「水鏡子みだれめも1992」より抜粋
◎叢書の研究1  ハヤカワSFシリーズ(ハヤカワ・ファンタジイ)


 〈HSFS〉、つまりハヤカワSFシリーズのいちばん最後、318冊目であるハリイ・ハリスン『殺意の惑星』が出版されたのは1974年である。

 もう、20年も前になる。

 これがけっこう衝撃だった。

 20年ということは、いまSFを読んでいる中心層の記憶の中では、新本屋の店頭にSFシリーズが並んでいる風景など、いっさい存在しないということである。あらたまって書きだせばあたりまえのことだけど、たとえばぼくが書く文章には、読む人間の記憶のなかにそんな風景があってあたりまえ、みたいなかんちがいがずっとはいりこんでいる。

 『乱れ殺法SF控』を読み返してみて、反省した点のひとつに、ロバート・シェクリイとスティーヴン・キングを比較してみた一節がある。スティーヴン・キングという作家がどういう作家かとりあえずの簡単な説明を加えていながら、ロバート・シェクリイについてはなんにも説明していないのだね。この本を読む人間は、スティーヴン・キングのことは知らなくても、ロバート・シェクリイなんて自明の作家だろうと思いこんでいるわけなのだね。そんなはずがないことくらいちょっと考えればわかることなのだけれども、何回も手を入れてながら本になるまで気がつかない。困ったもんだ。

 これなんか、早川SFシリーズ現役時代に思想形成された弊害の典型例といっていい。わかりやすく書くことのむずかしさって、じつはこういうとこにある。

 SF大会のオークションで、『宇宙人フライデイ』や『クリスマス・イブ』でさえ、サンリオ文庫の高値に及ばないといった光景に、怒りともとまどいともつかない気分を味わったことがあるけれど、それもしかたがないのだろう。時代の流れとはそういうものだ。

 ハヤカワSFシリーズというものについて、見たこともなければその意義について理解のしようもない人間が、いまではSFファンの大半を占めている。あのツルツルの表紙を本屋でさわるてざわりに、文字どおり感じていた高値の花の気分なんて、たぶん同世代にしか通用しない。もう、だれでも知ってる自明日常の存在ではないのである。

 HSFSも元々社なみに歴史的評価の対象として、説明していく必要がある時代になったのだ。じっさい、元々社のシリーズだってHSFSの1年半ほど前に開始され、HSFSとほとんどいれかわりのかたちでつぶれていたりするのだね。

 HSFSが創刊されてから終刊までの時間より、終刊してからの時間の方が長くなっている。(どうだ、こう書くと驚くだろう。わたしゃ気がついたときに驚いたぞ)

 きちっと整理をするのには、時間も資料も不足している。だからちゃんとした答えのきまったものでなく、調べていくうち気がついたいろんなことをほうりこんでく臨床的なメモ書きとして話を作っていくつもり。

 行きます。


 「ハヤカワSFシリーズ」(以下HSFSと略)は1957年12月、「ポケミス」の愛称で親しまれる「ハヤカワ・ミステリ」のSF部門として発足した。SFマガジン創刊のちょうど2年前である。

 ちなみに発足当時の状況を見てみると、「EQMM」、現在の「HMM」が58年1月号で通巻第19号。まだ2周年にも達していない。この号は、フランク・R・ストックトンの「女か虎か」が掲載されていたせいで、たまたま買っている。他にもP・G・ウッドハウスが載ってたり、はじめて気がついたのだけど、山田風太郎のゲスト・エッッセイまではいっている、そこそこのお買い得品。雑誌の定価が、東京100円、地方103円と、まだ2本立てだった時代である。

 「ハヤカワ・ミステリ」は、江戸川乱歩監修による全500巻の大全集という売りをしており、この時点で266冊、毎月6、7冊というハイペースで数をこなしていた。この中には、すでにここまでで、『幻想と怪奇@A』『ドグラマグラ』『黒死館殺人事件』『あなたに似た人』『木曜日の男』といった、SFファンの興味をそそる作品が含まれていた。(残り234冊にはそういうタイプの本がほとんどない)

 対して東京創元社。『世界推理小説全集』全80巻。これが55年から59年にかけて刊行されている。『世界大ロマン全集』全65巻。56年から59年。このシリーズにはライダー・ハガード5冊をはじめ、『ドラキュラ』『マラコット深海』『透明人間』『ドゥエル博士の首』『月世界旅行』『ジェニーの肖像』『第2の顔』『怪奇小説傑作集TU』などなど、SF怪奇小説系の本がいっぱいはいっている。HSFSとほぼ同時に刊行がはじまったものに『世界恐怖小説全集』全12巻がある。だけど、たしか60年くらいに会社が一度つぶれちゃうんだよね。

 創元関係者に聞いたらすぐわかるんだろうけど、聞いてないからよくわからない。知っとかないといけないような気がだんだんしてきている。新書サイズの『スポンサーから一言』がいつ出たのかとか、文庫主体の決定はどうしてなされたのかとか、その他いろいろ。

 総じて、早川書房の戦略が作品群を英米のジャンル的秩序のもとに構築、囲いこみしていくものであったとするなら、旧東京創元社の戦略は、欧米を俯瞰する歴史的視野にたった大衆文学の大潮流のなかで作品群を位置づけようとしたとみることができる。かな?

 今の目で、どっちを支持するかと聞かれたら、けっこうためらうところもないではないけど、若いころならまずまちがいなく早川の方針を支持している。創元のにはおじんっぽい教養主義的くさみがある。

 このへんの事情にぼくはあまりくわしくない。この時期の人脈図は相当面白いはずで、くわしい知識の持ち主はまだ死なずにいっぱいいる。(そのうちの一部は小林信彦『夢の砦』などで窺える。ミステリに関しては江戸川乱歩を核に、かなりくわしい人脈図がいろんな人によって立体的に描かれている。だけど、翻訳大衆文化に話をひろげた場合の地図が見えてない。たとえば平井呈一や紀田順一郎といった荒俣宏・野村芳夫系列とかね)

 良平先生の近著がこういうところまで言及しているだろうと期待することにして、HSFS中心に話をしぼることにする。

 さて。

 最初に触れたEQMM19号。当然ながらここに「ハヤカワ・ファンタジイ」発刊の広告が載っている。

 2色刷り、見開き2ページである。

 予告されている最初の本はジャック・フィニイの『盗まれた街』。「ハヤカワSFシリーズ」ではなく、空想科学小説シリーズ「ハヤカワ・ファンタジイ・ブックス」だった。銀色に統一された背表紙には「ポケミス」からの通しナンバーで3001の番号がはいり、通しナンバーの下、題名の上のところには赤い亀甲に白抜きでHFの文字がはいる。

 この、「EQMM」に載った広告には、最新刊として『盗まれた街』が値段なしで載っているほか、続刊予定の作品が3冊、それぞれ5行づつのあらすじつきで並んでいた。『ドノヴァンの脳髄』『火星人ゴーホーム』『狂った雪』である。このうちの最後の本は刊行されていない。(のちにアブリッジ版がジュヴィナイルで出ている。たしか「鉄腕アトム」の『宇宙豹の巻』のヒントになったという噂を聞いた記憶がある。ぼくは「コース」か「時代」の別冊付録で抄録版を読んでいる)

 以下近刊予定として『宇宙の妖怪たち』『21世紀潜水艦』『火星一番乗り』『消えて行く国道』『吸血鬼』『クリスマス・イヴ』と並ぶ。『火星一番乗り』は『宇宙人フライデイ』、『消えて行く国道』は『宇宙病地帯』である。

 資料が少ない。石原藤夫の『図書目録』や福島正実の『未踏の時代』さえ持ってない。『未踏の時代』はSFMの連載なので、そのうち連載号をひっぱりだすかもしれない。

 ぼくの家にある次のEQMMは58年10月号だから、間に9ヵ月がある。この号はポール・アンダースンの「火星のダイアモンド」やエドガー・パングボーンの「にやおうん」が載っていて、SFファンのコレクター・アイテムとして貴重な号だった。だったである。過去形だね、もう。昔は集める本がなかったから、このレベルまで情報としての値打ちがあった。いま、ここまでやろうとするのはバカである。

 広告を見ると、この段階で既刊が7冊。ほぼ月1冊のペースで順調に刊行されている。

 値段である。『盗まれた街』180円、『ドノヴァンの脳髄』150円、『火星人ゴーホーム』150円、『宇宙人フライデイ』150円、という値段が高いか安いかよくわからない。ただ「EQMM」(丸綴じ140ページ)100円ということを考えるとそう安くはないとみるべきだろう。この月のミステリの最新刊にはロス・マクドナルドの『運命』が210円であがっているけど、今の値段は消費税後の新刷りなしで803円である。

 さて、当然気になるのは、「ハヤカワ・ファンタジイ」から「ハヤカワSFシリーズ」へ移行したのがいつかという問題である。これも広告をみるのがいちばんてっとりばやい。ところが、「SFマガジン」が創刊されると同時にEQMMは「ハヤカワ・ファンタジイ」の広告を載せなくなるのだ。広告が復活するのは63年10月号で、それもシリーズの広告としてではなく、『墓碑銘2007年』『地には平和を』『宇宙のあいさつ』という日本の新人作家の処女作品集売出し広告としてである。ちなみにこの3冊の定価はそれぞれ270円、300円、250円で、この号(角綴じ218ページ)のEQMMは180円である。ただ、この段階で叢書名は「ハヤカワSFシリーズ」に変わっている。ちなみにEQMMでのSFシリーズの広告の完全復活の時期はというと、64年12月号である。ハヤカワ・ノベルズの発刊広告(『寒い国から帰ってきたスパイ』と『グループ』)をメインにこの号からSFMとHMMの両方にHSFSの広告が載るようになる。

 この号の広告では、シェクリイの『不死販売株式会社』の近刊予告が載っている。訳者は長岩喜与志となっている。結局このときは出ずに、SFシリーズの最後近くに福島正実の訳で出る。むかしむかしのことである。どれくらいむかしの話かというと、ここに最新刊として載っているルイス・パジェット『ミュータント』が、浅倉久志初めての翻訳単行本である。(3075番 64年11月)

 さて、なぜ長々とEQMMで話をつないでいたか、そんなものはSFMをみたらすぐわかるんじゃあないかと言われそうだが、じつはたぶんそうだと思う。それができない理由というのは、古い人ならお気づきのとおりの事情による。SFMの古書価は高かったのである。EQMMが100円、へたをしたら40円くらいで買える時代に、SFMは400円から800円くらいしていた。だからいまだに、最初の丸綴じ本時代のSFMは5冊しかもっていない。はたしてきちんと答えがでるのかどうかわからないのだ。調査結果を書いているのではないのである。調査と同時進行で書いているのである。

 61年11月号、バドリスの「無頼の月」の最終回が載っている号がある。この号をまず取りだす。なんとわたしは4回連載の第2回と最終回しか持ってないのに気がついた。それだけ読んでこの話を全部読んだつもりになっていたらしい。いろんな発見があるものだ。

 この号の裏表紙裏の広告はまだ「ハヤカワ・ファンタジイ」である。既刊の数を数えると、29冊。58年、59年、60年のまるまる3年プラス半年強の期間の点数だから、かならずしも順調とはいえない。

 12月号を持っていなくて、続く62年の1月号。チャド・オリヴァーの「雷鳴と陽のもとに」というぼくの好きな、ほかで読めない中篇が載ってる貴重な号だ。

 なんと「ハヤカワ・ファンタジイ」の広告がない!

 SF専門誌でありながらSFシリーズの広告がどこにもないのである。

 2月号にもない!

 これってけっこうこの時期のSFファンには事件だったのではないのだろうか?
 伊藤さんか浅倉さんに聞いてみよう。

 3月号で広告が復活する。まだ「ハヤカワ・ファンタジイ」である。じつに2月の新刊として、3冊もの作品が並べてある。いやあ、すごいすごい。アシモフ『宇宙気流』220円。やったね。シェクリイ『不死販売株式会社』大久保康雄訳200円。あれ?
 コッペル『黒い十二月』220円。れ?

 4月号にはまた広告が落ちている。

 5月号! 1962年5月号!

 発見ですね。「ハヤカワ・SF・シリーズ」、この号ではじめて登場です。ここから赤い亀甲に白抜きのHFは白抜きのSFに変わるわけです。

 どこからというのがちょっとわからない。29冊目の『来たるべき世界の物語』まではまちがいなく「ハヤカワ・ファンタジイ」である。32冊目の『太陽の黄金の林檎』はまちがいなく「ハヤカワSFシリーズ」である。わからないのが30冊目の『宇宙気流』230円と31冊目『最終戦争の目撃者』230円。たった2ヵ月で版を替えて、10円高くなって出るとは思えないから、常識的にはどちらも「ハヤカワSFシリーズ」だと考えてまずまちがいない。

 こうやってみると、シリーズ名の変更は、売行き不振の打開策の一環だったとみてよさそうだ。

 第1回の値上げもだいたいこのへんの時期に起きている。61年11月号の広告までは、値段の変更はない。それが62年3月号最後の「ハヤカワ・ファンタジイ」のときはじめてバタバタと値上がりする。『盗まれた街』+10 『吸血鬼』+10 『21世紀潜水艦』+20円である。

 「ハヤカワ・ファンタジイ」から「ハヤカワ・SF・シリーズ」と改名しながら、旧の定価の本がほとんどだったということが意味するところはひとつしかない。重版できるくらい本が売れないということだ。改名はしたものの29冊目までの本はずっとHFのまま出まわっていたということである。


 ええ、訂正がはいります。

 今、家にある『最終戦争の目撃者』を調べたら、HFでした。HFは31冊目までに確定します。以上。


 新刊の値段はこのあたりからほとんどが200円台になる。『地球の緑の丘』は最初から280円もしている。元々社で一度出ている本だというのも関係あるかもしれない。そのせいで、部数をしぼった可能性がある。

 ここでHSFSに再録された本というのを調べてみる。これが思いのほかに多い。再録といっても訳者が変わっている場合が多いので、改訳本というべきかもしれない。

 一番最初にはいったのがアーサーC・クラークの『火星の砂』(3025)。61年の3月である。室町書房からほとんどHSFSとおなじ装丁で55年の1月2月に訳者平井イサクで2冊だけ出たSFシリーズの片割れである。訳者はそのまま。片割れのもう一方、アイザック・アシモフの『遊星フロリナの悲劇』も62年の3月に3030番として収録される。あと、この前後にはH・G・ウエルズやジュール・ヴェルヌといったクラシックがぞろぞろ並ぶ。このへんも改訳本に含めてかまわないだろう。以下、表にしておいたので、別表1を参照のこと。


 うーむ。

 たいへんなものがみえてきた。

 25冊め以降、というのは61年にはいってからということなのだが、早川のSF路線は急激に積極性をなくしている。

 今、新たな資料を手に入れて、HSFS全部の初版年が確認がとれたのだけど、それによると、HSFSの発行年は多少の出入りはあるけど、だいたいつぎのようなところにおちつく。

 57年 01〜02番     2冊
 58年 03〜08番     6冊
 59年 09〜18番     10冊

 ここで、HSFSの出版は最初の大きなつまずきをみせている。60年の前半半年間というものシリーズ新刊は1冊も発行されていない。60年というのがどういう年かというと、これがSFマガジンの創刊された年だったりする。(正確にいえば59年の12月だけどね)

 SFMの創刊と同時にHSFSは1冊も出なくなったわけである。

 そうか、EQMMに広告が載らなくなったのはSFMに移ったからではなかったのか。本が出なくなったためなのか。

 いったいなんで早川書房は、SFMを創刊したのだろう。

 好意的な解釈としては、SF担当者の数がいないため、SFMの毎月刊行に手をとられ、HSFSが出せなくなったという考え方もできる。最終的には、

 60年 19〜24番     6冊

 という結果におわる。

ハヤカワSFシリーズに再録された作品(創元競合本を除く)
NO 作品 年 旧 出 版  年
25 火星の砂 61 室町書房 55
28 超能力エージェント 61 元々社 56
29 来るべき世界の物語 61
30 宇宙気流 62 室町書房 55
33 タイム・マシン 62
34 海底2万リーグ 62
35 モロー博士の島 62
36 脳波 62 元々社 56
37 地球の緑の丘 62 元々社 57
38 人間の手がまだ触れない 62 元々社 56
39 マラコット海淵 62
40 月世界最初の人間 62
42 アーサー王宮廷のヤンキー 63
43 宇宙恐怖物語 62 東京ライフ社 57
45 巨眼 63
47 火星年代記 63 元々社 56
48 ロスト・ワールド 63
56 宇宙戦争 63
57 地底旅行 63
58 夏への扉 63 講談社 58
62 第四間氷期 64 講談社 59
63 天の光はすべて星 64 講談社 58
65 華氏四五一度 64 元々社 56
68 虎よ、虎よ! 64 講談社 58
90 裸の太陽 65 講談社 58
115 時間と空間の冒険1 66 ※ 東京ライフ社 57
121 海竜めざめる 66 元々社 56
127 発狂した宇宙 66 元々社 56
178 月と太陽諸国の滑稽譚 68
209 動乱2100 69 元々社 56
218 地球光 69 元々社 56
279 長く大いなる沈黙 71 久保書店 68
299 地衣騒動 72 SF全集

※『時間と空間の冒険』はどちらも抄訳で、内容的には相違がある。(他『光の塔』『悪魔のいる天国』『山椒魚戦争』『神々の糧』など)

 早川SFシリーズにはいる前に、雑誌等で内容の一部が人目にふれている本(短篇集なら半分以上。前表及び創元競合本を除く)

NO 作 品 年 初   出
24 刺青の男 60 SFM 少
32 太陽の黄金の林檎 62 SFM他 少
41 月は地獄だ 62 SFM 全
49 宇宙翔けるもの 63 SFM 全
51 墓碑銘2007年 63 SFM 全
52 地には平和を 63 SFM 全
53 宇宙のあいさつ 63 SFM他 全
54 われはロボット 63 SFM 少
55 宇宙行かば 63 SFM 少
59 SFマガジン・ベスト No.1 63 SFM 全
60  SFマガジン・ベスト No.2 64 SFM 全
61 わが手の宇宙 64 SFM他 少
66 影が重なるとき 64 SFM他 全
70 SFマガジン・ベスト 3 64 SFM 全
71 妖精配給会社 64 SFM他 全
77 SFマガジン・ベスト 4 64 SFM 全
79 ヒューゴー賞傑作選 No.1 65 SFM 少
80 ヒューゴー賞傑作選 No.2 65 SFM 多
82 落陽2217年 65 SFM 全
85 拠点 65 SFM 全
86 宇宙震 65 SFM 全
88 日本売ります 65 SFM他 全
91 ソラリスの陽のもとに 65 SFM 全
95 準B級市民 65 SFM他 全
96 十八時の音楽浴 65 全
99 東海道戦争 65 SFM 全
103 宇宙の孤児 65 SFM 半
104 地球の脅威 65 SFM 多
105 竜座の暗黒星 66 SFM 全
106 恋人たち 66 宝石 半
109 地球巡礼 66 SFM 多
113 タイム・パトロール 66 SFM 少
114 東京2065 66 SFM他 全 (以下略)


 ただし、この15〜24の10冊はHSFS全体を通してみても、非常に興味をひくラインナップである。企画を推進していく当初のエネルギーはまるでこの10冊で使いはたされたかのようだ。並べてみる。
『アトムの子ら』『鋼鉄都市』『呪われた村』『果てしなき明日』『アンドロイド』『300:1』『時の風』『都市』『海底牧場』『刺青の男』


 このセレクションって、名作表をリストアップして出てくるようなやつじゃないのね。評判のいい本をかたっぱしから読みまくって、そのなかから日本人受けする話をきちんと抜きださないとこのラインナップはつくれない。

 当初サスペンス風味の強い作品を揃えたところ、むしろそのなかのSF味の強い作品のほうがよく売れたことから方針が変わったといった話を読んだ記憶があるけれど、その成果がこの10冊だとすれば、ある意味でアメリカ・エスタブリッシュメントをそのまま移植した感のある、元々社のセレクションより、ずっとオリジナルで好感のもてる作品群である。都筑・福島・矢野トリオによる最上の成果とみているのだけどいかがでしょうか。

 この路線が引き継がれていったら、日本の翻訳SFは今とはまるでちがったカラーを生みだしていたかもしれないのだが、残念ながら10冊きりで終了する。

 ここからあと、25番め以降のセレクションは急激に変化する。

 とにかく再録が多い。まず、クラシックの山である。ウエルズ、ベルヌ、ドイル。大ロマン全集の売行きなんかをにらんで、現代SFより、こちらのほうが売れそうだと判断したのかどうか。そして元々社や室町書房の本がどんどんはいる。


 61年 25〜29番     5冊
 62年 30〜43番     14冊           (重版4冊)※初
 63年 44〜59番     16冊           (重版11冊)
 64年 60〜77番     18冊
 65年 78〜0104番    27冊
 66年 0105〜0130番   26冊
 67年 0131〜0167番   37冊
 68年 0168〜0205番   38冊


  ※重版のチェックはSFMに載ったHSFS一覧広告の定価変更に基づくもの。


 64年6月号からあと、一覧広告がなくなるので、それ以降は確実な数字がわからない。

 ただ、6月号時点での64年重版数は2点しかなく、それ以降の値段変更などと重ねあわせたところでは、最高で20点くらいの重版があったものと推定される。



 こうやってみると、出版物としてのHSFSがほんとうに軌道に乗ったのは64年の後半くらいからなんだな。ただし、内容については、逆だったりする、現代SFにおける古典的名作は、だいたいそこまでの70冊に含まれてて、このへんから、作品の粒は全体に小粒になってくる。

 そのあたりの話はまたあとで。

 それよりも、60年61年62年という、この、SFM創刊からの3年間である。日本においてSFが定着するかどうかのかなりたいへんな時期だったという気配が発行数と作品内容から伝わってくるようなのだ。

 発行数が最小、たった5冊の61年。再録である『火星の砂』『超能力エージェント』に、初めてのクラシック、H・G・ウエルズの『来るべき世界の物語』と並び、スタニスラフ・レムの『金星応答なし』が映画原作本のひきによるものだから、純然たる現代SFのセレクト本は『宇宙商人』だけである。

  この年のおわりに、SFMは2年間つづいたF&SF誌との特約を打ち切る。

 F&SF誌のカラーが日本の読者の好みとあわなかったとか、F&SFの日本版として、編集上の制約が強すぎたとかいった説明を聞かされた覚えがあるけれど、それだけでもなさそうだ。

 HSFSの状況とリンクすると不採算部門の経費節減という意味合いが強かったようにみえる。だって、EQMMの方は65年まで、日本版契約をつづけているのだから。

 元々社や室町書房からの再録が増えたのも、一度翻訳が出ているものは、未訳のものより版権が安いとか、そんな事情もあったのではないのだろうか。そういう方面からみていけば、ウェルズ、ヴェルヌの出現も別のかたちで理解できる。

 62年はそうした合理化対策を講じつつも、出版点数において拡大路線に転じた年である。

 この年の14冊(うち1冊は番号が前後していてじっさいは63年なんだけど)のうち、再録、クラシックはじつに11冊にも及ぶ。

 『タイム・マシン』『モロー博士の島』『月世界最初の人間』『マラコット海淵』『海底2万リーグ』『アーサー王宮廷のヤンキー』これが金背(クラシック)。

 『宇宙気流』『脳波』『地球の緑の丘』『人間の手がまだ触れない』『宇宙恐怖物語』これが再録。

 残り3冊のうち、『月は地獄だ』はSFMに連載されたものである。再録みたいなものだ。

 『太陽の黄金の林檎』もいくつかがすでに雑誌掲載済みだけれども、これはまあそこまで強引にいうほどのことはないだろう。

 残るひとつは、『最終戦争の目撃者』である。SFファンをあてこんだ本ではない。

 この時期の最大の社会的事件はキューバ危機である。ぼくらは「世界が滅びるかもしれない」と皮膚感覚で心配する快楽を味わえた世代だったのである。中国の核実験のあと、雨にあたったら頭がハゲると大衆がなかば本気で恐れていた時代があったのだ。そんな時世のなかでの、最終戦争ものブームに乗ったものである。アルフレッド・コッペルの本は最近2見文庫からいくつか軍事ハイテク小説が出版されている。基本的にそっちのほうの人なのだろう。

 このての本としては、63年には科学者たちが嘘ついて、冷戦を終結させる『巨眼』が再録されたほか、64年に映画「博士の異常な愛情」のどこが原作なのかよくわからない、ピーター・ブライアント『破滅への2時間』が収録されている。

 他社からも、『フェイル・セイフ』『レベル・セブン』などいろいろ出ていて、SFの側面援護になったブームである。

 以上の点から鑑みるに、62年のHSFSの純然たるオリジナルはブラッドベリの『太陽の黄金の林檎』だけだといってもいい。

 63年にはいっても、再録重視の傾向は基本的にはかわらない。

 ただし、再録とはいえ、積極的な大企画が始まる。SFM等に発表した作品を寄せ集めた、日本の新人作家3人の短篇集である。小松、光瀬は処女作品集である。毎月のように広告を打ち、3冊同時に刊行する。

 小松左京『地には平和を』
 光瀬龍『墓碑銘2007年』
 星新一『宇宙のあいさつ』

 同時に、そこまで大々的ではなかったが、同じくSFM掲載作を集めての、ソ連SFアンソロジー『宇宙翔けるもの』、SFM最初の1年に掲載されたF&SF誌との版権がからまない作品集『SFマガジン・ベスト1』も出版される。

 これらの企画を成功させることこそが、この年の中心課題であったとみていいかもしれない。

 全部で16冊の刊行だが、残り11冊の内訳は

 『ロスト・ワールド』『宇宙戦争』『地底旅行』が金背。

 『巨眼』『火星年代記』『夏への扉』が再録本。この『夏への扉』のはいっていた講談社SFシリーズというのは、HSFS別動隊という業界横断的なけっこうとんでもない企画だったという話である。あまりおいしくなかったらしく、半年で終了。5年ぶりにHSFSで出直すことになる。以下、残りの作品もHSFSにつづけさまにばたばたはいる。

 『宇宙行かば』は今でいえば『スタトレ』的なTV映画のノヴェライゼーション。

 残り4冊は『われはロボット』、創元とぶつかった『トリフィドの日』、『地球脱出』『人間以上』である。

 うしろ2つが矢野徹の訳である。

 HSFSの矢野徹デビューは、61年9月、28冊めの『超能力エージェント』が最初である。SFMの方では61年3月号から短篇を訳しはじめている。

 『超能力エージェント』は、元々社の本の改訳だが、つづいて62年3月には31冊め『最終戦争の目撃者』を刊行。『月は地獄だ』(SFM62年5月から8月号に連載)が62年の11月で41冊め、『地球脱出』が63年1月で44冊め、『人間以上』が63年4月で46冊めと、オリジナル本の乏しいこの時期のHSFSできわだった動きをしている。

 ところが、このあとの動きを追っていくと、意外と影が薄くなる。

 3064『超生命ヴァイトン』   64年3月
 3073『時の支配者』      64年9月
 3089『半数染色体』      65年7月
 3103『宇宙の孤児』      65年12月
 3136『宇宙の戦士』      67年2月
 3152『オッド・ジョン』    67年8月
 3169『ロスト・オアシス』   68年1月
 3194『ハウザーの記憶』    68年9月
 3216『月は無慈悲な夜の女王』 69年4月
 3238『アルタイルから来たイルカ』69年11月
 3247『コマンダー1』     70年3月
 3279『長く大いなる沈黙』   71年10月


 『人間以上』とハインライン(あと文庫の方の『デューン』)のせいでイメージが分解するけど、このへんを除いてしまうと、むしろジャンルを代表する作品よりサスペンス風味の方に興味が寄っている。

 これをもうひとりの立役者、福島正実と並べてみよう。

 3001『盗まれた街』
 3016『鋼鉄都市』
 3058『夏への扉』
 3067『幼年期の終り』
 3104『地球の脅威』(共)
 3115『時間と空間の冒険』(共)
 3271『不死販売株式会社』

 こちらのほうは、また息がつまるくらい堅苦しい。立派さも、ここまでくるとドグマティズムである。双方に名前のあがってこない40年代の大物に、ブラッドベリとヴァン・ヴォークトがいる。伊藤典夫と浅倉久志にこの2人の作家の翻訳本があるというのがちょっとおもしろい。

 いずれにしろ、当初の翻訳SFのセレクションが、この両者の振幅のなかで、生みだされてきたということは、かなり喜ばしいことであったように思える。


 63年1月号の広告で値上がり本が再び2点。『21世紀潜水艦』がまたまた3刷りの+30円、『金星応答なし』が+20円。

 いやあこれはけっこう意外な本ですねえ。ここまで既刊42冊。『金星応答なし』が27冊め。それ以前に出ている『鋼鉄都市』『アンドロイド』『都市』『海底牧場』『火星の砂』『火星人ゴーホーム』『宇宙の眼』『刺青の男』といったところは売れていないということらしい。

 『金星応答なし』はたしか映画がからんでいたと思うのだけど、この『21世紀潜水艦』のヒットはなんなのだろう。こっちも映画がらみだっけ。でも、『金星応答なし』が止まった後も、ずっと売れているんだよね。ぼくはその理由として軍事おたくが、むかしからいっぱいいて、とくに冷戦華やかりし時期にSFのなかに大量にまぎれこんできたという説を唱えている。

 43冊目のグロフ・コンクリンの『宇宙恐怖物語』。これがはじめての300円台、それもいっきに360円という強力無比な値段である。


 ここで突然とんでもないことに気がついている。版を重ねるごとに値段をあげる早川書房の悪徳商法を糾弾しようという趣旨で、いじこく値段のチェックをしようとしたのだけれど、ただの読者であったむかしとちがって、出版事情がある程度わかるようになってきたぶん、矛先が狂ってきた。

 HSFSってぜんぜん売れてないじゃない!

 鳴物入りで創刊された第1号の『盗まれた街』の2刷りめが5年後である。文庫じゃないから何万部も刷れるはずがない。同じ月にポケミスだけでも6冊くらい新刊が出ている。倉庫の容量から逆算しても見当がつくというもの。3千から5千部くらいじゃないかといった噂を聞いたこともあるけれど、たぶんそれくらいのものだろう。

 まして重版となると多くてその半分くらいの部数とみるのが、まあふつうである。

 ということは、5刷りまでいっても1万部あるかなしか。

 そんでもってぼくの持ってる本で3刷り以上になってるのって、ほとんどなかったりする。

 これはたいへんなことである。

 SFファンというものは、少なくともぼくの同世代前後のSFファンというものは、創元50冊、HSFS100冊の合わせて150冊程度は読んでいるはずだ、とぼくは頭から思いこんでいた。そして、そんな人間が、全国に、少なくとも10万人くらいいるはずだと考えていた。

 だけどこうした数字を順番に拾っていくと、そういう、ぼくが基礎教養だと信じこんでた知識について共有している人間の数は、へたをすると万のオーダーを割りこみかねない。それがもし正しいようなら、自分の書いてる文章の、想定している読者について、実情とかなり大きな誤差がでてくる。

 なんと小さな世界!

 そしてそういう小さな世界を相手に、5年ぶりの重版をたった10円しかあげなかった早川書房の営業方針というものは、これはこれでなかなかに良心的といっていい。


 ということで、HSFSの重版状況を調べてみようと思いたった。これが口でいうほど簡単ではない。

 こんなものは出版社に聞いても、ふつう教えてくれないものだし、だいいちわかってなかったりする。結局持っている本の奥付をあたる以外に方法がないわけだけど、同じ本を重版別に持ってる人間なんてふつういない。いたら病気だ。

 で、何人かの方々の協力を得て、わかったかぎりというのが次のページの表である。(ご協力いただいた方:まきしんじ、小浜徹也、中村融、山岸真、大森望)

【現在からの注 ごめんなさい。表がどっかにいっちゃいました】



 とりあえず、62年の4冊、63年のの11冊、64年の確定している2冊についてもう一度並べておこう。
 62年『盗まれた街』『吸血鬼』『21世紀潜水艦(2・3刷り)』『金星応答なし』
 63年『吸血鬼(3刷り)』『21世紀潜水艦(4刷り)』『宇宙の眼』『鋼鉄都市』『アンドロイド』『海底牧場』『火星の砂』『来るべき世界の物語』『宇宙気流』『太陽の黄金の林檎』『タイム・マシン』
 64年(4月時点)『時間溶解機』『宇宙恐怖物語』

 ごらんのようにウエルズが強い。アシモフ、クラークも室町書房の再録をこなして元気がいい。ブラッドベリは一点送りこんだものの最初に出た『刺青の男』がまだ初版のままである。ハインラインも出遅れている。

 版を重ねた主な作品を表にしてみた。ただし65年以降の本の、かなり惨澹たる状況と比べてみるため、上段については、本来ふくめるべき作品のかなりの数をはしょっている。(『吸血鬼』『アンドロイド』『都市』『火星の砂』『地球の緑の丘』など)

 クラシックや創元競合本での意外な健闘がある。とくに金背においては、ぼくなんかとまるで異なる読者層があったのだなと痛感する。

 なにぶん中途半端な表であります。興味を持たれたかたは、この虫食いの穴埋めにご一報くださいませ。(できれば何年何月何日までの情報を)

 重版状況を調べているうちに、気がついたことがひとつある。

 ノヴェライゼーションが強いとか、古典的評価が確立した作品はやっぱり強くなるとかいったことは、いまと同じで別に驚くことはないのだけれど、なんと短篇集がよく売れているのである。

 じっさいぼくも、むかしは短篇集の方が1冊で何回も楽しめるから得だ、シリーズものは1冊でかたづかないから損だといった感覚があった。

 こうやってみると、むかしはそういうふうに考える人間がやはり多かったのだ。いちいち構えなおさないといけない短篇集より、思考停止をしてだらだら読みつづけられるシリーズものの方が楽でいいといった反応は、結局出る本の量、読むつもりの本が量が増えてきた時点での読み手の側のある種の防衛機構かもしれない。

 さて、64年である。3060番から3077番。この年の前半で、SFの名作を網羅するというHSFSの当面の意図が終結したようにみえる。それほどに、この年の前半の大物の集結ぶりと、後半の小ぶりな、しかし現代的になった作品との落差ははげしい。

 6月まで刊行された本は全部で12冊。

 『SFMベスト 2&3』『第四間氷期』『影が重なるとき』『妖精配給会社』に『幼年期の終り』『虎よ、虎よ!』『華氏四五一度』『超生命ヴァイトン』といったところが並ぶ。半分近くが再録である。

 なかなかのものである。

 じっさいにぼくがHSFSに接するのは、68年前後である。その時点でのHSFSの出版点数は200点に達している。

 しかし、その時点においても、名作の宝庫といった早川SFシリーズのブランド・イメージは、ほとんどこの70冊に網羅されていたのである。

 とりあえず、ここまでの70冊中、50冊ほど読んでいればSFファンとして、だれにも胸を張ることができたといっていいだろう。

 当初の70冊をほとんど読んでなかったら、残り130冊中100冊を読んでいたとしても、SFを知っていると口にするのがはばかられるというくらい、当初の70冊には重みがあった。

 しかし同時に一方で、そうした重みは、元々社や講談社の再録に支えられた重みであった。元々社と、HSFS別動隊だった講談社版をひとくくりにして論じるのはじつはちょっといけないことではあるのだけれど、じつのところ、再録本を切り離し、オリジナルだけで比較してみた雰囲気では、元々社の最新科学小説全集のラインナップの方が、HSFSよりも現代SFの宝庫としての風格を強く漂わしていたりする。

【早川SFシリーズ主要重版作品】

 タイトル  1 2 3 4 5 6 7
 盗まれた街 57 62 65 66 73
 21世紀潜水艦 58 62 62 63 69 73
 鋼鉄都市 59 63 67
 刺青の男 60 69 74
 金星応答なし 61 62 67 69
 超能力エージェント 61 73
 宇宙恐怖物語 62 64 65 69
 人間以上 62 67 69
 火星年代記 63 68
 われはロボット 63 65 68
 夏への扉 63 68
 華氏四五一度 64 67
 幼年期の終り 64 67
 虎よ、虎よ! 64 67 69
 SFマガジン・ベスト1 63 66 71 73
 SFマガジン・ベスト2 64 66 67 73
 SFマガジン・ベスト3 64 65 73
 SFマガジン・ベスト4 64 66

 タイトル  1 2 3 4 5 6 7
 ヒューゴー賞傑作選1 65 67 71 74
 ヒューゴー賞傑作選2 65 67 71
 太陽の影 65 66
 宇宙震 65 66 71
 裸の太陽 65 71
 宇宙の孤児 65 67
 恋人たち 66 67
 地球巡礼 66 67
 タイム・パトロール 66 66
 時間と空間の冒険1 66 69 73
 発狂した宇宙 66 71
 宇宙の監視 67 68 70
 秘密国家ICE 67 67
 宇宙の戦士 67 68
 地球の長い午後 67 70 71
 ミクロ潜行作戦 67 69
 宇宙軍団 68 71
 人間がいっぱい 71 73 73

早川SFシリーズ日本作家
 タイトル  1 2 3 4 5 6 7
 墓碑銘2007年 63 72
 地には平和を 63 71 72
 宇宙のあいさつ 63 72
 第四間氷期 64 69
 影が重なるとき 64 67 72
 妖精配給会社 64 72
 落陽22一7年 65 72
 日本売ります 65 72
 東海道戦争 65 67 72
 ある生き物の記録 66 69 72
 SFの夜 66 71
 ベトナム観光公社 67
 悪魔のいる天国 67 72
 神への長い道 67 70
 アルファルファ作戦 68 72
 午後の恐竜 68 72
 星殺し 70 72
 馬は土曜に蒼ざめる 70 72

クラシック・創元競合作品状況
 タイトル  1 2 3 4 5 6 7
 来るべき世界の物語 61 63 71
 タイム・マシン 62 63
 マラコット海淵 63 67
 トリフィドの日 63
 宇宙戦争 63
 地底旅行 63 69
 破壊された男 65
 重力の使命 65 71
 宇宙のスカイラーク 66
 都市と星 66 67
 スカイラーク3 66 69
 最初のレンズマン 67
 観察者の鏡 67
 銀河パトロール 67
 ヴァレロンのスカイラーク 67
 銀河帝国衰亡史 68
 天界の王 69 73
 山椒魚戦争 74


 HSFSは24冊めまでで第一弾の企画を終了した。

 71冊めまでで、第2期を終えた。

 そして、6月から9月まで間があく。

 第3段階の始まりである。

 ポール・アンダースン『最後の障壁』。ウィルスン・タッカー『時の支配者』。エドモンド・ハミルトン『虚空の遺産』。ルイス・パジェット『ミュータント』。ポール・アンダースン『審判の日』。『SFMベスト 4』

 これが64年の残りの作品。

 『SFMベスト 4』は連続企画物なので、とりあえず別にして、他の作品を眺めると、まず、再録がない。

 65年にはいっても、27冊中、純然たる再録は講談社SFシリーズの最後の1冊『裸の太陽』があるだけである。

 ただし、SFM掲載作を中心にした短篇集

については意欲的に企画を打ちだす。

 日本作家の短篇集は、光瀬、小松、眉村、海野、筒井と5冊に及び、さらに、ヴァン・ヴォクト、マレー・ラインスターの短篇集を独自に編集する。海外作家の個人短篇集を編集部で独自に編むというのは、HSFSのなかでこの時期だけである。(なお、編集部編の個人短篇集はHSFSとしてはあと1冊だけある。この時期に先だつ64年2月のフレドリック・ブラウン短篇集『わが手の宇宙』である)


 64年の後半にもどろう。

 ポール・アンダースン2冊というのは、いったいなんなのか。(それもどっちもはっきりいって凡作である)

 問題はアンダースンではない。

 このアンダースンの2冊の原著発行年が、それぞれ63年、62年というバリバリの新作だということである。さらに、エドモンド・ハミルトンの名前で見まちがってはいけない。『虚空の遺産』も60年刊行の本である。

 驚いてはいけない。この本が出るまで、HSFSは60年代の刊行された本は2冊きりしか出ていないのである。その2冊も『最終戦争の目撃者』『宇宙行かば』。版権争奪にひっかかったような最終戦争ものと、時期を逃すと売りようのないノヴェライゼーションである。

 もちろん、最初のHSFSが出たのが57年12月だから、そんなに驚くべきことではない。

 第1号である『盗まれた街』は55年の本だから、原著刊行からほぼ2、3年の間で訳され出版されていることになる。

 実際、当初の24冊については43年刊行の『ドノヴァンの脳髄』以外すべて50年代本で刊行3、4年で翻訳されている。

 差が開き始めるのは、やはり第2期25冊めからである。

 この急激な変化の理由と推定できそうな2つの要因がみつかる。ひとつはSF紹介の第2世代の登場である。伊藤典夫、浅倉久志、野田昌宏が活発な活動を開始するのがこの時期からである。

 伊藤典夫のSFMデビューは62年9月号。リチャード・マティスンのショート・ショート「男と女から生まれたもの」である。その後しばらくは目だたない動きだったが、63年11月号ウィリアム・テン「非P」を皮切りに、ほぼ毎号中短篇を紹介するようになる。そして64年1月号からは「SFスキャナー」の前身「マガジン走査線」が始まる。

 SFシリーズは次の通り。

 3083『破壊された男』     65年5月
 3106『恋人たち』       66年2月
 3139『地球の長い午後』    67年4月
 3203『10月1日では遅すぎる』 68年12月
 3268『ニュー・ワールズ傑作選』(共・浅倉久志) 71年4月
 3285『黒いカーニバル』    72年1月
 3306『世界の中心で愛を叫んだけもの』(共・浅倉久志)    73年7月

 これに『猫のゆりかご』や『200一年:宇宙のオデッセイ』が加わるわけだから、やっぱりすごいよなあ。名作という言葉のもつ鈍重な響きがないところがすごい。福島名作路線にはそれがあるのだ。でも、どっちが売れるかとなると、たぶんあっちのほうが読者を獲得できるはず。

 次に浅倉久志。

 SFMデビューは伊藤典夫に1号遅れの62年10月号。フレデリック・ポールの「蟻か人か」が皮切りで、積極的な活躍は65年くらいから。ただし、単行本の翻訳は伊藤典夫より早く、64年11月の『ミュータント』が第1作。

 3075『ミュータント』     64年11月
 3084『重力の使命』      65年6月
 3122『宇宙零年』       66年9月
 3138『自由未来』       67年3月
 3143『時の歩廊』       67年5月
 3148『大いなる惑星』     67年7月
 3157『タイム・トンネル』   67年9月
 3164『宇宙兵ブルース』    67年12月
 3167『タイム・スリップ!』  67年12月
 3181『時の凱歌』       68年5月
 3206『テクニカラー・タイムマシン』69年1月
 3211『無限軌道』       69年3月
 3223『アンドロイドは電気羊の夢をみるか』69年6月
 3248『時の仮面』       70年4月
 3269『人間がいっぱい』    71年4月
 3287『タイタンの妖女』    72年3月
 3308『爆発星雲の伝説』    73年9月
 3318『殺意の惑星』      74年11月

 伊藤作品と対象的にいわゆる傑作が少ない。どの作品も、洗練されてスマートな反面、重々しさに欠けている。

 ただ伊藤作品が存在しなくても、SFというジャンルはなくならないけど、浅倉作品を消してしまうとジャンル自体が崩壊する。個々の作品は軽いけど、全体としてはそれくらいの重みを持っている。

 矢野徹、福島正実、伊藤典夫、浅倉久志、野田昌宏。この5人のうちのだれか一人の翻訳作品だけを全部読んでいる人間がいたとしたら、いちばんお友だちになりたいのは、浅倉本の読者である。

 伊藤典夫系というのは、じつは後継者があまりない。ポリシーからいうと鏡明がそうなのだけど、そのポリシーのせいで、伊藤典夫とまるで異なる作品群を指向してしまう。しいてあげれば、安田均、大野万紀、米村秀雄と旧KSFAを一まとめにした集団だろうか。

 そのあとに、やや浅倉がかった大森望がつづく。

 浅倉久志系翻訳作品群の後継者としては、岡部宏之、酒井昭伸、内田昌之がいる。

 現実にこの人の翻訳本しか読んでいないという読者を抱えているのが、野田昌宏。

 スペース・オペラというものを蔑視してきた若いころの習慣をわたしゃまだまだ捨てきれてない。

 「SF英雄群像」はSFMの63年9月号から始まる。その実績をひっさげて、スペース・オペラの翻訳を無人の野を行く気ままさでこなしていく。

 3107『太陽系7つの秘宝』
 3118『謎の宇宙船強奪団』
 3132『時のロスト・ワールド』
 3177『暗黒星通過!』
 3187『宇宙軍団』
 3208『航時軍団』
 3217『天界の王』

 うーむ。1冊も読んでないや。『スター・キング』は読んだ気がするけど。なんにも言わないことにしよう。

 この時期登場したもうひとりの翻訳者に川口正吉がいる。特定のカラーに偏することなく、SFの訳されるべき作品を教養主義的に押さえていくという福島正実のポリシーを体現した活躍をする。この人の翻訳作品が抜けていたらHSFSは安定感に欠けたシリーズになっている。でも、全体に鈍重。途中からクラシック専門になってしまうし。

 3074『虚空の遺産』
 3077『高い城の男』
 3091『闇よ、つどえ』
 3094『ヒューマノイド』
 3101『未知の地平線』
 3108『宇宙のスカイラーク』
 3125『スカイラーク3』
 3155『最初のレンズマン』
 3166『ヴァレロンのスカイラーク』
 3199『イシュタルの船』
 3212『時の塔』
 3221『金属モンスター』
 3235『3惑星連合』
 3242『ムーン・プール』

 こうした第2世代の登場がSFシリーズ変化の内因だとしたら、外因ではないかと思われるもうひとつの要因がある。創元推理文庫の出現である。

 ちょっと調べきれてないのだけれど、フレドリック・ブラウンの『未来世界から来た男』の初版が63年9月、『宇宙船ビーグル号の冒険』が64年の2月でこの本のあとがきによると『ビーグル号』はSFマークの6冊めにあたるとの由。

 この時点において、日本におけるSFのほぼ管理一元化を果たしていた早川書房にとって、コントロール不能の別勢力の台頭は、かなりの危機感をもったことは想像にかたくない。

 しかも、64年という年は、アメリカにおけるSFブームのひとつの頂点というべき53年から、まるまる10年経過した年なのである。

 日本に対して翻訳権10年留保という特別権利が70年まで認められていたのである。翻訳出版に関して、この特別措置とのからみがあまり言及されないのはどうしてだろう。とりあえず、次のページの表をひとつの資料にしていただくということで、疲れてきたので、これにておしまい。

【原著刊行10年内翻訳刊行本】(3025以降)

No. タイトル  原 翻 間 (特殊事情)

25 火星の砂 52 61 9 再録
26 宇宙商人 53 61 8
28 超能力エージェント 54 61 7 再録
30 宇宙気流 52 62 10 再録
31 最終戦争の目撃者 60 62 2 *最終戦争ブーム
32 太陽の黄金の林檎 53 62 9
36 脳波 54 62 8
38 人間の手がまだ触れない 54 62 8  再録
43 宇宙恐怖物語 55 62 7  再録
44 地球脱出 58 63 5
46 人間以上 53 63 10
55 宇宙行かば 60 63 3  TV
58 夏への扉 57 63 6
68 虎よ、虎よ! 56 64 8  再録
69 破滅への2時間 58 64 6  映画・最終戦争
72 最後の障壁 63 64 1
74 虚空の遺産 60 64 4 76 審判の日 62 64 2
78 高い城の男 62 65 3
79 ヒューゴー賞傑作選12 62 65 3
87 渇きの海 61 65 4
90 裸の太陽 57 65 8  再録
93 勝利 63 65 2  最終戦争
98 地球人よ、故郷に還れ 55 65 10
101 思考の網 61 65 4
103 宇宙の孤児 63 65 2
104 地球の脅威 59 65 6
106 恋人たち 61 66 5
110 地球巡礼 57 66 9
111 都市と星 56 66 10 13 タイム・パトロール 60 66 4
116 天翔ける十字軍 60 66 4
122 宇宙零年 56 61 10
126 中継ステーション 63 66 3 29 火星のタイム・スリップ 64 66 2
130 よろこびの機械 64 66 2
136 宇宙の戦士 59 67 8
137 象牙の城 65 67 2
138 自由未来 64 67 3
139 地球の長い午後 62 67 5
141 秘密国家ICE 59 67 8
144 ミクロ潜行作戦 66 67 1  映画
146 標的ナンバー10 65 67 2  映画
148 大いなる惑星 57 67 10
151 異星の隣人たち 60 67 7
153 タイムマシン大騒動 64 67 3
154 第5惑星 63 67 4
157 タイム・トンネル 67 67 0  TV
162 宇宙のかけら 62 67 5
164 宇宙兵ブルース 65 67 2
167 タイムスリップ! 67 67 0  TV
168 インベーダー 67 68 1  TV
170 太陽自殺6668 66 68 2
171 アンドロメダのA 62 68 6



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