頑固な文庫読者
この本を読んだぞ
本を買って読めればいいけど、時間がなかったり、読むタイミングを逸してしまったり、という難関を克服した完読本の感想をつらつらと書き込んでおります。
この中で「これはこれは」な本になるものが出てくればいいのですが。
完読本(2004/01〜)
- 『おめでとう』 川上弘美著 新潮文庫 か−35−2 400円+税
12編が収められた短編集であるが、どうにもつかみ所のない物語ばかり。
性別の違いからか、全く読んだことのない印象の文章だからか、ほとんど物語の中に集中することがなかった。
読んだことのない、というのは、例えば句点で区切った文章がいくつも並んだり、僕が使ったことのない表現(「ふくふくしてて」「ゆさゆさと飛ぶ」など)方法である。ほわほわとした雰囲気のなかで、そういう部分だけが、なぜか棘のように感じるのだ。
とはいうものの、中で思いもかけないセリフがあった。
「あのさ、俺さ、百五十年生きることにした」(『冬一日』より)
素晴らしく切なく、冷たく、同時に暖かい言葉。
人間の関係なんて、時間があれば解決するものではないだろうけど、最後に頼ることができるのはそれだけかもしれない。
20040505
- 『紙の中の黙示録』 佐野眞一著 ちくま文庫 さ−14−6 680円+税
副題「三行広告は語る」。
三行広告といえば、注意してみている人は、すなわち、それが必要な人なのである。少なくとも僕は見ることは稀であるし、積極的に見ることはない。
ほぼ最初に、赤瀬川原平氏の尋ね人広告が引用されている。(確か『路上観察学入門』赤瀬川原平著から) ここだけ読めば、ほぼ言いたいことが言い尽くされていることがわかる。それだけインパクトがあり、著者も必要にして十分な前フリとして取り上げたのだろう。
死亡広告である黒枠広告。企業のお詫び広告。求人広告はもとより、電柱広告や伝言板まで。縮図という言葉でまとめてしまうと、三行広告の意味と同じで見えなくなってしまう。ピンポイントであるがゆえ、捕まえる裏側の人々にも苦労は多く、逆にそれで助かっている人もいる。微妙な世界。
知らなくてもいいけど、知ったところでどうにも出来ないもどかしさが漂う。
ちなみに、三行広告を出すためには結構な値段だそうだ。
たまたまこの本を読んだ後、こんな三行広告を発見した。嬉しいようなムダなような。(事情があるようなのだが・・・)
20040502
- 『バカになれる男が勝つ!』 中村修二著 知的生きかた文庫 な−29−1 533円+税
今話題の中村修二氏である。
読む前、読んだ後、どちらでも変わらず感じること。それは、
「成功した人は、なにをしても言ったモン勝ち」。
いわゆる、成功者についての本、あるいは、それに類する本では、いかにして成功を掴み取ったのかという点を中心に語られる。その中では失敗したことや躓いたことも含まれているのだが、必要な条件として捉えられていることが多い。
単に成功した、のではない、のだ。
「非常識なアイデアの中にこそ、発展とビッグチャンスが」
「専門家の言うことがすべて正しいとは限らない」
「データをいかに多く集めても、未来の扉は開けない」
刺激的な文章が数多く並び、単純な僕なんかは、すぐさまバラ色の日々が目の前に広がっているような錯覚に陥る。重要なことは、会社の中に置かれている状況だ。中村氏は半ば孤立した状態に陥り、結果的に最良の開発環境になったことだ。自分にそれが出来るかと言われれば、非常に難しい、と答えるしかない。
例えば、青色LEDはいわば単品部品であるが、一般の電気製品はそれらを組み合わせて機能する集合体である。製品開発は構造部品や回路、ソフトウェアなどに分かれ、さらに細分化される。この本に書かれていることを、そのまま適用しようとしたら製品開発が停止してしまうこと間違いない。
確かに、ムダと思われる会議、雑用、その他色々の開発業務とはあまり関係ない仕事も多い。アイデアという点においては二番煎じにもならないし、いつまでたっても企画がまとまらないことだって多い。多人数が関わる仕事は、確かに非効率的な面がある。
つまるところ、適用できる部分、できない部分を自分できちんと把握しなければならないのだ。
もっと良い製品、良い仕事を目指したい人は読んでみるといい。自分の仕事を振り返る意味でも。
20040215
- 『なみだ研究所へようこそ!』 鯨統一郎著 祥伝社文庫 く−11−4 571円+税
最初、「なんじゃこりゃ?」という感じを持ったのだが、「こりゃ、やられたわい」に変わった。
以前に『邪馬台国はどこですか?』を読んでぶっ飛んだのに近い。
サイコセラピストである波田煌子(なみだきらこ)が患者の抱える悩みをズバズバと当ててしまう。実は彼女はきちんとした心理学、精神分析学を学んでいない、という設定。それだけでもおかしいが、彼女の「なみだ研究所」で働くことになる男、松本清もただ者ではない。
なにしろ、登場する人物の大部分がヘン。
セラピーの内容も行き当たりばったりで、松本の行動も直情径行型。彼女とかみ合わないこと甚だしい。でも、彼女の推理が的を射てしまう。
内容は読んでもらうとして、それ以上におかしいのが、本文にちりばめられた「くすぐり」だ。
例えば、彼女、波田煌子が涙を流すと事件は解決する、というパターンになるのだが、その部分で・・・、とか。
セラピーで、患者との会話が実は○○○○になっている・・・、とか。
本当は、・・・、とか。
いやぁ、久しぶりに「何も考えずに楽しい」本、だった。続編希望。
しかし、これもまた、まじめな人には受けないだろうな(笑)
20040211
- 『人生うろうろ』 清水義範著 講談社文庫 し−31−27 495円+税
生まれて、そして、死んでいく。その間には色々なことがあるモノだ。
そんな中、折々の出来事を面白おかしく仕立てると、こんな清水ワールドになるのであった。
10編の短編からなり、就職、結婚、出産、家、などなど、人生で大きな出来事はほぼ網羅している。ところが、並べる順番が問題だ。
最初にくるのが「野間家先祖代々の墓」であり、その次にくるのが「蛭子坂産婦人科」である。つまり、「死」→「生」という順番がいきなりくるのである。
おそらく、この本の世界の中では、墓の中からが、一番人生を振り返ることが出来るということなのだろう。墓に収まる人物が、生前にどのような人間関係を持っていたか。あるいは生活をしていたか。その人物自体は消滅しても、残された人々のドタバタを見ることによって、あぶり出されていく可笑しさ。
なるほどと思ったのは「シンドローム離婚」である。
言葉が生まれると、その言葉の現象が生まれてしまう。「なんとかシンドローム」という言葉が生まれると、何でもないことが当てはめられてしまい、些細なことがとてつもない力を持ってしまう恐ろしさ。
当事者になってしまうと、頭の中がそれだけになってしまうから把握できなくなるかも知れないけど、第三者から見ればこんなに面白いことだらけ。
そうなのだ。我らは他人の困ったことを面白がる悪いところがあるのだ。
20040209
- 『サマータイム』 佐藤多佳子著 新潮文庫 さ−42−2 400円+税
「サマータイム」「五月の道しるべ」「九月の雨」「ホワイト・ピアノ」の4つの短編からなる一つの物語。
誰もが、生きていく上で、いくつもの出来事に遭遇する。その中の一つの出来事には、何人もの人が関わり、それぞれの視点や立場で考えたり行動したりする。この本は、いわば、異なる視点で一つの物語を断片的に見たらどうなるか、という実験としても成り立っているのではなかろうか。
ある少年が夏のプールで出会う年上の男の子とその母。少年の姉。母をめぐる人々。姉の思い。
きっと「自分が思っているように出来ないこと」に歯がみしたことは誰にでもあるだろう。思うように出来る事なんて、実は大変少ないことに気がつくことが、大人になる一歩と言えるのかも知れない。
すれ違う一瞬に、あふれそうな想いが込められていることが、みんな分からない。自分にさえ分からない。
だから、その時期のことは、思い出すたびに胸に染みるのだ。
忘れた人はこの本を読むといい。
思い出せなくても、染みるモノがきっとある。
20040208
- 『生命の不思議』 柳澤桂子著 集英社文庫 や−28−3 476円+税
だいたい、一つの卵子と一つの精子からできた一つの細胞が、ヒトを創り上げることが、不思議ではなくて何を不思議というのだろう。
そうでなくても、一つの細胞からたくさんの種類の生命が新たに広がっていくのだ。自然の、生き物の成り立ちとは、仕組みがある程度解明されたとしても、畏敬の念を取り払うことは出来ないであろう。
また、生き物と生き物同士の不思議な助け合いや、遺伝子の仕組み、老化の仕組みなど、どれをとっても、より深く知りたいという欲求をくすぐられる。
精巧な仕組みに支えられ、しかも何かの原因で生命が絶たれてしまう不思議。ホント、不思議なことばかりだ。
荒んだ社会になってきている今日この頃。僕は今になって、こういう本を読んでいるけど、もっと若いときに読むべき本だと思う。ヒトが自然の中で命をつないでいけること。社会の中にいること。そして、何かをし、死んでいくこと。
自分がこの中から脱出しては生きていけないことを知るべきなのである。
20040201
- 『花の歳月』 宮城谷昌光著 講談社文庫 み−34−5 419円+税
正しく生きるとはどういう事だろうか。
漢の皇宮に推薦された、今は衰微した旧名家の竇(とう)家のむすめ猗房(いぼう)。後の皇后になる運命なのだが、それはよくある権謀術数を駆使して手に入れたものではない。
今の時代と、2000年も前の考え方を比較することは出来ないが、はたして、生きる上での根底にあるものは大きく変わったのだろうか。
自分を守ることや、自分の家族を守ること。それ自体は決して難しいことではない。当たり前のことが当たり前に出来れば十分なのである。どれだけの人が、その通り行動することが出来るのか。
欲望を制御することが重要である。そのためには規範が求められる。
昔と今で、変わってしまったものは、実は規範の喪失なのかも知れない。
古典に拠らなくてもいいとは思う。しかし、無視はできない。それだけの大きさを持っているし、学ぶべき所は多いはず。形を変えて今に伝わっていることだってある。
この物語を読み終わって、すっきりとした気持ちになるのは何故だろうか?
雑音と雑念の多い現代に、何もないことの美しさを感じることが出来る。
裏を返せば、自分がそれだけ濁っているってことなんだよな。
(この本、以前にも読んだ気がするのだが・・・(汗))
20040103