BBSやニューズグループに比べてインタラクティヴ性が低いと言われてきたWWWだが、個人ページの爆発的増加にともない、ページ間のダイナミックな交通が日常化しはじめている。メールのやりとりや訪問者リストへの記帳、フリーボードシステムetc.を通じてのコミュニケーションから、IRCによる深夜チャット、個人ページャ同士のオフライン宴会まで。パソコン通信で育まれてきたオンライン社交文化が、WWWに移植される。テクノロジーがどう進歩しようと、人間やることは同じ――と言ってしまえばそれまでだが、WWWもパーソナルメディアとしてだけではなく、コミュニケーションの場としてようやく成熟を迎えつつあるのかもしれない。しかし、この種の変化は、オンラインコミュニケーションのダークサイドとも無縁ではありえない。ページ間の交通の増大は、必然的にトラブルをも呼び寄せる。日本のパソ通文化では「バトル」、インターネットでは「フレイム(flame)」と通称されるオンライン喧嘩が、このところWWW上の各所で観察されるようになってきた。最近の典型的な2件を例に、WWWコミュニケーションの問題について考えてみたい。
ひとつはコモエスタ坂本(http://www.asahi-net.or.jp/%7Elz3t-skmt/)の「嬲リンク」をめぐるトラブル。嬲リンクというページの存在自体、「みんなで仲良くページをつくって、ウェブ文化を発展させましょう」式の戦後民主主義的欺瞞を鋭く暴きたてる。rape.htmのファイル名が端的に示すとおり、このリンク集は、「ろくでもない小娘ページ」へのポインタを集めて侮蔑的なコメントをつけることで、女性性を無自覚に切り売りするページに反省を促す(要は「嬲りもの」にする)ことを主目的としている。
WWWユーザの善意を無根拠に信じて、自分自身の写真や詳細な履歴など、本来秘匿すべきプライバシーを全世界に向かって公開している人々にとって、嬲リンクが一種のカルチャーショックを与えたことは想像にかたくない。嬲リンクにリンクされ、ショックで泣いちゃったとか、ページを削除したとか、被害者の反応まで含めて面白おかしく紹介するのだから凶悪で、まあ鬼畜系ページであることはまちがいないにしろ、しかしそこにある種の爽快さがあることも否定できない。しあわせそうに自分の世界に浸る小娘ページをブラウズした瞬間の「けっ」という気分を、嬲リンクは明晰に言語化する。
嬲リンクは、コンセンサス形成途上のWWW文化にさまざまな問題を提起してきた。リンクを望まないページに無理やりリンクするのはネティケット(net+etiquette)違反だという不文律に明確な根拠はあるのか。個人ページに対する罵倒は人身攻撃なのか。さらに、プロバイダ側がこのページのコンテンツに介入したことにより、WWW上の情報は通信なのか出版なのかという根元的な問題さえ顕在化する。それは、96年7月15日現在、http://www.asahi-net.or.jp/%7Elz3t-skmt/rape.htmのリクエストに対して返される、not foundのメッセージが雄弁に物語っている。
要するにですね、嬲リンクは(少なくとも傍目には)悪意をもって女性ページを収集してたんだけど、それと同じことを(少なくとも本人のつもりでは)善意でやっていたページが存在し、コモエスタ坂本はそのリンクページをまるごと嬲リンクに入れてしまったわけである。当然、「善意の人」は激怒し、「ただちに嬲リンクを廃止せよ。謝罪文を掲載せよ。住所氏名電話番号を通知せよ」などの要求を記したメールを発送。これに応じてコモエスタ坂本はただちに嬲リンクを廃止(して、同時にタイトル以外なにも変わらない「新・嬲リンク」を開設)、謝罪文(「みんなで×××××を応援しよう!」)を掲載、住所氏名電話番号を通知した上で、その経緯の一部始終をWWW上に発表した。
このへんのやりとりは筆舌につくしがたい面白さなのだが、善意の人は対抗手段としてプロバイダ(ASAHIネット)に直訴、嬲リンクにおける発言が誹謗中傷にあたると判断したASAHIネット事務局はコモエスタ坂本にメールで「8時間以内に該当ページを削除するよう警告」し、それが無視されたため、プロバイダによる削除が実施された(以上の事実関係の要約は、コモエスタ坂本氏によるWWWページ上での報告http://www.kt.rim.or.jp/~como/delete.htmをもとにしているものであり、事実と異なる可能性はあります)。
商用BBSでなら、この種のトラブルは日常茶飯事だろう。NIFTY-Serve用語に翻訳すれば、あるフォーラムで批判されたことに腹を立てた人物が、その相手に削除を要求、相手が応じないためシスオペにメールを出し、シスオペが削除。あるいはセンター宛てメールを出し、ホスト局のスタッフが介入して解決を図る。ホームページはフォーラム以上の自治権と独立性を持っているわけだから、「いきなりセンター宛メール」的な今回の抗議も、まあ(ある種の思考方法をする人にとっては)当然の対抗策ではある。じっさい、嬲リンクと同傾向の(ただし、小さくはない違いがある)「電脳醜女」ページでも、同様の事例(善意の第三者からの、プロバイダへの抗議メール)が報告されている。
プロバイダは商売で個人ユーザにディスクスペースを提供しているわけだから、商売にさしつかえるページ(他のユーザから反感を買う可能性が高いと判断したページ)をつくられてしまった場合、警告のうえ削除する権利は当然ある(もちろん、それに反発した悪質な(笑)ユーザからクラッキング等の被害に遭うリスクもゼロではない)。しかし、(検閲だの表現の自由だのの言葉はなじまないにしろ)コンテンツに対してなんらかの価値判断を下すということは、プロバイダ側で個人ページのコンテンツに対して一定の責任を負うことをみずから認めたことになる。
商用BBSの事例としては、NIFTYの某フォーラムを舞台に発生した名誉棄損に対する民事裁判が現在進行中だが、この裁判ではシスオペ並びにNIFTY-Serve側も被告として訴えられている。フォーラムの自治を御旗に掲げてきたNIFTYでさえ管理責任を問われるのだから、プロバイダが管理強化の方向に走るのは当然かもしれない。将来的には、お行儀のいいページばかりを集めたプロバイダと、なんでもありの許容度をウリにするプロバイダとのあいだで棲み分けがはじまるだろう。
パソコン通信の場合、十年を越える長い歴史のあいだに、一定のトラブルシューティング処方箋が磨かれているためか、裁判にまで持ち込まれるケースは少ない。しかし、BBS文化と無縁だった層がインターネットに大量流入しつつある今、誹謗中傷に対する免疫も危機管理能力もない善意の人々は、この種のトラブルにどう対処するのか。混沌に拍車がかかるだけならまだしも、彼らが一定の秩序を求めて管理の必要性を説きはじめたとき、(とくにこの国では)幸福なアナーキズムが一夜にして潰え去る危険性は充分にある。
もうひとつ、個人的にも多少の関係があった最近の例に、日記リンクスを震撼させた6.30事件がある。津田優が主催する日記リンクス(http://nikki.ita.tutkie.tut.ac.jp/nikki/)は、600を越えるWWW上の日記を収集する世界最初で最大の日記リンクページ。当初は津田優が個人的にネットサーフして集めてきたポインタを公開するだけのリンク集だったが、ユーザが自分で自分の日記を勝手に登録できるCGIシステムが用意されたあたりから加速度的に参加ページが増え、インターネット雑誌などの活字メディアで紹介されることが多くなる。同時に、リンクスの下に置かれた「WWW日記人気ランキング」にも、それなりの権威が生じてくる。津田リンクスから飛んだアクセス数だけがカウントされるシステムだから、その日記に対するアクセス実数を反映するものではない。しょせんは個人ページのお遊び――だが、たとえ遊びでもランキングに参加すればトップを狙って燃える人がいるのは当然の話。
さらに600人も集まれば、統計的に考えても、ふつうでないことを考える人間は出てくるもの。創設当初からの古参メンバー(といっても、たかだか一年少々しかたっていないのだが)の「内輪ネタ」に対する批判、他日記に対する攻撃、自分の日記に対する過剰投票、気に入らない日記の登録変更用パスワードの盗用etc.の行為をくりかえす秩序紊乱者が登場し、またその行為に対してシンパシーを表明する日記も現れる。
運営サイドに対して敢然と戦いを挑むユーザに支持者がつくのは、これまた商用BBSでうんざりするほどくりかえされてきたこと。ただし、この件の舞台はあくまでも津田優の個人ページ。参加者が増えたことである種の公共性が生まれると考えたとしても、たとえば商用BBSの電子会議などと比較して、個人ページの公共性がきわめて限定されたものであることは明らかだろう。
「6.30事件」とは、度重なる「不正投票」に業を煮やした津田優が、アクセスランキングを停止し、さらに秩序紊乱者と見なされる人物の日記登録を、津田リンクスからすべて削除した事件を指す。ただし、ASAHIネットによる嬲リンク削除と違って、これがデータそのものの削除ではなく、個人のページからポインタを消したに過ぎないことは注意しておくべきだろう。とはいえ、それさえも「管理者による検閲」と見なす人間もいて、リンクスに登録された日記の一部は津田批判を展開。更新速度ランキングや新規登録ページを使ったテロ行為(おなじ日記を数十回にわたって新規登録するetc.)も勃発し、ついに津田リンクス上のすべてのCGIが停止に追い込まれることになった。
「管理者による削除→反発したユーザーによる破壊工作」の図式も、これまたパソ通で難度となく繰り返されてきたことで、テクノロジーがどんなに進歩しても人間のやることにはまったく進歩がない――というのはある意味でほっとする事実でもあるが、コミュニケーション量が増大すれば、この種の摩擦がどんどん増えてくることも避けられない。その摩擦を火事場見物的に楽しむのが正しいフレイム観賞なのだが、免疫のないユーザにそれを期待するのはたぶん困難だろう。商用BBSやニューズグループのローカルな不文律が自動的にWWWにまで拡張されるわけではない。いまのところ、WWWはルール無用のジャングル状態だが、この幸福な混沌がいつまでつづくのか。インタラクティヴィティの向上にともない、オンライン文化は否応なく成熟を迫られることになる。