読書録

シリアル番号 955

書名

トランス・サイエンスの時代 科学技術と社会をつなぐ

著者

小林傅司

出版社

NTT出版

ジャンル

社会学

発行日

2007/6/27第1刷

購入日

2008/05/28

評価

新橋駅前の青空古書店で購入。

著者は東大の大学院理学系博士課程を単位取得後退学した理系である。

帯に「<専門家にお任せ>から<社会との対話へ>科学技術が答えられない問題にどう取り組むか。市民との協働の可能性を探る」とある。

原発のコストのメリットは明快であるが、リスクのような確率に関ることをどう社会に説明するかヒントがないかと思って買う。

イギリスのブライアン・ウィンの「欠如モデル」は示唆に富む。伝統的な科学技術コミュニケーションでは対象となる一般市民を「正確な科学技術の欠如した状 態」にあるものと捉え、彼らに知識を注入することを目的とみなす発想である。しかしいくらこの啓蒙普及活動しても人々の不安は解消されない。

なぜなら人々は無知なのではない。学んで得することはないから知ろうとしないだけである。また特定の科学者の発言が信頼できるかは彼がどこから生計のため の報酬を受け取っているかを知らなければ信頼できるかどうか判断できないのだ。専門家ですら社会的分業の特定の狭い分野に住んでいるため、担当以外の分野 にかんする科学知識を持ったとしても何の得にもならないから知ろうとしない。

かって強大な軍事力をどうコントロールするかという問題が発生したとき、文民統制(シビリアン・コントロール)が唯一の解決法ということになった。日本で は自衛隊内部の武官よりの文官上位と誤解されているが、全くの間違いで、文民統制とは本来市民が軍をコントロールするという意味だが、便法として市民に選 ばれた政治家のトップである総理大臣に権限があるというのが正しい解釈である。

原子力のような巨大科学技術にも文民統制が必要であろう。ところが日本では高校の早い段階で文系と理系に区別して教育がなされるため、C.P.スノーが 1959年に指摘し、英国の欠点とされる理系文化と文系文化の「二つの文化」の分断状態に陥ってただしい統制が困難になっている。両者の双方向のコミュニ ケーションができてはじめてシビリアン・コントロールが可能となるのである。日本の古い世代は絶望的状態である。「アルゴン42を普及させ、原発事故にそなえる市民防衛隊を 育成する構想」の会で大鷹元チェコ・オランダ大使が日本に原発は必須であるとつぶやく姿をみて大いなる危機感をもったことが思い出される。

リチャード・ドーキンスが「神は妄想である 宗教との決別」で 述べているように「進化論的に考察すると人間以外の生物は生きる術をすべて遺伝子の形で親から受け継ぐ。しかし人間はかなりのものを生まれてから親から教 わる。従順に親のいいつけを守る子が自然淘汰で生き残ったため、子供の頃は親からおそわることを無批判に学ぶ性向を我々は持っている。実際、親が教えるも ののほとんどは有益だが中には無意味で時に有害なものがある。権威に弱い思考形態もその一つだ」。しかし権威が自分の利己的判断で行動したらどうだろう。 悲惨な状態が待ち受けるのである。

文民統制(シビリアン・コントロール)が唯一の解決法ということであろう。市民のなかでも若いジェネレーションはエネルギー投入型の生産至上主義的生活様 式に対する反省、物質至上主義的豊かさの追求にたいする見直しは確実に進行している。こうして 市民と指導層の双方向コミュニケーションが事態を解決させる可能性がでてきたのである。とはいえ権限の再分配なき参加は空虚である。


私はしかし日本の現状は本著の指摘のようにコミュニケーションのみで文系・理系の壁をのりこえられるとは感じていない。そして英国のように衰退する だろうと考えている。なぜなら、日本の文系教育は理系の学 科が欠落している ため、頭の中に理系的な回路ができていない。したがって理系の内容を含む話を聞いても、報告書を読んでも自分なりに納得できる具体的イメージを持てない。 もったとしても文面通り理解することしかできない。大学入試の偏差値は文系教育に特化した偏った脳回路を評価しているだけなのでその基準自体がすでに偏向 だ。卒 業後、実世界に入ってエスカレータをあがって、権力の座に座ったとき、上がってくる文章が文法的におかしくなく、合法ならば納得となってしまうところに 問題がある。したがって官僚や会社経営者になっても間違った判断をして国民に迷惑をかける例にいとまがない。

明治革命で伊藤博文が東大法学部を作り、不平等条約を是正するために東大法学部出を官僚に登用したところまではよかったのだが一旦、既得権となってしまう とこのポジションは文系エリートが手放しさないで今日に至っている。

経産省なんて戦後、産業振興のために作られた部署だが最近はだめな大企業救済に汲々として新規産業がでてこないように邪魔ばかりしている。農業を壊滅させ た農水省と同じく不要な国家組織になりはてている。

官僚だけならまだしも、民間も大企業となると経営者がほとんど文系となって、大企業はおかしくなっている。まだトヨタは創業家が頑張っているが、時間の三 代目は文系で、そのうちにだめになると予想される。自動車産業といえばドイツのFWが醜態を見せた。経営者が文系かどうかは調べてないが、ドイツも日本も 第二 次大戦を引き起こした国で、権威主義的社会だからというのがフランスの識者マイケル・トッドの見方である。

というわけで結論として少なくとも官 僚、経営者のポジションは文系の専用席にすることは避けなければならないということになる。

Rev. January 4, 2016


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