1998/11/14
再会


 夏の北海道行き直前に転倒してから、バイクの調子がいまいちだった。八年近く乗っているせいもあったかも知れない。バッテリー、プラグを交換してみたがエンジンが掛からない。どうやらキャブが詰まってしまったらしい。いかん。ツーリングまであと三週間。取り敢えず、キャブからガソリンを抜いてみる。プラグをよーく乾かしてから、再始動。ブオン! お、掛かった。ブオン! ブオン! ブオン! うわっ、凄い煙だ。ブオン! ブオン! ブオン! ん、なんとかアイドリングしてるな。よしよし。
 文ちゃんに電話して、バイクの様子見がてら遊びに行くと伝える。彼と合流してファミレスで食事をし、バイク用品店にグローブを見に行く。それまで使っていたカドヤのハンマーグローブがそろそろ限界に来ていたので、新調しようと考えていたのだ。大体のあたりをつけて、その日は家に帰った。バイクはなんとか走る。
 翌日。
 再びエンジンを掛けようとするが、やっぱり掛からない。困った。本格的にキャブが詰まっている。これはもう、キャブを降ろして分解掃除するしかねぇぞ。しかし時間が無かった。バイク屋に修理に出すにせよ、金が必要だ。が、その金が、無い。
 翌週。
 なんとかバイトで金を工面して、バイク屋に愛車を持って行く。
「幾らくらいかかりますかね」
「四万は見てください」
「そうですか。で、いつくらいまでかかりそうですか」
「そうですねぇ……二週間くらいですかねぇ」
「えっ……あの、申し訳ないんですが、二週間後の土曜日からツーリングで使うんで、なんとかそれまでにお願いできないですかね」
「う〜ん、そうですか。わかりました、なんとかしましょう」
「宜しくお願いします」
といったやりとりがあり、あとはただ、ひたすらバイクが直るのを待つだけだった。
 さらにその翌週。
「あ、バイクの修理できましたから、いつでも取りに来てください」
「もうできたんですか。わかりました。早速明日取りに行きます」
 で、その翌日。
 修理なった愛車を受け取り、空港周辺で意気揚々とテスト・ランをするのだった。「うひょーサイコー」そして翌週、出発の朝を迎えた。

 前日の午前中の話しでは、文ちゃんが風邪をひいてしまい、バイクでの参加は無理かも、ということだった。久々のツーリングだっただけに、酷く悔しそうだった。だがその夜、彼から連絡があり、なんとかバイクで行けそうだとのこと。予定通り、午前七時半に彼の家に迎えに行くことになった。
 時間通りに彼の家に着くと、バイクに荷物を積んでいる最中だった。顔色が良くない。が、それを言ってしまうと、かえって良くないかなと、黙っていた。程なくして彼の準備が整い、出発。南柏の彼の家から国道六号線を使って都内へ出る。昨夜の雨がアスファルトの所々を黒く濡らしていたが、空は秋らしく、高く青かった。
 霞ヶ関から六本木通りに入り、用賀から東名高速に乗る。さすがに今日はバイクが多い。が、車の量はそれほどでもない。海老名SAで給油し、電脳おやぢ、や〜ふる組に電話をいれる。彼等はや〜ふるの車で一日早く出発しており、今は富山にいるらしい。夕方四時くらいには着けそうだと告げて電話を切る。煙草を吸い終わり、出発しようとセルを廻す。
「カシュッ」
「あ、あれ……」
「カシュッ、カシュッ」
「う……バッテリーあがってる……」
 仕方なく押し掛けでエンジンを掛ける。先行き不安だ……

 由比PAで一服し、牧ノ原SAで昼食を摂り、バイクに給油する。燃費を計算してみると、異常に悪い。普段なら高速でリッター当たり二十五キロは走る筈なのに、今日に限って十八キロ程にまで燃費が落ちている。まだ本調子ではないようだ。と思っていたら、文ちゃんもやはり燃費が悪いと言う。どうやら、強い向かい風のせいらしいと気づき、ガソリンに気を使いながら走ることにした。
 バイクの前で両足を投げ出して煙草を吸っていると、俺のバイクの隣に停まっていたCB400SFの持ち主らしい女の子が声を掛けてきた。
「今日はどちらまでいかれるんですか」
「福井」
「えっ……遠いですね……」
「遠いね」
「……でも、今日は暖かくていいですよね」
「そうだね」
 初心者らしい彼女は、そろそろとバイクを路上まで押して行き、危なっかしくバイクを発進させた。恥ずかしい程ピカピカ光るキャンディーブルーメタリックのバイクに跨った彼女の背中は、バイクに跨る度にドキドキしていた、遠いあの日を思い出させた。

 次の給油ポイントを北陸道に入って最初のSAにすることにして、再び走り始めた。名古屋を過ぎ、小牧から名神に入り、米原から北陸道を北上する。久々のロングツーリングに尻が痛いのは当然として、それよりも、やたらと背中が痛む。革ジャンのおかげで風圧による疲れはさほどでもないのだが、伏せて走っているせいだろうか。肩胛骨のあたりから腰のすぐ上までの背中に疼痛を感じていた。すっかり鈍ってしまった体と、そうしてしまった普段の生活態度を恨みながら、それでもなんとか走っていた。
 と、突然エンジンが吹けなくなった。すかさずガソリンコックをリザーブ位置にし、SAまでの距離を計算してみる。だめだ、どう考えても持ちそうにない。ICの出口手前でバイクを止め、文ちゃんに次のSAで待つように言い、ICを出てすぐのガソリンスタンドで給油し、再び高速に乗る。賤ヶ岳SAで文ちゃんと合流すると、彼は既に給油を終えた後だった。
 再び出発し、二十分程で敦賀ICに到着した。タンクの上に取り付けられた文ちゃんのナビによると、目的地の三方町遊子まであと四十キロ程だった。現在午後三時半。なんとか四時半には到着できそうだ。国道二七号線から国道一六二号線に入ると、もう右手に三方湖が見え始める。途中、県道を右折して暫く走ると、左手に若狭湾が見えた。空は既に赤く染まり初めており、穏やかな海面に反射する夕日の光が息を呑む程美しい。工事の砂が浮いたワインディングロードをそろそろと進むと、やがて「遊子」の地名を表す看板が見え、路肩に各宿を示す地図があった。そこでバイクを停めて、宿の位置を確認する。確認するとは言っても一本道なので、そのまま行けば目的の民宿には辿り着けるのだが、紛らわしいことに、その地図を挟んで左に入る道があり、目的の宿に行くにはその道が近いように見える。近いと言っても、ほんの数十メートルの違いでしかなかったのだが。結局そのまま真っ直ぐ進み、午後四時半、民宿「きよしや」に到着した。

 バイクを駐車場に入れていると、頭上から声がした。見上げると、部屋の窓から身を乗り出したや〜ふると電脳おやぢの姿が見えた。電脳おやぢはすでに浴衣姿である。
 バイクから荷物を降ろし、玄関でスリッパに履き替え、二階の部屋に上がる。ひとしきり互いの労を労いながら、畳に転がってくつろぐ。俺達が到着する少し前に大盛り野郎から電話があり、あと三十分程で到着するとのこと。彼は熊本からの参加だ。千葉からここまで約五百キロ。熊本からここまで約八百キロ。若さというのは、ただひたすらに頼もしいばかりである。
 文ちゃんとや〜ふるが、写真を撮りに海辺へ降りて行った。電脳おやぢと二人でベランダに出て、大盛り野郎が来るのをひたすら待つ。すると突然、目の前の電線を猿が渡って行った。一匹だけでなく、二匹、三匹と渡って行く。猿は我が物顔で電線を伝い、都会ボケした人間共にチラと一瞥をくれて、裏山に消えて行った。
 部屋の窓からは、この宿へと続くつづら折れの一本道を走る車を遠くに望むことができる。車やバイクのヘッドライトの灯りが見え隠れするのを見ながら、大盛り野郎の到着を待っていた。暫くして、空冷エンジン特有の乾いた排気音と共に近づいてくるヘッドライトの灯りが見えた。そのバイクは例の分岐点で停まり、例の脇道へと進んだ。その道は、湾を取り囲むように通っているメインストリートをショートカットするように走っているのだが、メインストリートと再び合流する地点が、この宿の少し先なのだ。つまり、よっぽど気を付けていない限り、宿の存在に気づかずに通り過ぎてしまう可能性が高い。ゆっくりと向かってくるバイクに向かって、大声で叫んだ。
 メインストリートとの合流地点まできた彼が、キョロキョロと辺りを見回す。いつの間にか散歩から帰ってきていたや〜ふると文ちゃんも一緒に叫ぶ。シールドを上げ、上を見上げた大盛り野郎が、やっと俺達に気づいた。

 どうにかこうにかなんとかやっと、参加メンバー全員が揃った。北海道の旅から四ヶ月。皆、元気で過ごしていたようだ。まぁ、文ちゃん、や〜ふる、電脳おやぢとはその間に何度か会ってはいるので久々という感じではないのだが、遙か遠い土地に現地集合で出会うと、やはり感動もひとしおだ。特に、大盛り野郎とは本当に四ヶ月ぶりだったので、その元気な姿を見られたのが本当に嬉しかった。それぞれに、なかなかドラマチックな旅をしてきたようで、その道程が如何に辛く苦しいものであったかを競い合っているうちに、夕食の時間となった。
 夕食は部屋食ではなく、階下の宴会場で摂ることになった。宴の部屋へと通された俺達の目にまず飛び込んできたのは、カニだった。軽いどよめきとともにそれぞれの席に着き、テーブルに乗せられた数々の料理を眺め渡す。和え物、煮物、鍋物、カレイの塩焼き、カニ丸ごと一杯。鳴り止まない腹を両手で抱えながらつばを飲み込んでいると、そこへさらに船盛りが運ばれてきた。ヒラメ、石鯛、鯛、烏賊のそれぞれが丸ごと一匹ずつ。かなりな大きさの甘エビ、鮑、雲丹。はうあっ!
 早速ビールで乾杯し、身を乗り出してひたすら喰う! 喰う! 喰う! 呑んでは喰う! 喰う! 喰う! ただただ喰う! 喰う! 喰う! のであった。とにかく旨い。何を喰っても旨い。誰が何と言おうと旨いったら、旨いのだ。
 一通り刺身関係を食い尽くした後、やおらカニと格闘しているところへ今度は、焼きガニが登場した。烏賊は頭部を残してあらかた食い尽くしていたのだが、焼きガニを運んできたおばちゃんが、頭も食べやすいように切り分けて来ますね、と言い残してわしっと手づかみで持ち去っていった。とそこで、ある心配事がむくむくとわき上がってきた。
 この宿を予約するときに、確か、一人一万二千円でお願いしますと伝えた筈だった。こちらの意図としては、泊まり+夕食+朝食の合計金額をその値段で賄って欲しいということだったのだが、それにしてはあまりにも料理が豪華すぎる。夕食朝食込みの一泊料金が八千円のこの宿で、プラス四千円のプレミアムプライスがこれほどの事態を引き起こすとは、その場の誰もが想像だにしていなかったことは言うまでもない。大丈夫か? 本当に大丈夫なのか? 会計時にとんでもない金額を請求されてしまうのではないか?  などと想像を逞しくしていたのだが、カニを喰っているうちにどうでも良くなった。その程度の心配か、俺。
 唐突だが、カニ味噌は人生である。甘かったり苦かったりしょっぱかったり。以外な場所に隠れていたり、ここかと思えばまたまたあちら浮気な人ね、なんである。カニ味噌の無い人生は考えられないのである。なぜなら、旨いからである。アイデアル。そうである。とにかく、「カニ味噌は最後に食え」の掟に従い、ちゅぱちゅぱぺろぺろとやっている内に、あっと言う間に食い尽くしてしまった。もうだめだ。もう喰えん。
 そうして畳にごろごろごろりんと転がっていると、突然や〜ふるが、「ごはん、まだ?」と言い出した。この期に及んで、まだ喰うつもりである。ほとほと呆れていると、大盛り野郎も「ごはん、まだですかねぇ?」などと言い出す。とっは〜。
 暫くして吸い物とおひつ一杯のごはんが運ばれてきて、嬉しそうに茶碗にごはんを盛りながら大盛り野郎が言った。
「おかず、欲しいっすね」
「確か玄関に梅干しが一杯落っこってたぞ」
「んなもんが落ちてるわけねぇだろ。ありゃ売ってんだよ」
「じゃぁ、買ってくる」
 と言い残し、小銭を握りしめたや〜ふるが梅干しを買いに行った。程なく戻ってきたや〜ふるが言うには、今からお茶と梅干しを出すところだから待っていなさい、と言われたらしい。俺は梅干しが食えない。梅干しに限らず、漬け物の一切がダメだ。などと言う俺を後目に、旨そうに梅干し茶漬けを掻き込む我が部員達であった。
 浜辺に打ち上げられたアザラシの群よろしく、う〜とかあ〜とか唸りながらぱんぱんに膨れ上がった腹をさすってごろごろしているところへ、おばちゃんが元気よく「デザートでぇ〜す。もうこれで最後でぇ〜す」と言いながら入ってきた。「デザートぉ? い、いらねぇ」と思いつつ、そのデザートが乗った皿を見ると、なんだか様子が変だった。その皿には二つの物体が乗せられていて、一つはあきらかに、広く世間で言うところのメロンに違いなかった。色といい艶といい適度な腐り具合が、まごうかたなきメロンであった。俺はメロンが嫌いである。なぜなら腐っているからだ。んなことはどうでもよかった。問題はもう一つの物体であった。どう見ても、誰が見ても、何があろうとも明らかに、「カキ」であった。「柿」ではない。「牡蛎」である。何故。一体何故デザートに牡蛎が……皆に動揺が走った。箸で鼻を突く者、障子紙に指を突っ込み不気味に笑う者、テレビの前に正座しひたすら謝る者。それまでのほんわかした宴が、一瞬にして緊張感に包まれた。おばちゃんは平然と、皿を各自の前に並べていく。その皿を目の前にした俺達は、おそるおそる牡蛎のふたを開け、中身を確認した。くらくらした。やはり、中身は牡蛎だった。湯気が立ちのぼり、魅惑的な白い肌がつやつやと光り、艶めかしい露を滴らせ、誘うように佇む、牡蛎。が、結局喰った。旨かったです。牡蛎。メロンはや〜ふるにあげた。

 風呂に入り、置いてあったその宿の子どもの持ち物であろう水鉄砲で遊び、浴衣に着替えて、蒲団に入って、翌日の計画を立てる。あれこれと話し合った結果、レインボーラインを走ることと、三方五湖めぐりの遊覧船に乗ることだけ決めて、あとは明日、適当に決めることにして、寝た。


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