旧岩崎邸庭園と湯島天神
2011年11月4日、鎌倉プロバスクラブは正午に上野文化会館に集合し、不忍の池、旧岩崎邸、湯島天神を散策後、池之端の料亭「伊豆栄」で午后4:00
か
ら懇親会を開いた。
不忍の池の弁財天越しに新テレビ塔が見えた。
不忍の池を渡れば
旧岩崎邸庭園である。
旧岩崎邸庭園は上野は不忍の池の西にある。江戸期には越後高田藩・榊原氏(さかきばらし)、明治期は旧舞鶴藩・牧野氏の屋
敷であった15,000坪の土地を岩崎弥太郎が買い取って質素な自宅を建てた。岩崎家三代目久弥の代になり、接客の場としてジョ
サイア・コンドルに洋館の設計を発注した。建物は木造で17世紀のジャコビアン(ジェームス1世の意味)様式である。内外の凝った彫刻を施してある。
久弥の次女で外交官澤田に嫁いだ美喜はここで育ったが、ここから富士山も房総半島も見えたと書き残している。美喜はエリザベス・サンダー・ホームを大磯で
経営するが、三菱各社にとっては彼女からの奉加帳が頭痛の種だったと三菱自動車の役員だったKはいう。弥太郎が考案した岩崎家の家紋は「重ね三階菱」だ
が、主君山之内家の家紋「丸に土佐柏」の柏を、菱に置き換えたのだという。
ジョ
サイア・コンドルは2代目当主岩崎弥之助の要請で品川御殿山に洋館を設計している。。もともとは伊藤博文の邸宅地を購入して別邸としたもので現在は「関東閣」とよばれ、三
菱グループの迎賓館として使われており、非公開である。
明治期の新興財閥である三菱グループは戦後の財閥解体まで岩崎家によってしっかりと管理されていたのに比し、300年の歴史を持つ三井、住友はすでに番頭
経営に移行していた歴史がある。ここに戦後の各グループの性格が表れている。
洋館正面
洋館に隣接して家族が住む書院造りの総面積550坪の和館が建てられていた。大河喜重郎が棟梁を務め、橋本雅邦の障壁画が残っている。
戦後国有財産となり、GHQ、最高裁判所司法研修所となったが、英国のように文化財が保護されることはなく、和館は一棟を残して撤去され、跡地には湯島地
方合同庁舎の醜悪な建物が建てられた。
唯一残された和館一棟
洋館の南面、庭に面したところにはイオニア形式の列柱がならぶ。また15,000坪の庭には東京地方裁判所宿舎、最高裁判所宿舎、湯島郵便局、湯島ハイタ
ウンなどが建設され、貴重
な緑地が失われた。
庭園
洋館と地下通路で連結されたスイスの山小屋風の撞球室も残されている。

撞球室
湯島天神はすぐそばであるが、わざわざ森鴎外の雁にでてくる無縁坂から東大病院周辺の坂を上り、大回りして湯島天神に参拝。そこから坂を下り不忍池湖畔の伊豆栄に向かった。伊豆栄では豪
華なうな重を平らげ、散会。本日の提案者の元岩崎家の用人K氏の案内で夜のアメ横を散策。

湯島天神
November 5, 2011
Rev. January 15, 2017