飯田市

峠の
国盗り綱引き合戦
( 2003 )

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平成十五年 「峠の国盗り綱引き合戦」

長野・静岡県境の「国盗り公園」会場

 下伊那郡南信濃村と静岡県磐田郡水窪町の商工会青年部の精鋭が、「綱引き」で互いの領土を奪い合う「国盗り綱引き合戦」が、晴天に恵まれた十九日、県境の「兵越峠」(ひょうごしとうげ)で繰り広げられた。このイベントは、戦国時代に、遠州(現在の静岡県東部)侵攻を企てた甲斐(現在の山梨県)の武田信玄が、遠州・三河(現在の静岡県西部)を領土としていた徳川家康に攻め入った事実をもとに、昭和六十二年( 1987 )から始められたもので、今年(平成十五年)で十七回目の開催。
 競技のルールは、互いの場所を代えながら最高三回行われ、先に二勝したほうが勝ちというもの。勝ったほうは、領土を一メートル広げるとができることになっており、これまでの成績は南信濃村が九勝七敗と、水窪町(静岡県)側に二メートル入り込む結果となっている。何れは「太平洋」まで領土を拡大させたい信州側・南信濃村商工会青年部。片や、今年こそ領土奪回を…と目論む遠州側・水窪町商工会青年部。さ、この結果は如何に?


 <アクセス>
 県境の「青崩峠」(旧秋葉街道)が通行不能となっているため、現在、国道 152号線は、途中から「兵越峠」を越えるルートが本道として利用されている。この国道、道幅が極めて狭い上に急坂の連続ということで、大型車の通行はほとんどないが、行楽シーズンは、静岡県側から峠を越えて長野県側に入る自家用車やバイクが多く、対向車とのすれ違いには十分注意を要する区間でもある。
 駐車場は、「兵越峠」と長野県側にやや下った位置に若干の駐車スペースが設けられて
シャトルバスの運行表
(学習交流センター前)
いるものの、「綱引き合戦」のイベントが行われている間は、関係者用の車が停めることとなっているため、残念ながら自家用車での会場乗り入れはできない(通り抜けは可能)。

 <シャトルバスの利用>
 南信濃村では、このイベントの開催に併せて村民・一般の見学者用に、同村和田にある「学習交流センター」発の専用シャトルバスを運行している。峠までの所要時間は約三十分、料金は無料。

 参考までに本年(平成十五年)は、午前九時と十時に峠行きのマイクロバス二台とワゴン一台(何れも村民と一般の利用可)が運行された。また、帰りの便には、正午にマイクロバス二台とハイエースが一台(何れも村民と一般の利用可)、午後二時にマイクロバス一台とハイエースが一台(何れも村民と一般の利用可)が運行されている。


「兵越峠」に続く道路峠のバス降車場

 <レポート>
 先ず、地図 をご覧頂ければおわかりのように、下伊那郡南信濃村は、長野県のずっと南、静岡県との境にある。管理人の住む長野市内からは、直線距離でも約二百キロ…。もしかしたら、都内に向かうのと同じくらいの距離があるのかもしれない。それほどに遠い…。
 当日の行程は、先ず、須坂長野東ICを午前七時前に出発。上信越自動車道・長野自動車道・中央道を経由して、ノンストップで一直線に飯田へ。飯田ICからは、国道 151号線を下伊那郡阿南町に向かい、富草から泰阜村方面に下り、さらに県道飯田富山佐久間線(県道 1号線)を南下、同郡天龍村平岡から国道 418号線を経て目的地の南信濃村に向かうというもの。因みに、到着したのはシャトルバスの出発時間である午前十時のほんの少し前。文章で記せば、僅かに六行で終わるこの行程も、この南信濃村、長野市内からは想像もできないくらい、やっぱり遠い…。

 「思えば遠くに来たもんだ!」などと感慨に耽る暇もなく、係員の誘導で、マイクロバスが出発する「学習交流センター」の東側、飯田信用金庫南信濃村支店さんに設けられた臨時駐車場に車を停め、必要なものだけ持って、とりあえずバスの出発場所へと向かう。集合場所では、すでに地元のみなさんがバスを待っており、十時を過ぎても姿を現さない先発のマイクロバスの様子を「まだか、まだか」と伺っていた。ここから「綱引き合戦」の行われる兵越峠までは、凡そ三十分。午前九時に出発したバスが折り返し峠に向かう手はずになっているのだが、十分経ち、二十分を過ぎても姿は見えず。無線での連絡によれば、対向車の行き違いに手間取り、なかなか下れないとのこと。しょうがないなぁ〜と、ようやく赤みを増してきた周囲の山々を眺めているうちに、定刻から三十分遅れで、申し訳なさそうに、いや、爆音とともにバスが到着した(驚)。
 シャトルバスとして使われたのは、南信濃村のバスで、三十人は楽に乗れる二人掛けのマイクロバス。乗り心地はまぁまぁで特別問題はなかったが、乗り込んでみて感じたのは、なぜか車内が焦げ臭いこと…。禁煙車のはずだからタバコの煙でもなさそうだし、なんだろうと思っていると、後ろに座った若者二人曰く「急坂での発進に半クラッチを使いすぎてるのかなぁ〜。多分、クラッチ板が焦げているのかも。」とのこと。へぇ〜そんなことってあるんだ…などと感心していると、さらに「クラッチ板を換えると三十万くらいかかるみたいだ」とも…。わざわざ無料で車まで出してもらった上に、修理代まで村で負担するようだったら…と、今になって妙に申し訳なく思ったりもしているのだが、どうだったのだろう…?。

 午前十時半、バスは峠に向かって出発。国道 418号線を、一旦、天龍村方面に走り、途中から青崩峠(正式には兵越峠)方面に左折して、いよいよ急坂を登り始める(写真)。途中のポイントからは、しきりに無線で南信濃村方面に下る一般車に車種や台数を伝えてくる。これは、シャトルバスの車幅が道幅と同じため途中の待避所までたどり着けないと、対向車とのすれ違いができないから。普段は、地元の人でもほとんど通らないというこのルートも、今日だけは紅葉を求めて訪れた行楽客の車やツーリングのライダーたちで混雑しているようだった。


一般参加者による「綱引き合戦」準備万端の信州軍の精鋭

 午前十一時過ぎ、バスは唸り音を上げながらどうにか峠に到着。峠には駐車場があるものの、先に記したように、この日は関係者の車が入っていたため、バスは路上に停車しての降車(写真)となった。ここから「綱引き」の競技が行われる合戦場へは、道路脇の階段を上がることになる。因みに、南信濃村へ戻る時に乗るシャトルバスの乗り場は、この階段になりますので覚えておこう。
 階段を上がると出店のテントがあり、その向こうに目指す会場・通称「合戦場」があった。写真( 画像 )は観客席から撮影したもので、綱引きが行われる会場(合戦場)は、切り通しの鞍部にあり、聞けばその中心が長野・静岡県境とのこと。綱はその県境に沿って置かれ、手前が長野県、向こう側の垂れ幕のある側が静岡県という位置関係になっているという。
 この日は、静岡県からも大挙して応援に駆けつけていたようで、「静岡放送」「静岡新聞」と印刷された小旗を持つ観客の姿が目立った。(来年は、信州側の旗も用意しておきましょ)。


口上を読む南信濃村村長じゃんけんで位置決め

 さて、子どもたちと一般参加者による「綱引き」が終わると、いよいよ「国盗り綱引き合戦」はクライマックスの本戦へ。
 ここで、この「綱引き合戦」のルールを紹介しておこう。ここに参加するメンバーは、両町村の商工会青年部の皆さんで、総勢十五名。競技は三本勝負で、先に二本先制したほうが勝ちとなる。双方のリーダーが始めに「じゃんけん」で位置を決め、行司の合図で合戦(競技)開始。一勝一敗となった三戦目は、決着がつくまで綱引きが続けられるという定めもあるそうだ。そして、勝ったチーム(国)は、競技終了後、峠に設けられた国境の札を一年に限り一メートル相手側領土に動かすことができる特典もある。両町村長が出席するこの戦い、大将に恥をかかせるわけにはいかず、単なるイベントだけでは考えられないほどの緊迫感が会場を包み込むのが、この「国盗り綱引き大会」の醍醐味なのかもしれない…。
 因みに、これまでの対戦成績は、信州側が九勝七敗で、二メートル遠州(静岡県)側に領土を拡大中。何れは太平洋まで領土を拡大したい信州軍( 画像 )。それを迎え撃つ遠州軍は、領土奪回を使命に水窪町商工会青年部の精鋭部隊を繰り出しての参加。両町村長の口上(写真は、近藤高明南信濃村村長が口上を述べる場面)の後、午前十一時四十五分、ついに合戦の幕が切って落とされたのだった。


気勢を上げる信州軍遠州側へ国境を移動

 ところが、第一回目の合戦では、あっさり遠州軍が惨敗。相手の様子を見るためにわざと気を抜いたのか、それともこれがほんとうの実力なのか、ナントもいえない不気味さの残るなか、双方、位置を入れ替えて第二戦へ。ところが、今度は、信州軍が相手の様子を見るためなのか、わざと気を抜いて(もっとも、ここで勝ってしまうと勝負が終わってしまいますので、ワザと負けたというウワサもありますが…)、ずるずる引きずられ負け戦へ。
 そうした応酬に、場外から「まじめにやれ〜」と冗談半分に野次が飛ぶなか、まぁまぁとしばしの作戦タイムに。やや余裕の信州軍、対してここで負けたら後はない、とばかり気合を入れる遠州軍。「ここで負けたら、麓まで歩いて帰れ〜」と応援団長の激も飛び、見守る観客席も総立ちの状態…。
 そして、ついに最終決戦となる第三戦に突入!合戦は、当初から双方譲らぬ膠着状態となり、どちらが勝つのか予想もできない状況が続いたが、後半になって状況は一変。やや遠州側に動いていた綱が、それまでどこに力を温存していたのかと思えるような勢いで信州軍により巻き返され、形勢挽回のタイミングを計っていた遠州軍は、なす術もなく、あっという間に総崩れ状態へ…。「綱引き」は、一旦、力のバランスが崩れると体制を整えることは難しく、動き始めた綱を引きとめることができないのが常識。この時点で、もはや信州軍の勝利は確定的となり、そうこうしているうちに、遠州軍には無常ともいえる終了の合図が「ぱ〜ん」。

 三年連続の勝利に、胴上げされる近藤高明南信濃村村長もご満悦。その後、両軍立会いのもとに国境を示す立て札が一メートル静岡県側に動かされ、信州軍はこれまでの拡大部分を含め、三メートル遠州側に食い込むこととなった。
 通算成績十勝七敗。周囲の山々が色づき始めた信州南端で行われた峠の大激戦は、こうして信州軍の圧勝で幕を閉じたのだった。めでたし、めでたし☆

この記事は、平成 15年 10月 19日に取材・撮影したものです。 
下伊那郡南信濃村は、平成 17年 10月 1日に飯田市と合併しました。 

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