■セブンアイ
 
「夢の叶え方」


 明日12日、25歳の若者が成田から、あのブイヤベース発祥の街に向けて飛び立つ。
 フランスの港町・マルセイユへ1年半の移籍を決めた中田浩二にとって、サッカー日本代表前監督のトルシエ氏が指揮を執るフランスの名門クラブは未知ではない。テストを受けに行った日、2002年W杯で同監督のもとスタッフを務めたサミア・フィジカルコーチ、通訳、コーディネートなどサポートした茂木さん、皆がホテルで出迎えてくれた。

 同じ世代の選手たちが続々と海外へのチャレンジをするなか、もどかしい思いもあったはずだ。しかし、自分を信じて、粘り強く、夢を温めてきた。まず本人の努力。
 次に、FIFA(国際サッカー連盟)の公式代理人の存在を書きたいと思う。39歳の田辺伸明氏は、公式代理人として、中田浩二、稲本潤一(カーディフ)らを海外に送り、代表の守備の要・中澤佑二(横浜FM)と多くの選手の契約交渉、移籍を扱っている。
 もとは、サッカーを毎日の仕事にできるならば、と大企業の内定を断り、中規模の代理店に入り、そこで北澤 豪(現在解説者)と出会った。当時、ホンダからヴェルディ川崎に移籍を決断した北澤と、世田谷区内の不動産を一緒に回り、そのプロ意識と付き合ううちに、選手のために、移籍や契約といった複雑な案件や将来設計を手伝いたい、そう思ったという。

 さて、中田浩二が夢のまだ3分の1ほどの時点で、マルセイユのテストを受けていたのは、日本時間で真夜中から朝方。田辺氏は日本の自宅リビングでソファーに座ったまま、全く眠ることができなかった、と笑う。

「中田がずっと思い続けてきた日がついに来たと思ったら、こっちも緊張して高揚してしまって。現地から通訳の方が逐次携帯で入れてくれる、『今、アップ始まりました』『5対5になって中田君も入っています』『練習が終わります』といった情報に一喜一憂して、終わるころには朝。もうヘトヘトでした」

 練習を終えた中田は興奮しながら、「オレ、ここでやれるよ、やりたい、頼む!」と言って電話を切ってしまったそうだが。

 そこから明日12日まで、鹿島との交渉は簡単ではなかっただろう。諦めかけたかもしれない。しかし、夢をどうやって叶えるか、そのヒントはここにある。一人では何もできない。まずは、皆で同じ様に祈り、全力を尽くす。9日、日本代表がロスタイムで逆転した試合も、この力があったから。

(東京中日スポーツ・2005.2.11より再録)

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