ショパン:エチュード 作品10、作品25

Frederic Chopin : Etude Op.10 Op.25
 

「別れの曲」といえばショパンの代名詞とも言える有名な曲ですが、それがショパンエチュードの中の1曲だということを知っている人は意外に少ないのではないでしょうか。

エチュード(Etude)とは練習曲のことで、楽器演奏の技術を身に付けたり、それを高めることを目的としています。ピアノの練習曲では、モーツァルトと同時代に生まれたムチオ・クレメンティや、ベートーベンの愛弟子だったカール・ツェルニーが作った練習曲集が大変有名で、現在もレッスンで使用されているものが数多くあります。しかし、これらの練習曲はその名のとおり練習のための音楽ですから、同じ音型が延々続いたりすることが多く、音楽的には面白味のないものになりがちです。また、少なくともその演奏を第三者に聴かせることはなかったのです。

ところが、ショパンの練習曲には彼らのものとは決定的に違う新しさがありました。それは良く言われることですが、単に技術習得を目的としているだけでなく、高い芸術性を備えていたのです。なぜそのような芸術性が生まれたのか、理由はとても簡単で、おそらくショパン自身が芸術作品しか作りたくなかったからと推測します。ポーランドを離れて外国でピアニスト兼作曲家として生活していくために、まず自分の演奏技術を向上させなければならないという差し迫った問題があったショパンは自分のために練習曲を作り始めるわけですが、たとえ自分のためのものでも芸術性を忘れないのがショパンなのです。ショパンには美意識の権化とも思える逸話がけっこうあり、芸術に関しては他人にも自分にもたいへん厳しい人だったので、そこは譲れない一線だったのでしょう。さらに、単に演奏技術習得という目的をクリアするだけでなく、どうせなら先人が作ったものとは全く違う練習曲集へ発展させようという野望を抱いたのです。その野望とはおそらく以下のようなものであったと推測されます。

  1. 演奏技術習得を目的とするだけでなく、芸術的で演奏効果に富んだ曲から構成されること。
  2. ひとつの曲は技術的にシンプルな要素を元にし、3部構成で短い演奏時間(2〜3分程度)にまとめること。
  3. 連続演奏したときの流れやつながりも考慮して、意義深いものとなっていること。
  4. バッハの「平均率集」のようにすべての調性をまんべんなく利用すること。(ショパンはバッハの平均率集が大好きだった)

これらの野望をもとにまず12曲の練習曲がOp.10としてまとめられ、次いでさらに12曲がOp.25としてまとめられます。いずれも野望のうち1〜3は見事にクリアされているのですが、4についてはOp.10の途中で挫折したようです。しかし調性を工夫することで連続演奏時の流れを作ろうとした意図が見え、ショパンの調性に対するこだわりようが見て取れます。なお、ショパンが24個のすべての調を利用した曲集を完成させるのは後年の「前奏曲集」までおあずけとなりました。

さて、ショパンエチュードの新しい点は上記のようなコンセプト面だけでなく、ピアノの演奏技術という点においてもそれまでとは全く違う提案をしていることが特徴となっています。ショパン以前のピアノ奏法は指の動きを重視していたため、練習曲も主として指の筋肉の鍛錬を目的としています。しかしショパンは指だけでなく、むしろ手首やひじの柔軟性を重視しました。ショパン自身が身体的に恵まれず、手も小さかった(平均的な日本人サイズと変わらない)こともあり、力に頼った演奏ができなかったのです。したがって、この練習曲集では手首の関節を柔らかく使うことで幅広い音域を無理なくつかむこと、腕力に頼らず豊かな響きを得ること、の2点が重視されているのです。このような新らしさがあったため、出版当時は批判も多かったようです。しかし、ショパンのよき友人であったシューマンやリストはこのエチュード集を絶賛しました。クララ・シューマン(シューマンの奥さんで、当時の大ピアニスト)は演奏会でよく取り上げたそうですし、ピアノ教師としても一流だったリストは弟子たちに必ずショパンエチュードを教えたということです。

なお、Op.10のエチュード集はリストに、Op.25のエチュード集はマリー・ダグー夫人(リストの恋人)に献呈されています。つまり、このエチュード集はリスト夫妻に捧げられているのです。フランスに出てきたばかりの右も左もわからないショパンを支え、社交界に押し上げてくれた2人に対する感謝の気持ちが見えますね。もちろん、二人は大喜びしたそうで、リストに至ってはショパンの前で演奏したりもしたそうです。その演奏を聴いたショパンいわく『僕もリストのように自分のエチュードを弾いてみたいものだ』。いかにリストがこの練習曲集を鮮やかに弾いていたのか、この台詞からも想像できます。

曲の傾向として、Op.10は外面的な演奏効果を狙った曲が多く、それが技術習得の目的とうまく結びついていると思います。「別れの曲」「黒鍵」「革命」等の有名曲が含まれていて、要するに聴きばえのする曲が多いわけ。Op.25はOp.10と比較すると派手さは抑えられショパンらしいの内向的な面が見える曲集になっています。やはり「エオリアン・ハープ」や「大洋」などの愛称の付いている曲がありますが、こちらの方が芸術性という点では一段高くなっているように思います。

<注>

※ショパンの生涯についてはここでは割愛します。ただし知ってると知らないでは大違いなので、ぜひ調べてみてください。インターネットにはショパン関連のサイトが山のようにあります。
※"Op."というのは"Opus"の略で「作品」を示します。こういう周辺知識や楽典関係もインターネットには山のように情報がある・・・と思いきや意外に少ないようなので、初心者には難しいと思われる用語は都度解説します。

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