すことはできません。

 

以上、ショパンの残した2曲のピアノソナタを概観してきました。
歴史の流れを俯瞰すると、この2曲が後世に与えた影響は非常に大きく、その後も様々な作曲家がショパンの用いた変ロ短調あるいはロ短調でピアノソナタを作曲しました。その中でも、リストのピアノソナタ(ロ短調)、ラフマニノフのピアノソナタ第2番(変ロ短調)は、重要な作品と言えるでしょう。変わったところでは、グラズノフのピアノソナタ第1番(変ロ短調)などがあります。また、スクリアビンのソナタ第1番へ短調は第三楽章が「葬送行進曲」で、バスの音型がショパンのそれと酷似しており、ショパンの影響を強く受けていたスクリアビンらしい曲と言えます。


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