読書録

シリアル番号 923

書名

近代日本の社会科学 丸山眞男と宇野弘蔵の射程

著者

アンドリュー・E・バーシェイ

出版社

NTT出版株式会社

ジャンル

社会学

発行日

2007/3/20第1刷

購入日

2008/1/9

評価

T氏推奨の海野弘の分厚い本「二十世紀」を読んでいると、ジャーナリスティックに軽く流すその見方に次第に飽きがきていた。ちょうど手元にあった学士会会報2007-VI No.867をめくっていると九州大名誉教授の福留久大(ひさお)の「宇野と丸山の社会科学ーバーシェイの日本解読ー」という一文が目に入った。丸山はなじみのある名だが宇野とは何ものかと興味を持って読み始めた。戦後のマルクス経済学で宇野学派を率いた宇野弘蔵という学者だとわかった。

著者は現在のカルフォルニア大バークレー校教授で日本研究の専門家である。

日本解読に当たって彼が重視するのが「発展的疎外」(developmental alienation)概念を通して普遍・対・特殊の関係を見る視点だという。ドイツ・ロシア・日本は、環大西洋世界に対し、独立は維持しえても「後進の」「遅れた」帝国であった。疎外が発展的であるのは、環大西洋世界が彼らにとって「脅威」であり、「物質的相違や欠如」を絶えず想起させられるから。

この視点で、明治期の新伝統主義的契機、大正期の自由主義的契機、近年の文化主義的契機を見る。後進性の意識の下で明治日本は、発展の障害になる封建的「伝統」を排除して、社会統合に役立つ「伝統」を選択し創造する。それが「家族国家」観や「国民共同体・国体」イデオロギーを核とする新伝統主義的契機である。

時空を一飛びして、高度成長によって農業が縮減し後進性意識が希薄化した日本に移ると、後進性意識がナルシズムへ反転して、江戸時代に経済成長の原因を探り、日本の「土着」文化の再評価を試みるなど文化主義ないし新日本主義的見方が生まれてくる。

と紹介されると、藤沢の有隣堂に出向いて買わざるをえない。 大学の教養部で社会学を学んだ関係で過去に26冊の社会学関連の本を読んでいるので、おのずと興味がわく。学術書であるので4,200円と高価であった。

宇野弘蔵の弟子である馬場宏二が「会社主義」という概念を持ち出してアメリカ資本主義を議論した内容が紹介されていて考えさせられた。馬場宏二の「会社主義」は命令にもとづく労働である「ネオ・フォーディズム」、交渉にもとづく労働である「ボルボイズム」の対応物であるインセンティブによる労働の「トヨティズム」である。アメリカは資本主義がもたらす不幸な運命を背負っているとし、アメリカは寄生経済以外のなにものでもなくなり、投機家によって支配され、サービス業労働者という「ルンペン」人口が蔓延する社会に向かっていると予言している。会社主義は解決策ではないがこの弊害の解毒剤にはなりうると。

やはり宇野弘蔵の弟子である玉野井芳郎の地方分権論も魅力的だ。

この本は福沢諭吉、徳富蘇峰、柳田國男、二葉亭四迷、島崎藤村、田山花袋、和辻哲郎、中山一郎、長谷川如是閑、左右田、蝋山政道、美濃部、賀川豊彦、山田盛太郎、矢内原忠雄、内村鑑三、大河内一男、中山伊知郎、大塚久雄、川島武宣、大内力、三木清、有沢広巳、都留重人、宮本憲一、内田義彦、平田清明、山田鋭夫らにも言及している。

徳富蘇峰については1987年までは「サムライ的価値観は何の役にもたたず、旧武士は歴史の作り手たることを要求する権利を持たない。日本の平民こそその栄誉を引きうけることができる」と自由民権運動の思想的支柱となったスペンサー的議論をしていたと紹介されている。しかしその後の蘇峰については言及がない。なぜなら蘇峰は1894年以降、急激に右傾化し、朝鮮出兵を高唱し、大日本膨張論を刊行し、これが同じ人かと思うような180度の転回をして単なるアジテーターとなったからであろうか?老齢のため戦犯にはならなかった。

丸山眞男に関しては「革命化」、「天皇制」、「タコツボ」化、「処女性」についての言語録参照。

Rev. January 18, 2009


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