「via Internet」談義

でも、冷静になろう


コンピュータユーザ以外にどれくらいの恩恵があるのか

確かにInternet経由で様々な情報を得ることができる。しかし、WWWやftpで得ることのできるリソースのうち最も強力なものは、「コンピュータ用の情報」だ。つまり、ソフトウェアのβ版だったりお試し版だったりするわけだ。

はっきり言って、天気予報をWWWで見ようとする人は少ないだろう。それは気象庁に電話したほうがよい。書籍の新刊情報は、出版社が丁寧に情報更新してくれていれば、そのWWWリソースで得るのが有力だと思うが、実際には本屋で「今月の新刊情報」という張り紙を見る方が確実だ。

いまのところ、得られる情報は、コンピュータユーザでない人にまで「明確に強力に」有益だとはいえないだろう。あくまで、Internetはコンピュータユーザのための情報網なのだ。



インターネットTVという怪しい製品や、ゲーム機でInternetを利用するソフトが売られつつある。しかし、そのほとんどがWWWの一部をgetして見るだけのものである。これで、どれだけの利点を得られるだろう。

この様な家庭向け製品は、ソフトウェアが根本的に「ROM」すなわち書き換えられないものとして提供される。ハードディスクにインストールして使うわけではない。つまり、これら向けのソフトウェアは、ネットワーク経由では提供できない。

あらかじめ作られたソフトウェアが解釈できない種類のリソースを得た場合、使用者はどうすればいいんだ? 

javaの様な、ネットワーク経由でソフトウェアを実行する仕組みが充実していれば、話は変わるかもしれない。しかし、それはまだ先の話だ。

まだまだ、家庭向けInternet利用製品は、Internetの恩恵を家庭にもたらすものにはなっていない。けっきょく、コンピュータユーザ以外には、Internetなどほとんど関係の無いものなのだ。


Internetは日常生活を変えるのか

冗談みたいな話だが、WWWも使えないようではこれからのビジネスは成り立たないと人々を煽る人がいる。「e-mail無しで…」というセリフもある。

これは、一部の業界ではyesかもしれないが、全体的に言ったらうそっぱちだ。今のところ、そこまで切迫した状況は見られない。それどころか、実際にはInternet技術もWWW技術も、いまだ発展途上だといってもよい。

さらに冗談みたいな話だが、「これからは一般家庭もWWWで情報を得るだろう」「過去のマス・メディアの様な一方的なメディアは衰退し、よりインタラクティブなWWWやInternet(なぜ“や(AND)”? )による情報伝達が主流になっていくだろう」という人もいる。ビデオ・オン・デマンドやWWWショッピング・モールの浸透が予測されるとか、e-mailによるダイレクトメール形式の宣伝とか…

これも嘘だ。

まず、旧来のメディアは無くならない。TVブロードキャストもラジオも書籍も無くならない。なぜなら、これらは明確に「存在する」もので、明確に「値段が決められる」ものだからだ。逆に、WWW等のリソースは明確に「存在する」わけではないし、「値段も決められない」からだ。

「人々がよりインタラクティブな情報交換を求めている」というのはデマである。TVブロードキャストもラジオも、相手を特定せずに情報を垂れ流し、自由に受けることができるシステムだ。受け取る方はなんとなくチャンネルを合わせれば、様々に変化する情報を受け取ることが可能だ。垂れ流される情報は明確に予告されているし、何を流すべきかは戦略を持って構成されている。つまり、TVブロードキャストやラジオは、送り手の意思が堅固であれば客が付くシステムだ。

そして、客である一般大衆は、誰かがまとめてくれた情報を受け取ることに慣れている。逆に、自分で「未整理の」情報に手を出して整理することに慣れていない。そんなことは面倒なのだ。あきらかに、インタラクティブ(この言葉も、必要以上に繰り返されていたら、怪しい。)は一部のインテリ階級にとってのみ意義のある仕組みだ。

現状として、WWWで最も重宝されるのは、「リンク集」と呼ばれる「多くのリソースを分類して紹介するリソース。当然ハイパーリンク付き」である。つまり、明確に一般大衆が求めているのは「情報を与えてもらう環境」であって「情報を自在に得られる環境」ではない。

では、WWW上に構えた「リンク集リソース」で商売になるだろうか。私は、ならないことはないと思うが、それを書籍にしたほうが明確に儲かると思う。その理由の一つは、人々はInternetから情報を引き出すことにお金を払おうとは考えていないからだ。しかし、書籍にお金を払うのは平気である。何故か? なぜなら、書籍は「実在する」ものだからだ。

それに、書籍は「そこに書き込める」という大きな利点を持っている。それを読んで感じたことを、感じた人が自由に書き留めることができる。重要だと思った部分に線を引くことができる。これに近いことを行えるコンピュータ・ソフトウェアは存在しない。つまり、得た情報を自分にあわせて加工することが難しいのだ。

一般人は「情報をゼロから集める」ことは望まないが、情報をまとめたものを得たい。情報を得て納得したら、それから特に自分に必要な情報を得やすいように加工したい。

Internet全体や、WWWという仕組みは、これらの要求に完全に応えるものではない。したがって、従来のメディアを駆逐することはない。

「従来のメディアが無くなる」と騒いでいるのは、馬鹿なデマゴーグだけだ。




デマゴーグを見抜く指針は存在する。「オブジェクト指向開発の落とし穴」(B.F.ウェブスター著、細井拓史訳:プレンティスホール/トッパン:ISBN4-931356-25-7)に出てくる「落とし穴」にはまっている人が「デマゴーグ」になるのだ。

たとえば、先の「インタラクティブ」という言葉は、「いつのまにか、内容を無視してまじない文句を繰り返す」という傾向の現れだと考えることができる。「技術が成熟したものだと勘違いする」は、まさにInternetにも相当する落とし穴だろう。この様に大仰な言葉で人を踊らせようとしていたら、それは完全に「怪しい」。

日常生活は、技術の進歩では変わらない。日常生活を変えるのは、一般大衆の要求だ。一般大衆がそう望んでいない限り、機は熟していないのだ。

たとえば、キャプテンシステムは成功しなかった。しかし、今Internetは成功している。これは、コンピュータ技術の発展もあるが、根本は「コンピュータユーザがネットワークを望んでいた」から成功したのだ。キャプテンシステムは、誰も望んでいなかった。だから失敗したのだ。

しかし、Internetは一般大衆が望んだものではない。だから、まだまだInternetは日常生活には浸透しないだろう。






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