記憶のノート (4)


 





夕日のオレンジとほたる山の青が交ざりあった色は空や雲を染めて
段を作りながら線路の向こうまで続いている。
ちょうどこの時は風の温度が変わる時刻で、少し強くなる東からの風が僕の
汗ばんだTシャツを乾かしてくれる。
僕は自転車を手で押しながら配達所にむかっていた。
親方には言わなくちゃいけない。
僕に教えてくれたのも親方だし、あんなに親切にしてくれた。
「もう、新聞配達もできないのかもしれないな。」
いつものように、夕日を背中に感じながら僕は汚れた看板を見つけていた。

「ん、どうした?」
親方は余った広告類を棚から下ろして、紐で結っていた。
まがった腰が、親方の暖かさや匂いを感じさせる。
「いや、あの。」
親方は立ち上がって、僕をじっと見た。
「お前、入るんだな。」
「はい。」
「そうか。言った俺が悪かったのかな。まあ、いい。」
と言った後に、悲しそうな顔をする。
「すみません。」
「親のためか?」
「大事な人のためです。」
「そうか。」
そう言って、僕に背を向け奥に消えた。何人もの配達員が僕のようにやめて
いって、帰ってこなかったんだ。
親方もつらいんだろう。
しばらく待っていたけど、いっこうに戻ってこないので僕は帰ることにした。
「ちょっと待て。これを持っていけ。」
親方は奥の部屋から僕を呼び止めた。
右手に小さな子箱を持っている。
「これって。」
「いいから、持っていけ。」
「開けてもいいですか。」
「ああ。」
箱を開けると、そこには透明な中に赤とピンクが交ざりあう、
綺麗な玉のようなものがあった。
「これ、もしかして、宝石ですか?」
親方は笑って、
「ははは、ただのガラス玉だ。」
と言った。
「それを持っていけ、何かの役に立つはずだ。」
「親方?」
「俺の小さいころ、親にもらったものだ。ここに住む人間はみんな
 持っている。それほど、高価なものじゃあないが、魔よけの意味で
 ここでは重宝されているんだ。お前も持っていけ、そしてちゃんと返せよ。」
親方は僕の背中をバンと叩いた。
「あ、はい。」
僕はお辞儀をして、走りだした。
そうだ、戻ってこなくちゃ意味がない。
レイを救けるために僕は行くんだ。
僕は戻って、彼女を救けなくちゃいけない。
僕が死ぬということは、レイも死んでしまうということなんだ。
だから、僕は絶対に・・・・・・・・・・・・・・。

一 一 一 一 一 一 一 一 一 一 一 一 一 一 一 一 一 一 一

日はすっかりほたる山の向こうに落ちて、青い闇が僕らのうえに落ちてくる。
ほたる山の青さは、僕が見たなかで一番濃いものだったかもしれない。
僕は鍵を回し、銀色のノブを押した。
「ただいま。」
「おかえりなさい。」
レイはベッドに腰掛けて座っている。
彼女の体は明かりの付いていないこの部屋と同化していた。
ラピスラズリのような深い青のワンピースが、彼女の姿を見えなくする。
「お願い。」
かすかな声でそう言ってから、彼女は胸に抱えていたミャオをぎゅっと抱き締める。
暗くてよくわからなかったけど、彼女の瞳には涙が浮かんでいたようだった。
胸が熱くて、苦しくて、痛かった。
僕はゆっくりと歩み寄り、彼女に小さな子箱を手渡す。


「うん、一緒に行こう。」

一 一 一 一 一 一 一 一 一 一 一 一 一 一 一 一 一 一 一

以前に買った彼女の膝かけ。
茶色の地に、だいだい色やこげ茶色で曲線と直線が交差していた。
僕はそれをレイの膝に、そっと置く。
「寒くない?」
「ええ。」
とレイは言った。
夜12時にもなると、僕らの町は少しだけ風が強くなる。
山に囲まれた所なのに、夜だからだろうか、海の、潮のかおりが
ひやっとした風に乗ってくる。
「行くよ。」
彼女は後ろの荷台に横向きに座っている。
「ええ。」
レイは微笑んだ。
「ミャォォ。」
前のかごに乗っかっているミャオが叫んだ。
「っと、ミャオも準備はいい?」
海よりも深い青い瞳で僕を見ている。
ミャオはうなずいた。・・・・ように見えた。
僕はもう一度後ろを振り返った。
宇宙の青さを写しだすようなワンピースと田舎町のはかない夜空が、
レイの白い肌だけを際立たせていた。
何も言わずしばらく見つめあう。
お互いに微笑んでから、僕は前を向き、ペダルに足をかける。
「しっかり捕まっててね。」
「うん。」
レイは両手を僕の腰に回し、僕の背中に胸と頭を押しつけた。

一 一 一 一 一 一 一 一 一 一 一 一 一 一 一 一 一 一 一

一時間ぐらい走っただろうか。
真っ暗な杉林が僕達のまわりを取り囲み、暗い森林を一層不気味に匂わせる。
体の何十倍もあるその木々が、僕らを勝ち誇ったように見下ろしていた。
近くでは小川が流れているのだろうか、せせらぎの音がじめっとした空気を
少しだけ緩和してくれていた。
僕達は夜の蒸し暑さと、蝉や鈴虫の鳴声を感じながら、一本の細い土の道を
進んでいた。
ペダルをおもいっきり踏み付けて風を巻きおこす。
やわらかなそれが気持ちよくて上を見上げる。
前よりも一段と光り輝く一点の光りが、ほたる山から射していた。

しばらくすると、杉林は消えて目の前がぱっと開けた。
そこは、結構大きな空間になっていて、木は切り倒され、暗くてよく
わからないけど、奥の方にふるびた神社のようなものもあった。
ペダルを踏み続けると土の道が石畳に変わった。
がたがた揺れる道を僕達は進み続ける。
「わっ。」
小さい声をもらす僕。
目の前に表れたそれに、心底驚いてしまったんだ。
自転車のライトがうっすらとそれを照らす。
「お地蔵さま。」
後ろのレイがそう言った。
僕らの視界に飛び込んで来たのは、石畳の道の両脇に奥まで何百と続く、
地蔵の列だった。
背丈はバラバラで、一つ一つに特徴のある地蔵だった。
半分腕のないものや、首のないもの、たてに真っ二つに別れているものまである。
それら全てに赤い前掛けと、黄色い花が供えられていた。
うるさいぐらいに響いていた虫の鳴声は、僕のなかで引いていった。

僕達は神社の前に立っていた。
何十年、誰にも踏み荒らされず、自然と老朽化している感じのそれには、
神聖さというよりも不気味さだけが気の腐った匂いと一緒に漂っていた。
僕達は自転車をその神社の脇にある井戸の近くに置く。
月が雲から出始めていた。
「大丈夫?」
と言って、レイの右手を僕の肩にまわし、彼女の腰をささえる。
「うん。」
と、僕の耳元でささやくレイ。
本当は車椅子を持ってくる予定だった。
でも山道を車椅子で登のはかなりつらい。
だから、僕の肩に捕まって登ったほうがまだ楽だと思ったんだ。
左足が疲れたら、おぶってもいいし。
「シンジ君?」
「なに?」
あわてて横を向くと正面にレイの顔があって、首を後に引いてしまう。
「ミャオがいないの。」
「え?」
そうだ、さっき自転車のかごから下ろして、そのままだった。
僕達は辺りを見回した。
さっきの不気味な地蔵の列、ひっそりとした神社。
そして、赤いポール。
なんだ?
僕はその上を見た。
それは、鳥居だった。
とても大きい。
雲がいつのまにかどこかに消えていて、星屑たちが手の届きそうな距離で
またたいていた。
真っ赤な鳥居は、真丸に輝く月の光を浴びて朱色に染まっている。
僕のまわりを冷たい風が過ぎ去っていった。
「ミャァォォ」
遠くから悲鳴のような叫び声が聞こえてくる。
耳をつんざくような引き裂くようなその鳴声に、足の先から鳥肌が
頭のてっぺんまでかけのぼった。
僕とレイは顔を見合わせる。
「行こう。」
声は鳥居の向こう側から聞こえてきた。


真っ白のしめなわが、ずっと奥までのびている。
どうやら、このほたる山を取り囲んでいるようだった。
しめなわの向こうには、細い道が森のなかに消えていっている。
「ミャォォ」
横を見ると、三つある地蔵の前にミャオは座っていた。
その地蔵はちょうど道の正面にりんと立っている。
まるでこの山に入る人を見張っているかのように。
しかも、それには今までの地蔵と違う部分があった。
三体とも両手を前に出して、何かを恵んで欲しそうに見つめている。
目は山のように湾曲していて、背筋が凍り付くほど不気味だった。
「大丈夫?」
レイが僕の右手ギュッと握ったので、心配して言った。
「うん。」
と言ったものの、彼女は少し震えているようだった。
寒さのせいかもしれないけど。
来るまでは暑かったはずなのに、ここにきて急に寒くなってきていた。
ここの雰囲気のせいだろうか、現実とかけ離れた感じのする。
風が強くなってきた。
「ミャォォォォォァァォォォォァァァァ」
ミャオが不気味な声で鳴きはじめた。
「ミ、ミャオ?」
と言った僕の言葉も通じず、ただ地蔵にむかって叫んでいる。
シンと静まり帰った山のふもとで、ミャオの声だけが響きわたった。
肌をちくちくと刺すような鋭い鳴声だった。
僕達は何もできず、ただ立ちすくんでいる。
すると、今度は地蔵の手のひらに飛びのった。
最初は真ん中の地蔵。
次は右の地蔵。
また真ん中に戻って。
次は右。左、真ん中、右、左、右、真ん中。
そこで、ミャオの残像は消えた。


キィィィィンという、耳鳴りが僕のなかでこだまする。
「うわぁぁ。」
その音は僕のなかでグルグルまわり、ぐんっと入ってくる。
鼓膜に突きささる鋭利な音波が、耳の中を血だらけにしているような気がした。
あまりにひどい音だったので、僕は目を閉じ苦痛に絶えるしかなかった。
頭を抱えて、うずくまる。

次に何か強い匂いが僕のまわりに漂った。
植物の、いや、動物の・・・・・・なんだろう。
どろっと甘かった。その香のせいだろうか、だんだん頭の中が
真っ白になってくる。
気持ちよくて、ボーッとしてきた。

「うわっ。」
僕の体にかなり強く冷たい風が吹きつける。
その風に意識を戻され、再び瞳を開けた。
濃い灰色の深いものがとり囲んでいる。
霧だった、まわりは濃い霧でうめつくされていた。
さっきの神社も、三体の地蔵も、鳥居でさえ、その濃い霧に飲み込まれて
しまったみたいだ。
上を見ても星すら消されていた。
でも、前にぼおっと見えるのは、きっとしめなわの向こうに続く土の道だろう。
「レイ、大丈夫?」
僕の右手にも、左手にも、そして体にもレイを感じることはできたけど、
おしよせる不安がつのって僕は声をかけた。
「うん。でも、さっき頭がぼっとして。」
レイは僕の方を見て言った。
青いワンピースが、霧のせいでとても綺麗に見える。
「うん、僕もさっき変な気分になったよ。」
「シンジ君、ミャオは?」
と不安そうな声で言うレイ。
「あ、うん、あいつが、さっきやってたことって・・・・・・・・・・・。」
「ミャォ」
しめなわの先で、ミャオの声がした。
「あ、とにかく行ってみよう。」
「うん。」
またぎこちない足取りで、霧の中を進む。


僕達はしめなわに近付き、左手で持ち上げてからその下をくぐった。











霧は徐々に消えていった。
僕達の目の前にあったもやもやがどんどん開けてゆく。
だけど、少しおかしいところがあった。
霧の色がだんだんと変わってきていたんだ。
最初は濃い灰色だったけど、どんどん明るい白になってきていた。
注意深く辺りを見回していた時、強い風が僕達のまわりを吹きつける。
僕が一瞬目をつぶると、
「あ、そら。」
とレイが言った。
そう、見上げたら空。それも水色の透き通った空があった。
「どうして?僕達は夜中に来たはずなのに。」
そこは、蝉がやクマゲラがうるさく鳴いていて、名前はわからないけど、
色とりどりの花々が、道の両側に健気に咲き乱れている。
両側は相変わらず杉林だったけど、木漏れ日が新緑の隙間からカーテンのように
照射していてとても幻想的だった。
見上げれば燦々と輝く太陽と白い雲が、果ての空の彼方にぽっかりと浮かんでいる。
「シンジ君、これって。」
さすがのレイでもこれには驚いたようだ。
目をまるめて、呆然としている。
「うん、さっきまでは夜だったのに。鳥も鳴いてるし、太陽もでてる。」
僕達は蒸し暑い風を感じながら、茫然と立ち尽くしていた。
「あ、ミャオは?」
レイがそういったと同時に、
「ほら、あそこ。」
と僕が言った。
彼は、僕らの前をおぼつかない足取りでてこてこと歩いていた。
「シンジ君、ミャオって。」
レイは不安そうに言う。
「うん、でも、今はミャオについていってみよう。」
「ええ。」
ミャオは普通のネコとは違うのかもしれない。僕はそう思った。
それが、どう違うのかはわからなかったけど。

「風が強くなってきた。」
レイは額の髪をさらさらとなびかせて、ため息のようにそう言った。
森の中だけに、蝉の音がうるさくてしょうがない。
唯一の救いといえば、可憐な花と、遠くに聞こえる水の音だろうか。
「レイ、疲れたでしょ?僕が背負うよ。」
息をきらしつつ僕は言った。
「いい。シンジ君疲れてるみたいだし。」
と、レイもかなり疲れた表情で言った。
「左足ばっかりに負担をかけるとたいへんだよ。
 いいから、僕がおぶるよ。心配しないでいいから。」
「ごめんなさい。」
「それは言わない約束。ほら。」
僕はしゃがんで背中をむけた。
「うん。」
と言った後に、僕の背中にやわらいものが押しつけられる。
いつもなら顔を真っ赤にして、意味もなく黙るのかもしれないけど、
この暑さのなかでは、大きなカイロを抱えたようなものだった。
まあ、決して不快とかじゃないけど。
「大丈夫?」
「あ、うん、大丈夫だよ。」
前を向けば、ミャオが遠くで鳴いているようだった。

水の音がどんどん近付いてくる。



予想していたのとは違い、ずいぶんと綺麗な川だった。
ごつごつとした岩場の下には、紫の可憐な花が咲き、水の中には
ヤマメだろうか、川魚が泳いでいる。
さーっという清流の音が、暑さを少しは緩和してくれた。
川の幅は7、8メートルといったところで、歩いても渡れそうな深さだった
けど、そこには二つの橋が架かっていた。
思っていたとおりだけど。
その橋は、右に丸太の橋。
そして、左にはしっかりとしたつり橋がかかっていた。
「シンジ君。」
左の耳にレイはそうささやいた。
僕はくすぐったくて、首を少し縮めながら、
「うん。」
と言った。
僕達の先を気ままに進んでいたミャオは、二つの橋を行ったり来たりして
から丸太橋の前で止まった。
そして、やっぱり、
「ミャァァァァィィィィァァァァォォォォォ」
と呪文のような鳴き方をした。
僕らはただそれが終わるのを待つしかなかった。
しばらくして、ミャオは丸太橋にぱっと飛び移りすたすた歩き始める。
「行こうか。」
と言って、チラッと横目でつり橋の方を見た。
もし、つり橋を渡ったとしたらいったいどうなるんだろう。
僕はふと、ブラックホールのような果てしない闇に包まれた大穴を
思い浮かべた。
その中に飲み込まれる二人と一匹も。
背筋に鳥肌がびっしりと立ち身震いを覚える。
頭を横に強く振ってから、僕は気を取り直すことにした。
「シンジ君。」
レイがささやく。
「なに?」
「やっぱり、降りたほうが渡りやすくないかな。危ないし。」
と、僕の背中で言う。
「じゃあ、レイはどうするの?」
「私は一人で渡るから。先に行ってくれてもかまわないわ。」
一瞬背筋が凍りついた。
彼女が大穴に飲み込まれる断片が浮かんでくる。
「そんな、バ、バカ。」
「え。」
僕は彼女を背負ったまま固まってしまった。
意味もなく冷汗が流れる。
「・・・・・・・・・・・・・・あ、ごめん、レイはバカじゃないよね。」
丸太橋に、足をかけながら僕はそう言った。
「ごめんなさい。」
「ううん、いいんだ。レイの気持ちもわかるから。でも、僕のこともっと
 頼っていいよ。だって、僕達はもうただの友達同志じゃないんだから。」
言った後に裏の意味を理解する。
やっぱり、そういうふうに思われただろうか。
僕は恐怖心など関係なく、ただ丸太橋を渡っていくことで誤魔化していた。
「うん。私たち、もう、友達だけの関係じゃないのかもしれない。」
それ以後、僕達は黙ってしまった。
僕のもそうだったと思うけど、彼女の鼓動は背中を通してどんどん
早くなっていく。
レイの言葉は川に流されて消えてしまったけど、僕の心には彼女の台詞の断片が、
ずっと奥底に引っ掛かっていた。



川を越えて、しばらく歩くと、見渡すかぎりの草原にたどりついた。
草原といっても緑色の雑草が一面にというわけではなく、
小さくてピンク色の花が奥の方までびっしりと咲いている。
この花は見たことがある。
たぶん、レイの借りた資料に載っていたシバザクラという花じゃないかな。
見渡すかぎりピンクのじゅうたんが、ずっと遠くまで広がっていて
とてもきれいだった。
まわりにあった杉林は、いつのまにかなくなっていて、空しか見えない。
そう、僕達は高度何千メートルの山に登っているみたいだった。
ピンクの草原以外は、どこを見ても水色の空。
そして、ピンクと水色の境目は、なぜか淡い黄色だった。
おとぎの国に来たみたいだ。
「レイ、ここって。」
「うん、不思議ね。・・・・・・・・あ、鳥。」
「どこ?」
「あそこ。」
僕の背中に乗ったまま、レイは前の方を指差した。
はずむ胸が背中にこすって、少しドキリとする。
そこには、全身黄色の鳥がいた。
「体中が、黄色なのも、ちょっと、恐いね。」
「そうね。」
と言って彼女は笑った。
「でも、不思議な感じ、おとぎの国に来たみたいね。」
レイがあまりにも、僕と同じ事を言うから、
「そうだね。」
と言って、はははと笑った。
色は奇妙だけど、小鳥たちの鳴声はとても綺麗ですがすがしかった。
今まで聞いたことがないくらいに。
「そろそろ、ミャオに追い付こうか。」
「ええ、そうね。」
僕はレイを背負いながら、歩くスピードを速めることにした。


しばらくすると、僕達の目の前に3本の木が見えてきた。
それは資料に書かれていた通りだったけど、色や形は想像していなかった。
まさか、こんなに奇妙だったとは・・・・・・・・・・・・。
左から青、黄、赤と、信号機そのままの順番で並んで立っている。
幹や、枝は、普通の木と同じで茶色だったけど、葉がなんともカラフルだった。
その木々は、青い葉の木には青の鳥、赤い葉の木には赤の鳥、            
黄色い葉の木には黄色の鳥が集まっている。
さっき見た黄色い鳥も、きっとここにある黄色い木だけで羽を休めるんだろう。
僕達は水を打ったような空をバックに、その木々を仰ぎ見ていた。
「ミャォォ」
足元を見ると、ミャオは青色の木の近くに飛ぶ、その色の蝶々を追い掛けている。
「もう、ミャオはさっきみたいに鳴かないのかな?」
ちらっと横を向いて、レイの反応を待つ。
「うん、そうみたい。無邪気に遊んでる。」
と言って、彼女はミャオの方を優しい瞳で見つめていた。
彼は前足を何度ものばして、蝶々を追っている。
そうだ、そういえば図書館にあった本にも、ここで僧侶が呪文を
唱えるとは書いていなかったような。
あ、じゃあ・・・・・・・・・・・・・。
今までミャオがやっていたことって・・・・・・・・・・・・・。
うーん・・・・。
僕はとりあえずその問題を置いておくことにした。
今は先に進むことを最優先に考えなくちゃいけないから。
たしか、この先は、
「黄色と、赤の間を通るのよね。」
「あ、うん。」
レイも覚えていてくれたみたいだ。
「じゃあ行くよ。大丈夫?足痛くない?」
「うん、シンジ君も重くない?」
「重くないよ。レイって軽いじゃない。」
彼女ははにかんで、
「そう?」
と言った。
「それって、いい意味なの?」
「もちろん。」
僕は笑った。
「さ、行こう。ミャオも行くよ。」
せっせと蝶々を追っ掛ける、無邪気な子猫にそう言った。
前までは、あんなに落ち着いた感じだったのに、この変わりよう。
いまここにいる子猫は、間違いなく僕の知っているミャオだった。

青い蝶々はふわふわと飛んで、黄色の木に近付く。
青い木と、黄色の木の間を通ったとき、その蝶はぱっと消えた。
そして、それを追っ掛けていたミャオが、捕まえようとジャンプして、

消えた。

「き、消えた。」
ミャオはジャンプをしたのに、着地をすることはなかった。
僕らの前から、ふっと、消えてしまったんだ。
「・・・・・・・・シンジ君。私たちが行くほうは、確か、赤と黄色の間だったよね。」
レイは、ゆっくり、そしてひっそりと言った。
「うん。でも、ミャオは逆の方にいった。」
僕達の間に静かな沈黙が流れる。
鳥のさえずりが耳のなかを素通りする。
「もしかして、さっきみたく、私たちを導いているのかしら?」
「・・・・・・そうかな?だったら、最初からまっすぐ行っているはずだよ。
 たぶん、ここから先のことは、きっと、ミャオも知らなかったんじゃないかな。
 あんなにはしゃいでいたし、いつものミャオと同じだったじゃないか。
 ・・・・・・・・・・だから、きっと、間違って行っちゃったんだよ。」
自分で言って、自分で青ざめる。
確実な恐怖が僕達のまわりを取り囲んでいた。
ミャオが前までのように、僕達を誘導してくれるならいいけど、
もし違っていたら、僕らは青い石までたどりつけない。
ここまでの道のり全てが無駄になる。
いや、僕らが消えてしまう可能性だってあるんだ。
どうしたら、どうしたらいいんだろう。
「シンジ君・・・・・・・・・・・・。」
不安そうな、かぼそい声だった。
「うん、やっぱりミャオをひとりで行かせるわけにはいかないよ。」
「うん。」

僕らは押し寄せる不安を覆い伏せながら、書かれていた道とは逆の方に
進むことにした。











そこは、夜の海岸だった。
左には遠くから連なるように重く響き渡る波の音が聞こえ、右には誰もいない
砂浜、いや、砂漠といったほうがいかもしれない。
夜の海は、月明かりをひとつの道のように光らせて、ちらちら輝きながら
どこまでも黒くうねっているように見えた。
ひんやりした風のなかに、濃い潮のかおりがする。
「ミャオは?」
僕はこの急な場面展開にさほど驚きもせず、辺りを見回した。
「レイ?」
彼女は海の方を黙って見つめている。
「海、初めて?」
水平線に浮かぶ月は、心なしかいつもより大きく見えた。
「ううん、私、思ったの。」
「なにを?」
彼女の真意を、僕は音から、そして、ぬくもりから感じとろうとする。
「今までの場所って、みんな気持ちが良かった。
 ここも、そう。
 きっと・・・・・・・・・・・・・・・・・・みんな、願いなのかもしれない。
 私たちだけじゃなくて、今までこの山に入って、帰ってこなかった人の。」
レイの言いたいことは、ほとんどわかった。
「うん・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・そうかもしれない。」
ここには人を引き付ける何かがあった。
恐ろしいぐらいに美しい風景の数々。
引き付けられれば留まってしまうかもしれない。
「さあ、ミャオを探そう。」
「ええ。」


僕達は海岸添いに歩いていた。
砂浜に埋まる足の感覚がまだ少し馴染めない。
いつのまにか月も、僕達の上にまわっていた。
それにしても、もうかなり歩いた気がする。
レイを後ろに背負いながら夜道をとことこ歩いて30分。
それなのにミャオの姿はまだ見つからないでいた。
でも、不安にはならない。
波の音が聞こえていたから。
レイがいたから。
「シンジ君、あれ、なにかある。」
僕はレイに促され、前を向いた。
砂浜のうえに、小さな木造の小屋が建っていて、その前には・・・・・・
ミャオがいた。
「ミャオがいる。行ってみよう。」
「ええ。」


彼はその小屋の木でできたドアを、前足でひっかいていた。
どうやら、その戸を開けてほしいみたいだ。
「シンジ君、開けてみましょう。」
「え、うん。」
僕は慎重に、そのぼろ小屋のドアを開ける。
中から明るい光が全方位にあふれだした。
まぶしくて一瞬目を細める。


だんだん目が慣れると、いい匂いが僕らのまわりに漂った。
そこは、西洋の民家・・・・・・・・・・・・なのだろうか。
ドアを開けたらすぐに、立派なテーブルがあって、そのうえには湯気のでている
コーンスープとかごに入ったクロワッサンがある。
「食べないほうがよさそうだね。」
「そうね、それにお腹減ってないし。」
レイは言った。
僕もお腹は減っていなかったし、特に手を付ける必要はないだろう。
「食べちゃダメだぞ。」
ミャオに言った。
彼は興味がないのか、奥の方に消えていく。
テーブルはひとまずおいといて、僕は家の奥を見てまわることにした。
小屋はそんなに大きいものじゃなかったから見渡す程でもないけれど、
テーブルの奥にはベッドと机と椅子があった。
それらは結構使いこまれていた。ニスははげていたけど、手入れはしっかり
してあるみたいだ。
使っている人の性格がよくわかる。
僕はその外のものを探すためまわりを見回した。
左側にはペルシャじゅうたんがかかっていて、右側には棚や観葉植物が置いてある。
下にはきれいな木目の床が、途切れ途切れに並んでいた。
そして・・・・・・・・・・・・・・・奥には4つの扉があった。
外から見たときの大きさから考えると、これより先に部屋があると思えない。
僕は直観的に何かあることを理解した。
そして、それを決定的にさせたのが扉に描かれている絵だった。
4つのドアにはそれぞれ違う油絵が白い木枠に縁取られている。
僕はそれをじっと見つめた。
それは・・・・・・・・・・・・・・・・。
左から、夜に浮かぶきらきらした星たちの絵。
ラベンダーが咲き乱れている絵。
並木道を歩きながら、どこまでも高い空を見上げる老人の絵。
空に浮かぶ白い虫を、両手で捕まえようとしている幼児の絵。
どれもが、今にも動きだしそうなくらい生き生きとした躍動感に満ちていた。
「これって、何を表しているんだろう。」
僕は言った。
「わからない、だけど、きっと意味はあるはず。」
彼女がそう言ったあと、僕は黙ってうなずいた。
「シンジ君、とりあえず休まない?椅子があるから腰掛けるだけでも。」
「あ、うん。正直、結構疲れてたんだ。」
僕は笑って、背中に乗っていたレイを椅子のうえにゆっくりと降ろした。
まわりを見回してから、僕は暖かそうなベッドのうえに座った。
腰を降ろした瞬間、どこまでも埋まっていきそうで恐怖すら感じる。
そのくらいこのベッドはふかふかで気持ちよかった。
「やっぱり、手がかりはこの絵みたいね。」
「うん・・・・・・・そうだね。」
僕はレイの方を振り返らず、ただぼっと絵をみながらそう言った。
並木道の絵。
幼児の絵。
ラベンダーの絵。
星空の絵。
絵のなかに何か隠れているのだろうか?
目を凝らして近付いても、何も浮き出てこないし、
油絵に残るシンナーの匂いしか感じることができない。
半分投げ遣りに並木道の絵をじっと見ていると、目がぼやけてきた。
ああ、部屋中が、ぐんにゃり回りはじめた。
そうだ、昨日も新聞配達、あったんだよな。
いつもなら、とっくに寝てる時間だ。
それにずっと、レイをおぶったままだった。
あー、疲れたなあ。
僕はベッドに座ったとたん、どっと気が抜けてしまった。
ああ、だめだ、絵のことを考えなきゃ。
「あー、わかんないなぁ。」
そういった後、僕はベッドに仰向けになる。
そうしたが最後。僕は一気に意識を失った。


「シンジ君。シンジ君。」
レイは、僕の体を真っ白な手で揺らしていた。
ミャオも僕の顔をぺろぺろ舐めている。
「うぁ、え、あ、僕、寝てた?」
ぱっと目を開けると、部屋の照明も僕に会わせるように
ぱっとついたような気がする。
「どのくらい寝てた?」
「ううん、ほんの一分ぐらいだけど、シンジ君が寝はじめてから、
 いきなり照明が暗くなったの。」
「明かりが?」
この小屋は、天井からぶらさがる電球と、テーブルのうえにあるろうそく
だけが、部屋中を照らしている。
「うん、真っ暗になったから。」
「ごめん。レイが起こしてくれなかったら・・・・・・・・大変なことになっていた
 かもしれない。」
彼女は、まだ僕の腕をつかんだままだった。
「うん、それが、私も寝そうになったの。でも、その時、左手に持っていた
 ビー玉がいきなりわれて・・・・・・・・・・。」
彼女が指差すところに、親方にもらったピンクの宝石が、
無残にも砕け散っていた。
ミャオはその残骸を前足でつっついている。
「ごめんなさい、大事なものを。」
「いや、いいよ。それより、先を急ごう。このドアの一つを開けなくちゃ
 いけないのはわかってるんだから。」
と言ったのはいいけど、僕は不安だった。
何か危険なことがあっても、きっとこのビー玉が守ってくれると思ってたから。
そのくらいあの玉は綺麗だったし、ガラスとは思えないほど重かった。
それが今壊れてしまったんだ。
いや、思い悩んでもしょうがない。
ここから脱出することだけを考えなきゃ。
僕は扉を右から左へとゆっくり眺めた。

もし、間違った所に入ればまず助からないだろう。
それは直感だけど、・・・・・・・・・・・・・・自身はあった。


「このふわふわした、白いものなんだろう。」
と言って、いちばん右端の絵の中を指差す。
「確信はないけど・・・・・・・・・・雪虫かもしれない。」
「雪虫?」
「ええ。私、季節の本を読んでいたでしょう?だから、知ってるの。
 雪虫は冬の始まりを告げる虫らしいわ。だから、この絵は冬を表している
 のかもしれない。
 そして、そのとなり。木々は紅葉してないけど、空を高く見せている。
 だから、秋を表しているのかもしれない。」
「え、どういうこと?」
僕は言った。
「うん、だから、この絵って四季を表してるんじゃないかな?」
僕は目を丸くして、レイの両手をつかんだ。
「そうだ、きっとそうだよ、僕にもわかった、全部わかった。
 きっと、この植物の絵が春を表して、夜空の絵が夏を表してるんだね。
 そして僕達のいる季節は夏。
 だから、夏の扉を開ければいいんだ。」
僕はベッドから立ち上がろうとした。
でも、レイが僕の腕をしっかりつかんでいた。
「まって、シンジ君。あの絵の植物はラベンダーよ。ラベンダーは夏に咲く花。」
「え、じゃあ、あの夜空は?」
レイはひっそりと、
「あの空に映るのは、山羊座かもしれない。だから、あれが春を表している
 可能性があるわ。」
と言った。
「じゃあ、ラベンダーの扉を開ければいいの?」
レイは首を横に振った。
「ううん、たしかに私達のいた所は夏だけど、セカンドインパクト後の世界は
 いつも夏になった。だけど、この場所はセカンドインパクトよりも前に
 あったと思う。だから、月で判断した方がいいのかもしれない。
 今は12月だから、たぶん、雪虫の扉を開ければいいのかも・・・・・。」
しばらく波の音を聞き入った後、
「そうか、じゃあ行こう。」
と言って、僕はレイの腕を肩にまわした。
「あ、でも確信も、自信もない。」
彼女は不安そうな顔で言った。
僕は壊れたビー玉で遊ぶミャオを、左手で持ち上げる。
「いいよ、間違ってたって。」
「でも・・・・・・。」
さらさらした髪をなびかせてうつむくレイ。
「僕は信じる、間違ってたっていいよ・・・・・・・・・・一緒なら。」
「シンジ君・・・・・・・・・・どうして?」
赤い瞳が静かにうるんでいる。
「え?」
僕らの距離はいつもより近かった。
レイの息が、僕の顔にかかるくらい。
「どうして、私のことをそんなに信用してくれるの?」
「・・・・・・だって、僕は・・・・・・・・。」
「うん・・・・・・。」
二人の心臓は、激しく高鳴りだす。
「僕はレイのことが・・・・・・・・・・。」
僕達はただ黙って瞳を触れ合わせていた。


もう少し近付けば、自然と二人の鼻が触れ合ったかもしれない。
全てに気を止めず、何も考えなければ、きっと目を細めるはず。
あたりが闇に閉ざされれば、感覚だけを頼りにお互い唇を探しだす。
見つからなければ、そっと、うなじから後頭部に向かい、手を入れる。
そして、やさしくたぐり寄せ、体をぴたりと重ねあわせ、鼓動が一つになった時、
きっと・・・・・・。
二人は・・・・・・。
もっと近寄れば・・・・・・。


「ミャォォ」
ぱっと離れる二人。
「うっ、ミャオも一緒だよ。
彼はよく僕の邪魔をする。
ああ、邪魔されなければ、もうちょっとで・・・・・・・・できたのにぃぃぃぃ。
「い、行こうか。」
レイの白い頬には赤いファンデーションがぽっと乗のていた。
「うん。」
僕はノブに手をかけ、ゆっくりと回した。












そこは・・・・・・・・・・・・・・夏の夜だった。

蝉の鳴声。
じとっと湿っぽい肌。
真っ暗な深緑が揺らめく木々。
杉の枝を吹き抜けるむっとした風。
藍色の空に浮かぶ幾千もの星。
ぽつぽつと見える町灯り。

帰ってきたんだ。


「シンジ君。」
「うん、帰ってきた。」
「ええ。」
僕は大きく息を吸って、吐いた。
田舎の匂い、木々の匂い、虫の匂い、草の匂い。
夏に感じる全ての匂いを僕は吸いこむ。
そして、ほのかに香るレイの香り。
懐かしくて、暖かくて・・・・・・・・僕をどきどきさせるこの香り。
僕はそれを臭ぐだけで心の緊張がゆっくりと解かれるような気持ちになる。
レイの赤い瞳を見たくて横を向く。
彼女も僕の顔を覗き込んでいた。
わけのわからないことばかりで、不安だった、逃げだしたかった。
でも、肩や、背中に感じるレイが、僕を励ましてくれた。
ここまでこれたのは、レイのおかげだ。
僕一人だったら、絶対にここまでこれなかった。

僕はゆっくり瞬きをして、途切れ途切れに生まれるレイの微笑みを
見つめていた。
いつもと少し違うその笑みは、いつか見た夢のように、それを見る僕の心
に懐かしいものを思い起させた。
数えるほどしかないけど、ぎゅっと凝縮された二人だけの微笑み。

「あ、そうだ、石は?」
はっと、思い出したように口にする僕。
ここがほたる山の頂上にほど近いことだけはわかっていたけど、
かんじんの希青石が見あたらなかった。
「ミャォ」
こっちだ。とでも言っているのだろうか?
杉林の先の方で、ミャオはこちらを振り返り瞳をぎらつかせた。
「行ってみよう。」
「ええ。」



そこは聖地だった。
はかったようにきっちりとした円形の泉。
大きさは野球場1つ分ぐらいあったかもしれない。
果てしない静寂を表す水面はどこまでも透き通っていて、
あまり深くないことを教えてくれた。
その中央には小さな陸地があり、背の高い植物が群生している。

そして・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・。

揺れ動く時間の中で忘れ去られた存在のように、泉の中央にある
植物全体が青白く点滅していた。
僕らはしばらく、その光景を黙ってみつめる。
泉に写る何光年も前の光と、同じく写るその光はまったく同じものだった。
それは、星のきらめきと呼び合うための、呼吸だったのかもしれない。
僕達の星もまたそうであるように、その光は宇宙にとって欠かせない
何かの意志なのだろうか。
僕らが世界で、いや、宇宙で生きることを許されるための、誰かに与える
恩恵なのだろうか。
僕は自分という存在が、蟻と同じ単位であることに悲しみ、星と同じ
単位であることに、ひそかな喜びを見いだした。
その光を浴びるだけで、大きな知識がめまぐるしく入ってくる。
そう、何か変だった。


僕は不安や恐怖も感じない。
ここはそんな場所だった。
しばらくしてからゆっくりと、
「行こう。」
と言った。
「泉を渡るの?」
レイは雰囲気にあわせてそういった。
「うん、案外この泉は浅いよ。これなら、腰まで濡らすだけで入れる。
 レイ、悪いけど、ミャオを抱いていてくれる?」
「ええ、いいけど。」
彼女は、僕が何をするか理解できていないようだった。
「それっ。」
僕は両腕でレイを抱き上げた。
「きゃ・・・・・・。」
「これなら、右足を濡らさずに入れるよ。」
「あ・・・・・・・・でも、重くない?」
僕は少し微笑んで、
「・・・・・・・・・・うん、とっても重いよ。」
と言った。
レイの体重は驚くほど軽い。
だけど、彼女の存在の重みが僕の両手にずしりとのしかかる。
だからかもしれない。
「・・・・・・そんなに重い?」
「何だか結婚式みたいだ。」
僕はレイの言葉を上からかき消す。
「・・・・・・・・・・結婚式?」
レイはやさしくそう言う。
「うん、ウェディングドレスのレイを、僕がこうやって持ち上げてるみたい。」
この神秘的な景色のせいだろうか、僕は心の底にある本当の気持ちを
そのまますくって話していた。
お世辞で言ったわけじゃない、本当に僕の中でそんな絵が浮かんできたから。
彼女はほんのり赤く染まった白い頬を隠すようにうつむいてから、
「ええ、・・・・・・そうなったら・・・・・・・・。」
と言って黙ってしまった。
蒸し暑さのせいだけじゃなく、僕の体はじめっと汗ばんでいった。



僕らは陸地までたどりついた。
腰まで濡れてしまったため、ジーパンが太股にぴったりとくっついている。
目の前には1m近くある雑草が生えていた。
中心の光る石にたどりつくには、ここを乗り越えなくちゃいけない。
僕はレイを降ろしてからまた肩を組み、先に進むことにした。
植物は結構堅いもので、かきわけるのはいいが反動で戻ってくるときに
体中のあちこちに激しくあたる。
「大丈夫?」
「うん。」
左目を少しつむりながら、彼女はそう言った。
進むにつれて、蚊のような虫がたくさん沸きあがる。地面は沼のように
グチャグチャだったから、だんだん足がとられてゆく。
レイに抱えられたミャオも、顔をかきむしって不快の表情を表していた。
だけれども、鋭い光の筋が次第に強くなってくると、僕の心は期待と希望で
いっぱいになってくる。



目を開けていられないくらい眩しい状態で、最後の植物をかきわけた。

僕達の目の前にそれはあった。

煌々と光り輝く球状の物体が。

それは、バスケットボールくらいの大きさだった。
表面は思っていたよりも綺麗ではなく、ごつごつしている。
僕の予想とは、少し違ったものだった。

シンジ君。

うん。

僕達が近付こうと思ったとき、球体から光る一つの物体が飛び立つ。

いや、一つじゃない。

次から次へと、たくさんの小さな光が、大きな光から離れてゆく。

ふわふわと、舞い上がる。

それは・・・・・・・・・・・・・・・・・・

ほたるだった。

僕らのまわりをゆらゆらと、たださまよい続けるひかり。

何百何千というともしびが、もといた所をはなれ、しずかに闇夜に広がってゆく。

夜空だった。

ここも、そして、みあげたところも。

すべてがちいさなかけらのように、はかなく、うつくしくまたたく。

まえも、うしろも、みぎもひだりも、どこでも、星がひかっている。

僕のめのまえでも、レイのまえでも、ミャオのまえでも。

星はゆらゆらと、僕らのまえをいきかう。

地面からわきあがる、星のたちは、ゆっくりと空をめざす。

そして、僕たちも。

体をしばりつける重力が、だんだんゆるくなってくる。

足が地面からはなれてふんわりうきあがる。

僕らはほたるといっしょに、空にたびたつ。

星になりに宇宙へむかう。

体はしだいにかるくなり、ふわふわとこの星をはなれる。

僕らはどこをみても、星をみることができる。

そういうところに、これからいくんだ。


「シンジ君。」
彼女の声に僕は呼び戻される。
ここは、そう、まだ地球だ。
「あれを見て。」
レイの指差すところには、青白く、光を放つ、石、いや、宝石のように
つやつやしている玉があった。
「あれが・・・・・。」
「ええ、あれにほたる達が集まってたんだわ。」
さっきよりも、強い光が僕らの体を照らしていた。
僕はその刺激に目を細めながら、
「レイ・・・・・・・・・・・・・・・・。」
と言う。
「私が?」
「うん。僕にはできそうもないよ。」
強い光のせいか、彼女はいつもより肌が透き通っているような気がした。 
「うん。」
と言って、レイは強烈なあかりのなか、僕にやさしく微笑む。
彼女の笑顔は光と影ににはっきりとわかれ、昔見た映画みたいに断片的な
美しさを持っていた。
僕達は歩きだす。
目の前まで来ると、僕はレイの腕をはなして地面にゆっくりと
座らせた。
彼女は片方の膝と両手を地面につけて、薄目でその玉を見つめる。
そして、左手をゆっくりとのばした。

震えるレイの手が、その玉をさがす。

そして、彼女の指先がその玉に触れたとき、

僕らのまわりは、すべてが浄化されたように、

真っ白い閃光で埋めつくされ、なにも見えなくなっていった。








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