ナートさんからのメッセージ

カンパナート ブアホンブラさん
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親愛なるあなたへ

夢を織る家
カンパナート ブアホンブラ


 夢を織る家は、「愛は地球を支える」という信念に基づいて生まれました。この計一画を立ち上げるに当たり、私はいつもどんな人にも機会を与えることが最も重要で大事であるという思いを持っています。行商して物乞いをしたり、様々な形の仕事をしたり、いろんな形でひどい扱いを受けた貧しい子どもたちをたくさん見てきました。この体験が私自身のことと、私が思い出したくない、又その頃に戻りたくない過去に再び目を向けさせたのです。私の思いと夢は純粋に子どもたちについて勉強することを小さな頃から導いてくれました。これはまた、国内外の子どもたちと関わる私の仕事の経験を増やしてくれました。

 おおよそ、今までに2527人の友人と私は、Bangkapiの中心となる島にある混雑したコミュニティーの中に、貧しい子供たちのためのハウスを開きました。それはBangkapi地方のKlong-Chan国営避難所の向かい側にありました。そのハウスは、子どもたちの家庭として、学校として、そして子どもたちの集う場として使われました。ここでの仕事の雰囲気は、それとなく仕事の出来映えと一致していました。コミュニティとの間、そして国営保育所との間を、コミュニティが出してくれたボートに乗って行き来していたことが今でも印象に残っています。子どもたちの問題は、環境問題と深く繋がっている事を理解して、より重要な問題としてみなに深く考えてもらいたいです。そこの子どもたちは、まだどのように彼らの生活を送り、どのように人生の進む方向を知ろうとしてもがいています。2年間のそこでの生活から私は次のように結論づけました。「場の雰囲気と環境は、子どもたちの成長する全ての側面において大きな影響をもつのだ」と。

 「人生山あり谷あり」の哲学は、私を真剣に勉強し続けようと勇気づけてくれました。また、コミュニティによって居住されている昔からの土地を、街や市の状況に適応できるように開発させられる新しい規制が、バンコクの政府によって交付させられたため、私は自分自身の旅を森林地域に求めることにしました。そこで自然の中に本当に浸ったときの自然な心地や環境というものに対する、大きな数え切れない気づきを得る」とができました。だから私は仕事の拠点地を移ることにしたのです。Ksnchanaburi州のSangkhlaburiで新しく日課を始めました。そこで家を借り、2年間を考え事に費やしました。また役所と政治的な事柄で戦い、政府組織とも戦い、自分の持っていた自信との戦いでもありました。その時私は自分自身の家族の中で大きな問題を抱えていました。たくさんの兄弟達の中で自分が末っ子だったことです(訳注:ナートさんは2才の時に母親を亡くしています)。これは私の人生を大きく変えています。

 そこで私は同じモットーを持っている友人に仕事を譲りました。政治的な危険から逃れ、私の生まれた町に、親愛なる父に会うために戻ったのです。父には非常に深い感謝の念を抱いています。彼は私にとって全てでした。私のする全てのことにいつも注意を向けてくれていました。いつでも私に質問を投げかけ、物事を見せてくれていました。(帰ってきたとき)彼は、私にとても大きな注意を払って、次のように言ってくれました。『もし、それが自然になされたのでなければ、幸福になることはできないだろう。もし、君が夢や希望を頭の中に持っていて、それを再び始める準備があるのならば、まだ遅すぎると言うことはないよ。」私が感謝の念を込めたお礼を言うと、彼の目から涙がこぼれ落ちたのです。喜びに浸りながら、平和の内に父はなくなりました。この出来事が、私を子どもたちの声の最高のものと共に、そして自分自身を与えることのできる人として深く印象づけられて戻ってこさせたのです。

夢を織る家の建物の一つ

 新しい2度目の生活は山々と自然の真最中から始まりました。借家ではなく新しい土地からです。30rai(アール?)以上もの土地が「夢を織る家(banthorphon)」となりました。この土地は、タイの地方電気局によってKhaoKaemダムの建設によって避難してきた村の人達のために分配されたものです。この土地の前代所有者が町の人に売ったものを私が買い受けたのです。昔は肥沃な森林地帯でした。今では広く不毛の地となって、耕されていない高原となっています。この土地の一部でも発展されていったら、砂漠の中のオアシスのようになるでしょう。今では小さな森林になりつつあり、小川が1年を通して流れています。

 建物もなく、何もない土地から始まりました。(バントーファンの雰囲気、建物等に関する記述は省略)
 心と体の治療が、子どもたちの体調を最高にしてくれます。「苦難の始まりは心に触れないままでいたり、もし何かに触れる事以上の強い連帯感を生み出し、共感を創り出しますが、それでも苦難からは適切な方法で成長できないのだ。」と私は結論づけました。

 夢を織る家は90人以上の子どもたちを受け入れてきました。現在男女を問わず23人が保証の内にあります。一番小さい子が2才と4ヶ月で、最高が15才です。同じ屋根の下に全ての子どもが住むわけですから、男の子も女の子も同じ約東と責任をもっています。誰もが私達は家族だといいます。それは昔から現在に至るまでいつでも困難なことでした。

 ここは社会からはじき出された子どもたちにとって、学校であると同様に、家でもあります。ここから始まるのですが、彼らはたくさんの、いろんな方法で他の人から好かれることで癒されます。性的な虐待を受けた子どもたちの治療は少し違った方向からです。楽しそうに話すことで、緊張の糸をほぐしていくのです。

 水は、冷たくて楽しくさせてくれる道具です。その効果は明確に見ることはできないかもしれませんが、私達は子どもたちを癒すために水の力を借ります。子どもたちが水の中で遊ぶときに楽しそうに笑ったり、自分たちの感情を表現することが、彼らがそれらから恩恵を受けていることを証明してくれます。誰も信用できなくなったり、人と離れて一人で居たがったり、誰とも関わりたがらないような深刻な病気の時には、私達は自然の中を散歩する方法を取ります。

 森の中を歩くことによって、心の中の平安を取り戻します。私達が癒す中心ではなく、ゆっくりした時間と平穏が癒してくれるのです。最後には彼らは子どもたちの輪に入り、一緒に何かするアクティビティーを探したりしますが、時には森の中に行くのです。彼等が自分達の輪を自分のできる形で探そうとします。

 何度も私は子ども達が歩いている所から彼らの自由を見ることができ、何らかの遊びや仕事をしている時の笑顔から、彼らの精神的な悩みを和らげていることを知るにつけて喜ばされました。だから私は、これから連れてくる子どもたちに、本心から自分達は未来にもっと幸せな生活を送ることができるんだよ、と語りかげることができるのです。

 教育は、彼らの生活の中で最高のものと考えられます。私たちの最も重要な義務もまた、「夢を織る家」の子どもたちと、親と共に暮らしてはいるけれど、貧しい子どもたち共に教育において成功するよう導くことです。ここでの教育は広く開かれていて、子供たちは家の中で学ぶこともできるし、どんな学校でも学びに行くことを選ぶこともできます。

子どもたちとナートさん

「夢を織る家」の活動における3つの使命

1.公的、私的を問わず、様々な施設からの要望に応じて、私たちの施設に入ることに同意した子どもたちを受け入れ、たくさんの方法で一緒に活動します。また彼らが自分自身で人生の道を選択する準備ができるまでの世話を行ないます。この場合子供たちが家族とうまくやっていけるまで、彼らの家族と良いつながりを持とうと調整していきます。

2.地域内での特権を受けたグループと、教育の必要を満たすサポート役として働きます。またそこでは同時に、子供たちに対して、継続して客観的に全ての側面に対するカウンセラー役を務めています。そこでの子供たちに対しても「夢を織る家」の子たちと同様な形で接しています。家族とは生活を送る上で一番大切なべ一スとなるものです。だから文字通りの「貧しい」といった理由だけで子供たちが「夢を織る家」に来るとは限りません。

3、若者や村人の集まりの中で彼らの代表と会い、コミュニティーの中で強固な基盤を築き上げようとしています。また特別な知識を持ち、私たちのグループの子供たちのために働いてくれるような個人やグループを探しています。私はまた、村人たちの活動にいつも主体的に関わっているので、子供たちもその輪の中に入っていくことができ、結果的にリーダーシップを発揮する文化を創りだすことに寄与します。またこれは、若者たちが自分たちの自由な時間を有意義に、お互いに助け合うため使うことになり、麻薬などに手を染めることからも防ぎます。

 私たちは、5グループの5つのプロジェクトに対して参加し、その結果村人たちは公衆にむかって話せる場所を開くことができたのです。これは、コミュニティの中の問題を解決するために、彼らの知識と頭脳を使うように促す結果となりました。それぞれの専門の仕事をを従順にみんなの仕事の中につなぎ合わせることができるようになったのです。また仕事の内容が見えるようになり、村民たちは彼らのコミュニティのメンバーが行なう仕事がどのよ一うに行なわれているか分かるようになり、その時点で必要な仕事をどのように計画するか知ることができるようになりました。4つの試験的なプランが立ち上がりつつあり、それらはずっと続けられることでしょう。

 過去が記録され、結果として国の未来像が浮かび上がります。もし、これが繋がっているならば、それはとても良い事でしょう。私は過去の仕事のことについて答える用意ができています。また私は、子供たちがこれらの出来事によって幸せに、健康に育って欲しいと、またそれが彼らにとって世界に直面して、「社会のゴミだ」などといったような当てこすりの言葉に耐えることの無いように準備を整える道となっていることを望んでいます.。