コニー・ウィリスは、昨年までに、ネビュラ賞6回、ヒューゴー賞8回という両賞の最多受賞歴を誇る。過去の受賞作品は、『ドゥームズデイ・ブック』(早川書房)、『To Say Nothing of the Dog』(早川書房刊行予定)の二長編と、「女王様でも」「クリアリー家への手紙」「Last of the Winnebagos」「The Winds of Marble Arch」などの短編群。
臨死体験という新たなテーマに挑んだ新作『航路』で、賞状やトロフィーがさらに増えるのはまちがいないだろう(注・すでに2002年度のローカス賞を受賞)。
「死」「人間としての責任」「育児」――ふつうのSF作品にはあまり登場しないテーマだが、日常に奇抜なアイデアを融合させるのはウィリスの十八番だ。
「はじめて読んだSFが『スターファイター』(ロバート・ハインライン著、創元SF文庫)だったのは、とても幸運でした」と彼女は語る。「SFといえば、人類が宇宙に旅立って世界を救う式の話が多いんですが、そういう小説は好きになれません。でも。、『スターファイター』の場合は、まず宇宙船が着陸し、それからあとはずっと、なにが起こっているのか、ここはどこなのか、どうしたら生き延びられるのか、と主人公が理解しようとするのです。わたしの作品の登場人物は、限られた情報の範囲内で、つねに世界を理解しようとトライします。すべては、いかに状況を理解するかにかかっている。にもかかわらず、あまりにも大きくて複雑であるために理解できない。つまり、わたしの考えでは、それが人間の置かれた立場なのです。世界は大きくて複雑なので、人間のおそまつな小さな脳では理解できません。それでも、わたしたちは理解する必要があります。それが人間の高潔さなのです」
コロラド州エングルウッドに生まれたウィリスは、養父に育てられ、実の父親についてはなにひとつ知らなかった。だが、作家としてデビューを果たした25歳のときになって、はじめて、血のつながった父親が自分と同じ文筆業者であり、カリフォルニアの新聞社で編集記者をしているという事実を知らされる。そればかりか、自分と同じく聖歌隊で歌い、美しい声の持ち主だということも。
「それを知ったときは腹が立ちました。自分のしていることはわたし個人の自由意思に基づく行動であって、あらかじめ遺伝子にプログラムされたことじゃないと思いたかったんです」
だが、次第に落ち着きを取り戻し、気がつくと遺伝的な性質に興味を持っていた。
「作家として、その問題を探究することもあります。じつに興味深いテーマですよね。わたしたちはなにか? わたしたちはだれか? 自分で選択したと考えている行動のなかで、実際にどれだけを選択したのか? わたしは運命を信じるタイプの人間ではありません。プロテスタントとして育ったことが、運命という考え方に賛成できない理由のひとつです。わたしは、だれもが完全な自由意志を持っていると信じたい」
ウィリスはコロラドの公立学校で教壇に立つかたわら、ファンジンに短編を書き、さまざまな雑誌に短編の投稿をつづけ、10年近くたってようやく出版にこぎつけた。その2、3年後には、「見張り」「わが愛しき娘たちよ」(ともにハヤカワ文庫SF『わが愛しき娘たちよ』に収録)といった作品で読者の心をつかみ、さまざまな賞の候補となった。
臨死体験(NDE)の本質や死後の世界の存在について踏み込んだ『航路』では、この自由意志が大きな役割を果たしている。
「原稿をエージェントのラルフ・ヴィンチナンザに渡すとき、『わたし、完璧な小説を書いたかもしれない』って言ったんですよ」とウィリスは冗談めかして言う。「『臨死体験本の内容を否定するような要素はあの世の実在を信じる人々を怒らせるだろうし、超自然的な部分は科学畑の人たちを怒らせる。最後はアメリカ全土の人たちみんなを怒らせちゃうかもしれない。そしたらきっとわたし、この本は大成功って気分になるわね』って」
自分では臨死体験を信じますか――と質問すると、ウィリスは皮肉っぽく笑った。
「わたしは幽霊も、死者との対話も、ウィージャ盤(こっくりさん)も信じていません。わたしがほんとうに書きたかったのは、その種のことについて読者にいっさい嘘をつかない物語です。つまり、あの世の死者と会話することが可能だとは、いっさい書いていません。それがこの小説全体の核心になっています。本を書くということは、真実を伝えようとすることだと思うんです。お話はつくりごとでも、真実を書こうとします。
わたしが信じているのは、たとえ死後の世界があるとしても、その証拠はまったくないということです。生者と死者とのあいだにコミュニケーションはありません。あるとすれば、感情的なつながりだけ。死者はわたしたちの心の中に生きています。そのつながりは本物です」
ウィリスは少女時代から、周囲の大人よりも死について理解していた。
「母はわたしが12歳のときに死にました。あまりにも突然の死でしたから、それ以来、わたしの頭は死にとり憑かれてしまったと言ってもいいくらいです。それが作家になったきっかけだと思います。そのおかげで、独自の視点を持つようになりました。気分が落ち込んだというのではなく、世界の見方が変わったのです。ほかの人はみな、悪いことはなにひとつ起こらないと陽気に考えています。そして悪いことが起きると、打ちのめされるのです。でもわたしは、一瞬でもそう信じたことはありませんから」
母親の死後、ウィリスは祖母に育てられた。祖母は、その世代のご多分に漏れず、突然死した友人や家族について、暗い話題を前面に出して語って聞かせた。 この死に対する長年の執着と、一見害のない話があいまって、『航路』の執筆に結びついた。
「ある友人に、ベティー・イーディーの『わたしが死んで体験したこと』を無理やり読まされました。ぜったいにおもしろいからって。でも、ちっとも好きになれませんでした。ひどく不愉快な本です。古風な降霊術のように、人の願いや不安を食い物にしているように感じました。しかも、最も堕落した方法で人の心にこ媚びている。『心配いりません。あなたは死なないばかりか、あなた自身なにも変わりません。愛する人もそこにいます。死を恐れる必要はまったくないのです』という言葉で。これではまるで、グリーティングカードの文句じゃありませんか。わたしの考えでは、"死"はとてつもなくて、大きくて、こわいものです。古風な言い方をすれば、畏怖の念を起こさせるものなんです」
"古風な"という形容は、ウィリス自身の作品にも――あるいは少なくともウィリスの読書傾向には――あてはまるだろう。好きな作家は、ロバート・ハインライン、ドロシー・セイヤーズ、P・G・ウッドハウス、アガサ・クリスティ。とくにクリスティについては、次のように語る。
「プロットを練ることについては、クリスティの右に出る作家はいません。わたしはずうずうしくも、彼女のあらゆる技法を真似しています。読者を惑わせる手法、ストーリー半ばで謎を明かす手法。そうした手法によって読者を混乱させ、とまどわせるんです」
ウィリスはそこでしばらく話を中断し、テーブルクロスを噛んでいる猫を引き離した。「わたしは19世紀に生まれるべきでした。20世紀の文学はひどいものばかりで、ちっとも好きになれません。フィッツジェラルド以降は共感できませんね。多少なりとも魅力を感じたのは、彼が最後でした。ソール・ベロー、ジョン・アップダイク、ノーマン・メイラーなどを読んでも、『自分の世界ではない』と感じます」
ウィリスの小説に登場する女性の多くが、ジェイン・オースティン作品の主人公のように鋭いウィットの持ち主だとしても、それはおそらく偶然ではあるまい。
「オースティンにははかりしれないほど影響を受けました。彼女は、世界は変わりえないと気づいている傍観者です。登場人物は観察の目さえ向けません。彼らの観察や洞察は、いかに世界と戦うかということなのです」
19世紀の小説を愛するウィリスでも、本が社会的な慣習を変えると考えたことはない。
「わたしは社会派の作家ではありません。社会に対する批評を書くことはあっても、ディケンズのように社会に改革を唱える小説は書きません。そのような小説がよいとは思えないからです。ディケンズは尊敬していますが、そこが彼の小説の最大の弱点でしょう。文学の目的は、スラムの廃絶を訴えることではなく、もっとべつのなにかだと思います。だから、(アンソニー・)トロロプのほうがずっと好きですよ」
筆記用具にもウィリスのも古風な趣味がうかがえる。下敷きにペンまたは鉛筆。仕事場はあるものの、近所の図書館や《マージーズ・ジャヴァ・ジョイント》(注・《スターバックス》のような地元のカフェ・チェーン)で書くのを好む。
「理想的な場所ですよ。おいしいカフェラテを飲みながら、最新の政治や社会情勢について討論できますから」
〈マージーズ〉が瞑想の場所ですか、と訊ねると、ウィリスは笑って答えた。
「瞑想なんてとんでもない! 生まれてこのかた、霊感を受けたことなんか一度もありません。作品は、じっくり時間をかけて煮つめます。先だっていっしょにランチを食べた相手からは、“堆肥の山”と言われました。それこそ、執筆を表わす申し分のない比喩でしょう。煮つめるのではなく、混ぜ合わせる。ジャガイモの剥いた皮をすべて放りこんで、おいしくできあがるように祈るだけ。長時間ふかして、ひどいにおいがしてきても放っておきます。時間をかけて何度も考え直し、小さなパズルのピースをすべて組み合わせ、そのあいだ自分のしていることを忘れないように、きちんとメモをとる。そして最後に椅子に腰かけて、全体の構想を練り、実際に書きはじめる前にストーリーを仕上げます。だからと言って、途中で変わらないというわけではありません。でも、基本的に自分の向かう先は心得ています。結末も、ストーリーの概要も頭にはいっているので、それに沿って忠実に進めていくだけです。登場人物について語っておきながら、ストーリー半ばでいとも簡単に変わってしまう。そんなのは論外です。そういう作家には、『なにを言ってるの? 自分の作品に責任がないの?』と言ってやりたいわ」
ウィリスの原稿の書き方には、ちょっと変わった癖があるという。
「わたしは順を追って書くことはしません。『航路』の場合、中間部を最後に書きました。ラストは最初に書き終えました。最終章は別ですが。これだけはどうしてもうまくいかなくて、何度も何度も書き直すうちに、ようやくなにが書きたいかがわかったのです。
最初から順に書くことはめったにありません。書き方がわかっている部分、あるいは自分で理解した部分から書きはじめて、最後にそれらを組み合わせます。一気に書きあげたこともなければ、最初から最後まで通して書いたことはありません。一度たりとも!それはわたしのやり方でなないのです。ふだんは結末を最初に書きます。なぜなら、決まらなければならない箇所だから。そこが決まらなければ、全体が台無しです。すべての章のすべてのエピソードが結末に向かって進む、それがわたしの目標です。しばしば前のほうにに戻って、あちこちに伏線を張ります。可能ならあらゆる箇所に伏線を張りたいくらいですね。読者が読み返したときに、すべての会話がまったく異なって響くようにしたい。あらかじめ伏線を張っても、最初に読むときには(それが伏線だと)気づかれたくないのです」
大作を苦労して完成させたばかりだというのに、ウィリスの頭は次の作品のことで占められている。実際の言葉になるまでには、まだ時間を要するだろう。話題となった『ドゥームズデイ・ブック』や『To Say Nothing of the Dog』と同じ世界を舞台にした、"記憶喪失の物語"だという。
「ミスター・ダンワーシイが登場します。でも、それ以外ははっきり決まっていません。昔の登場人物を復活させようかとも考えています。時代設定はロンドン大空襲です。「見張り」はロンドン大空襲が舞台でしたが、大空襲について詳しく語ったことはありませんから。歴史上のあの時期が気に入っているんです。あの世界(タイムトラベルが実現した21世紀オックスフォード大学歴史学部シリーズ)を扱うのは3作目で、これが最後です。
そのほかに、ロズウェルと宇宙人による誘拐をテーマにしたコメディを考えています。昨年の夏、夫とわたしは結婚記念日をロズウェルで過ごしました。記念日にはうってつけの場所です。まさに申し分のない比喩ですね!」
どちらから先に取りかかるのかと訊ねると、ウィリスは肩をすくめてにっこりした。
「堆肥の山でどちらが先に発酵するのかは、なんとも言えませんね」
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