山崎ハコさんと言うシンガー・ソング・ライターについて自分なりに考察してみようと思います。
「何故か?」と思われる方が多いと思いますが、実はつい最近ファンとなったからです。
つまり自分はデビュー当時からのリアルタイムのハコさんを知らないのです。
ですので曲から背景を想像したりネットの海から情報を集めるしかありませんでした。
そこで今までに色々と考えた事を書きたいと思います。
30年来のファンの皆さん、ご認識間違い等、ありましたらご指摘お願いします。 m(__)m

デビューアルバム「飛・び・ま・す」について

最初に入手したアルバム(CD)は「飛びます」、「綱渡り」、「藍色の詩」、「奇跡」の4枚でした。
年代を追って聞こう思ってまず「飛びます」を聞いてみました。
正直驚きました、わずか17才でこれほどまでに完成されたアルバムを作った事、それ以上にボーカリストとしての卓越した技量に・・・!!
自分の音楽常識からすると人間の域を超えています、「化け物」だと思いました。
それと同時にまったく別の思いが湧いてきました、最初にこのアルバム出しちゃったら後が辛かっただろうなと・・・。
「このアルバムをプロデュースした方はハコさんというアーチストを本当に育てる気があったのだろうか?」とさえ疑問に思ってしまいました。
アルバム「飛びます」は普通ならデビューしてからアルバムを3枚位出した後に出す「ベストアルバム」になっちゃっていると思います。
当時、この曲しか手持ちがなかったなら仕方がないと思いますが、当時の宣伝文句に「デビュー時に100曲位(50曲だったかも?)の持ち歌がある」と書かれていたような記憶がありますので、それなら最初はもう少し抑え気味な編成にして小出しにするべきだと思いますし、自分がプロデュースするならそうしていたと思います。
このアルバムの中でシングルカット出来るだろう、と自分が思える曲は「望郷」、「橋向こうの家」、「サヨナラの鐘」、「気分を変えて」、「飛びます」と5曲もあります。
普通、アルバムの中にシングルカット可能な曲って入れても2〜3曲が限界だと思います、その上に他の曲もとってもレベルが高い。
この後に「綱渡り」、「藍色の詩」と聞きましたが・・・やはりですが予想通り「物足りなさ」を感じました。
これは決して「この2枚のアルバムの出来が悪かった」からでは無くて「飛びます」があまりにも「完成され過ぎていた」からだと思います。
この2枚のアルバムも単体として冷静に考えて聞きますとやはり素晴らしい出来だと思います、ただ「飛びます」と比較してしまうから「もの足りなさ」を感じてしまう・・・。
山崎ハコさんと言うアーチストは「山崎ハコを歌う」と言う意味ではデビュー当事に既に完成されていたんだと自分は思っています。
後にハコさんは「自分の歌」以外の分野にも挑んでいかれるようですが、これがハコさんの「凄さ」でもあり「辛さ」だったように勝手に思っています。
最近ネットを検索していたら当時ハコさん自身が「2枚目、3枚目とアルバムを出すたびに何故1枚目を超えられないんだ?と言われて悩んだ。」と書かれている文章を見つけました。
「ハコちゃ〜ん!それは無理だよ〜!!」と40代の自分が10代のハコさんに思わず語りかけたくなりました・・・。 (汗)
それから「何故あのような豪華なデビューアルバムになっちゃったんだろう?」と言う疑問と怒りがふつふつと湧いてきて考えてみました。
たぶんですがエレックレコードのお家事情が大きく影響していたのでは?と思います。
翌年にエレックレコードは倒産していますのでハコさんのデビュー時には既に経営難に陥っていた可能性が高いと思われます。
確かですがフォーライフが誕生して拓郎、泉谷さんと言うドル箱アーティストを失ったのもこの時期だったと記憶しています。
つまりハコさんのデビューアルバム「飛びます」はエレックにとって「絶対に売れなければ駄目な社運をかけたアルバム」だったのではないか?と思っています。
「ハコさんの今後」より「アルバムが売れる事」を優先せざるを得ない状況だったのかな?と思います。
それから驚いた事がデビュー3年後の「流れ酔い唄」までシングルレコードが出ていない事でした。
「ハコさんの身体が弱かったのでシングルを発売してテレビ出演するような売り方に耐えられないから」と書かれている文章を読みましたが、当時既に陽水さんや拓郎さんのようにシングルを出していてもテレビに出ないのは当たり前でしたので、この説明は???です。
これも「儲けの高いアルバムを売りたい」とか「神秘性を高めたい」と言うような営業上の判断だったように自分には思えます。
ハコさんの代表曲に「織江の唄」が必ず最初に出てくるのに自分は違和感を感じていました、「織江の唄」は自分に取ってはどちらかと言えば「ハコさんらしく無い曲」なのです。
当時ラジオでハコさんの曲を聞いていた自分にとってはハコさんといえばやはり「飛びます」とか「望郷」あたりが最初に頭に浮かびます。
「飛びます」〜「藍色の詩」に収録されている曲ってハコさんのファン以外で当時ラジオを聴いていなかった多くの方々はまったく知らないのではないか?と思います。
ここらへんもハコさんに取っては辛い方に影響しているのだと思います、多くの方が共通して知っている「代表曲」が無いのは辛い・・・。

ここからは「飛びます」に収録されている曲について書いてみます。


まずは「望郷」です。
この曲は正直悩みました、自分にとっては理解が難しいところが多い曲でした。
まず、2番の歌詞で悩みました、「神社の階段を駆け上がって手を合わせて泣いている小さな子」っていったい何を言っているのだろう?と・・・。
「小さな子は男の子?女の子?」とか色々考えたあげくにヒントは3番目の最初の歌詞にありました。
「寂しくて悲しくて出てきたヨコハマ」、つまり故郷を出てくる時にはそこは既に「辛い場所」だった事になります。
そうか!この「小さな子」は主人公の女性でこの曲はドラマ仕立ての曲なんだ、たぶんですが肉親を亡くして孤独な状況を2番の歌詞では歌っているのだと勝手に理解しました。
そうすると1番で「楽しかった故郷の記憶」、2番で「辛い故郷の記憶」、3番以降は「移り住んだヨコハマの現状」と綺麗につながっていきます。
しかし、もうひとつ大きな疑問が・・・・???何故最後に「あの家はもう無い」と否定する意味があったのか?と。
「望郷」と言う曲のタイトルからすると「あの家に帰ろうか?」でこの曲は完結している筈です、それを否定したらこの曲のテーマは「望郷」では無くなってしまいます。
これは他の曲を色々と聴いているうちに自分なりの結論が出てきました。
ハコさんの初期の曲で共通して歌っている事は「過去は振り返らない、未来は考えない、ただ今を生きるだけ」と言う強い決意です。
おそらくは一度「望郷」は「あの家に帰ろうか」でいったんは完成させてから、「歌に生きる自分には故郷はいらない」と言う決意を込めて最後に否定を付け足したのでは?と思っています。
後ほどですがハコさん自身が「望郷では退路を断つ決意で、家は無いと歌いました」と書かれている文章をネットで見つけました。
更に次の「さすらい」の最初に「故郷は無い」と回答と思われる歌詞が出てきます、意識していたかどうか不明ですが、そうなら「凄い」と思います。


次に「かざぐるま」です。
この曲はハコさん自身の作詞では無く、感情を抑え気味にたんたんと歌っています。
ハコさんの曲で面白いのですがご自身の作詞の曲は歌おうとすると歌詞のリズムと言うかタイミングがとっても難しいです。
たとえば「飛びます」では最初の「何のために」の「何の」の頭がリズムよりつっこんで早く入りますし、「今まで」も「い・ま・ま・で」と同じリズムでは無くて「いま〜まで〜」と独特な歌いまわしとなっており、ほとんどが「アドリブの世界」でそれらしく歌うのにとっても苦労します。
それから最初の音の2音目にアクセントがくるのもハコさんの特徴のようです、「なんのために」は2番目の「ん」にアクセントを付けるとハコさんらしくなりますし、「いままで」は2番目の「ま」になります、この特徴は他の曲でもほぼ共通しているようです。
ところがハコさん以外の方が作詞した曲はこの特徴が少なくなります、これはとっても不思議です。
ですのでこの「かざぐるま」は苦労しなくても1度で歌えました・・・。 (笑)
ハコさんって作詞をしてから後でメロディを載せるのかな?と思います、ある面メロより歌詞優先にしているのではないかと思います。
それから、この曲は安田さんのフルアレンジだと思います、たぶんですがこの曲をベースに「白い花」のアレンジを完成させたのだと勝手に思っています。
アルペジオで1弦を避けて(このアルペも安田さんだと)強めなベースの音で厚みを付けて、更に独特な指リードをアルペで避けて空けている高音域に入れて綺麗なバランスを取ってるところが共通です。
全然関係ありませんがネットを検索していたらハコさんの曲のアレンジについて安田さんが「歌詞が強いので少し和らげるようなアレンジにしています。」と書かれている文章を見かけました。(少々細かい表現は違っていたかも知れません)
とても納得、そして関心しました、ハコさんの曲って「暗い」と言われますが曲調ではなくて「歌詞が強くてその思いが深い」からだと思います。
ハコさん一番の理解者が一番近くにいる訳なんですね、うーん安心安心!しか〜し、お二人の入籍が2001年1月1日とはちょっとロマンチック過ぎ!安田さ〜ん、ちょっと外見とイメージが似合わないような・・・。 (笑)


次は「サヨナラの鐘」です。
この曲を最初に聴いた正直な印象を言いますと、途中の間奏Eギターの部分で「何だこれ〜!」とずっこけてしまいました。
このリードギターアレンジには正直言いますと、とっても違和感を感じました。
ここのリードがやけに目だって特出してしまって全体の曲の綺麗さをスポイルしていると自分は思います。
この曲は静かで綺麗なイントロアレンジから始まりドラマ仕立ての歌詞に綺麗なメロディ、サビの素晴らしい盛り上がりとエンディングの全音展開の綺麗なアレンジと全体的にとっても美しい曲です。
個人的には「強くて不安定さ」を感じさせるようなリードでは無く「静かで安定感のある泣き系のリード」を入れて欲しかったです。
このアルバムには参加されていませんが松原正樹さんが弾かれていたらどうなっていたかな?と思います、好きなんです、この方のEギター!
たぶんですが「影が見えない」のイメージがこの曲のアレンジにも色強く影響していたのかな?とも思えます。
この曲には2人のEギタリストの名前が書かれていますが、このギタリストの感性によるアドリブなのかアレンジされた方からの要望だったのか知り得ませんが、個人的には残念に思っています。
たぶんですがこのように書くと30年来のファンの方から「このEギターだからこの曲は良いんじゃないか」と怒られると思います。
このリード自体は存在感のある個性的なアレンジで素晴らしいと自分も思っています。
既にこのアレンジがこの曲と一体となって「サヨナラの鐘」と言う「曲のイメージ」が完成されている訳ですから「これが一番良い」のかも知れませんね。
それから、この曲のハコさんの表現で「小さな声でおめでとう・・・」と言う部分がとっても好きです、素直に「おめでとう」とは言っていませんね、少々怨んで聞こえます!
このようなとっても微妙な表現力が可能なのがハコさんの凄さであり真骨頂だと自分は思っています。


「影が見えない」です、たぶんハコさんファンの間でも好き嫌いが分かれる曲だろうと思います。
「ハコさん=暗い」と言われる大きな原因となっているのがこの曲だと思います。
とにかく言葉が強い!「死ぬ事ばかりを考えたが」とか「恐ろし恋が始まると」と言う直接的な言葉、「ばかり〜を」とか「恋〜が」と言うとっても感情を込めた強〜い表現が暗さを更に増幅させています。
この曲が異質なのは歌詞の中に「光」が見えない事です。
ハコさんの歌は曲調自体は暗くても必ずと言って良く「光」がセットとなって入っているのが特徴だと思っています。
ハコさんは「光」を表現するのに「真昼の太陽」では無くて「暗闇の中に輝く一筋の光」として表現する歌手だと思っています、ですので景色は暗い方が光は更に強く感じます。
ところが、この曲には「光」が見えない、暗いだけに感じます。
それから歌詞が難解です、何を歌っているのか?何を言いたいのか?なかなか解らない・・・。
まず「影」とは何か?普通は「影」は「暗いイメージ」として使うのですが「普通の女の子を守っている」と歌っているので逆の意味のようです、ここらへんがハコさんらしい。
最後のフォルセットの部分は明らかに「泣き叫んで」います、辛い心境を歌っているのは間違い無いようです。
この「フォルセット」は凄いです、特に裏から表にひっくり返ってくるような表現テクには圧巻です!!凄い!
「望郷」のところにも書いたのですがハコさんの曲はそれぞれの曲が「独立」していなくて「補完」しあっている特長があって、他の曲に回答があるケースが多いです。
そこで他の曲を色々聴いていてやはりヒントはありました。
例えば「ヘルプ・ミー」、この曲は「たすけて、たすけて」と何度も泣き叫んでいますので、何気なく聞いていると「悲しみの曲」に聞こえるのですが実はまったく違います。
最初に「たすけて」と歌っているのは「他人」に対してなのですが、途中からは「そんな時でも起き上がっていこうとする自分」に対してに変化します。
つまり「どんなに苦しくて辛い時」にでも、「それよりも強い自分」が自分の中に同時に存在している、と歌っている強い歌なんです。
この曲の中で「心を開いても閉じてもいないよ」と言う一見難解な表現を使っていますが、それをとっても上手く表現していると関心します。
それから「あの海に」です。
「片手、片足の無い、たったひとりの自分」と言う凄まじく弱い自分を歌い、一方でその自分に対して「船を出せ」と語りかける「強い自分」を歌っています。
そして「いつか声は消え」と歌い「それでも呼んでいる」と歌っています、たぶんですが「声は消え」は弱い自分と強い自分が一体化した事を表現して、「それでも呼んでいる」では強い自分が弱い自分を凌駕した事を表現して、そして次には「この身体には自分がいる」と締めています。
最後は「あの海に船を出せ」と連呼しながらフェードアウトしますが、これはたぶんですが音が消えていく事で「沖に船を出した」事を表現しているのだと思います。
ハコさんの曲の特徴としてフェードアウトにような「曖昧な終わり方」は極端に少なくて「いさぎよく」終わるのですが、この曲は意味あって使っているのだと思います。
話が脱線しましたがハコさんの曲にはこの「2人」がセットとして歌われている曲がとっても多いのです。
つまりこの曲で「影」とは自分の中の「強い自分」を指しているのだと思います。
ですのでこの曲は「強い自分が見えなくなっている状態を歌っている曲」だと理解出来ます、その原因はこの曲では「恐ろし恋」と歌っています。
この曲のなかで「15才」と歌っている事、コードの使い方から初期の曲だと思われます、かなりハコさん自身、精神的に辛かった時期があったように思います。
ハコさんは「サヨナラの鐘」のように「ドラマ」仕立てに曲を書かれていますので、辛かった原因がここで歌っているような「恋愛」であったかどうかは不明です。
たぶんですが、この曲はまだ大分にいた頃(中学時代)に書かれた曲だと思っています、「誕生祝い」もたぶんそうだと思います。
この頃の特徴だと思いますが「私」を「わたし」と発音しています、たぶんですが横浜に移ってからの多くの曲は「あたし」になっていると思います。
しかしここで驚くのが「影が見えない」と言う言葉です、「見えない」と言う事は15才以前に既に自分の中に「弱い自分」と「強い自分」が共存している事を気づいていた事となります。
これは凄い!と思います、ハコさんの曲には必ずと言って良い位に「強さ」を感じますが、この頃から自分の中に冷静に「2人の自分」を見ていたのですね、強い筈です。
でもこの年齢で既に自分の中に「2人の自分」を意識していたのは「葛藤で辛かったのではないか?」と思います、ハコさんの原点はここらへんにもありそうだと思っています。
ここまで理解してきて始めてこの曲も「光が無い」曲では無い事にやっと気づきました、「見えなく」なっていただけで「知らない」訳では無いんです、しかし難しいで〜す。
たぶんですが、この曲が難解過ぎて「暗い」と誤解されやすい(ている)代表曲となっている事にハコさんは意識していたように思っています。
コンサートでは歌わなかったようですし、後に「桜の日」と言うおそらくは「アンサー・ソング」を書いています。
「桜の日」でハコさんは「15才」と言う歌詞を入れているので初期の曲と思われている方が多いと思いますが、自分は違うと思います。
何故なら「桜の日」は「桜が咲く時期の晴れた日」、つまり高校入学を歌った曲だと自分は思っています。
ですのでこの曲は16才の自分を歌った曲なのです、「15才」は「影が見えなかった」時期を振り返って使っており、ハコさんは「15才」をわざと「影が見えない」と「桜の日」をリスナーの頭に中で結びつけよう、として使ったのだと思います。
ですので最後に「下を向いて黒い影を見る」「決して離れぬ影を知る」と結んでいます、「見えなかった影」が「下を向いていても見えるようになった」と歌っています。
たぶんハコさんは「影が見えない」の「影」の正体を「桜の日」で解りやすく歌い直したのだと思います。
それから他の曲ですがハコさんは「何故、光が見えるようになったのか?」も歌っていると思っています。
例えば「気分を変えて」では「歌を聴いても酒を飲んでも」と歌い、「向かい風」では「ギターか酒か?」と問いかけています。
たぶんですがハコさんは「弱い自分」を比喩するのに「酒」と言う言葉を使って、「強い自分」を比喩するのに「歌(ギター)」と言う言葉を多く使っていると思います。
つまりハコさんに取って「強い自分=歌」なのだ、と思っています、「歌によって強くなれる」と感じていたのではないでしょうか?
ですので「歌に対する思い入れ」がとても強いのだと思っています。
逆に「弱い自分」を「酒」と比喩しているのに興味を惹かれました、当然、10代のハコさんが酒を飲んでいた訳では無いでしょうし、普通に考えて不思議です。
これも「たぶん」ですが「酒を飲む人」がハコさんの身近にいて「弱い人」と感じていたのではないか?と思います。
「弱い」と感じていると同時に「好きな人」だったとも思います。
ハコさんは「酒」を「弱さ」として比喩する場合もありますが、「橋向こうの家」や「二日酔い」のように「心地良い場所」としても結構使っています。
特に面白いのが「橋向こうの家」では「私がいくつでも聞かない約束」と歌っています。
すぐに頭に浮かんだのは「水割り」でした、この曲でも「入ってくるね、あんたも」と歌っており共通するものを感じていました。
しかし「水割り」は本当に拒否しているかどうか判断が難しい歌詞・・・、と悩んでいたらネットでハコさんの昔の記事に「あの曲は本当は最後に「出て行って」と付けていたんです」とありました「拒否の歌」だったんですね、この曲!ここで「橋向こうの家」と「水割り」の「酒」が自分の中で一致してきました。
ハコさんの曲って「一曲一曲」が別々に独立しているのでは無く、物語の「一章一章」にように繋がって意味が深まっていくところがあって自分に取っては凄く面白いです。
こんな事を色々考えている内に、この曲は「ハコさんの原点」曲だと思い始めましてとっても好きな曲となりました。

と書きましたが、沢山の曲が入り混じって支離滅裂になってきましたので、そろそろ後ほど・・・・。