平成9年に掲載された投稿 |
ご来訪ありがとうございます。 ●平成9年(1997年)の投稿のうち、4件の新聞掲載例を紹介いたします●
不思議な世の中になった。何も話さなくても暮らせるからだ。スーパーへ行っても無言で品物を選び、レジに並んで黙ってお金を払う。地下鉄の改札も自動販売機も、一言もしゃべらずに用事が済む。煩わしくなくてよいかもしれないが、人間らしい優しさや和やかさが感じられず何だか寂しくなる。 しかしその反面、予期せぬものがしゃべり始めた。車が声を出すのだ。「うっかり注意」とか「バック・・・」などと女性の声が出るし、電磁調理器なども「点火」とか「余熱」などとしゃべり出す。もしかしてそのうち、大雪で屋根がうまった時「雪下ろし注意」と屋根から号令が出たり、外出の際ドアにかけたかぎが「安全再確認」などとしゃべり出すかもしれない。そう思うと不気味になる。 やっぱり人間らしい温かい対話がほしい。潤いと、思いやりのある人間関係や、愛が感じられる世の中がいいなあ、と思う。
先月末のこと、道新の小さな記事が目に留まった。「川田正子と童謡を歌う会」とある。彼女の名前はドキッとするほど懐かしかった。ディナー付きで八千円は私にとって少々高かったが、自分に投資することも大事と申し込んだ。 童謡歌手・川田正子は燃えるような赤いドレスに身を包み、同年代とは思えぬ若さで「月の砂漠(さばく)」や「里の秋」「お猿のかごや」などを次々と歌った。その素晴らしい声量には、さすがプロと感心した。来てよかった。ひとときの陶酔の中に、古き良き時代が逆流し、幼いころラジオから聞こえてくる彼女の歌に合わせて熱唱したことが思い出された。 彼女は「あるアンケートで今の若い世代は童謡を知らないという結果が出た」と語り、いつも子供の心を歌い続けているから優しい気持ちになれると言った。童謡は心の古里。殺伐としたことが多いこの世の中に、少しでも暖かさや優しさを与えてくれる童謡を、若い世代にも歌い継がれるようもっと聴く機会が増えればと願っている。
七年前、オーストラリアのシドニーへ行きました。娘の結婚式に出席するためです。うれしい海外旅行に家族全員で、しかも娘の挙式とくれば、もう胸は弾みっぱなしです。オペラハウスの近くの古びた教会に一歩入ると、聖堂の壁に大きな日の丸の旗が天井から下がっていました。私たちへの温かい配慮でしょうか。異国で目にする日本の国旗には大感激。胸に熱いものがこみ上げてきます。 バージンロードを、白いウェディングドレスの娘と腕を組んで進んでくる夫の顔は今にも泣きそう。私も涙をこらえるのに必死。外人の神父さまの優しいひとみ、通訳の美しい女性二人。時間を止めたいくらいに幸せなシーンでした。今も目を閉じると、ありありとあの時の光景が浮かんできます。 シドニーでの挙式のビデオの中に、最高の笑顔でVサインをしている今は亡き夫の姿が写っています。それを見るたび、素晴らしい海外旅行の思い出をつくってくれた娘夫婦に感謝しています。
「ああ、ストーブが恋しい!」二年前、新築ほやほやの家に住んで真っ先にそう思いました。どの部屋にも暖かいパネルが付いていて、家の中がポカポカと一定の温度で快適この上もないのですが、赤い炎が見えないというのは、何となく落ち着かないものです。 思えば生まれた時から、木炭や練炭の火鉢があり、ストーブはまきやコークスから、石炭、灯油と移り変わっても、寒い冬には赤々と燃えていました。優しいぬくもりがありました。雪の日に、ぬれた帽子や手袋を干し、ストーブの上には煮豆や昆布巻きのなべがコトコトと音をたてて煮えている・・・。もうそんな図は昔物語です。灯油の暖房パネルが「私たちは便利だよ」と笑っているようです。 友人に「ストーブが恋しい」と話したら、「壁に大きなペチカの絵をはればいいよ」と笑われたけど、やっぱり火の気と女気はないと寂しいものです。 ご覧いただき、ありがとうございました。
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