懐古趣味音源ガイド    其六拾四

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CAROL
1807-2
1975

Timewind/Klaus Schulze

リヒャルト・ヴァーグナー(Richard Wagner;1813-1883)に奉げられた五作目にして最高作(と思う)。「Bayreuth return(バイロイト・リターン)」に「Wahnfried 1883(ヴァンフリート 1883)」の全二曲。バイロイトは毎年、最近は日本人が大挙して押しかけるバイロイト音楽祭が催される南ドイツ、ヴァーグナーが祝祭劇場を建てた小都市。ヴァンフリートはヴァーグナー邸の名称でババリア王ルートヴィヒ二世の後援で建設されたロココ建築。

当時、『Black dance』の次に出たのがこの『Timewind』だったと思う。一聴して、その冷酷なまでの硬質さと完璧な音の奔流に絶句した。その日から、冷たい床に身体を投げ出して照明の消えた部屋にアンプのVUメータだけがうろうろと動く夜の世界に耽溺した。窓から差し込む月明かりの角度が精確に移動しながら夜の白さをかたちづくり、見慣れた部屋が一瞬の間に冷たい鉛色の荒野と化して、重い振動と冷たく乾いた鋼の風が吹きつけてくるのだった。そのころちょうど手に入れたマーガレット・ミラーの『殺す風(An air that kills)』という極めて暗い小説の“殺す風”という冷たい郷愁と悲しい運命を仄めかすイメージが、timewindの非情な音感と相まって、まだ柔らかかった脳に楔のように斬り込んだ。

使用機材はARP2600、ARP Odyssee、EMSシンセにFarfisaのキーボード類。脈動するシーケンスとサイボーグの死の舞踏。

今年に入ってたったの18日間で6兆円の円売り介入(ちなみに去年は年間で売り20兆)を行っているんだが、まだやめるつもりはないらしい。円が上がってるわけではなくて、単純にドルが落ちているのだろうが、それには理由があるからだろう。ドル買いに加え紙クズ同然の国債を大枚引き受けてみたり、自然の理を捻じ曲げてでも大切に大切に守りたいものがあるのだろうか。麗しいことだな。

いよいよ、次期著作権法改正に「貸与権」とともに「レコード輸入権」が盛り込まれることが確定したようですね。本来の意味では機能したことがない上に、成立の度にその正統性が問われるけれど結果OKで済んでしまう議会は、あってもなくてもまるで関係ないかの如くそのまま通過するので成立したも同然ですな。元々の標的はアジア諸国から還流する安価なJPOPの逆輸入盤を阻止することにあるのでしょうが、売上に占める割合は非常に低いので本当の狙いはそこにはないでしょう。外資系流通業者にも利益の一部をペイバックして体制側に取り込んでしまえば意外に上手く運びそうな雰囲気です。憲法以外の法は常に拡大解釈され、施行令やら運用でなんとでもしてしまう上に、三権分立なんて失笑以外に何の感慨も持ち得ないお国柄です。巡り巡って一つの擬似文化が堕落し腐敗して、終焉を迎えるのを目の当たりにできそうですね。老後の楽しみが一つ増えたが、長生きだけはしたくないものだ。

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KICP 2744
1974

Stories,songs & symphonies/Wallenstein

個人的には三作目と甲乙つけ難い良作と思うが、実質的な最終作で以後は明らかに毛色が変わる。小品集といった趣で前作の大曲志向を交響とするならば、こちらは協奏といった按配だろう。荒っぽさが影を顰めて隅々まで程よく手の廻った繊細で丁寧な気配りが好感です。とうとう、表ジャケにまで「The Symphonic Rock Orchestra」などという表記が踊り始めて、ユルゲン・ドラーゼの心意気は理解しているつもりだが、時代の流れから観れば完全に逆効果だったと思う。気張り過ぎ。もちろん、ネオ・クラシックという看板を掛ける才と腕もなかったのだろうが、可愛らしいコズミック・ファンタジィ路線はそれなりに琴線に触れるものでとても愛着があります。リリカルに響くヨアヒム・ライザーのバイオリンが安定感と出番を増してより一層前に出てくるようになった。ラスト「Symphony for Bela Bartok(もちろんあのバルトーク;1881-1945のこと)」ではダリル・ウェイ顔負けのクラシカルなソロをふんだんに披露しております。そして、何よりも彼等にとっての宇宙の背景色は黒ではなくて乳白色なのだなぁ。

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KUCKUCK
11079-2
1978

Departure from the northern wasteland/Michael Hönig

アジテーション・フリーのキーボードだったミヒャエル・ヘーニッヒ名義の1stソロ・アルバム。この後、渡米して現音ミニマルのフィリップ・グラスとコラボレイトすることになります。現在はハリウッドで映画音楽のコンポーズやディレクトをしているようで、マイケル・ホーニッグで検索するとしょうもないB級映画ばっかりだけどけっこうヒットしたりします。わざわざ逆境に挑戦する意気には感服するけれど、アシュラあたりと一緒につるんでいた方が成果もあったような気がしてとても残念に思う。『北の荒野からの出発』というタイトルはハンブルク出身の自分自身のことを指しているのだろうが、夢はかなえられたのだろうか。

同時期のタンジェリン・ドリームに比べれば繊細で女性的、ひんやりとした柔らかさが印象的です。アナログ・シンセとアナログ・シーケンサの織り成す冷涼な耽美。ギターにルツ・ウルブリッヒ、ミックスにコニー・プランクの名前が見えるあたりは仲良し小良し。

1012 jyake04
LD
ME137-25IP
1982

Koyaanisqatsi/Philip Glass, Michael Hönig

ライリー、ライヒとともにミニマルの創始者といわれるグラスだが、60年代から70年代にかけての勢いがなくなって(なくなったせいか)最近はあっちにもこっちにも顔がよく出るね。
当時のLDには作曲がグラスで、音楽監督と編曲、一部の作曲、脚本がヘーニッヒと記載されているが、近年の一部クレジットからはヘーニッヒの名前がすべて削除されて、音楽監督のみマイケル・リーズマンなるグラスの子分に差替えられているのがおもしろいねぇ。著作権にはいちばん煩いユダヤ系アメリカ人のグラスのことだから、もちろん単なる間違いじゃないのだろうね。グラスにとっては初めてのサウンドトラックで、提供された楽曲をシーンに合わせてアレンジし直したり、足らない部分を作って繋ぎ合せたりとかなり苦労したみたいな話を聞いたことがあるのだが、もちろんそんな話はうちのようなカストリ・サイトにしか書いてないものだよ。

映画としての『コヤニスカッティ』はそのホピ族の言葉とは裏腹に、白人の優越的視線と二元論的世界観から一歩も出られない旧態依然とした思想が微笑ましい。自らが率先して破壊しておきながら、そのお為ごかしも商売にしてしまおうという底の浅い発想にはもう飽きたけれど、映像はそれなりの技法と編集でくどく饒舌だが見せる方でしょう。マクロからミクロへスケールアップしてカットバックするラストシーンは『ソラリス(СОЛЯРИС の方だよ)』のラストにそっくりだね。『ソラリス』ではバッハのオルガンコーラル「BWV639」だけど、そのあたりもかなり意識しているだろう。というか、ここにこのメロディを持ってくるのはもろドイツ人としてのヘーニッヒの趣味のような気がする。でも『ソラリス』は泣けるけどこっちはなぁ。

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staubgold 37
2002

Patch work 1971-2002/Faust

その名の通りの継ぎ接ぎパッチワークで、1999年の『Ravvivando』以降実質新作も出ないし、まぁ、ファウストも枯れたかな。キールだかリューベックだか知らないが、水平線ばかり見える薄ら寒い砂洲と、ハンブルクと思われる繁華街の色とりどりの風俗ネオンが重ね合わされたスリーブ写真が美しくも儚い。『Tapes』が3年間に渡るビュンメでの記録ならば、これは30年に渡るファウストの軌跡なのだろう。「Patchwork I」と「Patchwork II」20分強の全二曲は、かつての曲をモチーフに繋ぎ合わされコラージュされたモザイク。
一つの箱に寄せ集められたガラクタは“コーネルの箱”(Joseph Cornell;1903-1972)のようでもあり、クレー(Paul Klee;1879-1940)の“パルナッソス(Ad parnassum - 1932)”に代表されるピクセル拡大ビット絵というか、色相と明度を分離したような極めて論理的な寄木細工のようだ。

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code009
spv 085-148212
2002

Seelenspiegel/Enid

そういえば頭に“The”がないな、と思ったのもつかの間、タイトルはドイツ語(魂を映す鏡)だし、イタリアのCode666(しょうもない名前だ)というレーベルから出ているドイツのエニートというのだろうなぁ。デジパック裏面の曲名は大半が英語なのだが、総体的に如何にもなデザインを見れば、やっぱりいわゆるデスというかゴシック・メタルなのだ。エーレントで大分慣れたからびっくりはしないのだな。三作目のようですが、これが初聴。前作はボーカルが女性だったらしい。ネオ・クラシックな曲調とオペラ風のバリトン・ボーカルなのだが、バックのデス声とメタルな疾走変拍子アンサンブルは少し押さえ気味なような気がする。ちょっと虚ろで、ときには可愛らしく、ときに悲愴なとてもメロディアスな楽曲はかなり妖しく美しかったりして面食らうものだ。

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VERTIGO
842 917-2
1971

Acquiring the taste/Gentle giant

最高作に挙げる人も多い2ndアルバム。アルバムトータルの完成度としては確かに最も完璧な仕上りかもしれない。相変わらずのどうしようもないジャケだが、見開きにするとタイトルの微妙な卑猥さが際立つ。流れるように連なるトータルアルバムといってよい構成で、随所に顔を出すストリング音のメロトロンの音が美しい。前作のアヴァン・ガルドでハードな内容とは裏腹に、繊細でたおやか、優美なまでの安定感が特徴です。もちろん、お家芸である変態拍子と超絶テクは健在ですが、それを全く感じさせない曲調が見事です。恐ろしく屈折した複雑なメロディの連発は室内楽的な現代音楽に近い。16世紀のフランスの作家フランソワ・ラブレー(Francois Rabelais)作の『Gargantua et Pantagruel(ガルガンチュアとパンタグリュエル物語)』の登場人物である大食の巨人ガルガンチュアの息子、パンタグリュエルを主人公にしたお話しなのだろうが、各曲の歌詞はちゃんと関連して、後ろは前を受けて流れていくのだね。

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Warner Bros.
7599-26434-2
1971

Second album/Curved air

フランシス・モンクマン(Francis Monkman)のVCS3が唸りをあげるタイトル通りの2nd。前作のアヴァンギャルドな部分が薄れて、クリスティーナ(Sonja Kristina)のボーカルをふんわりとしたかたちで生かした楽曲が増えた。ただし丁寧だけど展開、リズム、アンサンブル共に非常に凝った内容です。前半5曲がウェイとクリスティーナ(表記はLinwood)、後半がモンクマンの作曲。優美でクラシカルなセンスと学究的な前衛性、キッチュで安っぽいロック風味とサイケな汎ヨーロッパ風トラッドが複雑怪奇に絡み合ってなんとも云えない中途半端さを醸し出しておるのだなぁ。見る面が変わると全く違って見える正二十面体のモザイクのようだ。ウェイの電気バイオリンとモンクマンの多彩なキーボードは本質的にアカデミックなのだが、つむじ曲りに曲解して提示されるところがあくまで「カーブド・エア」なんだろうね。

1017 jyake09
BMG RICORDI
74321910062
1971

Formula 3/Formula 3

モゴール・バッティスティ門下生であるところの二作目。サビのしょぼい女性コーラスが時代を感じさせる内容ですが、三作目で良くあそこまで化けたなぁ。爆音ビートポップからは脱却の兆しが見えるものの、まだまだ路線は前作の延長線上。11分の長曲「Nessuno nessuno(ないない尽くし)」に後の構成的な趣を感じ取れるとはいえ、器楽的な技巧よりもカンタウトーレに重きが置かれていることは間違いない。オルガン、ギター、ドラムのトリオ編成ですが、アンサンブルは時代なりに安定しているでしょう。
全曲モゴール+バッティスティの作曲。プロデュースはカンタウトーレの重鎮ルーチョ・バッティスティ(Lucio Battisti)。廉価盤再発CDだもんで何も情報がないのだ。

1018 jyake10
Edsl Records
EDCD 702
1980

Metamatic/John Foxx

第一期ウルトラヴォクス解散(というか売れなくて契約の更新ができなかった)後の1stソロ。それなりに話題にもなっていたが、それなりに無機的な音響に被さる若干頽廃的で神経症的なボーカルが若々しい。リズムマシンとシンセのみで組み立てられた音は、今とはっては古式ゆかしいものであるが、当時のポップス領域ではそれなりに新鮮だったのだろう。同年リリースの第二期ウルトラヴォクスの『Vienna』に比べると、いろいろ制約があったようで明らかにチープで底が浅い。コニー・プランク(名匠;Konrad Plank)の有無もあるわけだから仕方がないだろう。アンビエントな傾向すら窺えるので尚更痛い部分も見受けられる。敢えて意味性を否定したような単調な歌詞は、ボーカリストでありながら音響的に無機的に演じるというジレンマなのか。キーワードはクールで冷やっこい“ひかりもの”。

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MTM 10 CD
1988

Lowlands flight/Minimal Compact

踊り演技とラヂオ番組のためにあつらえられた「Made to measure」シリーズ第10巻。前半4曲が『Two by one』なる踊り演技、後半5曲が『Frontline』といいオランダのラヂオ番組用らしい。ベルギーのクラムド・ディスクの企画物のようで、このシリーズの主旨は“抽象への空電、ポストモダンへの郵便、耳の衣料品のコレクション”だそうだ。かつての中近東風ポップの面影はすっぱりと捨象されて、抽象化され僅かにオリエンタル色が匂う無国籍アンビエントと化した。特有のけだるいリリカルさが虚ろに漂うさまが気持良くも感傷を誘う。朗読とか人声は入ってますが実質全曲インスト。
スリーブはフェルナン・スティーブン(Fernand Steven;1918-1996 ワロン人)の「L'usine(工場)」

1020 jyake12
MUSEA FGBG
4058.AR
1978

Weidorje/Weidorje

このタイトルはコバイア語か? と思わせる。マグマの『Udü Wüdü』の二曲目と同タイトルでもあるのだが、実は聖書からとられた言葉で“天空の推進力”とか“神聖な車輪”という意味らしい。ちなみにスリーブの浮遊物体(平たく云えば空飛ぶ円盤)はクラウス・ブラスキーズ(Klaus Blasquiz)によるもの。マグマ・フォロワーのなかでもかなりマグマ色が強いヴイドルジュの唯一作。共にマグマOBであるベースのベルナール・パガノッティ(Bernard Paganotti)とキーボードのパトリック・ゴーティエ(Patrick Gauthier)によって76年頃に作られたが、いろいろ不幸が重なって長続きしなかったらしい。マグマ・フォロワーのなかでもロック色がかなり強く、緻密でかつ格好良い。独特のベースの音色と畳みかけるリズム、目まぐるしいキーボード、管楽器のつくる脅威的なアンサンブルが圧倒的に迫ってくる。ただし、録音は酷い。
Museaの再発盤は長曲3曲にライブのボーナス2曲入り。

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MUSEA FGBG
4078.AR
1979

La nature vit, l'homme lui critique.../Orion

これしかないんでよくわからないのですが、微妙にこしゃまっくれた如何にもフランス風の民族系シャンソンとジャズ・ロックが入り混じって、ジャケの示すような仮想的郷愁に浸れます。音の切れが余り良くないのだけれど、ぼわんとした部分も含めてとても可愛らしい。小刻みに展開する曲調はモナ・リザの初期、流れるような変転はカルプ・ディアンを思わせるところもあるか。『自然は残り、人類は危機に瀕す・・・』という70年代的良心に基づいた問題意識と、丁寧で真摯な姿勢が印象的です。アンサンブルのインパクトはドラマチックとは程遠く、非力で弱いのだが、聴き込めば聴き込むほどに味の出る良質な作品になっています。さり気ないながらも可憐なメロディが染み渡る。

1022 jyake14
SOURCE 7243
8 46527 22
1998

Mozesli/Mozesli

まったく傾向も時代も違うけれど、これまたなんとも言えないフランス語エレクトロ・ファンクというか、今風の音。ゲームCDみたいな3D風お子様キャラクター満載のスリーブには、雀卓を囲う妙な形態の濃色人型生物のようなものが所狭しと描かれておる。う~む、「まいった、まいった」と参ったが、中身は意外とまともです。疎いから全くわからないけれど、何かのゲーム・ミュージックだったのだろうか。微妙にシックなフランス語の語感とファンクな乗りのアンバランスさが笑えるのだが、180円だから許そう。比較的緩めのテンポと冷ややかな質感に加え、懐古的なメロディと、これまたよくわからないバランスで楽しめます。

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Harvest
SHVL 765
1970

The madcap laughs/Syd Barrett

1stソロ。前半をハーベスト・レーベルのマネージャー、マルコム・ジョーンズが、後半をギルモア+ウォーターズでプロデュースしている。どういう経緯なのかは知らないが前半数曲にソフトマシン(ラトリッジ+ワイアット+ホッパー)がオーバーダブで音入れをしているらしい、というのは最近知った。確かにそう云われてみるとそうだなぁ。初聴は74年頃だったと思いますが、妙にイメージ先行のところがあって、あまりのアコースティックなシンプルさに唖然としたものだ。今では逝ってしまった(精神だけね)中産階級のお坊ちゃんだけど、当時の語られ方には凄いものがあったな。今考えるには多分に営業的戦略があったのだろうね。ピンク・フロイドの1stの原型のようなサイケ・フォークだが、虚ろに漂う“狂気”がときには薄ら寒く、ときには痛々しく冴え渡る。

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Cuneiform
Rune 9 CD
1986

Heatwave/Univers zéro

第一期のラスト。アンディ・カーク(Andy Kirk)、パトリック・アナピエ(Patrick Hanappier)あたりが復帰して再び悪夢の零が再現された。滑らかなグルーブすらもたらす複合変拍子ポリリズムと、アンビエントな奥行きを増したキーボードの背景に無調でセリーな音が飛び跳ねる。クリスティアン・ジュネ(Christian Genet)のベースによるファンクなまでの躍動感も既成の枠を凌駕している。シリアスで高貴、圧倒的なまでの暗い透明感に包まれていると、時間と空間を忘れます。

「熱波」「Chinavox(中国の声? 壷から湧く声? 意味不明)」「壁の中の騒音」、20分超えの長曲「埋葬の平野」全四曲。中二つがドゥニ作。他がカーク作。眉目はやはりラストの「埋葬の平野」か。

“埋葬の平野とはあらゆる生命にとって自我の形成を促す困苦である”

とカークによるコメントが入っているが、ラストに向かって登りつめていく研ぎ澄まされた緊張感は『Ceux de dehors』や『Uzed』以上。そのアンサンブルとしての完成度は100%、巧みな間とあくまで自然に溢れ出てくる音、前景と背景、これ以上いじりようがないでしょう。
3月には新作『Implosion』のリリースが予定されているようなので、まだまだ世の中捨てたものじゃないなぁ。

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最終更新日 2004/01/19