『リメイク』訳者あとがき(ハヤカワ文庫SF)
訳者あとがき
時は二一世紀の初め、ところはハリウッド。
デジタル技術の進歩とともに、映画産業からはフィルムも撮影所も俳優も消滅。新作と言えば、かつてのスターたちの映像データを使ったリメイクばかり。はてしない再生産工場となりはてた映画の都に、ひとりの女の子がやってくる。フレッド・アステアが死んだ年に生まれた彼女の夢は、映画の中でダンスを踊ること……。
本書は、アメリカSF界の女王、コニー・ウィリスが贈るキュートでせつないミュージカルSFラブストーリー、Remakeの全訳(プラスα)である。
一九九五年にバンタムブックスから刊行されたRemakeは、九六年のヒューゴー賞長篇部門候補に名を連ね、同年のローカス賞をノヴェラ(長い中篇)部門で受賞した。
ただの古いラブソング? ある意味ではそのとおり。たしかに古典的なボーイ・ミーツ・ガールの物語だし、アリスが抱く夢と決意は気恥ずかしくなるほどナイーブだ。そう、これはDreams come trueのおとぎ話。それでも、ウィリスの天才的なストーリーテリングには、一夜の夢を現実に変えるだけの力がある。半世紀以上も昔につくられた痩せがまん男の古臭いメロドラマ『カサブランカ』が、いまなお現代の観客の心を惹きつけるように。
ウィリス自身は本書についてこう語っている。
『リメイク』は、自分ではいままで書いた中でいちばんいい小説だと思ってる。注目度ではいちばんじゃなかったかもしれないけど。たぶん、映画が大好きなせいもあるんでしょうね。
わたしにとって、『リメイク』は映画についての小説であると同時に、作家であるとはどういうことかについての小説でもある。作家はつねに妥協を余儀なくされてる。成長するっていうのは、現実と妥協すること、生きるために夢を犠牲にすることだと思う。でも、魂を売ってはいけない。作家も俳優もアーティストも、そうやって現実と折り合いをつけていくわけ。『リメイク』の主人公のトムも、ハリウッドのプロデューサーたちを相手に妥協しながら、でも魂までは売り渡さずに最大限の努力をしている。
(九七年八月、世界SF大会《LoneStarCon2》の会場で収録した著者インタビューより。全文は、http://www.so-net.ne.jp/SF-Online/no8_19971018/interview_Ohmori.html参照)
光ファイバー・ループの設定など、近未来の技術的ディテールやタイムトラベル理論に関してはいくつか首を傾げる部分がないでもないが、この小説にSF的なつっこみは野暮だろう。本書に描かれるデジタル・ハリウッドの未来像は多分にカリカチュアライズされているが、「話題の新作は続編とリメイクばかり」というハリウッド・メジャーの現状は、映画ファンならずともご承知のとおり。いまだって、墓場から甦った石原裕次郎や松田優作がTVコマーシャルに出演しているくらいだから、権利関係(と俳優組合の抵抗)さえクリアできれば、マリリン・モンロー主演の『プリティ・ウーマン』が実現しても不思議はない。
米国製ミュージカル映画については書きはじめるとキリがないので、興味がある方はスタンリー・グリーン『ハリウッド・ミュージカル映画のすべて』(村林典子訳/音楽之友社)などをご一読いただきたい。日本では『ムトゥ 踊るマハラジャ』の大ヒットでインド製ミュージカル人気が突如爆発したわけだが――アリスは中国ではなくインドへ行くべきだったかもしれない。それとも、アリスのことだから、『ラジニカーント映画にダンスなし』と言うだろうか?――現代のミュージカル映画はエキゾチシズムの領域にあるのかもしれない。
ともあれ、本書の基本はあくまでもラブストーリー。往年のミュージカル映画を愛する読者はもちろん、「アステアってだれ?」という若い読者にも楽しんでいただけることと思う。
翻訳について一言。映画のタイトルは、日本公開されたものは邦題を採用し、未公開のものは基本的に原題のカタカナ表記とした(一部例外もある)。人名表記は、慣行を尊重しつつ、訳者の個人的趣味を交えている(ヴァージニア・ギブスンなど)。
作中で内容に言及されている映画は、可能なかぎりビデオを入手してチェックし、台詞の引用も字幕を参照した(作中のトムよろしく、「秒96で再生」とか「次、どうぞ」とかを、ひたすら手動でくりかえしたわけである)。明らかにウィリスの勘違いと思われる箇所については、著者の了解を得たうえで最小限の訂正を加えてある。
資料としては、岩本克也『シネマガイド全洋画 2nd Edition』(スティングレー)、前出の『ハリウッド・ミュージカル映画のすべて』、The Internet Movie Database(http://www.imdb.com/)を中心に、キネマ旬報社の『外国映画人名事典』をはじめとする各種事典類と《キネマ旬報》バックナンバー、柳生すみまろ編『ミュージカル映画』(フィルム・アートシアター)、双葉十三郎『ぼくの採点表』(トパーズ・プレス)などを参照した。
ビデオソフトの収集と映画作品一覧の基礎データ作成に関しては、SF Onlineのシネアスト、添野知生氏の全面的な協力を得た。また、早川書房編集部の上池利文氏と、校閲部の関 氏には、とくに映画関連の訳語と注釈に関して、通常の業務範囲を大幅に越える綿密なチェックとアドバイスを頂いた。記して感謝する。
煩雑になるのを避けるためと、映画トリヴィア的な楽しみも考えて、主要な固有名詞、引用などに関する注釈は巻末にまとめた。合わせて、作中に登場する全映画のデータ一覧(内容が小説のストーリーと関係するものついては短いコメントを付した)も作成したので、ボーナストラックとして適宜参照していただきたい。
最後に一言。本書を読むと、『踊るニュウ・ヨーク』を見たくなるのが人情だが、残念ながら日本ではビデオ未発売で、(WOWOW放送版を運よく録画していないかぎり)海外版を入手するしかない。VHS版はMovies Unlimited(http://www.mostmovies.com/)などで購入可能。また、いちばんかんじんな《ビギン・ザ・ビギン》の後半部分(アステアとエレノアのタップ)だけなら、『ザッツ・エンターテイメント』(76)で見ることができる。
一九九九年五月、大森望(http://www.ltokyo.com/ohmori/)
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