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742

パラサイト・ナショナリズム

2003/08/16

「自分の国に誇りを感ずる」日本人は54%しかおらず、調査した74国中71位で、66%が「国民皆が安心して暮せるよう国はもっと責任をもつべきだ」と考えている。

かかる人々が安易に国家に依存する風潮を評論家宮崎哲弥がパラサイト・ナショナリズムと呼ぶことを2003/8/13の朝日新聞の「ナショナリズムを問い直す」というコラムで提唱。彼によると政治学者故藤田省三は1980年代に「安楽への全体主義」としてパラサイト・ナショナリズムを見通していたという。

ケネディー大統領の「国が諸君に何ができるかを問うな。諸君が国に何ができるかを問え」という近代ナショナリズムの高邁な理想とは大きな差がある。

ケネディーの言葉を実践するとは例えばバーナード・ショーの「悪魔の弟子」が言わんとするととだろう。「悪魔の弟子」ではある男が別の反逆者に間違われるのだが、一言の抗弁もせずに捕らまる。処刑される運命とは知りながら従容と連行される話である。男が身代わりになったのは「仁とか義とか、そういうものとは違う別の或るものなのだ」と森鴎外は評釈していると藤田は紹介し、今日本で失われたのは「これだな!」と思ったという。

この「或るもの」の存在を鮮烈に実感させる事件を宮崎哲弥は紹介している。フツ族とツチ族の部族対立がジェノサイドに発展したルワンダで実際に起きた事件である。事態がようやく収拾に向かい始めた1997年、ジェノサイド実行者の残党が寄宿舎を襲い、十代の女子学生17人を捕らえた。襲撃犯が少女達にツチ族とフツ族に分かれるように命じたところ、彼女らは「自分達はただルワンダ人である」とこばんだ。そして無差別に射殺された。

宮崎哲弥は特攻隊員は死後の顕彰を期待して死んだとは思えず、その死がただの犬死にだということを知った上で出撃したのは、この「或るもの」によるのではないかと言っている。


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